現代魔女 最終回

今日のウイッチクラフト

円香

オーストラリアの魔女コミュニティにて

2024年、私はミーアンジンに降り立った。

現在ではブリスベンという名で知られるこの土地は、はるか以前からトゥルバル族やユガラ族が暮らしてきた場所であり、彼らはここをミーアンジンと呼んできた。ヤガラ語を話す先住民たちが、数万年にわたり根づいてきた土地である。

南半球で儀式に参加するのは初めてだった。月の形は北半球とは逆向きに見え、サバトも反転する。春分はこちらでは秋にあたり、ベルテインの季節にソーウィンを祝う。後から知ったことだが、儀式でサークルを作る手順さえ北半球とは逆になるという。

私はここでもストレンジャーだった。それでも、この土地で開かれる魔女たちの集会に参加するため、海を越えてやってきた。

儀式を前にして、胸の内には興奮と不安が入り混じっていた。これから会う魔女たちのほとんどは初対面であり、そもそもオーストラリアを訪れること自体が初めてだった。正直なところ、何もわからない。ちゃんと魔女たちと合流し、目的地までたどり着けるだろうか——そんな緊張を抱えていた。

この流派には数年前から関わってきたが、日本から参加したいと連絡したとき、相手はとても驚いた様子だった。北米以外から海を越えてやってくる参加者は、ほとんどいないという。

電車で一時間ほど揺られ、私を車で迎えに来てくれた魔女たちと合流する。そこからさらに長いドライブが続き、車は次第に高地へと登っていった。

目的地に到着すると、すでに七十人ほどの参加者が集まり始めていた。年齢は20代後半から70代まで幅広い。白人が多いが、私のようなアジア系の参加者や、先住民のルーツを持つ人もわずかながらいた。そして参加者の半数ほどはクィアの魔女だった。

私たちは5日間、共同生活を送りながら、朝から晩まで儀式づけの日々を過ごすことになる。語り合い、泣き、笑い、叫び、歌う。ここでの魔女たちの儀式は、想像していた以上に強烈な体験だった。

参加者に配られる案内冊子は60ページにも及び、誰もが安心して参加できるよう、いわゆる「セーファースペース」を守るための合意事項が細かく記されている。それを読み、同意しなければ参加することはできない。

そこには、精神的に不安定な状態にある人は参加を見送るようにとも書かれていた。連日の儀式は心を大きく揺さぶる可能性があるからだ。主催者たちは医療機関でもセラピスト集団でもない。激しいダンスや歌、対話、そして儀式が続くこの空間では、参加者の人生観を揺さぶるほどの体験が起こりうる。圧倒的な経験は、ときに精神的な負担を伴う。

寝食を共にしながら、朝から晩までクラフトに向き合う。情報量は膨大で、頭がパンクしそうになる。苦手でも縫い物をしなければならない。睡眠時間を削りながら必死に取り組んだ。

食事はほとんどがベジタリアンだと聞いていたが、驚くほど美味しかった。

もう一つ印象的だったのは、この土地に古くから暮らしてきた先住民の女性が儀式に参加していたことだった。彼女は近くに住んでいるらしく、参加者たちは皆、彼女に深い敬意を払っていた。

彼女は、私たちが滞在しているバンガローの周囲の植生や、この土地の歴史について語ってくれた。バンガローの周りにはパディメロンという小さなカンガルーのような動物が多く生息しており、夜になると見慣れないその生き物たちがあちこちに姿を現す。猫より少し大きい程度で、とても臆病そうだった。

私が日本からこの集会に参加するためにやって来たと話すと、皆が驚く。どうやってここまで来たのか、と。

私自身にも、うまく説明できない。

私はアメリカでウィッチクラフトを学び、実践していた。本来なら、日本に帰国した時点で儀式に参加することは難しくなるはずだった。

しかし帰国して間もなく、新型コロナウイルス感染症の世界的流行が起きた。魔術コミュニティは急速にオンラインへと移行し、儀式もZoomで行われるようになった。

そのおかげで、北米の魔女たちから遠く離れていても、魔術を学び続けることができた。さらにオンラインのつながりを通じて、オーストラリアに住む非常に優れた魔女の教師を紹介された。オーストラリアは日本と地理的に近く、時差もほとんどない。魔術を共に実践するには好都合だった。そうして縁をたぐり寄せていくうちに、気がつけば私はここへ流れ着いていた。

オンラインの魔女コミュニティでは、実に多様な人々に出会う。さまざまな地域、さまざまな文化的背景。肌の色も言語も異なり、手話で会話する人もいる。クィアの人々も多い。

60代、70代の魔女たちと国境を越えてつながることは、不思議な感覚だった。80年代の反核運動に関わっていた魔女に出会ったときには、まるで伝説の人物と対面しているような気持ちになった。

オンラインで儀式を行うことには多くの制約がある。それでも私は、いわばテクノペイガン的な形で多くを学んできた。つまり、オンラインのネットワークを介して魔術を学んできたのである。

コロナ禍で対面の集まりができなくなっても、魔女たちはテクノロジーを巧みに使い、自分たちのネットワークを編み続けた。

私自身、普段はテクノロジーに関わる仕事をしている。興味深いのは、魔女やペイガンの人々が、自然志向のコミュニティにしばしば見られるようなテクノロジーへの忌避感をほとんど持っていないことだった。

魔女にならなければ出会うことのなかった人々と出会い、私は彼らの人生の一端に触れた。そして、北米とつながりを持つオーストラリアにも独自の魔女コミュニティが存在することを知り、思い切ってそこへ飛び込んでみることにしたのである。

オーストラリアの魔女コミュニティは、英国やアメリカ西海岸の影響を受けながら、独自の発展を遂げてきた。とりわけ驚いたのは、クィアの魔女の多さだ。

魔術の世界では長らく、異性愛を前提とした儀式構造が主流だった。英国伝統派ウイッカのような体系では、性別二元論に基づく強固な儀式構造があり、異性愛規範から完全に自由とは言い難い。

そのため同性愛者やクィアの実践者たちは、魔女の世界においてもしばしば周縁的な位置に置かれてきた。少なくとも1970年代のイギリスにおいては、彼らが対等な立場で参加することは決して容易ではなかった。

しかし、既存の伝統の枠組みに適応できなくても、魔術の道を切り開こうとした人々は数多く存在する。はみ出したクィアの実践者たちは、北米を中心に多様な形で活動を展開してきた。現代の魔女文化が現在きわめて興味深いのは、多様な背景を持つ人々が参加し、それぞれに新しい実践を編み上げている点にある。

この章では、これまであまり注目されてこなかった多様な魔女たちの実践が、いまどのように新しく編み直されつつあるのかを紹介していきたい。

クィア・ウィッチクラフトの歴史

クィアな魔術の実践には、特にアメリカ合衆国において長い歴史がある。

その象徴的なエピソードとしてしばしば語られるのが、1970年のロサンゼルスでの出来事だ。当時のゲイ解放戦線は、警察による暴力に抗議する行動として、魔術を用いて地元の警察署を浮揚させ、一時的に消滅させることを意図したパフォーマンスを行ったと伝えられている。参加者には、ブリキ缶とそれを叩くための鉛筆を持参するよう呼びかけられた。彼らはそれを鳴らし、「不吉で興味深い音」を響かせることで、日常の空間を異化しようとしたのである。

クィアの魔女たちの実践について、北米が中心的な役割を果たしてきたことは、フィル・ハインが『アクト・オブ・マジカル・レジスタンス』(2023年)の中でも指摘している。その背景には、レオ・マルテロの存在がある。

マルテロは1970年代アメリカで活動した著名なゲイの魔女であり、ウィッチクラフトを宗教として公的に認めさせる運動と、ゲイ解放運動の双方に積極的に関わった人物だった。当時、ウィッチクラフトはしばしば迷信や犯罪的行為として誤解されていたが、マルテロはそれを正当な宗教的実践であると主張し、法的・社会的承認を求めて活動した。

彼はまた、1969年のストーンウォールの反乱の後に創刊された急進的新聞『カムアウト!』にも寄稿していた。この新聞はアメリカのゲイ解放運動の初期を象徴するメディアであり、マルテロはそこで活動する急進的なゲイの魔女でもあった。

北米では、レズビアンの魔女たちによる女神運動がよく知られている。しかし同時期、ゲイ男性によるウィッチクラフトの試みもすでに始まっていた。

その流れの中でも独自の伝統を打ち立てた若きパイオニアがエディ・ブチンスキーである。

1971年、彼はジェラルド・ガードナーの著書『今日のウィッチクラフト』を読み、ウィッチクラフトに強く魅せられた。ブチンスキーはニューヨークでマルテロを訪ね、彼を通じてペイガン・コミュニティへと足を踏み入れることになる。

しかし当時の英国伝統派ウイッカの体系は、実践上、異性愛規範を前提とした構造が強かった。儀式は男女の極性を中心に組み立てられており、同性愛者の霊性を包摂する形にはなっていなかった。

そこでブチンスキーは1977年、独自の伝統を創始する。古代クレタのミノア文明——男性同士の愛が祝福されていたと彼が信じた文明——の神話と図像を基盤に、ウイッカの儀式構造を再構成した「ミノアン・ブラザーフッド」である。

この伝統は、男性同士の愛と魔術を結びつける実践として、姉妹組織「ミノアン・シスターフッド」とともにニューヨークを拠点に広がっていった。しかし1980年代のエイズ禍はこのコミュニティを直撃し、ブチンスキー自身も1989年、42歳で亡くなる。

彼の功績は長らく忘れられていたが、2010年代にマイケル・ロイドによる伝記『天国の雄牛:エディ・ブチンスキーの神話的生涯とニューヨーク・ペイガン』が出版されたことで再評価が進んだ。

そもそもウイッカの儀式体系は、マーガレット・マレーの「魔女カルト論」に影響を受け、「豊穣の宗教」として構想されたものである。そのため長らく、異性愛規範を強く持つ宗教伝統として理解されてきた。

しかし実際には、その内部にはより複雑な現実が存在していた。たとえばアレクサンダー派ウイッカの創始者アレックス・サンダースがバイセクシュアルであったことが知られている。表向きのイメージと実践の現場のあいだには、語られてこなかった部分が存在していた。

アレクサンダー派の女司祭ジャネット・ファーラーも、2023年のインタビューで、自身が二人のゲイ男性にイニシエーションを授けた経験について語っている(そのうち一人は後にトランス女性として生きているという)。

これらの事例が示しているのは、クィアの魔女たちは常にコミュニティの中に存在していたという事実である。にもかかわらず、その存在が長く公然と語られなかったのは、「魔女」という言葉自体が強い社会的スティグマを伴っていたこと、そして実践者が攻撃や差別に晒される危険があったこととも無関係ではないだろう。

ウイッカの重要な女司祭であり詩人であるドリーン・ヴァリアンテも、晩年にはコミュニティが同性愛者を受け入れるべきだと主張していた。彼女がかつて関わっていた極右政党「イギリス国民戦線」と決別した理由の一つも、女性や同性愛者に対する思想の違いだったと言われている。

一方、女神運動の中心地となったサンフランシスコやロサンゼルスといったアメリカ西海岸では、多くの同性愛者の魔女がコミュニティを形成していた。特にダイアナ派や女神運動にはレズビアンの魔女たちが多数参加していた。

1980年代のエイズ危機の時期には、魔女コミュニティの一部でオルタナティブな家族形態を模索する動きも見られた。彼らは同性愛者同士の連帯や支援を明確に表明していったのである。

こうした社会的文脈の中で、男性/女性という二元的エネルギーの統合のみを神聖視する考え方や、「豊穣の宗教」という枠組みはアメリカ西海岸では少なくとも中心には据えられなくなっていった。むしろ実践者たちは、自分たちの社会的・文化的状況に応じて、儀式の構造や実践方法を柔軟に変化させていった。

そもそも魔女たちにとって、性的エネルギーとは生命力そのものを意味していた。この発想は現代魔女文化の根幹にも深く根づいている。それはまた、一神教が長い歴史の中で築いてきた禁欲主義に対する明確な反抗でもあった。

かつて描かれた魔女のイメージを思い出してほしい。乳房をあらわにし、髪を振り乱しながら夜空を飛ぶ淫らな女たち——飽欲と貪愛、秩序を脅かす欲望の象徴として描かれた存在である。現代の魔女たちは、そのイメージを自らの力の象徴へと反転させた。

スターホークは、エイズ・パニックの時代にあっても、恐怖によって性を否定してはならないと語り、性を「sacred(聖なるもの)」であると強く宣言した。

この言葉は通常「神聖なもの」と訳されるが、私の実感では「畏敬」や「驚き」にも近い感覚だと思う。スターホークにとってそれは、教義を信じることではなく、私たちが世界をどのように感じ、どのように経験するかに関わるものだった。

「聖なるもの」とは、いのちが存在することそのものへの驚きである。世界の謎に向き合う態度であり、私たちの知らないもの、隠されたものが存在することを認め、自分をそのミステリーに開いていく姿勢でもある。ウィッチクラフトとは生命の謎に触れ、その神秘そのものを祝福する営みである。

現在のリクレイミング伝統では、エネルギーの両極性は男/女という二元論では捉えられない。それはジェンダーに関係なく、芸術や植物、動物など、美しいものに惹かれる力としても理解される。極性は対立する二点ではなく、むしろ蜘蛛の巣のように相互につながる関係として想像されることが多い。

このように、魔女たちが魔術のエネルギーをどのように理解するかは、時代や場所、流派、個人の経験によって大きく異なる。

私の教師であるリクレイミングの魔女、フィオ・ゲデ・パルマは、クィアネスとは「既存の期待や前提を手放すこと」だと語っている。彼女によれば、民俗学的にも伝統的にも、ウィッチクラフトは本来的にクィアなものだという。

魔女とは境界を越える存在であり、逸脱的で、恐ろしいほどエロティックで、悪魔と踊り、星を引き降ろす存在——つまり本質的にクィアな存在なのだ。

歴史的に見ても、魔女や異端のイメージはしばしば同性愛や性的逸脱と結びつけられてきた。一神教社会ではソドミーは「自然に反する罪」とされ、処罰の対象となった。キリスト教の悪魔学において、魔女は悪魔と契約を結び、倒錯的行為に耽る存在として描かれてきた。

こうした言説は、規範から外れた性を統制し、逸脱を異端や犯罪として位置づける装置として機能していた。

現代魔女文化における「魔女」という言葉の転換は、クィアの人々の戦略とも深く響き合っている。魔女たちが「悪魔崇拝者」という烙印を反抗の象徴へと変えたように、クィアの人々もまた「変態」という侮蔑語を抵抗の言葉へと変えてきた。

恐れられることがあったとしても、禁欲や規範に従うことを拒み、逸脱を恐れないこと。ウィッチクラフトは、そのような飼い慣らされない欲望を含んだ実践でもあった。

2026年現在、クィアの魔女たちによる書籍や実践は世界各地で広がり、現代魔女術の世界にはこれまでになく多様な背景を持つ実践者が集まりつつある。彼らはウイッカの枠組みだけにとどまらない、新しいウィッチクラフトを模索している。

それは単に儀式の形式を変えることではない。世界をどのように感じ、どのように生きるのかという問いそのものを、魔術の実践のなかで問い直す試みでもある。

クィアの魔女たちはこれからも、自分たち自身の経験と言語をもとに、新しい魔術のかたちを編み続けていくだろう。

そしてその営みは、魔女という存在が本来持っていた力——世界の謎に身を開き、既存の境界を越えていく力——を、あらためて私たちに思い出させてくれるのである。

脱植民地化と先住民との協働

現代の魔女実践が直面する最も複雑かつ重要な倫理的問題の一つは、先住民族の精神的・文化的伝統との関係である。とりわけタートル・アイランド(北米)やオーストラリアのように、植民地主義の歴史が現在にも深く影響を残している地域では、現代魔女の実践と先住民族の精神的伝統が複雑に交差している。この交差点には、連帯や協働の可能性がある一方で、文化盗用をめぐる緊張関係も常に存在している。

近年、植民地主義の遺産を批判的に見直し、脱植民地化の視点から先住民族の権利運動を支援しようとする動きが、魔女たちのコミュニティにも広がりつつある。これは単なる政治的姿勢ではなく、魔女の実践が本来重視してきた「土地との関係」を再考する試みとも深く結びついている。

たとえばカリフォルニアを拠点とするリクレイミング伝統の「ウィッチキャンプ」の参加者たちは、ポモ族の土地返還運動を支援するために資金調達を行っている。2023年に結成された「西海岸土地返還親和団体」は、2年間で約5,000ドルの寄付を集めたと報告している。こうした活動の背景には、儀式を行う土地そのものが、かつて植民地支配の過程で先住民から奪われた土地であるという認識がある。その土地の本来の管理者である先住民族との連帯を、具体的な形で示そうとする試みなのである。

しかし、先住民族の伝統と現代魔女文化の関係は決して単純ではない。北米では、現代魔女文化がニューエイジ文化と接近したり混淆したりしてきた歴史があり、その過程で文化盗用の問題が繰り返し議論されてきた。ネイティブ・アメリカン、アフリカ系アメリカ人、アボリジニなど、さまざまなルーツを持つ霊的伝統が存在するなかで、ヒッピー/ニューエイジ文化はしばしばそれらを文脈から切り離し、表面的な形で取り入れてきたからである。

その象徴的な例の一つが、ホワイトセージの使用である。ホワイトセージの束は、雑貨店や書店、ニューエイジショップなどで広く販売されている。しかしこの植物は、多くのネイティブ・アメリカンの伝統において祈りや浄化の儀式、いわゆるスマッジングに用いられてきた神聖な植物である。

19世紀から20世紀前半にかけて、アメリカ政府は同化政策の一環として先住民の宗教実践を厳しく制限していた。1978年に「アメリカ先住民宗教自由法」が制定されるまで、一部の宗教的行為は事実上違法とされていたのである。この歴史を踏まえると、かつて政府によって禁止されていた宗教実践が、同じ社会のなかで文脈を無視して商品として流通しているという状況は、深刻な倫理的問題を孕んでいる。

そのため倫理的意識の高い魔女たちの中には、ホワイトセージの使用を避け、代わりに塩水や地元の植物などを用いる浄化の方法を勧める人もいる。

ホワイトセージをめぐる問題は文化的な側面だけではない。ニューエイジ市場での需要の急増により、南カリフォルニアでは野生のホワイトセージの違法採取が深刻化している。精神的実践が自然との調和を重視するものであるならば、その素材の採取が環境破壊を伴っているという状況は大きな矛盾を生み出す。

同様の問題は、クリスタルやパワーストーンといった鉱物資源の利用にも見られる。これらの鉱物の採掘はしばしば危険な労働条件、児童労働、環境破壊と結びついている。こうした問題に目を向け、倫理的な消費を模索する魔女たちも増えつつある。ただし鉱物の霊的な力は古代から信じられてきたものであり、愛好する実践者も多い。その使用をどう考えるかは、現在のところ個々人の判断に委ねられている部分が大きい。

これらの問題は、現代の精神的実践が商業化していく過程で生まれる緊張を浮き彫りにしている。参入者が増えるにつれてニューエイジ文化との混淆も進み、霊的実践はしばしば市場の論理に組み込まれていく。

魔女たちは「ゲニウス・ロキ」、すなわち土地の精霊との関係を重視する。しかしその実践に用いる素材や知識が、植民地主義や環境破壊、労働搾取といった倫理的不正義の上に成り立っているとすれば、そこには深い葛藤が生まれる。霊的効力以前に、実践そのものの倫理が問われることになるからである。

20世紀後半まで、人類学や比較宗教学の影響のもと、世界の宗教や霊的実践に共通する「普遍性」を見出そうとする思潮が広く存在していた。しかしこの視点はしばしば西洋中心的な態度と結びつき、他文化の実践をその土地の歴史や文脈から切り離して利用することを正当化してきた側面もある。こうして誤った形で広まった知識は、当事者のコミュニティの文化を歪め、その子孫が本来の伝統を知る機会を奪うことにもなりかねない。

とはいえ、文化や民族が完全に独立した形で存在してきたわけでもない。歴史を通じて人々は隣接する文化と接触し、学び合い、影響を受け合いながら変化してきた。もし他文化に触れること自体を完全に禁じるならば、文化を通じた人々の交流そのものが閉ざされてしまうだろう。そもそも「純粋な文化」というものは存在しない。あらゆる文化は交流と混淆の産物でもある。

北米の魔術文化もまた、さまざまな背景を持つ移民たちが交差するなかで形成されてきた。そこでは支配/被支配の関係を越えて共に実践した人々もいれば、不均衡な権力関係の中で影響を受け合った歴史もある。

街角のメタフィジカル・ショップや魔女の専門店は、こうした文化への入り口として長く機能してきた。書籍や道具が揃い、公開儀式やクラスが開催されるこれらの店は、知識と実践が共有されるコミュニティの拠点でもある。

この複雑な状況の中で、一つの可能な姿勢は、スピリチュアルな商業主義に対して常に批判的な視線を保つことだろう。霊的実践や聖なるものが安易に商品化されていないか。先住民コミュニティの利益が損なわれていないか。その知識や資源が、当事者の同意なしに切り売りされていないか。こうした問いを常に自分たちに向け続けることが必要になる。

そして何より重要なのは、異なる文化的背景を持つ人々との直接的な対話と協働だろう。リクレイミングの魔女フィオ・ゲデ・パルマが語るように、敬意とは単なる態度ではない。それは文化的文脈を認識し、植民地支配の歴史を踏まえながら、その伝統の担い手たちとの生きた関係の中で育まれるものなのだ。

私自身もオーストラリアで魔女たちと儀式を行った際、その土地の先住民の女性が虹の蛇のドリーミングに関する誘導瞑想を行ってくれる機会に恵まれた。彼女は同じクラスに参加し、私たちに多くの知識と洞察を共有してくれた。このように、先住民のルーツを持つ人々が現代魔女コミュニティの中で自らの伝統を語り、共有する場面も存在する。

こうした交流は、文化の単なる借用ではなく、相互の尊重と理解に基づいた対話の可能性の一つだ。

現代のウィッチクラフトは、単一の民族や文化に属するものではない。植民地主義の歴史を背負いながらも、多様なルーツを持つ人々が霊的経験を通じて交差する、きわめて複雑な領域である。だからこそ、それは何でも自由に取り出して使える「魔法の玉手箱」ではない。

私たちは皆、先人たちが積み上げてきた知恵と伝統の上に立っている。いわば「巨人の肩に立っている」のだ。そのことを自覚し、土地の歴史とそこに生きる人々への敬意を忘れず、現在も続く植民地主義の暴力を認識して向かい合い、真摯に学び続ける姿勢こそが、この文化に関わる者に求められている。

現代魔女文化のポップ化と多様化

今日、現代魔女文化は良い意味においても悪い意味においてもポップ化し、かつ多様化している。その流れの最初の大きな転機となったのがレディ・シバによる「影の書」の出版である。「影の書」は本来、カヴンの内部でのみ秘匿される儀式文書であり、その公開はコミュニティに大きな衝撃を与えた。しかしこの出来事は同時に、魔術の知識を閉じられた集団の内部から解き放つ契機ともなった。

この出来事への応答として、ドリーン・ヴァリアンテは『魔女の聖典』(1978年)を著し、個人が自らセルフ・イニシエーションを行い、魔女になる道を提示した。当初は伝統的イニシエーションを重視していたレイモンド・バックランドも、後にソロ実践のための手引きを出版している。こうした一連の出版活動は、「カヴンに属さずとも魔女になれる」という可能性を開き、書籍を基盤に独自の実践を発展させる人々を急速に増加させた。

1980年代以降、この流れはさらに進み、魔女の実践は組織中心から個人中心へと移行していく。スコット・カニンガムの著作はソロ魔女の実践を広く普及させ、1990年代にはシルバー・レイヴンウルフが若年層に向けた書籍を発表し、ティーン世代にも魔女文化が浸透した。

同時に、映像メディアの影響も大きかった。映画『ザ・クラフト』(1996年)、ドラマ『チャームド~魔女3姉妹~』(1998年~)、そして『サブリナ』(1995年)などが若い世代に広く受容され、実践者人口は急増する。こうした急激な変化に対し、従来のコミュニティに属していた魔女たちは驚きと警戒を示した。

この時期から、魔女文化はポップカルチャーと強く結びつき、ニューエイジ文化との混淆も進んでいく。タロットカードやスペルキットはファッションやライフスタイルの文脈で再解釈され、セージやパロサントは「浄化アイテム」として一般消費されるようになった。魔女のイメージはやがてファッション誌の表紙を飾るまでになり、化粧品会社が現代魔女文化をブランディングに借用するなど文化的象徴として再編成されていく。そしてそれには現代魔女のコミュニティ内部からも少なからず反発がある。

私自身も2010年代後半にメディアを通じて現代魔女文化について語る機会を得たこともあり、いわゆる「ミレニアル・ウィッチ」と呼ばれる世代に属している(もっとも、この呼称を自ら名乗ったことはない)。「ミレニアル・ウィッチ」は現代魔女文化のポップ化の2010年代の波を象徴する世代である。振り返れば、私に魔術を教えてくれた40代の魔女たちは、『ザ・クラフト』をティーン時代にLAで観ていた世代でもあり、この文化の大衆化の波の中で、多くのティーンが魔女に参入し、そのほとんどが飽きて去った後もずっと魔女として生き延びてきた人々でもあった。

現代魔女文化と商業主義への接近の過程には、世代間の緊張や実践の質をめぐる議論など、多くの摩擦が伴った。しかし同時に、魔女文化が広く知られるようになったことで、「魔女=悪魔崇拝者」という単純な偏見は徐々に後退し、少なくとも都市部では、自らをペイガン魔術の実践者として公言できる環境が整い始めた。

一方で、インターネットの普及はこの流れをさらに加速させる。1990年代後半のウェブ、2000年代のソーシャルメディア、そして2010年代後半のTikTokの爆発的拡大により、情報はかつてない規模で拡散されるようになり、玉石混交の混沌の様相を呈している。#WitchTokのハッシュタグは数百億回の視聴を記録し、ライト層の実践者は急増している。

2020年のコロナ禍は、この変化に決定的な加速を与えた。対面の儀式が不可能になるなかで、Zoomを介したオンライン儀式やクラスが急速に普及し、国境を越えた実践が日常的なものとなった。パンデミックによる不安と孤立のなかで、エンパワーメントやセルフケアを求めて魔女文化にアクセスする人々も増加した。

さらに近年、SNSはもう一つの重要な変化を可視化している。それはBIPOC(黒人、先住民、有色人種)の魔女たちの存在である。

もともと現代魔女文化は、フードゥー(ルーツワーク)、サンテリア、ウンバンダといった実践とも隣接してきた。しかし主流のウイッカ文化は、歴史的には白人中産階級を中心に発展してきた側面がある。2010年代以降、BIPOCの実践者たちは自らの伝統や経験を積極的に語りはじめ、この偏りに対する批判も可視化されるようになった。

たとえば「白魔術/黒魔術」という区分そのものが、ブードゥーやサンテリアなどの実践を否定的に位置づけるために形成された概念であるという批判も広がっている。こうした議論は文化盗用の問題とも結びつき、現代魔女文化はより多様で複雑な声を内包する領域へと変化しつつある。

「ミレニアル・ウィッチ」世代の象徴的な存在の一人が、「ザ・フッドウィッチ」を運営するブリ・ルナである。彼女はミレニアル世代を代表する魔女の一人として、ライフスタイルブランドを通じて「現代の神秘家のための日常の魔術」を発信している。

ロサンゼルス出身のルナは、メキシコ系およびアフリカ系アメリカ人のルーツを持ち、母方の祖母からは先住民的伝統を、父方の祖母からはフードゥーの実践を受け継いできた。若い頃にはウイッカにも触れたが、それが自分の実践には合わないと感じ、独自のスタイルを確立していったという。

彼女のように、先住民、アフリカ系、ラテン系、アジア系など、多様な背景を持つ実践者たちが、自らの文化に根ざした魔術を再解釈し、発信する動きはますます広がっている。それらは時にウイッカやフェリの枠組みと交差し、混ざり合いながら、新たな実践を生み出している。

現代魔女文化はもはや単一の伝統ではない。それは、歴史的伝統、ポップカルチャー、テクノロジー、そして多様な文化的背景が交差する場として、絶えず再編成され続けているのである。

トラディショナル・ウィッチクラフトの新世代

ここ数年の現代魔女文化において、私が特に注目しているのがトラディショナル・ウィッチクラフトである。

ウイッカのような祝祭的で体系化された魔女宗派がある程度社会に認知されるようになった現在、新しい世代の実践者たちは、より実践的で個人的なクラフトのあり方へと関心を向け始めている。そこには、土地に根ざし、より孤独で、より身体的なウィッチクラフトへの強い渇望がある。

トラディショナル・ウィッチクラフトとは、ガードナー派やアレクサンダー派といったウイッカの体系に属さない実践を指す言葉である。しばしばウイッカ以前の伝統的魔術、あるいは民間魔術や歴史的な実践に触発された流れを包括的に指すために用いられる。

それは単なる「別系統」ではなく、ウイッカという体系化された宗教的枠組みに対する緊張関係の中で形成されてきた、いわば対話的かつしばしば対抗的な実践でもある。この道はしばしば「曲がりくねった道」と呼ばれ、右手と左手の道のあいだを蛇行するものとして語られる。

トラディショナル・ウィッチクラフトの現代的な文脈を形成した人物として、マイケル・ハワードがいる。ハワードは1960年代に二つの重要な思想的源泉と出会っている。一つはロバート・コクレンの書き物であり、もう一つはイギリスの魔術師であり独自の儀式魔術の実践を行った「モーニング・スター教団」のマデリン・モンタルバンによる直接の指導だ。

ハワードに霊感を与えたコクレンとモンタルバンはともに、ガードナーが創始したウイッカを強く批判した人物でもあった。コクレンはガードナー派の儀式的な体系を「でっちあげ」と見なし、より詩的で神秘的な儀式を追求した。かつて、ガードナーの『高等魔術の助力』のタイプライターをしたモンタルバンはガードナーを「見世物師」と酷評した。モンタルバンは自身の魔術はウィッチクラフトとは無関係だと明言していた。

ハワードは後にウイッカに参入したことでモンタルバンの怒りを買い絶縁しているのだが、この二人から影響を受けたハワードが独自に発展させたのが、「ルシフェリアンウィッチクラフト」という概念だ。ルシファーを闇や悪の象徴としてではなく、人類に知識と光をもたらした存在として捉えるこの解釈は、もともとモンタルバンの思想の核心にあったものだ。モンタルバンは魔女ではないが、ハワードはそれをコクレン的な魔女の世界観——土地や祖先との繋がり、カインとトゥバルカインの神話的系譜——と結びつけ、2000年代以降の著作を通じて広く知らしめた。

こうした流れを経て、現代の伝統派ウィッチクラフトにはルシファーを中心に据えたグノーシス的神話的世界観も存在している。

伝統ウィッチクラフトにおいて、ウィッチクラフトはしばしば「天から地上にもたらされた禁じられた知」として語られる。旧約聖書外典やエノク書に登場する見張りの天使たちは、人間の娘たちと交わり、魔術、薬草学、占星術、鍛冶や製鉄といった技術を人間に授けたとされる。その中心にいる存在がアザゼルであり、しばしばルシファー(註:1)と重ねて理解される。

ここで重要なのは、「悪魔」の解釈がキリスト教的なそれとは大きく異なる点である。魔女たちにとって、ルシファーとは堕落の象徴ではなく、「光をもたらす者」である。すなわち、人間を無知の闇から知の光へと導いた存在である。

この構図は、ギリシア神話においてプロメテウスが神々から火を盗み人類に与えた物語と響き合う。またチャールズ・リーランドの『アラディア、あるいは魔女の福音』では、ルシファーは月の女神ディアナの兄弟として描かれる。ディアナがルシファーに恋をし、猫の姿に変身してルシファーの寝床に忍び込み、交わった。そうして生まれた娘がアラディアである。彼女はディアナによって地上に遣わされ、抑圧された貧しい人々にウィッチクラフトを授けるため、地上へ遣わされる。

この物語において、ウィッチクラフトとは、支配に抗うための知であり、禁じられた技術であり、同時に文明そのものを成立させた原初的な技術でもある。

伝統派ウィッチクラフトの文脈では、カインの存在もまた重要な位置を占める。旧約聖書においてカインは最初の殺人者であり、神の秩序から逸脱した存在である。しかし同時に彼は、鍛冶と文明の系譜へと連なる祖でもある。彼の子孫であるトゥバルカインは鍛冶師であり、技術と変容の象徴的存在として位置づけられる。

この系譜には、堕天使の子であるネフィリム、リリス、ナアマなどが連なり、「魔女の血」とも呼ばれる神話的想像力の系譜が形成されている。そこではウィッチクラフトとは、人間の欲望と知性をこの世界に具現化する力であり、可能性を現実へと引き出す「産婆術」にも喩えられる。

実際、歴史的に民間の治療者たちは出産と中絶の双方に関わる存在であり、生と死の境界に立つ者たちだった。ウィッチクラフトもまた同様に、創造と破壊、光と闇、生と死のあいだに位置する実践である。それは本質的に曖昧であり、危険を孕み、矛盾を内包する。その境界にあえて身を置くこと——そこに魔術の核心がある。

こうした知は、本来「禁じられたもの」とされてきた。天の秩序に反して人間にもたらされたがゆえに、恐れられ、排除の対象となった。教会はこの知を悪魔的なものとして再定義し、抑圧しようとした。

しかしここには逆説がある。

伝統派の魔女であるジェマ・ゲリーの言葉を引くケルデンは、次のような示唆的な視点を提示している。教会は異教の神々を悪魔として再定義することで、それらを否定しようとした。しかしその行為こそが、結果的に古き神々の力や解放の象徴を「悪魔」という形で保存し、魔女たちの手に返すことになったのではないか、というのである。

つまり「悪魔」とは、単なる否定の対象ではなく、抑圧された力が凝縮された象徴でもある。

ケルデン自身は、悪魔とのワークを実践することを公言しているクィアの魔女であり、この領域における伝統派ウイッチクラフトの新世代の潮流を体現する存在でもある。彼のような実践者たちは、悪魔を拒絶してきた従来のウイッカ的立場とは異なり、それを再解釈し、再接続する試みを行っている。

こうした伝統派ウィッチクラフトの新しい動きは、民俗学や神話学の知見と結びつきながら、より暗く、より複雑で、より根源的な魔術観を提示している。

それは祝祭としての魔女ではなく、境界に立つ存在としての魔女であり、光だけでなく影をも引き受ける実践である。

この流れはまだ発展の途上にある。しかしその深度と射程の広さを考えれば、今後の現代魔女文化において重要な位置を占めていくことは間違いないだろう。

日本・現代・魔女

ここまで主に欧米を中心に展開してきた現代魔女文化を見てきたが、最後に日本におけるその受容と変容について見ておきたい。

現代魔女文化は依然として欧米を中心に発展してきた文化であり、私自身も北米で学び、実践を始めた。そのため、この文化の中では常にどこか周縁に立っている感覚を抱いてきた。日本に戻ってからも、その距離は容易には埋まらなかった。

それでも、日本という場所でこの実践をどのように生きることができるのかを模索するなかで、少しずつ同じ関心を持つ人々と出会うようになった。

日本における現代魔女文化の受容は、1970年代以降、主に書籍や占い文化を通じて断続的に行われてきた。しかし欧米のように実践コミュニティが広く根づくことはなく、その浸透は限定的なものにとどまっていた。

その初期の紹介者として重要なのが、神戸を拠点としたアレクサンドリア木星王である。木星王は1980年に大阪でタロット占いの館「魔女の家」を開き、のちに「魔女の家BOOKS」を立ち上げて海外の魔術書やタロット関連書籍の翻訳・出版を行った。また「スクール・オブ・ウィッカ」と呼ばれる通信講座を開設し、日本における初期の体系的なウイッカ紹介を担った存在でもある。

その後も、松尾未来、ヘイズ中村、鏡リュウジ、楠瀬啓、谷崎榴美といった実践者や研究者たちが、それぞれ異なる立場から雑誌、書籍、講座、同人誌、イベントなどを通して現代魔女文化を紹介してきた。また海外の実践者としては、カリフォルニアの魔女バベッタが雑誌やテレビに登場し、日本の読者や視聴者に一定の影響を与えている。

こうした翻訳や紹介の流れとは別に、日本独自の展開として特筆すべきなのが、1979年に創刊された少女向け占い雑誌『マイバースデイ』である。同誌は「おまじない」や占いを通して、10代の少女たちに神秘的な世界観を提示した。

とりわけ誌面で活躍したルネ・ヴァン・ダール・ワタナベは、海外文献に着想を得ながらも、日本の少女読者に向けて「白魔女」という独自のイメージを構築した。この白魔女像は、欧米のウイッカやペイガニズムをそのまま移植したものではなく、日本の少女文化的ロマンティシズムや自己啓発的要素と融合した、日本的再解釈といえる。

日本において特徴的なのは、「魔女」そのものよりも「魔法少女」や「魔女見習い」といった存在のほうが広く受容されてきた点である。テレビアニメを中心とするポップカルチャーにおいて、魔女は恐怖や異端の象徴ではなく、成長や自己実現を体現する存在として描かれてきた。

このイメージは、歴史的・宗教的背景を伴う欧米の「魔女」とは大きく異なる。その結果、日本では現代魔女という実践者像は広く社会に浸透することなく、どこかフィクションと地続きの存在として受け取られてきた側面がある。

欧米における現代魔女文化は、1950年代以降のウイッカの登場を起点に、1970年代にはフェミニズム運動、エコロジー運動、反核運動などと結びつきながら、一神教的価値観への対抗文化として発展してきた。しかし日本に輸入される過程では、こうした政治的・思想的背景は前景化されにくく、むしろオカルト雑誌の文脈の中で「神秘的で怪しげな文化」(註:2)として紹介・消費される傾向があった。

そのため、日本で現代魔女文化を実践する者たちは、欧米の思想的背景と、日本における受容のあり方とのあいだにあるズレを意識せざるをえなかった。

しかし、このズレは単なる障壁ではない。


むしろ、それは次の段階への入口でもある。

現代魔女文化は、本来その土地の風土に根ざして変容する実践である。

その土地の季節のリズムで、その土地の食べ物で、その土地の精霊たちと儀式は行われる。したがって、日本における実践は必然的にローカライズされていく。

実際、日本においてもいくつかの特徴的な実践が生まれている。在日外国人を中心とする「ミカゲ・ウィッチクラフト」は、トラディショナル・ウィッチクラフトの枠組みに神道的アニミズムを融合させた実践を行っている。クィアフレンドリーなコミュニティであり、個人と自然との関係性を重視する点も特徴的である。

一方、「ウフィカ」は「現代縄文魔女術実践集団」を標榜し、民俗学者・吉野裕子の研究や縄文時代の出土品、さらにはジャポネシア文化圏の広がりを参照しながら独自の体系を構築している。火山帯への着目や火山信仰の再解釈など、その実践は日本という土地の特性を強く反映したものとなっている。

こうした試みを理解するためには、「自然観」の違いに目を向ける必要がある。

欧米のペイガン文化や現代魔女文化は、ロマン主義的自然観——すなわち「母なる大地」との接続や自然との調和——と深く結びついてきた。一神教は砂漠で生まれた宗教であり、砂漠は私たちに厳しく、恵みをもたらすものではないため、そもそも一神教世界の自然観は全く普遍的なものではない。それに対抗する文化を編み出しているのが欧米のペイガンや魔女たちである。それは自然をコントロールしてきた西洋近代社会の価値観への対抗としての意味も持っていた。

しかし日本において自然は、しばしば「調和すべき対象」ではなく、「畏れ、折り合いをつける存在」である。大地は揺れ、地震、火山、台風といった災害とともに生きる環境のなかで、人々は自然と共存するための感覚を培ってきた。

さらに、日本ではアニミズム的世界観が文化の基層として共有されている。キリスト教的な一神教とは異なり、神や霊的存在はすでに日常の中に遍在している。そのため、「カウンターカルチャーとしての魔女文化」という枠組み自体が、日本では異なる意味を帯びることになる。

日本はアニミズムや多神教、季節の祭りなど、ペイガン的世界観にそもそも親和性の高い文化圏だ。欧米の魔女たちは日本のスタジオジブリ作品を愛してやまない。しかし、日本の文化的土壌では現代魔女文化は欧米のような単純なカウンターカルチャーにはならず、すんなり受け入れられるわけではない。神道は天皇制・国家主義と結びつき、女性を「穢れ」として儀式の空間から排除してきた歴史を持ち、司祭職は男性が占める。巫女は霊的な媒介者ではあっても、魔女とは異なる存在だ。さらに、最高神は女神、天照大神である。そしてこのアニミズムと権力の奇妙な同居が、日本における魔女文化の受容を一筋縄ではいかないユニークなものにしている。

興味深いのは、日本においてはアニミズムがすでにマジョリティであるにもかかわらず、日本に住む現代魔女たちがさらに周縁的な民俗要素や異文化的象徴に関心を向けている点である。七福神のようなヒンドゥー的起源を持つ神々や、稲荷、鬼、山姥、縄文文化への関心が、現代魔女術の文脈で再解釈されている。

また、比較神話学の視点からは、ディオニュソスとシヴァの類似性が指摘されるように、異なる文化圏の象徴が交差する領域も存在する。縄文の土偶への関心についても、マリヤ・ギンブタスの影響を受けた欧米の女神文化との共鳴を考えれば、自然な流れともいえる。

さらに、ヨーロッパのハッグと日本の山姥の類似性、妖精と妖怪など、比較可能なモチーフは数多く存在する。本書では十分に扱うことはできなかったが、現代魔女術という視点から日本の民俗学を見直すことで、新たな理解が開かれるだろう。

自然観は、その土地の歴史や環境と切り離すことができない。そして魔女術もまた、その例外ではない。欧米の現代魔女術の儀式ではパンやワインが供物として用いられるが、それは小麦とブドウの文化圏に根ざした実践だからだ。もし日本でこれを行うなら、米や餅、日本酒がその役割を担うことになるだろう。植生や気候が異なれば、季節の祭りであるサバトもおのずと別の形をとるはずだ。儀式とは本来、自分の足が触れている土地から立ち上がるものである。その場所の風土、その場所の食べ物、その場所の精霊たちとともに編まれてこそ、生きた実践になる。欧米で生まれた形式をそのまま輸入するのではなく、現代魔女術のエッセンスを大切にしながらも、自分が立っている土地に合った儀式のあり方を考えること——それこそが、今日の現代魔女術の精神にかなった態度ではないだろうか。

日本において、アニミズム、民間伝承、妖怪といった豊かな世界観とどのように接続しながら、欧米由来の現代魔女術が再構成されていくのか。その問いそのものが、これからの日本における現代魔女の実践の核心となっていくだろう。

広がる現代魔女文化

2010年代以降、現代魔女文化には大きな変化が生じている。これまで可視化されにくかったクィアの実践者たちが、自らの言葉で書籍を発表し、その思想と経験を共有するようになったことである。私自身、多くを学んだのもまさに彼らからだった。

現代魔女文化は、さまざまな背景を持つ人々にとって、いまなお魅力的な「抵抗の形態」であり続けている。しかしその抵抗の歴史は、決して近年になって突然現れたものではない。現代魔女文化は1940年代後半以降、少なくとも80年近くにわたり、多くの実践者たちの試行錯誤、論争、確執を経て、極めて特異で多元的な宗教/霊性運動として形成されてきたものである。

本連載ではアクティビズムとの関係についても触れてきたが、忘れてはならないのは、現代魔女文化が何よりも芸術的実践でもあるという点である。それは神々や精霊に向けた歌とダンス、語りと儀式によって編まれる、身体的で詩的な営みである。一神教的な枠組みとは異なり、森羅万象に内在するスピリチュアリティを探求するためのオルタナティブな方法でもあった。

また現代魔女文化は、民間魔術の伝統から多くの影響を受けているため、必ずしもキリスト教と単純に対立するものではない。民間の実践者たちは歴史的にキリスト教の祈祷文を用いてきたし、カトリックそのものもまた異教的要素を多く内包している。

そのためトラディショナル・ウィッチクラフトの一部では、こうしたキリスト教的要素を積極的に取り入れる実践も見られる。たとえば12世紀の修道女であり神秘家でもあったヒルデガルト・フォン・ビンゲンは、現代の魔女たちからも関心を集めている人物の一人である。彼女は薬草学や自然哲学に関する豊富な知識を残しており、その著作は現代においても霊的実践や伝統医療の文脈で再評価されている。

現代魔女文化とキリスト教の関係は、したがって単純な対立関係では捉えきれない。元ドミニコ会司祭であるマシュー・フォックスがスターホークと協働している事例などは、その複雑な交差を示している。

こうして見てきたように、現代のペイガンや魔女たちの実践は、既存の政治的・宗教的な枠組みでは容易に分類することができない。二元的なエネルギーのバランスを重視する伝統的なアプローチもあれば、両極性そのものを問い直す流派も存在する。女神中心の実践、多神教的実践、土地の精霊との関係を重視する実践など、その形態は多岐にわたる。

さらに重要なのは、その全体像が決して完全には可視化されないという点である。現代魔女文化は、公開される情報と、閉じられたコミュニティの内部で共有される知識の両方によって構成されている。SNS上で拡散される表層と、不可視の実践領域が重なり合う、多層的な構造を持っているのである。

しかし、この多様性のなかにも、一つの共通する核がある。

それは、土地の神々や精霊とともに働き、大地に根ざしたスピリチュアリティを実践するという姿勢である。

この姿勢の背後には、現代社会において人間の生活が大地から切り離されている、あるいは私たち自身がこの惑星を傷つけているという実践者たちの強い危機感がある。気候危機や環境破壊が進むなかで、彼らは世界との関係をどのように再構築できるのかを問い続けている。その試みは、物語や儀式を通じて、世界との関係性を編み直す行為でもある。

同時にそこには、既存の宗教制度や教義に対する根源的な違和感も存在している。組織やドグマに依存するのではなく、自らの内側から立ち上がる感覚を信頼し、実践を形作っていく。

彼らは、自分自身の内に生まれる声に耳を澄ましながら、引き裂かれつつある世界の裂け目に、小さな儀式の場を開き続けているのである。

おわりに

魔術や儀式、神話、民間伝承——それらは、私たちの歴史や文化、生活、そして人の心に、どのようなかたちで作用してきたのだろうか。

魔術は、決して科学と対立するものではない。その深遠な問いに引き寄せられるようにして、私は呪術やウイッチクラフトという領域を探り続けてきた。

しかし、その世界はあまりにも広大である。本書で記したことは、その入り口の一端にすぎない。学術的に明らかにされてきた知見と、私自身が見聞きし、体験してきた断片を、言葉で伝えうる範囲で編み直したものである。

ウィッチクラフトは、外側から安全に理解できるものではない。自らを謎の中へ投げ入れなければ、それに触れることはできない。金銭と引き換えに得られる知識でも、誰かから一方的に教わる技術でもない。

曲がりくねった道は、安全な道ではない。そこには常にリスクがある。だから私は、それを安易に勧めることはしない。

この実践が閉ざされて見えるとすれば、それは文字では伝えきれない性質を持っているからだ。多くは口伝であり、体験であり、その場に立ち会うことでしか触れられない。

魔女たちは、ノーシスと呼ばれる変性意識の中で、複数の世界をまたいで旅をする。その感覚は、どれほど言葉を尽くしても、最終的には体験によってしか理解されない。

それでも、現在は多くの書物が開かれている。もし本連載を通して興味を持ったなら、ここで触れた実践者たちの本を手に取り、いくつか読んでみるとよいだろう。

魔女たちは、地に深く根を下ろしながら、同時に軽やかに世界を渡っていく。境界を越えて生きる者たちである。

人目につかない場所で、小さなサークルが生まれては消える。まるで菌類のように、クロス・ロードが静かに開かれ、また姿を消す。風に乗って運ばれた胞子が、どこかで新たな実践を芽吹かせることもあるだろう。

魔術を、世界の裏側に潜む唯一の真理や、統一された理論として捉えようとする人々もいる。だが私は、そのような全体を説明し尽くそうとする視線に、ほとんど関心を持てない。

むしろ私にとって神秘とは、いくつもの世界が重なり合い、曖昧なまま同時に存在している、その状態そのものにある。

儀式のただなかで、ふと立ち現れる瞬間。いのちが微かに震えるように輝く、その刹那。出会い。

私が神秘と呼びたいのは、そうした一瞬である。

境界をまたぐ者として、私が愛しているのは完成された体系ではない。それはむしろ、儀式の中でかすかに瞬く出来事と、終わることのない未完成のプロセスである。

一つの真理へと収斂することなく、今ここにある無数の可能性が分岐し続けること。

その撹乱的で、混沌とした道。曲がりくねった道を歩きながら、自らもまた変容していくこと。

そのこと自体が、私にとっての魔術の魅力なのだと思う。

この本が、日本における現代魔女文化の、ひとつの菌床となることを願っている。

(『現代魔女』は今回が最終回です。本連載は大幅な加筆修正をおこなったうえで、集英社新書より刊行予定です)

註)

註:1 天使と魔女

ウィッチクラフトの世界ではルシファーは反抗や知恵のシンボルであるだけでなく、恋に落ちた天使としても解釈される。この本ではウイッカやペイガン魔女を中心に話を進めたが、実際のところ現代の魔女の実践者の中には四方位に天使を召喚する者も存在する。1950年代から広まった現代魔女運動はこれまで述べてきたようにキリスト教に傷ついた多くの人々によって現代魔女文化はカウンターカルチャー、オルタナティブな霊性運動として発展してきた歴史がある。しかし、より古い形のウィッチクラフトはキリスト教神秘主義、異教的民間伝承、アラビア占星術、中東の魔術伝統、ユダヤ教のグリモワール伝統などが混在しており、より複雑なものであったと考える伝統派の魔女たちもいる。現代のウィッチクラフトは決して純粋なものではなく、全体像を知ることは非常に困難で常に混沌としてあらゆる地域の魔術が混ざりあっているのだ。故に伝統派ウイッチクラフトを実践する人ほど、キリスト教の祈祷文や天使などの要素を実践に抵抗なく加えるケースがあり、彼らはペイガンではない。彼らが影響を受ける民俗学や民間の魔術の伝統の多くがキリスト教と混ざっている。この観点から見れば、むしろ20世紀の現代魔女術が意図的にキリスト教を排除しているとも考えられる。これは文献によって確認ができない話だが、私がアメリカの魔女から聞いた興味深い話がある。著名な魔女であるスチワート・ファーラーがあるペイガンのイベントに出た際に公の場所で非常に示唆に富む話題を提供した。ドリーン・ヴァリアンテの死後、部屋に多くの本があったが、彼女のベッドの端に古いバーションの初期の影の書があったという。その初期のバージョンの影の書にはキリスト教の要素がとても多く含まれていたというのだ。

註:2 「神秘的で怪しげな文化」

日本で現代魔女文化を実践する者たちは、欧米の思想的背景と、日本における受容のあり方とのあいだにあるズレを意識せざるをえなかった。そのため、欧米の思想的背景を踏まえつつ現代魔女文化を真摯に紹介しようとした日本の実践者たちにとっては、自らの実践や思想がセンセーショナルに消費される状況に対して、複雑な思いを抱く場面もあったと推測される。とはいえ、ヌードと怪しさを前面に押し出した魔女のイメージは欧米でもアレクサンダー派がとった戦略でもあった。メディアに対するセンセーショナルな露出や、どこか作り物めいた怪しげな演出は、現代魔女文化における挑発的でハイキャンプ的な表現戦略の一部でもあったともいえる。これらの過剰な演出は、人々にあたかも異世界を垣間見たかのような感覚を抱かせ、魔術の世界へとメディアを通して人々を幻惑した。

(参照文献)
キャロル・クライスト、ジュディス・プラスカウ 編『女性解放とキリスト教』(奥田暁子・岩田澄江訳、新教出版社、1982年)
魔女バベッタ『魔女の秘法——白魔術と黒魔術の秘密』(佐藤有文 監修、KKワールドフォトプレス、1984年)
松尾未来『魔女を生きる』(白水社、1995年)
アイリーン・ダイアモンド、グロリア・フェマン・オレンスタイン編『世界を織りなおす――エコフェミニズムの開花』(奥田暁子・近藤和子訳、学芸書林、1994年)
スターホーク『聖魔女術 スパイラル・ダンス』(鏡リュウジ・北川達夫訳、秋端勉監修、国書刊行会、1994年)
マリアン・グリーン『やさしい魔女 宝瓶宮時代の魔法修業』(ヘイズ中村訳、秋端 勉 監修、国書刊行会、1994年)
ドリーン・ヴァリアンテ『魔女の聖典』(秋端勉訳、国書刊行会、1995年)
レイモンド・バックランド『サクソンの魔女——樹の書』(楠瀬啓訳、国書刊行会、1995年)
マーガレット・マレー『魔女の神』(西村稔訳、人文書院、1995年)
ジル・リディントン『魔女とミサイル――イギリス女性平和運動史』(白石瑞子・清水洋子訳、新評論、1996年)
ジャネット・ファーラー+スチュワート・ファーラー『サバトの秘儀』(ヘイズ中村訳、秋端 勉 監修、国書刊行会、1997年)
マリヤ・ギンブタス『古ヨーロッパの神々』新装版(鶴岡真弓訳、言叢社、1998年)
ダナ・ハラウェイ『猿と女とサイボーグ——自然の再発明』(高橋さきの訳、青土社、2000年)
ダナ・ハラウェイ、サミュエル・ディレイニー、ジェシカ・アマンダ・サーモンスン『サイボーグ・フェミニズム 増補版』(巽孝之編、巽孝之・小谷真理訳、水声社、2001年)
マーゴット・アドラー『月神降臨』(江口之隆訳、秋端勉監修、国書刊行会、2003年)
鏡リュウジ『鏡リュウジの魔女と魔法学』(説話社、2016年)
橋迫瑞穂『占いをまとう少女たち——雑誌「マイバースデイ」とスピリチュアリティ』(青弓社、2019年)
谷崎榴美『UPHYCAの手引書 ー現代縄文巫女術の世界観ー』(UPHYCA、2020年)
まどかしとね「魔女と蜘蛛とサイボーグ」(ZOZO Fashion Tech News、2023年)
ヘイズ中村『魔女が教える幸せ魔法』(説話社、2023年)
まどかしとね「サイボーグ魔女宣言」(BCCKS、2024年)

Ronald Hutton『The Triumph of the Moon: A History of Modern Pagan Witchcraft』(Oxford University Press、1999年)
Aidan A. Kelly『Inventing Witchcraft: A Case Study in the Creation of a New Religion』(Thoth Publications、2008年)
Coleman, Kristy S. Re-riting Woman: Dianic Wicca and the Feminine Divine. AltaMira Press, 2009.
Ethan Doyle White, Wicca: History, Belief, and Community in Modern Pagan Witchcraft (Sussex Academic Press, 2015)
Ronald Hutton『The Witch: A History of Fear, from Ancient Times to the Present』(Yale University Press、2017年)
Sollee, Kristen J. Witches, Sluts, Feminists: Conjuring the Sex Positive. ThreeL Media, 2017.
Phil Hine. Acts of Magical Resistance. Twisted Trunk, 2023.​​​​​​​​​​​​​​​​
Carla Ionescu. “GODDESS TALKS: Dianic Wicca and Women’s Rites – with Fio Gede Parma. Ecstatic Witchcraft: Magic, Philosophy, & Trance in the Shamanic Craft. Crossed Crow Books, 2024.
Noël Subrina Sucese, “Selling The Spell: The Commodification of Feminist Witchcraft” PhD dissertation Loyola University Chicago, 2026

 第14回
現代魔女

フィクションの世界のなかや、古い歴史のなかにしか存在しないと思われている「魔女」。しかしその実践や精神は現代でも継承されており、私たちの生活や社会、世界の見え方を変えうる力を持っている。本連載ではアメリカ西海岸で「現代魔女術(げんだいまじょじゅつ)」を実践しはじめ、現代魔女文化を研究し、魔術の実践や儀式、執筆活動をおこなっている円香氏が、その歴史や文脈を解説する。

プロフィール

円香

まどか 

現代魔女。アーティスト。留学先のLAでスターホークの共同設立したリクレイミングの魔女達に出会い、クラフトを本格的に学びはじめる。現在はモダンウィッチクラフトの歴史や文化を日本に紹介している。未来魔女会議主宰。『文藝』『エトセトラ』『ムー』『Vogue』『WIRED』などに現代魔女に関するインタビューや記事を掲載。2023年から逆卷しとねとキメラ化し、まどかしとね名義でZINE『サイボーグ魔女宣言』を発売。笠間書院にて『Hello Witches! ! ~21世紀の魔女たちと~』を連載中。

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