【後編】医療費は削減すべきものなのか?――医療保険制度の“グランドデザイン”を描くために
宋美玄×西村章医療費が高額になった場合、自己負担額を一定に抑える「高額療養費制度」。2024年末に政府・厚労省によって〈見直し〉案が出されると、尋常ではない支払い上限額の引き上げなどが波紋を呼んだ。疾患当事者や研究者をはじめとして、多くの批判を浴びた2024年度〈見直し〉案は、土壇場で一時凍結されることとなった。
この一連の出来事、さらに日本の現行医療保険制度の問題点を多角的に検証したのが、4月17日に刊行される『高額療養費制度 ひろがる日本の〈健康格差〉』(集英社新書)だ。
本書の著者で高額療養費制度利用の当事者でもある西村章氏と、産婦人科医でこの〈見直し〉問題についてSNS等でも積極的な発信をしている宋美玄氏が、医療現場で感じる問題点、そしてあるべき日本の医療保険制度のあり方について語り合った。
対談収録後の4月7日には、高額療養費制度の限度額引き上げを盛り込んだ2026年度予算案が可決された。事態が大きく動く現状を、医師と制度利用当事者であるジャーナリストはどう眺めているのだろうか?(全二回)。
撮影:五十嵐和博

産婦人科の現場から見た日本の医療制度の問題点とは?
宋 医療費を抑えなければならないという考え方も、どうなのかなあ、と思います。他の国では、医療は成長産業だと捉えられているんですよ。でも、日本では医療費をずっと抑えようとしていますよね。私は医療業界にいるからよく分かるんですけど、うちの業界はもうジリ貧なんですよ。たとえば大きな医療法人が夜遅くまで診療して数をたくさんこなすと、効率的に経営できる。でも、個人経営のクリニックで真面目に診療しているところは、とてもペイするような診療報酬じゃない。医療へのアクセスもどんどん悪くなっていて、たとえば東京でも救急車を呼んでもなかなか受け入れ先が決まらない、ということだって現実に起こっています。
だから、医療費の総額を削減しなければならない、という凝り固まった頭をちょっと見直す必要があるんじゃないかなと思います。たとえば、保険で見る部分と自費でできる部分をもっと切り分けていくのもひとつの方法だろうし。
西村 混合診療を解禁にすると、貧富の差によって医療にアクセスしやすい人とそうじゃない人に分かれてしまうんじゃないか、と素人ながら思うので、そこは正直なところ、どうなんだろうという気がするんですが……。
宋 治療に松竹梅があって自費診療の人は松で保険だけの人は竹、というような命に格差をつける混合診療のあり方をイメージされると、もちろんそれはおかしいと思います。でも、異常なほど厳格な「全か無か」みたいな今の制度のあり方は、医療現場にも患者さんにも不便なんです。産婦人科は保険診療と自費がすごく入り乱れていて、少しでも自費診療部分が発生したらすべてを自費にしなければならない、みたいな状態なので、それはちょっとおかしいんじゃないかと常々感じています。
たとえば子宮体がんの検査をするときに、痛いので麻酔をかけましょう、と思っても、麻酔は保険が効かないので検査をすべて自費診療でやらなければいけなくなるんです。オプションの麻酔だけを自費にするのはダメなの? と思うんですが、今の制度ではそういうことができないようになっているんですよ。だから、そういうところはもうちょっと柔軟にした方が、患者さんにとってもいいと思うんです。ちょっと話題は逸れましたけど。
西村 特に産科の場合は、経営が厳しいとか地方ごとの格差が激しい、ということはしばらく前から言われていますよね。
宋 そうですね。出産は保険適用じゃないので、岸田政権時代に出産一時金を42万円から50万円に上げたんですが、コロナ前の出産が100万人だった時代に42万円を配るのと、80万人を切っている現状で50万円を配るのを比べると、国の総支出は明らかに減っているんですよね。2025年の出生数は70万人すれすれですから、それで産科が維持できるわけがないんですよ。
これは高額療養費制度の外側の問題ですけれども、国が医療費を削るあまり産科や小児科のインフラを維持できなくなってきている現状は、誰が問題意識を持って指摘してくれるのだろう……、と思っています。
西村 2026年度からは出産を実質無償化する、という方向だそうですが、あれはどういうことなんですか。
宋 出産費用が高い、という声がすごく多いので出産一時金を42万円から50万円に上げたものの、値上げ分で吸収されてしまうので、我々が値付けをできないように保険適用にして、3割の自己負担部分を給付することで無償化にしよう、と言っているんです。でも、保険適用になっても差額ベッド代や食事、アメニティの部分は保険外の別途請求になるのでどうやっても無償にはならないし、家族も泊まれる一泊数十万円の豪華な個室代も無償にしましょうという意見には、きっと誰も賛成しないでしょう。
無痛分娩の問題もあります。先ほど説明したとおり、混合診療は禁止なので無痛分娩を希望すると全額自己負担になります。しかも、無痛分娩を保険適用にすると、無痛分娩に対応した産科で産める人とそうじゃない人というアクセスの不平等感が出てしまう。東京都の場合は2025年の秋から無痛分娩に20万円の助成金を出すようになったんですが、残念ながら希望者全員の安全な無痛分娩に対応できるキャパシティは東京都にありません。そういうところで産めた人は助成金をもらえるけれども、予約できなかった人は助成金ももらえないし無痛分娩もできない、という格差が生じてしまいます。だから、多くの人が想像しているような、「出産無償化で全員がタダになった、わーい」みたいなことにはならないと思うんですよ、今の制度をどういじっても。
西村 出産を保険適用にすると、医療者にものすごく負担がのしかかってくる、と、以前おっしゃっていませんでしたか?
宋 そうですね。不妊治療でもそうなんですが、地方の場合は都市部に比べると様々な経費が安いんです。だから、保険適用で全国が同一価格になると、東京など都市部の産科は大打撃だけど、地方によっては従来の価格設定よりも保険点数で高い報酬をもらえる、という現象も発生します。一方で、地方は出産数の減少が急速だし、2年に1度の診療報酬や薬価の改定で物価変動が反映されないリスクも大きくなる可能性があります。
国として、47都道府県全体でどうやって安全なお産をできるようにするのか、という議論やグランドデザインもなく、とにかく出産費用が高いと妊婦が文句を言わないように、産科医がプライシングできないように、ということしか政府の姿勢からは見えてきません。今後、お産が難しい空白地域が増えてくると、きっと産科医のせいにされるんだろうな、周産期の医療事故や医療崩壊が発生すると「現場がちゃんとすれば救えた命だ!」とセンセーショナルに言われるんだろうな、という危機感しかないですね。
示されない「グランドデザイン」

西村 現場の医療者が皺寄せを一手に引き受けている状態もおそらく限界に来ていて、救急医療の受け入れが崩壊寸前だという話も見聞きするようになりましたよね。
宋 最近では、初期研修を終えただけで医療経験も技術も未熟な若手医師が、報酬が高くて当直もない美容整形へ直接行ってしまう「直美」が増えて問題視されていますよね。あの人たちの将来のキャリアはヤバいだろうな、と思うけれども、その反面で、医療を支えるために身を粉にして働いて、薄給で365日24時間の勤務体制に加わるかというと、「そういうキツいことはしたくないよね」と考えてしまう気持ちもわからないではないです。
西村 グランドデザインを示さない、と先ほどおっしゃいましたが、一事が万事そうなんでしょうね。
宋 全体としての医療費をどうしたいのかということが何も見えないまま、「はい、高額療養費制度を削りま~す」みたいなことをやっているように見えてしまうんです。医療費全体は何十兆円もあるのに、これで抑制できる金額ってせいぜい2000億円とかそういうレベルの話じゃないですか。
西村 しかも、予算委員会や厚生労働委員会での上野厚労大臣の説明だと、「何千億というスケールの話でも、ひとりあたりの保険料抑制額を計算すると百数十円になってしまうことはご理解ください」と言うんですよ。「いやいや、そこを減らしてくれなんて最初から誰も言ってないでしょ」ということがまったく彼らには通じないんですよね。
宋 むしろ国民に説明するのであれば、「ひとりあたり100円少々の負担をしていただくことで現在の高額療養費制度が成り立っています。存続にご協力と理解をお願いします」というべきですよね。
西村 そうですよね。超高額薬剤が増えている、ということも彼らは言うけれども、高額薬剤が国民医療費の圧迫要因ではないことは様々な論文でも指摘されています。要するにたとえ単価が高くてもそれを何人の患者がどのくらいの期間使うのか、ということを考えると、総額では決して大きな金額にはならないわけですよね。しかも、「それで助かる命があるのなら、ひとり数百円程度の保険料負担くらい全然構わない」という意見が多数を占めるだろうと思います。
宋 だって、「保険料を100円安くしてほしいから高所得者がもっと負担しろ」みたいな意見も全然見かけないですよね。
西村 厚労省も上野厚労大臣も「皆さんの保険料を安くします」と言っているんですが、「そのために、なぜ一番最初に高額療養費に手をつけるんですか?」「それは順番がおかしいでしょ」と最初からずっと指摘されているにもかかわらず、「保険料がお安くなります」と判で押したようなことばかり繰り返すんですよ。
宋 回答になっていないですよね。
高市首相も「疾患当事者」であるものの……

宋 厚労省の人たちは、「手をつける場所は本当はここじゃないんだよな……」って考えないのかな。自民党の中にだって良心がある人もそれなりにいるでしょうけれども、この予算案で自己負担上限額の引き上げが決まっちゃったら覆せるものなのか。結構ヤバいんじゃないかなと思うんですけど。
西村 限度額も含めて高額療養費に関するいろいろなものごとは「政令で定める」と健康保険法で決まっているので、政令である以上は、理屈の上では閣議決定で決めることができます。だからといって、彼らが閣議決定で「じゃあ、高額療養費の自己負担上限額を下げまーす」って言うかというと、そうするとは考えにくいですけれども。
宋 思えないですよね。
西村 とにかく、患者団体の尽力で年間上限の新設と多数回該当の据え置きを達成したのは大きい成果ですが、国会の質疑で上野厚労大臣はそれだけを前面に押し出して、一ヶ月あたりの限度額上昇や病気で収入が減少した場合の負担の重さには全く触れようとしないんですよね。
宋 だって一番上の所得区分が約34万円でしたっけ? 「年収1650万円稼いでいる人なら月にそれくらい払えるやろ?」と考えているのかもしれませんが、そんなの絶対に無理ですから。
西村 家庭によって子育てや家のローンや親の介護など、いろんな事情がありますからね。国会の質疑でも、多数回該当を据え置きにしていることを錦の御旗のように掲げるんですけど、その多数回該当が適用されるためには、まず直近12ヶ月で3回通常の上限額を払わなきゃいけないわけですよね。34万円を3ヶ月続けて支払うことに耐えられますか、という話なんですよね。
宋 これってよく「民間保険を儲けさせるためだ」みたいなことも聞くんですが、どうなんですか?
西村 公的医療保険と同じ水準の給付をカバーするものを民間保険で商品として設計できるかというと、「いや、とてもじゃないけど無理です。毎月あたりの支払い額がものすごく高くなります」という話は聞いたことがあります。
宋 やはり皆で声を上げて少しでもマシな案にするか、あるいは凍結をしてほしいですよね。
西村 高市さん自身も難病患者ですからね。関節リウマチで生物製剤の投与もしていて、僕の場合はレミケードですけれども彼女はおそらくアクテムラだと思うんですよね。しかも、人工関節に置換していることも公表しています。人工関節の置換術は議員生活のどこかの段階で行ったのだと思いますが、彼女の政治姿勢に対する賛否はともかくとしても、この疾患を抱えて政治活動を続けてきたのだから、相当な努力家であることは間違いないでしょう。でも、そういう疾患当事者だからこそ、比喩ではない文字どおりの患者の痛みや苦しみをあなたなら理解できるはずでしょう、と思うんですよ。
宋 政治家は、自分がその立場にない場合でも当事者のことを想像して政治をしてほしいと思うんですが、自分自身が当事者なのにそこを無視してしまうとすると、辛いですよね。
西村 たとえば、支払い金額を上げると受診を抑制する人が出てくる可能性があります。この制度を利用する人が受診を控えるのは、生き続けることを諦めるという意味でもあるわけで、当事者ならその重大さがよくわかるはずなんですが。
宋 本の中にも書かれていましたし、SNSでもそういう体験談がありますよね。
経済的負担から治療を諦める人たちは既にいる
西村 不妊治療や産婦人科でも、「お金がかかるんだったらもう治療をやめようか」という声は実際にお聞きになることはありますか?
宋 不妊治療の場合は多いですよ。当然ですけど、誰しも限りある家計をやりくりして治療費を捻出していて、しかも比較的若い世代が多いから経済的な余裕もありません。だから、タイミング法や2~3万円の人工授精はできても、さらにお金がかかる対外受精までは無理、という人は少なくないし、私たち産婦人科医は、医療費がかかるから諦める、という事例にごく当たり前に接しています。
たとえばピルでも、「この薬だと生理の頻度が減ってより快適ですよ。でもジェネリックがありません」というと、「じゃあ、毎月生理が来ちゃうけどジェネリックの500円前後のほうでいいです」とか。自分の体のためとはいえ、何千円にもならない差で治療法を選ぶ人も少なくないので、出せるお金は有限なんだな、といつも痛感しています。
西村 数百円のオーダーでもそういう選択になるのに、ましてや数万円とか数十万円の治療になると当然……。
宋 もうめちゃめちゃおっしゃるとおりですよ。産科や婦人科って患者さんがほぼ現役世代なので、産みたい人は産んで産みたくない人はちゃんと避妊をできて、生理や女性特有のがんにも患わされずに現役世代を生きていってほしいし、そんな若い世代の人たちに払えないものが増えてしまうことには、すごく憤りを感じますね。
先日やっと日本でも薬局で買えるようになったアフターピルなどもそうですが、セクシャルリプロダクティブヘルスライツという女性の体の自己決定権では、ただでさえ当事者に負担がかかっていることが多いのに、さらに高額療養費制度で不妊治療に手が届かなくなったりすると「値上げしている場合じゃないだろ!!」とつくづく思います。
西村 本当に「政府と厚労省のやろうとしていることはひどいですね、」と言い合っているだけでいくらでも時間が経ってしまうんですけれども(笑)、あれもこれも言わなければいけないことだらけだから、どれだけ指摘してもキリがないですね。
宋 今日の対談の締めくくりとして、最後に「厚労省や政治家には人としての良心がないのか!?」と言いたいですね。だって、あなたたちだっていつ病気になるかわからないんですから。
西村 ホントですよね。これはいつも思うことですが、厚労省の保険局の人たちは皆、付加給付も傷病手当金もない国保で非正規待遇、という不安定な就業環境で仕事をしてみれば、高額療養費制度にしても産科の将来方針にしても、制度設計のしかたが少しはマシになるんじゃないかと思います。(了)
プロフィール

(そん みひょん)
1976年、兵庫県生まれ。産婦人科医、丸の内の森レディースクリニック院長。博士(医学)。セックスや女性の性などについて、女性の立場からの積極的な啓蒙活動を行う。メディア出演や著書多数。

西村章(にしむら あきら)
1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。









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