なぜ極右の躍進は止まらないのか フランスから考える 第6回

極右は本当に脱悪魔化したのか?

森野咲

昨今、日本では排外主義や自国第一主義を掲げる政党が選挙で議席を伸ばしている。ヨーロッパをはじめとする世界各地での極右政党躍進の流れが、いよいよ到来したとの見方もある。では、極右の「先進地」とも呼べるヨーロッパでは、極右はどのように勢力を拡大してきたのだろうか? フランスの大学院で哲学を学ぶ森野咲が、現地での最新の研究や報道の成果をもとに、極右の成長、定着の背景やメカニズムを明らかにする連載の第6回。
「正常化」「穏健化」したとされるフランスの極右政党。そのような変化は「脱悪魔化」という言葉でしばしば言い表される。「脱悪魔化」という用語ははたして適切なのだろうか。極右政党自体、あるいは社会全体の変化を追うことで見えてくるものとは――。

「脱悪魔化」という言葉を聞いたことはあるだろうか。脱悪魔化——フランス語でDédiabolisation とは、過激で危険な存在=「悪魔(diable)」として忌避されてきた極右政党が、そのイメージを和らげ、より広い有権者層に受け入れられる存在へと変化していく過程を指す。2011年にマリーヌ・ルペンが党首に就任して以降、彼女自身がこの語を戦略的に用いたこともあり、メディアはこの「脱悪魔化」という言葉で同党の変化と台頭を説明してきた。

 その結果、「国民連合の近年の伸長は脱悪魔化の成果である」という理解は広く浸透し、いまや一つの有力な解釈にとどまらず、半ば常識のように受け入れられている。 国民連合が選挙で議席を増やすたびに、新聞各紙が「極右の脱悪魔化」という記事を書きその躍進を報じるのは、フランスでも日本でも、今やお馴染みの光景ではないか。

「脱悪魔化」による極右の成功という通説

 脱悪魔化とは何か。それは、挑発的な発言の抑制、言葉遣いの洗練、そして社会政策の強調などを通じて、極右政党が「普通の政党」に近づこうとする試みとして定義される。この概念によって語られる極右躍進のヒストリーは、おおよそ次のようなものである。

 国民連合の前身である国民戦線時代、1980年代には、党首ジャン=マリー・ルペンは「人びとが心の中で思っていながら口にしないことをあえて言う人物」として振る舞い、人種差別的・反ユダヤ主義的な挑発的な発言によって注目を集めていた。しかし同時に、ジャン=マリー・ルペンの「ホロコーストは歴史の細部」発言などに見られる歴史修正主義や人種差別的な姿勢によって、極右は「危険で極端な存在」としてタブー視され、その勢力拡大は一定程度抑えられてきた。

 しかしジャン=マリー・ルペンの娘マリーヌ・ルペンが党を引き継ぐと、同党は少数派として騒ぐ路線から、政権獲得を志向する路線へと舵を切ることになる。マリーヌ・ルペンは父の挑発的なスタイルから距離を取り、家庭的で落ち着いた人物像を前面に押し出すことで、党の印象を和らげようとした。また、露骨な反ユダヤ主義や歴史否認主義といったものからは距離が置かれるようになった。

 極右的語彙は表向きにはほとんど用いられなくなり、「国民選好(préférence nationale)」は「国民優先(priorité nationale)」と言い換えられた。さらに、「共和国」「ライシテ」「国家による保護」「フェミニズム」「エコロジー」といった、従来は敵対陣営の語彙とされてきた言葉も積極的に取り込まれた。イスラームに対する敵意も、ライシテや共和国の価値を強調する語りへと置き換えられる。こうした言語戦略と並行して、2015年にはかつての党首ジャン=マリー・ルペンを党から除名することで、父の時代との「断絶」が演出された。さらに、2018年には党名も国民戦線から国民連合へと変更された。

 こうした改革の末、国民連合は以前ほどタブーな存在ではなくなった。たとえば、2002年にジャン=マリー・ルペンが大統領選挙の決選投票に進出した際には「ルペン・ショック」と言われるほど全国規模の抗議が巻き起こったが、2017年の決選投票にマリーヌ・ルペンが進出した時の社会の反応は鈍化していた。以降、極右の大統領選決選投票進出は、もはや「当たり前」のものとして受け入れられている。

 この穏健化路線は現在の党首バルデラのもとで強化されている。党員の発言は厳しく統制され、党の過激性が可視化されないよう管理されている。こうして国民連合は、整えられた「穏健な外見」を構成することで、支持を拡大してきたのだ——「脱悪魔化」によって語られる極右躍進の物語は、しばしばこのように語られる。

「脱悪魔化」という言葉の問題

 しかし、「脱悪魔化」という言葉をあたかも中立的な分析概念として使うことは妥当なのだろうか。

 そもそも、「脱悪魔化」という言葉は、「悪魔化(diabolisation)」という国民戦線が用いていた語彙を前提としている。国民戦線は、自らの非正統性をその思想や言動の問題としてではなく、敵対者による「不当なレッテル貼り」の結果として語ってきた。つまり、脱悪魔化という言葉自体に、「自分たちは不当に『悪魔化』されてきたのであり、その烙印を取り除く必要がある」という物語が埋め込まれているのである。

「悪魔化」という概念は、極右思想に典型的な世界観から生まれる被害者的レトリックや陰謀論的な語りと切り離せない。またそれは、既存の政治秩序に対するアンチ・エスタブリッシュメント的なポピュリズム言説を正当化する働きを持つ。こうした前提を踏まえずに、「悪魔化」や「脱悪魔化」という語を用いることは、国民連合(国民戦線)が作り上げた「自分たちは外部から不当に攻撃されている」というナラティブに加担してしまうことを意味する。 その結果、極右が自らの発言や行動によって「あえて自分自身を『悪魔化』している」側面を見えにくくしてしまうのである。

「脱悪魔化」は新しい戦略ではない

 さらに、「脱悪魔化」は必ずしもマリーヌ・ルペンの登場によって初めて始まったものではない。極右は国民戦線の初期から一貫して、「正常な政党」に見せるための戦略を採ってきた。

 そもそも1972年の国民戦線の創設自体が、極右の「脱悪魔化」的な試みであったと言えるだろう。国民戦線とは、革命的民族主義運動「新秩序(Ordre nouveau)」(*1)の指導者たちによって、より合法的で選挙に参加可能な、表向きは穏当な外見を持つ組織として設立された。この段階ですでに、政策の穏健化、表現の婉曲化、ロゴの調整、社会的に正統性を持つ人物の利用といった「脱悪魔化」的手法が用いられていたのだ。

 その後も国民戦線は、新たな支持層を獲得するために、「見せ方」を繰り返し修正してきた。これは1972年のプレヴァン法や1990年のゲソ法(*2)といった法的規制に対応する必要から生じた側面と、過激な発言では支持が広がらないため、「恐ろしく見えないこと」が重要であるという選挙戦略の両方が作用している。

 1990年代前後の国民戦線の勢力拡大には、当時同党のナンバー2であったブルーノ・メグレ(*3)が重要な役割を果たした。象徴的指導者であることを好んだジャン=マリー・ルペンに対し、メグレは国民戦線を「政権を担いうる党」へと変えるべく、組織の整備や地方基盤の構築、幹部の養成を進めた。また、新右翼の知識人サークルとのネットワークを通じて極右思想の理論的再構築にも関与し(第5回の記事を参照)、移民問題などに関しては統計や報告書を用いた「疑似科学的」な論証を展開することで、排外主義的政策を合理的かつ客観的に見せる手法も発展させた。

1997年5月21日、フランス南部マルセイユで行われた国民議会選挙に向けた選挙イベントに参加するジャン=マリー・ルペン(右)とブルーノ・メグレ(左) 写真:AFP/アフロ
1997年5月21日、フランス南部マルセイユで行われた国民議会選挙に向けた選挙イベントに参加するジャン=マリー・ルペン(右)とブルーノ・メグレ(左) 写真:AFP/アフロ

 こうした歴史を踏まえるならば、国民戦線の発展は、この「脱悪魔化」ならぬ「正常化」の作業と常に並行して進められてきたといえる。したがって、2011年以後のマリーヌ・ルペンの路線を「断絶」として捉えるべきではない。むしろそれは、1990年前後に展開された権力奪取路線への回帰であり、彼女の行った変化の多くは、国民戦線の創設以来繰り返してきた正常化戦略の再運用にすぎないのである。

 前述したような極右的な語彙の言い換えも、新しい戦略ではなく、1980年代以降続いてきた排外主義の婉曲化や換言の延長と捉えるべきであろう。また保護主義、労働者への訴求といった社会的政策重視も、1990年代から存在している福祉排外主義の継続である。外郭組織、シンクタンク、テーマ別のサークル、外部人材の取り込みといった「党の正常化・正統化の演出」も、すべて過去にすでに同様の形で繰り返されてきたものである。

 つまり、「脱悪魔化」とは過去との「断絶」ではない。それはむしろ、極右が権力獲得を目指す局面で周期的に現れる常道なのだ。

*1 1969年にフランスで結成された極右の民族主義団体で、反共産主義と移民排斥を掲げた。1972年には後の国民戦線の創設に関与したが、暴力的活動により1973年に解散させられた。
*2 プレヴァン法は人種差別や憎悪煽動を処罰対象とし、フランスの反人種差別法制の基盤を築いた。ゲソ法はホロコースト否認を犯罪化し、歴史否認への法的規制を強化した。
*3 1949年生まれのフランスの政治家。国民戦線においてジャン=マリー・ルペンに次ぐナンバー2として党の組織化と戦略の近代化を主導した。1990年代には極右思想をより「体制内化」する路線を推進したが、指導権をめぐる対立から1998年に分裂し、1999年に国民共和運動(Mouvement national républicain)を創設した。

完全な脱悪魔化は不可能――正常化と急進化の両立

 たしかに、「脱悪魔化」と言えるような極右の穏健化はマリーヌ・ルペン体制のもとで一定程度観測される。彼女は父のような反ユダヤ主義や歴史否認から距離を取り、ホロコーストや第二次世界大戦をめぐる逸脱的な発言を避けている。

 しかし同時に、それ以外の多くの点では、国民連合の政策には正統派ルペン主義が維持されてもいる。反移民や治安重視、国民優先といった中核的主張そのものは放棄されておらず、あくまで変化したのはその表現である。もっとも、移民を「人口戦争」や「氾濫」と表現したり、EUを「恒常的なクーデター」と批判するなど、急進的な言説は現在も維持している。すなわち、マリーヌ・ルペン体制は党を穏健に見せつつも同時に過激な語彙や争点を保持するという、矛盾した性格を持っているのだ。

 なぜ国民連合は完全には「脱悪魔化」しないのか。それは、極右にとって急進性は単なる戦術ではなく、党のアイデンティティそのものを構成しているからである。極右は単なる選挙マシーンではない。それは支持者に価値観や所属意識を提供する共同体でもあり、支持基盤の一部は過激性や反体制性と強く結びついている。そのため、過度の穏健化は支持基盤の弱体化につながるリスクがあるのだ。

 同党は急進的主張によって政治的差異化を維持しているのであり、それを失うことは存在理由そのものを揺るがしかねない。これを端的に示しているのが、ジャン=マリー・ルペンの「優しい国民戦線なんて誰も関心を持たない」という言葉である。極右は、正常化(脱悪魔化)を進めながら、同時に急進性を維持せざるをえないのだ。

 このように、極右は一方向的に穏健化してきたのではなく、正常化と急進化を状況に応じて使い分けてきた。「正常化(脱悪魔化)」をすることで議会制民主主義のルールに適応し、穏健な外見を整えることで支持の拡大を図る。同時に、伝統右派の弱体化や極右的主張の受容の進展といった政治的環境の変化を前提に「急進化(悪魔化)」をすることで、教義を大きく修正することなく権力に接近する。これら二つの異なる戦略は極右の中に構造的に併存している。つまり、極右の完全な「脱悪魔化」は原理的に不可能なのだ。

変わったのは極右ではなく社会?

 ここまで極右の側の戦略を見てきたが、見落としてはならないのは、それを受け入れる社会の側の変化ではないか。

 近年、国民連合は内実においては急進性を維持しているにもかかわらず、以前ほどの政治的コストを負わなくなっている。差別的言動の経歴を持つ候補者の存在が明らかになっても、それが支持や得票に決定的な打撃を与えない事例が繰り返し観測されている。

 この事実は何を意味するのか。それは、国民連合が変化したというよりも、その主張が以前よりも社会の中で“普通のもの”として受け入れられていることを示しているのではないか。だとすれば、極右の「脱悪魔化」を推し進めているのは、極右の戦略ではなく、社会の側の認識の変化である。極右の躍進は、単なる偶発的な現象ではなく、長期的に形成されてきた政治的条件の産物と捉えるべきだ。

 ここで注目すべきは、フランスという衰退しつつある旧帝国国家において、国家政策と政治言説を通じて、ある種の差別的な「常識」が徐々に形成されてきたという点である。それが、反移民・反ムスリムという社会的コンセンサスだ。これらは、極右の主張がそのまま社会に浸透した結果というよりも、むしろ支配的な政治勢力が移民やムスリムを問題として語り、それを政治的な共通前提として固定していった過程の産物である。極右は無から議題を作り出したのではない。それは、「すでに耕された土地」の上で育まれてきたのである。

反移民コンセンサスはどう作られたか

 反移民的な言説や政策は、極右によって突然持ち込まれたものではなかった。1960年代末には、すでに高級官僚や右派政治家のあいだで、移民を失業の原因とみなす言説が広まりつつあった。こうして、移民を社会問題として捉える枠組みが形成され、「移民問題」という前提が少しずつ政治全体に共有され始めたのである。

 決定的だったのは、こうした外国人嫌悪的な言説に主要な左派勢力までが合流したことである。それ以前であれば、移民問題については左右のあいだにより明確な対立軸がありえたが、左派が反移民的前提を共有するようになることでその対立は崩れた。フランス共産党は1970年代後半からナショナリズムに傾き、反移民言説に近づいた。「フランス製」キャンペーンや、移民労働者宿舎をブルドーザーで破壊した事件、書記長ジョルジュ・マルシェによる「移民を止めなければならない」言説などは、当時のフランス共産党が労働者保護の論理から排外主義的と批判される立場にまで逸脱したことを示している。

 さらに、当時の左派を代表する一大勢力であった社会党も「反移民」言説に合流した。当時の大統領ミッテランの「移民は1970年代に許容限界に達した」発言や、当時の首相ミシェル・ロカールの「世界のあらゆる貧困を受け入れることはできない」という言葉は、当時の社会党が移民を制限すべき対象とみなす立場へ接近したことを端的に表している。それは言説のレベルにおいてのみならず、1988年から1993年にかけては、非正規外国人労働者の強制送還制度の整備と強化が行われ、移民流入と滞在を厳しく管理する政策が進められた。

1988年5月2日、ストラスブールでの政治集会で聴衆に挨拶するフランソワ・ミッテラン。この後の大統領選で再選を果たし、1995年まで大統領を務めた。 写真:AFP/アフロ
1988年5月2日、ストラスブールでの政治集会で聴衆に挨拶するフランソワ・ミッテラン。この後の大統領選で再選を果たし、1995年まで大統領を務めた。 写真:AFP/アフロ

 看過してはならないのが、こうした社会党による移民の「問題化」は民営化や自由化といった政策と同時並行で行われていたということである。すなわち、時に通俗的な理解にあるような「社会党は労働者階級を裏切ってマイノリティ中心の政治になった」という認識は正しくない。むしろ中道左派による労働者階級への「裏切り」と反移民政策への接近は同時に行われていたのである。

「共和国」の名の下に作られたイスラムフォビア

 反ムスリム・コンセンサスの萌芽は1980年代にすでに現れていた。1983年の自動車工場ストライキでは、移民労働者の関与が強調され、「イスラーム主義者の聖戦」としてスティグマ化された形で語られた。すなわち、賃上げ、労働条件の改善、組合の自由といった社会的要求が宗教的対立かのように読み替えられたのである。この一件は、アルジェリア戦争後のフランスのポスト植民地状況におけるイスラムフォビア的言説の出発点とも指摘されている。

 決定的な転換点となったのは、1989年の「スカーフ事件」である。イスラーム教のヴェールを着用した3人の少女が登校禁止処分を受けたこの事件を契機に、共和国のライシテ原則とその解釈をめぐる論争のなかで、イスラームが問題化されるようになった。

1989年10月22日、クレイユの中学校での「ヴェール事件」を受け、パリで公立学校のスカーフ着用規制に抗議するイスラム教徒のデモ。約400人の参加者の中で、「ヒジャブはあなたの名誉」と掲げる女性たちが先頭に立つ。デモへの参加・不参加を含め、ムスリムコミュニティ内でも立場は一枚岩ではなかった。 写真:A. Abbas/Magnum Photos/アフロ
1989年10月22日、クレイユの中学校での「ヴェール事件」を受け、パリで公立学校のスカーフ着用規制に抗議するイスラム教徒のデモ。約400人の参加者の中で、「ヒジャブはあなたの名誉」と掲げる女性たちが先頭に立つ。デモへの参加・不参加を含め、ムスリムコミュニティ内でも立場は一枚岩ではなかった。 写真:A. Abbas/Magnum Photos/アフロ

 本来ライシテは、国家の宗教的中立と、個人の良心の自由・信教の自由を保障するための法原理である。しかしライシテは次第に、ムスリム、特にイスラーム女性の服装や振る舞いを監視し、排除し、非難するためのイデオロギー的武器へと変えられていった。本来は個人の信仰の自由の条件であった原理が、社会全体に宗教的中立を強制する規範へと変化したのである。 当初は大置換理論のような陰謀論的語彙も用いられていたが、支配的になったのは「共和国」や「ライシテ」を名目にイスラーム教の可視的な信仰実践を攻撃する言説であった。

 2004年の宗教的記章禁止法は、その到達点と位置付けられるだろう。そこでは差別的な排除が、普遍主義的原理の防衛というもっともらしい名のもとに制度化された。 この法律が前提としているのは、ライシテすなわち共和国の理念が、ムスリムによる活動主義や布教、「潜入」によって脅かされており、それをいかなる犠牲を払ってでも阻止すべきだという認識であった。そしてこの新たなスティグマ化の枠組みに、右派や後のマクロン派だけでなく、社会党から共産党の一部、さらには急進左派の一部に至る左派勢力までもが合流した。

 こうしてムスリムは、労働、教育、公共空間のいずれにおいても、常に疑われる対象として構築されていった。公共空間全体でムスリムの可視性が問題視されるようになった。その結果、ヒジャブ、ブルキニ、アバヤ、モスク、ハラール、代替給食など、イスラームに関わるあらゆる事柄が、絶えず「モラル・パニック」の対象となる社会状況が作られていったのである。

 こうした文脈において、かつて共和政を批判していたはずの極右が、現代ではむしろ自らを「真の共和国の擁護者」として演出するようになった。もっとも、それは市民の平等や普遍性といった本来の共和国の理念を守ることを意味しない。極右の言説の中で、「共和国」はフランス的文化や慣習に同化した者だけが属しうる共同体へと変質している。つまり、本来は包摂的であるべき共和制が、排除の道具へと作り変えられているのである。

主流政治が極右を「正常化」した

 こうした文脈を踏まえれば、極右の躍進とは中道左派を含む支配的な政治全体が長期的に形成してきた言説と政策の帰結であると言える。2001年の9.11や2015年のテロはさらにこうした反移民・反イスラームコンセンサスを加速させたが、その土壌はそれ以前から長期的に形成されていたのだ。

 オランド政権と、それに続くマクロン政権の移民政策には、移民管理の強化をめぐるコンセンサスが継承されている。両政権は「人道」と「厳格さ」を掲げながらも、実際には難民申請者や移民の受け入れ条件を引き締める政策を積み重ねてきた。こうした政策を正当化するための「統合の失敗」や「秩序維持」といった語彙も、右派や極右のそれと大きく変わらない。

 こうした傾向は、具体的な政治過程にも現れている。たとえば2015年には、オランド政権が、かつては国民戦線に主張されていた国籍剥奪案を提案した。また、極右の「防波堤」として支持を集めたはずのマクロン政権のもとで、教育相ガブリエル・アタル(のちに首相に就任)は、公立校でのアバヤ(イスラームの女性が着用するローブ)禁止を導入した。さらに2024年の移民法に見られるように、与党が極右との協力のもとで法案を成立させ、その内容に国民連合が長年主張していた要素が取り込まれる事態も生じている。マクロン政権下で内務大臣を務めたジェラルド・ダルマナンが討論番組でマリーヌ・ルペンを「イスラーム主義に甘い」と批判したように、ときには主流政治が極右よりも強硬な立場を取ることすらある。

 こうして主流政治は、次第に極右の問題設定の内部で動くようになっていく。その結果、移民問題をめぐる政治環境そのものが変化し、移民を脅威とみなす言説や差別的処遇の正当化といった極右的論点が浸透していく。すなわち、極右が「脱悪魔化」したのではなく、むしろ他党やメディアがその語法や問題設定を取り込むことで、公共空間の側がそれを「普通のもの」としていったのである。

メディアも極右を躍進させる

 メディアもまた、極右の「正常化」に重要な役割を果たしている。現代の政治報道は、政策の内容そのものよりも、戦略や舞台裏、権力争いといった側面を中心に語る傾向が強い。その結果、国民連合の政策が誰にどのような影響を与えるのか、あるいはそれが法的に実現可能なのかといった本来問われるべき論点が、しばしば十分に検討されないままに放置されている。

 さらに、政治家の私生活や趣味——たとえばペットや料理といった側面——を取り上げる報道は、極右指導者を「普通の人間」として提示し、政策の危険性や歴史的連続性に対する感覚を和らげる効果を持つ。政党のSNS戦略も同様に、日常的な姿や親しみやすさを前面に出すことで、論争的な内容を回避したまま好感度と可視性を高めている。

 こうしたテレビとSNSの相互作用のもとで、感情的で未検証の発言は拡散され、分断的で刺激的な言説が増幅される。「両論併記」という形式的な多元性は、それ自体では議論の対等性を保証するものではなく、条件次第では極右的言説の拡散を抑制しない。結果として、極右はその政策や帰結が十分に検証されないまま、「普通の政治勢力」として前進することが可能になるのだ。

 加えて、スキャンダルや過激な発言は、批判的な文脈であっても注目を集める資源となり、結果として候補者の可視性と中心性を高めてしまう。討論番組でも対立の演出が優先され、根拠の検証や熟議を欠いたまま、極端な主張が流通しやすい。この構造の中で成立しているのが、いわば「炎上型の可視化」である。

 エリック・ゼムールのように、挑発的な言動によって露出を拡大し、政治的影響力を高める戦略はその典型例である。2022年大統領選では、ゼムールがより露骨な歴史修正主義や右派と極右の大連合を掲げたことで、マリーヌ・ルペンは相対的に「穏健」に見えるようになった。すなわち、「脱悪魔化」は、より過激な存在の出現によっても補強されうるのである。

2022年フランス大統領選への出馬を表明し、テレビ番組に出演するエリック・ゼムール。第1回投票では得票率7.07%にとどまり、決選投票には進めなかった。 写真:AFP/アフロ
2022年フランス大統領選への出馬を表明し、テレビ番組に出演するエリック・ゼムール。第1回投票では得票率7.07%にとどまり、決選投票には進めなかった。 写真:AFP/アフロ

マクロン政治は極右を躍進させた集大成

「極右の防波堤」として大統領選を二度制したエマニュエル・マクロンであるが、マクロン体制こそが、極右を「正常化」させてきた主流政治の集大成とも言える統治様式であった。

 マクロンの掲げる「右でも左でもない」という立場は、行政能力や実務合理性を強調しつつイデオロギー対立を超克するものとして提示されてきた。しかしそれは、政策がどの社会層に利益をもたらし、いかなる価値原理に依拠しているのかという政治的対立の核心を不可視化し、意思決定を「実用主義」へと還元する、危険な言語操作であった。

 歴史記憶の領域においても、この左右の軸の崩壊が見られた。マクロンはフィリップ・ペタンを第一次世界大戦の軍人として評価する発言をしたり、王党派思想家シャルル・モーラス(*4)の語彙を再使用したりする一方で、レジスタンスの象徴的人物の顕彰も積極的に進めてきた。こうした異なる記憶の並置は、民主主義/反動、共和国/極右といった歴史的境界を相対化し、記憶の空間まで解体した。

 マクロン体制の経済政策は、新自由主義的政策によって社会の不安定化や格差拡大への懸念を引き起こし、広範な支持の維持を困難にした。こうした状況の中で、移民や治安、宗教をめぐる問題が政治的争点として前景化し、結果として外国人やマイノリティに対する否定的言説が強まる土壌も形成されていった。さらには「危機」「ショック」「再武装」「存在論的脅威」など、切迫感と非常事態を強調する語彙が氾濫し、コロナ、テロ、移民、AI、気候、地政学的対立といった多様な対象が、不断の緊急動員を正当化する材料として語られてきた。

 こうした「例外状態」を常態化するレトリックは、熟議の余地を削り、反対者を秩序破壊者として位置づけ、自由の制限やその場しのぎの立法を受け入れやすくする。結果として生まれた安全保障法や反テロ法の蓄積は、罪やテロへの有効な対策というよりは、人種差別的イメージをまとった「内なる敵」を構築する機能を果たしてきた。このように、主流政治が右傾化した秩序志向を強めると、極右的な発想にとって有利な空気が作り出されていく。

*4 1868年生まれの思想家で、王政復古と反共和主義を唱えた「アクション・フランセーズ」の中心人物。反ユダヤ主義やナショナリズム思想で20世紀フランス右派に大きな影響を与えた。

極右は未経験の選択肢?

 たしかに、極右の伸長は主流政治による差別的言説の正常化なしにはありえなかった。しかし、だからといって極右政権が単に「主流政党の延長」にとどまると考えることはできるだろうか。極右はレイシズムや外国人嫌悪に深く依存して支持を獲得してきた以上、権力を握った後も、その支持層に対して絶えず「実績」を示し続けようとするのではないか。

 主流政治によって極右が「正常化」され、もはや排除すべき例外ではなくなったとき、その先に現れるのは、極右をあたかも「まだ試されていない新製品」のように扱う見方である。この見方は、「極右が権力を握っても大きな変化は起こらないだろう」という現在の制度に対する過信と、「過去に何が起きたのか」という歴史的経験の忘却とが結びつくことで生まれている。そして、この二重の錯覚こそが、極右の前進を可能にしている。

 しかし歴史的に見れば、極右は決して「未経験の選択肢」ではない。歴史において、排外主義的かつ権威主義的な政治はすでに何度も試されてきた。「極右はまだ試されていない」という言い方は、この系譜を無視するものであり、その忘却は単なる知識の欠如ではなく、民主主義の自己正当化を支えてきた歴史的基盤の損耗を意味する。民主主義は歴史的記憶と不可分である。極右が実際に政権を握ったときに何が起こりうるのかを判断するためには、過去の経験を参照することが不可欠である。

 極右は自らを国民的伝統の継承者と称しつつも、同時に過去との「断絶」を強調することで浸透してきた。これに抗うためには、「記憶の仕事」——すなわち歴史に学び、極右に潜む共通の衝動や排除の論理を、現在において理解し直す努力こそが、求められているのではないか。

参考文献

Sylvain Crépon, Alexandre Dézé, Nonna Mayer (dir.), Les faux-semblants du Front national : sociologie d’un parti politique, Paris, Presses de Sciences Po, 2015.
Michaël Fœssel, Étienne Ollion, Une étrange victoire : l’extrême droite contre la politique, Paris, Seuil, 2024.
Ugo Palheta (coord.), Extrême droite : la résistible ascension. Paris, Éditions Amsterdam, 2024.
Patrick Lehingue,Bernard Pudal, Du FN au RN : les raisons d’un succès, Paris, PUF, 2026.
伊達聖伸『ライシテから読む現代フランス――政治と宗教のいま』岩波新書、2018年
渡邊啓貴『ルペンと極右ポピュリズムの時代――〈ヤヌス〉の二つの顔』白水社、2025年

 第5回
なぜ極右の躍進は止まらないのか フランスから考える

昨今、日本では排外主義や自国第一主義を掲げる政党が選挙で議席を伸ばしている。ヨーロッパをはじめとする世界各地での極右政党躍進の流れが、いよいよ到来したとの見方もある。では、極右の「先進地」とも呼べるヨーロッパでは、極右はどのように勢力を拡大してきたのだろうか? フランスの大学院で哲学を学ぶ森野咲が、現地での最新の研究や報道の成果をもとに、極右の成長、定着の背景やメカニズムを明らかにする。

プロフィール

森野咲

(もりの さき)

1996年、東京生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、大杉栄や石川三四郎に憧れて渡仏。パリ郊外サン=ドニにあるパリ第8大学哲学科の修士課程2年に在籍中。専門はフランス現代哲学。現在、『ふぇみん』に「極右とフェミニズムの不幸な結婚」を連載中のほか、自身のnoteで「極右の傾向と対策」と題したマガジンを発表している。

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極右は本当に脱悪魔化したのか?

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