自民党の研究 動乱の保守政治に迫る 第一回

小泉進次郎はなぜ高市早苗に敗れたのか

森 功
写真:アフロ

高市政権の深層で何が起きているのか。政治と権力の核心を追及し続けてきたノンフィクション作家・森功氏が、自民党政治の現在と、権力の源泉に迫る注目の新連載「自民党の研究」。圧倒的多数与党となった現政権は強引な国会運営を続けているが、アメリカとイスラエルの先制攻撃に端を発するイラン戦争、また日中関係の悪化は政権を根本から揺るがしかねない。永田町の水面下では何が起きているのか。第1回は高市首相の誕生に至る暗闘を描き出すーー。

一強、高市政権の霞が関の評判

 自民党の高市早苗政権が1月13日の衆院予算委員会の締め括り質疑にこだわった理由は至極単純である。この日に衆院の質疑を終えて採決し、16日から想定している参院の基本質疑入りできれば、3月末の25年度内に令和8(2026)年度の一般予算を成立できるからだ。そうすれば、来る19日の米ドナルド・トランプ大統領との日米首脳会談にも余裕をもって臨める――。
 衆院の唐突な解散、総選挙によって年度内の予算成立が絶望視され、批判を浴びた高市政権はそれを見返そうと、強引な国会運営に突っ走った。日本初の女性宰相の真意はどこにあるのか。官邸を支えるある霞が関の官僚は「最近の総理はトランプ化しているように感じる」と次のように評した。
「高市総理はとにかく批判されることを嫌います。12月の通常国会開催をしていた頃の解散はあったけれど、年が明けて国会が開かれるようになってからの冒頭解散は初めての経験です。そのせいで予算の年度内成立の見通しが立たなくなっていたのに、『私のせいじゃないわよ』と言いたいために無理やり3月末までに予算を通そうとしている。そんなつまらない理由だと野党のみならず誰もが感じています。ですが、総理は一度言い出したら何を言っても聞かない。役人はもとより側近と呼ばれている国会議員もそれがわかっているから逆らえません。まして総選挙で衆院の3分の2の議席をとってしまったのでなおさらです」
 トランプ化とは「裸の王様」と同義なのだろうが、高市の問題はそれだけではないようだ。官僚はこうも言う。
「まわりの言うことを聞かないために判断を間違ったり、失言が多かったりします。そこもトランプと似ている。TACO理論と揶揄されて、関税政策で迷走したり、対中、対露の外交で腰砕けになったり……。高市総理はまだ政策の実績が乏しいので表面化していないけれど、たしかにそっくり。なので、TACO高市なんて呼ばれ始めています」
 Trump Always Chickens Outの略称TACOは言うまでもなく、フィナンシャル・タイムズのコラムニストであるロバート・アームストロングがトランプを揶揄した造語だ。ウォール街のトレーダーから端を発し、世界中で広まった。昨今のベネズエラやイランに対する国際法を無視した勝手な攻撃もその一つといえる。もっともこの間、米大統領が本当に日本の首相を頼り、強固な同盟関係づくりを願ってきたか、といえばそこは甚だ疑問ではある。
 新規連載『自民党の研究 変形する保守政治』第1回はまず、昨年秋の高市内閣誕生にさかのぼり、さまざまに語られてきた舞台裏を覗く。

2026年3月16日、第221特別国会 参院予算委員会での高市早苗総理大臣。写真:アフロ

高市政権誕生前夜の暗闘

 高市早苗にとって2025年10月4日の総裁選挙は3度目となる。安倍晋三のバックアップでとつぜん出馬した21年9月の総裁選で岸田文雄に敗れ、24年9月のときは決選投票で石破茂に逆転を許した。3度目の正直と言えば、もっともらしく聞こえるが、25年の総裁選挙は誰もが小泉進次郎で決まりだと考えてきた。もとはといえば日本初となった女性の総理大臣誕生は、衆目の予想を超えた出来事だったといえる。
 石破の退陣を受けたこのときの総裁候補は、24年の顔ぶれとさほど変わりがない。24年の候補者を挙げると、石破、高市、小泉、林芳正、小林鷹之、茂木敏充、上川陽子、河野太郎、加藤勝信。自民党史上最多となる9人が名乗りを上げた前代未聞の選挙だった。石破と高市の決選投票の末、石破が勝利した。
 そこから1年後の25年の総裁選では高市と小泉、林、小林、茂木が候補者として残り、石破はむろん上川、河野、加藤の4人が出馬をあきらめた。いきおい出馬断念組は候補者の応援にまわらざるをえない。ここでは旧来の派閥の変質や派閥内の確執が大きくものをいった。平成研究会(旧茂木派)だった加藤勝信は無所属の小泉の推薦人代表となり、志公会(麻生派)の河野も小泉陣営に合流した。そうして小泉絶対有利の流れができあがる。
 旧岸田派の宏池会に所属してきた上川は、本来、岸田派の事務長を務めてきた林の支援にまわっていいように思える。だが、そうはせず小泉に与した。実のところ上川が小泉陣営に加わった背景には、林と岸田の微妙な溝があるようだ。政界通が指摘する。
「もともと池田勇人のつくった宏池会は宮沢喜一や加藤紘一を経て、河野洋平が派閥を飛び出して古賀誠が領袖として派閥を引き継いだ。洋平さんは加藤と袂を分かち、河野グループ(大勇会)を結成して麻生先生がそこに加わった。そのあと麻生太郎が志公会を立ち上げ、加藤グループの谷垣禎一の有隣会が独立し、宏池会が分裂しました。そうして近年は古賀と麻生が自民党内の勢力争いを繰り広げてきました。運輸利権を握っている古賀の力は大きかったけれど、政界を引退し、そのあとの永田町は安倍晋三に近い麻生の存在感が増しました。また古賀の引退後は岸田が派閥を継いだけれど、長老の古賀は林寄りで、そこもうまくいかない。しぜん、林と岸田の二人には距離が生まれた。岸田政権で安倍派の政治資金問題が起き、林が松野博一との交代で官房長官に就いたのは、そのあたりを修正したからだともいわれていますが、やはりしこりは残っています」
 25年の総裁選には前年の後遺症があった。前回に総裁選に出馬した河野は、麻生太郎が長らく派閥のホープとして目をかけてきたが、このときは麻生の思い通りにことが運ばなかった。麻生派の重鎮議員による解説はこうだ。
「もとはといえば麻生先生は河野洋平先生のグループを継いだ意識があり、息子である太郎さんの面倒を見てきたのです。洋平先生は自民党総裁に昇りつめたけれど総理になれず、麻生先生にはそこに対する悔やみが残っています。洋平さんの恩に報いるべく、太郎さんを引き立ててきた。けれど、前回の24年の総裁選で太郎さんを推してずっこけた。麻生先生にしたら、そうでもしなければ太郎が派閥を割って出るので派内に引き留めておくためには仕方がない、という判断でした。けれど、石破や小泉に比べて太郎さんの影は薄く、大惨敗でした」
 24年の総裁選における河野太郎には、22の議員票と8の党員票を合わせてわずか30票しか集まらなかった。立候補するためには推薦人が20人必要であるため、そこを麻生派で埋めたかっこうだが、そのあとがまったく伸びず、候補者9人中8位に沈んだ。そんな体たらくだから河野自身は次の総裁選に出られるわけもなく、小泉を推した経緯がある。
 一方麻生太郎は24年の総裁選でさすがに河野太郎では闘えない、と選挙の途中からあきらめたようだ。だが、最終的に決選投票で誰を推すか方向性が定まらず、選挙戦略に欠いた。その迷いの裏には、石破だけは避けたい、という思いがあったからだ。
 麻生は2008年9月から09年9月まで首相を務めたが、09年の衆院選の敗戦により、自民党内で麻生おろしが始まった。このとき石破は農林水産大臣の閣内にありながら、麻生おろしに加担し、本人の逆鱗に触れたとされる。その恨みは今もって消えず、24年の総裁選で石破が有利だとわかっていても、擁立に傾かなかった。挙句、最終盤になって高市を担ごうとした。別の麻生派幹部が内幕を明かす。
「前回の総裁選の麻生さんには、石破嫌いという理由だけでなく、菅(義偉)さんとの因縁もありました。安倍政権時代、同じ安倍総理を支える菅さんと麻生さんは水と油でした。小泉さんも菅さんの息がかかっているので推したくない。そのせいで、河野太郎をあきらめて慌てて高市を担ごうとしたのです。けれど、麻生さんと高市さんはほとんど知らない仲で、力が入らない。そうして結局、石破さんが決選投票で自民党総裁ポストを射止めたわけです」
 石破勝利の裏には、菅の作戦に加え、菅・岸田連合の結成があったと伝えられる。
 神奈川2区(横浜市西区、南区、港南区)選出の菅は、かねて同じ神奈川選出の河野太郎(神奈川15区)と小泉進次郎(同11区)の2人に対して「将来の総理候補」と評価し、後ろ盾になってきた。わけても小泉は菅の第二次安倍政権時代の官房長官時代、真っ先に滝川クリステルとの婚約を報告したほどの間柄だ。さらに自民党青年局長時代の2012年9月には、安倍と石破が争った自民党総裁選で石破に票を投じるなど、石破との関係も悪くない。それだけに24年の総裁選当初の菅は、石破と小泉を天秤にかけていると囁かれたくらいである。
 そしてこのときの総裁選は結果として、小泉の党員票が思ったほど伸びず、石破と高市の決選投票になる。1回目の投票を見ると、議員票では小泉の75がトップに立ったものの、高市が72と迫っている。石破はわずか46だったが、問題は党員票だったといえる。党員票で高市が109と石破をかわし、下馬評の高かった石破は108と2番手、人気者のはずの小泉は61で3位と落ち込んだ。
 トップとなった高市の党員票については、まさしく昨今の自民党員のあり様を示していた。次の総裁選を予見していたともいえる。そこは後述するとして、議員と党員を合わせた1回目の総裁選の獲得順番でいえば、高市が181に伸ばし、2位の石破の154に大きく水をあけていた。
 だが、そこから2人の決選投票になると、菅は小泉陣営はもとより岸田とも連携して石破を担いだ。周知のように決選投票の党員票は、47の都道府県それぞれが1票ずつとなり、獲得数における比重が低くなるので、議員票が勝敗を決める。おまけに47都道府県の党員票でも石破26、高市21と逆転し、さらに議員票では石破が189と高市の173を上回った。総数で見ると、石破の215票に対し、高市は175票で、石破が勝利したのである。
 最終的に石破が勝利した裏には、林陣営が加わった岸田派の取りまとめがあったとも、さすがに高市では危ういという国会議員の見識が働いたともいわれる。そのどちらも正しいのであろう。麻生自身は菅や岸田に煮え湯を飲まされたわけである。
 麻生にとってこの24年の自民党総裁選は、苦い経験というほかなかった。総裁選投開票当日の9月27日夜には、麻生派の主要幹部が都内のレストランに集結してやけ酒を呑んだ。だが、さすがにその場では不機嫌な派閥の領袖に対し、選挙戦略の欠如を訴える議員などはいない。領袖はこう吐き捨てるのが精いっぱいだった。
「河野太郎を担がなければたぶん派閥を割って出馬しただろうから、あれはあれで仕方なかった。岸田が石破に乗ったのは意外だったが、岸田に初めからそんな戦略を練る知恵などないだろうからな」
 自民党総裁選翌月の2024年10月に第一次内閣を発足させたその石破茂は、意気揚々と衆院の解散総選挙に踏み切った。だが、国民が石破を信任していたわけではない。まして党内に旧安倍派を中心とする獅子身中の虫を抱える宰相は、党をまとめきれず足元がふらついた。石破は自民党幹事長の森山裕を頼る以外になかった。勢力を拡大するため新人議員に10万円の祝い金を配り、党内の声に押されて総選挙の公示直後に非公認とした派閥パーティの裏金議員の政党支部に2000万円もの政党助成金を振り込む始末だった。
 そして政治とカネ問題の逆風がおさまるどころか、ますます強まり、自公の与党は衆院過半数割れに追い込まれる。案の定、石破政権は総選挙で大負けし、自民党政治が溶解していく。自民党はそこから翌25年6月の東京都議会選、7月の参議院選とトリプルで連敗を重ね、石破おろしが始まって自民党全体に危機感が走った。
 もっともこのときの自民党内の受け止め方はさまざまだったが、大別すると2つあった。
「70年続いた保守・自民党による55年体制の終焉」
「参政党をはじめとした新興の保守票を奪われた結果だから、それを取り戻せばいい」
 さしずめ現高市政権を支える国会議員は後者の声をあげていた。
 なにより前回の総裁選で一敗地にまみれた長老の麻生太郎にとって、石破政権の弱体化は好都合だったかもしれない。2025年10月の総裁選では、思い切った勝負手を打つことになる。

総裁選を左右した党員票の力

2025年10月4日、自民党総裁選。左から小泉進次郎、林芳正、石破茂、高市早苗、茂木敏充、小林鷹之。写真:代表撮影/ロイター/アフロ

 日本で初めて女性総理を実現させた生みの親――。
 麻生太郎は25年の自民党総裁選のあと、巷でそう持ちあげられた。しかし、必ずしも初めから女性総理誕生の絵を描いていたわけではない。
 先に書いたように、25年の総裁選における立候補者の顔ぶれは、石破が抜けたくらいでさほど変わり映えがしなかった。したがって麻生は選挙序盤から誰を推すか決めかねていたようだ。先の政界通が打ち明ける。
「麻生太郎には、こんどこけると政治生命が終わる、という危機感があったと思います。だから25年の総裁選では、是が非でも勝ち馬に乗らなければならなかった。そのために候補者の人気や動向を慎重に見極めようとしていて、そのなかで初めに推そうとしたのは小泉進次郎だった」
 選挙の構図は小泉、高市、林、小林、茂木の5人の争いである。前述したように小泉進次郎には、旧石破陣営だけでなく、河野太郎や加藤勝信といった24年組の候補者が次々と〝推薦〟を決めた。議員票で圧倒できるうえ、前回伸び悩んだ党員票も、石破票の加算を期待できるので、高市票にも負けない。そう踏んだ。
 石破政権下の選挙で惨敗したせいで自民党では、衆参両院の国会議員が295と激減した。25年の総裁選では、そこへ同数の党員票が加わって590票の奪い合いとなる。となると、1回目に295票を超えれば、それで総裁が決まるわけだ。選挙序盤の予想では小泉の議員票は100を大幅に超え、党員票で大勝ちすれば決選投票にもならず1回目で小泉に決まるのではないか、とまで囁かれたものである。
 ところが、ふたを開けると、小泉陣営の皮算用は外れた。議員票では高市の64に対し、小泉は80と辛うじて高市を上回ったものの、党員票で119対84と大差をつけられてしまう。合計すると183対164,小泉は3位の林の134とさほど変わらず、トップどころか大きく後退した。ちなみに林が獲得した票の内訳は、議員票72で党員票62だ。
「これはわからなくなってきました。高市総裁がありうるかもしれない」
 ある5回生のベテラン議員は1回目の投票結果を踏まえ、そうメールしてきた。そうして総裁選は決選投票に持ち込まれた。
 なぜここまでもつれたのか。その大きな要因は、高市の党員票にほかならない。前回の24年総裁選のときも戦前の予想を覆して高市が石破を超えた。自民党幹部職員が分析する。
「石破さんは防衛庁長官や農水大臣などを歴任してきたので、防衛や農政に強い政策オタクの印象があり、安定感もあります。ただし呑み会が嫌いで党内の議員仲間が少ない。その代わり、地方創生担当大臣を経験したときに全国をまわり、地方の自民党議員や党員と接してきた。自民を飛び出したこともあったけれど、保守派を自認していて人気があり、圧倒的な党員の支持を得てきました。2012年9月に安倍さんと争った党員票が、そんな石破さんの強みを物語っています」
 自民党が政権カムバックする前の安倍対石破の12年の総裁選では、石破が1回目の投票で立候補者5人中トップの199議席を獲得し、安倍の141を圧倒した。うち石破の党員票は165もあり、2番手の安倍87のダブルスコアー近い。しかしこのときの総裁選は自民が下野していたため、決選投票は国会議員のみとされた。結果、安倍が108票と石破の89票を逆転した。総裁選そのものが民意を反映していない、という批判が上がった一方、この年の衆院選では自民が民主に勝利し、安倍が総理、総裁として第二次政権をスタートさせる。
 安倍はそこから衆参の国政選挙だけでなく、都議選をはじめとした地方選挙にも連戦連勝して〝安倍一強〟と呼ばれる盤石な政権を築く。もっとも当時と今では、党員そのものがすっかり様変わりしている。先の政界通が分析する。
「安倍さんの選挙手法としてしばしば取り沙汰されたのが、インターネットやSNSを駆使した選挙戦です。安倍政権では電通がその選挙戦略を担っていたけれど、自民党内の保守系議員たちも独自にSNS選挙を展開していきました。その最たる人が高市さんだったのです。高市さんは選挙のためにSNSを駆使して自民党員を掘り起こしていきました」
 自民党は2025年10月、24年の新規党員獲得ランキングを発表した。それによれば、1位が参院議員の青山繁晴で実に4年連続のトップ、2位が高市早苗だ。3位は堀内詔子(山梨2区)、4位が外務大臣の茂木敏充(栃木5区)となっていた。この上位4人は前年と同じ顔ぶれで、5位が森山𥙿幹事長(鹿児島4区)、6位の細野豪志(静岡5区)、7位の武田良太、8位の城内実(静岡7区)、9位の宮路拓馬(鹿児島1区)、10位の小野田紀美参議院議員と続く。
 トップの青山は言わずと知れたゴリゴリの保守・タカ派議員で、総裁選における高市の推薦人である。このなかで武田(旧二階派)は石破政権時代の24年の衆院選で落選して翌25年の総裁選に投票できなかったが、1回目で林を推していた堀内、さらに茂木本人も決選投票では高市に票を投じていると見られる。
 ベスト10にランクインした顔ぶれのなかでは、財政規律派として知られる鹿児島選出の森山と宮路(森山派)の2人が異質といえる。宮路は25年の総裁選で小泉の推薦人に名を連ねている。この2人を除き、旧二階派の細野をはじめ、ほとんどが決選投票で高市に投票している。
 わけても青山、城内、小野田の面々は「高市親衛隊」と呼ばれる側近たちだ。第15代警察庁長官を務めた城内康光を父に持つ城内は、高市内閣で日本成長戦略担当大臣と内閣府特命担当大臣(経済財政政策 規制改革)に起用され、小野田は外国人との秩序ある共生社会推進担当大臣や内閣府特命担当大臣(クールジャパン戦略、知的財産戦略、科学技術政策、宇宙政策、人工知能戦略、経済安全保障)に抜擢された。彼らタカ派の議員が党員の新規獲得に精を出してきた結果、高市推しの党員が急増したわけである。
 それがこの数年の総裁選にも影響している。選挙の神様の異名をとる元自民党幹部職員の久米晃が党員事情を説明してくれた。
「もともと自民党員には地域党員と職域党員という種類がありました。たとえばそれぞれの業界における職域団体が獲得する党員が多ければ、参院の比例順位が上に行くと思い込んで、かき集めてきた経緯があります。業界として肝煎りの議員を国政に送り込みたいから一生懸命でした。実際、比例代表の順番をつけるにあたっては、単純な党員数だけではなく、どれだけ選挙区候補者との連携をしているか、党活動に貢献しているか、という評価が加味されるのですが、たしかに党員の数も比例の順番に反映されていました。
 党員はたいてい地方議員が集め、最盛期には500万人に上っていました。自民党にはそうした昔からのコアの党員が残っています。しかし、だんだん業界や地域それぞれの影響が失われ、党員の獲得活動も下火になっていきました。そうして全体で100万人を割ってしまいましたが、それだけに新たな党員の発言力が増しているのでしょう」
 直近の数字で見れば、24年の総裁選のときの党員数が105万人、それが1年で14万人も減って90万人あまりになっている。換言すれば、党員数が少なくなった分、総裁選においては一人一人の票が千鈞の重みをもつことになったのである。

久米晃氏。 撮影:山口麻弥

勝敗を分けた麻生太郎の決断

 それでも2025年の自民党総裁選では、政治評論家を含めた多くのマスコミが小泉有利と見ていた。1回目の投票時点でも、女性宰相誕生を予言した声はほとんどなかった。
 選挙期間は9月22日の告示から投票日の10月4日までの12日間だ。9月12日から27日までの15日間だった前年の総裁選と同程度に見えるが、前回はすでに7月26日に選挙管理委員会が発足し、党内が選挙態勢に入っていたので、事実上の選挙期間は2カ月近くあった。25年の総裁選の決勝戦は小泉と石破が入れ替わっただけの高市対小泉の一騎打ちであり、文字通りの短期決戦だった。
 さすがにこの時点では誰もが1回目の投票で決まるとは考えていないようだった。繰り返すまでもなく小泉有利の下馬評の根拠は、決選投票時の党員票が都道府県連の47しかないため、295の議員票が決め手となるからだ。先述したように決選投票になれば、旧岸田派やそこに連なる林、自らの派閥を率いてきた茂木、旧安倍派を中心に若手グループを束ねた小林といった各陣営の評がいっせいに小泉に流れると予想された。事実、小林陣営のある代議士は選挙戦の終盤までこう話していた。
「9人も乱立した前回に比べて今回は5人に絞られたけれど、今回も決選投票は免れない。そうなれば、うちは小泉に入れると決まった」
 改めて総裁選の票読みをすると、295の議員票プラス47の党員票の合計342議席のうち過半数である172議席を獲得すれば、総裁の椅子が転がり込んでくる。小泉陣営は1回目の80に92の議席が加われば過半数に手が届き、高市陣営の1回目獲得票は64なので過半数には108議席が必要になる。単純計算しただけなら、小泉陣営には16議席のアドバンテージがあった。おまけに1年前の総裁選では旧岸田派の票が石破に流れており、小泉陣営はそこも見込んだ。林票も高市には向かないと考えられており、高市は不利な状況に変わりなかった。
 そんななか現存する麻生派は衆院解散(26年1月)前に衆参43の議席を抱えていた。仮に小泉陣営に上乗せされれば、それだけで123に達する。小泉は47の党員票を含め、あと49をかき集めればいいわけである。逆に高市陣営は47都道府県の党員票のうち40を制しても議員票で68議席を獲得しなければならない。現実には36票しか取れていない。
 実のところ、勝ち馬に乗らなければ政治生命の危うい麻生太郎も総裁選当初、「決選投票は小泉」という方針だった。政界通が明かす。
「麻生は小泉に入れるのは気が進まないけれど、背に腹は代えられずやむを得ないと考えていたはずです。今回は表向き派閥議員に対し自主投票という形をとって、1回目の投票は麻生派の40票あまりの票が分散していた。わけても茂木と小林の陣営に票を貸し出し、1回目の投票で体裁を整えさせて両陣営に恩を売っている。だから小林も1回目に5人の候補者中4位に入れたのですが、決選投票では貸し出した票を返せ、といえる」
 決選投票のキャスティングボードを握れるわけだ。小林は1回目の投票で推薦人20議席から2人上乗せして44議席をとり、茂木の獲得議席は合計34と振るわなかったが、それらの票がどううごくか、である。
「党員票は世論を反映している。したがってわが派は決選投票で党員票でトップになった候補者を推してはどうか」
 麻生派内でそんな声があがったのは、投票日前日の10月3日である。党員票の獲得順位という判断基準は、一見すると正論に思える。だが、その実、高市に票を入れるのと同義だ。麻生派はこの日の夜に会議を開いて高市推しの方針を決めた。麻生派幹部が話した。
「かなり危険な賭けの勝負ではありましたが、大義名分が立てば勝てると判断したのでしょう。麻生さんが高市を買っているわけではありません。ただ、茂木さんや小林さんに貸し出している派閥の票を高市にまわせば勝てると考えたのです」
 他の旧派閥に麻生派の方針を伝えていった。しかし、当の小泉陣営ではこの動きにまったく気づいていない。同じ10月3日夜、赤坂の議員宿舎には木原誠治をはじめとした小泉陣営の幹部議員が集い祝勝会まで開いている。 

2025年10月4日、自民党総裁選で1回目の投票をする麻生太郎最高顧問。写真:毎日新聞社/アフロ

 そうして1回目の投票を終え、石破票の受け皿になるどころか小泉の党員票は84と高市の119に遠くおよばず、議員票では80しかとれなかった。当人はさぞかしショックを受けたに違いない。せめて議員票で100票あれば勝ち馬に乗ろうとする議員がいたかもしれないが、あまりに少なかった。
 小泉は顔色なく、最後の演説も上の空だった。現実の決選投票を振り返ると、議員票は高市の149に対し、小泉は145、党員票は高市36に対し、小泉が11なので、185対156で高市が圧勝した。このなかで注目すべきが議員票で、高市は64から85議席も上乗せされているのだ。この流れをつくったのが、麻生太郎にほかならない。
 小泉進次郎はなぜ高市早苗に敗れたのか。
「政策ひとつ語れない軽薄な人物に国の舵取りを任せられない」という国会議員の意識が働いた結果、あるいは「強いリーダーを求め保守支持層を固めた女性宰相への期待」ともいわれる。そのどちらも正しい気がするが、それだけではない。(敬称略 以下次号)

プロフィール

森 功

(もり・いさお)
1961年、福岡県生まれ。ノンフィクション作家。2008年、2009年に「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」受賞。2018年『悪だくみ 「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』(文藝春秋)で大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞受賞。『魔窟 知られざる「日大帝国」興亡の歴史』(東洋経済新報社)『国商 最後のフィクサー葛西敬之』『地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団』『地面師vs.地面師 詐欺師たちの騙し合い』(講談社)他著作多数。

プラスをSNSでも
Instagram, Youtube, Facebook, X.com

小泉進次郎はなぜ高市早苗に敗れたのか

集英社新書 Instagram 集英社新書Youtube公式チャンネル 集英社新書 Facebook 集英社新書公式X