楽園の嘘、あるいは歴史修正主義の寓話としての『ズートピア2』――「1776年」の神話と「1619年」の亡霊 終章

「修正」し続ける、あるいは「アメリカ」であり続けること

小森真樹

 アメリカ社会の現状を語る際、「分断」という言葉が用いられるようになって久しい。過去の評価や現在の価値観をめぐって激化する「歴史戦」や「文化戦争」、そして「暴力装置」たることを露骨に示し、歴史の改ざんすらも厭わない第二次トランプ政権……。
 これらの現状を批評的に盛り込んでいるのが、現在世界中で大ヒットしている、ディズニー映画『ズートピア2』だ。アメリカ文化研究・ミュージアム研究者である著者が、このアニメ映画を起点として、アメリカ社会、ひいては現代世界の向かい合う問題について論じる短期連載の最終回。
 本作が突き付けたリベラリズムの”機能不全”とは何か。そして分断を超克するシナリオとは?

『ズートピア2』は、2026年2月現在、世界興行収入19億ドルに迫る歴史的なヒットを記録している(*25)。中国市場での爆発的な成功や日本でのロングランは、この物語が持つ射程がアメリカ一国に留まらないことを証明している。しかし、それでもなおこの映画は、現代アメリカが自画像=アイデンティティを描き直そうとする「修正」の試みとして読まれるべきだ。

写真13 『ズートピア2』は中国でも記録的大ヒットをしている。2025年11月30日、南京にて(写真:VCG/アフロ)
写真13 『ズートピア2』は中国でも記録的大ヒットをしている。2025年11月30日、南京にて(写真:VCG/アフロ)

 ディズニーは本作において、ドル箱である「ズートピア」という理想郷の正史を自ら否定した。その美しいスカイラインの下には、虐殺されたカメと、追放された爬虫類と、盗まれた技術が埋まっていた。だが、映画は都市を破壊して終わるわけではない。真実が暴かれた後も、ズートピアは存続する。 ただし、その風景はもはや以前と同じではいられない。市民たちは、自分たちの快適な生活が誰の犠牲の上に成り立っていたかを知った上で、それでも共に暮らしていくことを選ぶ。ここにあるのは、「完成された理想郷(being)」としてのユートピアではなく、過ちを認め、修正し、変わり続けるプロセスとしての「未完の共同体(becoming)」である。

*25 Box Office Mojo, Zootopia 2 (2025),” accessed March 1, 2026.

リベラリズムの機能不全と「見捨てられた者たち」への視座

 本作が突きつけたリベラリズムの機能不全を、改めて重く受け止める必要がある。10年前の前作が信じた「個人の心の持ちよう、偏見の克服」や「対話による解決」は、構造的な不平等の前には無力だった。セラピー文化はガス抜きに過ぎず、メリトクラシー(能力主義)は勝者の驕りを正当化する道具と化した――こうしたことが次第に明らかになった10年間ではなかったか。その欺瞞にいち早く気づき、怒りを募らせたのが、ラストベルトで変化に怯えながら暮らす労働者や、ネットミームで選挙を遊びに変えるオルタナ右翼(*26)、本作のポーバート・リンクスリーのような「承認を奪われた者たち」であったことは否定できない。

 ここでトランプ現象を支えるのは差別主義者たち、と倫理的に断じることは思考停止を招くのだろう。「多様性」や「公正」といったリベラルな美辞麗句が、自分たちの生活の苦境を無視し、文化的なエリートによるマウント取りに使われていると感じた人々の、切実な反乱という側面に目を向ける。かつてヒラリー・クリントンは彼らのことを「嘆かわしい人々の吹き溜まり(basket of deplorables)」と呼び、その傲慢さが社会の亀裂を決定的なものにした――あるいはそこで裂け目がようやく顕在化したと言える。本作はポーバートを「凡庸な悪」として描きつつも、彼を完全な怪物として切り捨てなかった。あの不気味だがどこか憎めないキモカワ笑顔のチャーミングさに、微かな希望を見出すことはできないだろうか。彼もまた、偉大な父という過去の呪縛に囚われ、自分の価値を証明できずに苦しむ、歪んだシステムの犠牲者の一人なのだ。

 歴史をアップデートする「修正」とは、マイノリティの権利回復だけでなく、こうした「見捨てられたマジョリティ」の痛みをも、同じ歴史の地平に位置づけ直す作業でなければならない。彼らを「遅れた/誤った/狂った人々」と蔑んで切り捨てるのではなく、彼らがすがりついた「偽りの建国神話」を解体し、共に「本当の歴史」の担い手として迎え入れる器をつくること。それこそが、分断を超克する「ユートピア」のシナリオだろう。

*26 以下の拙著「第14章 オルタナ右翼のカエル神」では、ネットミームなどの右派文化について論じた。小森真樹『楽しい政治――「つくられた歴史」と「つくる現場」から現代を知る』(講談社、2024年)。

「Becoming」としてのアメリカ

 ラストシーン、ポストクレジットで示唆される「鳥類」という「別種」の存在は、ズートピアという街が世界のほんの一部に過ぎないことを暗示している。世界はまだ広く、排除されている「他者」、あるいは全く別の価値観の世界はまだ無数に存在するのだ。「偉大なアメリカの復活」――つまり、MAGA――が叫ばれ、不都合な歴史が次々と教科書から削除されていく2026年の今、このアニメーション映画が発するメッセージは、あまりに切実である。

「アメリカ合衆国(The United States)」という国名に示唆されているのは、最初から一つであること(unity)を志向しないことである。それは、バラバラで対立する複数の「州(states)」が、絶えず「結合(united)」しようと試み続ける・・・、その緊張関係と動的な運動体を指す言葉だ。望むべき「統合(union)」とは、過去をきれいな神話で塗り固めて思考停止することではないはずだ。泥にまみれた湿地を掘り返し、そこにある骨と記録を直視すること。その痛みを引き受けた社会だけが、ばらばらなままに結合し、次の「共生」と「修正」を語る資格を持つ。

 インフラは嘘をつく。だが、その嘘を暴き、何度でも設計図を引き直すのもまた、そこに生きる者の責務である。『ズートピア2』は、完成したユートピアの夢から覚め、傷だらけの歴史を抱えて「修正」という歩みを踏み出すための、最もポップで、最もラディカルな「抵抗と再生」の書である。アメリカはまだ、修正し続けている(becoming)のだから。

 第四章
楽園の嘘、あるいは歴史修正主義の寓話としての『ズートピア2』――「1776年」の神話と「1619年」の亡霊

アメリカ社会の現状を語る際、「分断」という言葉が用いられるようになって久しい。アメリカの建国は、英雄たちによる「輝かしい」ものなのか? それとも、アメリカの発展・繁栄は奴隷制によって支えられた、「血塗られた」ものなのか? 過去の評価や現在の価値観をめぐって激化する「歴史戦」や「文化戦争」、そして「暴力装置」たることを露骨に示し、歴史の改ざんすらも厭わない第二次トランプ政権……。 これらの現状を批評的に盛り込んでいるのが、現在世界中で大ヒットしている、ディズニー映画『ズートピア2』だ。アメリカ文化研究・ミュージアム研究者である著者が、このアニメ映画を起点として、アメリカ社会、ひいては現代世界の向かい合う問題について論じる短期集中連載(全6回)。

関連書籍

楽しい政治 「つくられた歴史」と「つくる現場」から現代を知る
歴史修正ミュージアム

プロフィール

小森真樹

(こもり まさき)

1982年、岡山県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士号(学術)取得。武蔵大学人文学部教授、立教大学アメリカ研究所所員。専門はアメリカ文化研究・ミュージアム研究。批評の執筆や雑誌の編集、展覧会・オルタナティヴスペースの企画にも携わる。著書に『美大じゃない大学で美術展をつくる vol.1 藤井光〈日本の戦争美術1946〉展を再演する』(編著、アートダイバー)、『楽しい政治—「つくられた歴史」と「つくる現場」から現代を知る』(講談社選書メチエ)、『歴史修正ミュージアム』(太田出版)がある。

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「修正」し続ける、あるいは「アメリカ」であり続けること

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