続・陸戦隊と暁部隊 第3話

「兵隊さんの行李」と「船隠し」の謎1

佐田尾信作

豊後水道に通じる山口県周防灘にも軍港呉や軍都広島と深く関わる「本土決戦」への動きがあった。2025年の年の瀬に『陸戦隊と暁部隊』(集英社新書)を上梓した。その際に積み残した周防灘をめぐる幾つかの物語をお届けする。第3話では、77年ぶりに暁部隊の元見習士官の遺品と分かった、周防灘の島に眠る「兵隊さんの行李」を追いながら、長き歳月が流れてもなお、謎の多い「本土決戦」の時代に思いを馳せる。

火野葦平と光工廠

『維新の残り火・近代の原風景』(弦書房、2020年)などの著書がある中国新聞の先輩記者、山城滋から電子メールをもらったのは2022年9月のことだった。僕の新聞連載「マルレを焼いた日 少年兵たちの『本土決戦』」に関する照会だと知って驚き、しかも山城に依頼した人が山口県下松市・笠戸島生まれだと知ってさらに驚く。

 このウェブサイトの『波濤に消えた「南洲さん」』で取り上げた暁部隊の機動輸送隊補充隊は同県周南市櫛浜地区にかつて駐屯していたが、櫛浜と笠戸島は指呼の間にあって、同じ笠戸湾に面している。櫛浜の暁部隊について新たな手掛かりが得られるのではないかと思い、すぐにその人、土本誠治に「マルレの連載に関心を持っていただき、ありがとうございました。連載を今日郵送でお送りしました」「こちらからもお願いですが、徳山・下松周辺の船舶部隊(暁部隊)の遺構と思われるものをご存じでしたらぜひ、お話を聞かせてください」と電子メールを送ったのである。

 周防灘の架橋離島である笠戸島の近代は造船業と切っても切れない。現在は今治造船グループ傘下の新笠戸ドックと名乗っているが、1918年創業の笠戸島船渠(後に笠戸船渠)にさかのぼる。戦時下には軍需工場となって空襲の標的になった。

 下松市の本土側には新幹線車両の製造で知られる日立製作所笠戸事業所がある。萩出身で政友会総裁も務めた久原
くはら
房之助の久原鉱業が前身で、彼は大正の初めに「下松工業地帯ユートピア構想」を唱えた。近代化の恩恵の乏しかった笠戸湾の寒村を大改造しようとする構想だったが頓挫。危機に陥った経営を引き受けたのが義兄の鮎川義介で、現在も日産自動車などに名前が残る日産コンツェルン―満洲重工業開発の創業者となる。

 このあたりは僕の友人のノンフィクション作家堀雅昭が『鮎川義介 日産コンツェルンを作った男』(弦書房、2016年)に詳述しているが、鮎川は「満洲建国」に自らの産業ユートピアの夢を託したとされる。下松とはそう遠くない田布施町生まれの元首相岸信介も「満洲国」の革新官僚だったが、この周防灘は功罪相半ばする日本の近代化の揺籃の一つだったのだろう。

 櫛浜がある周南市の大島半島にはパラフィンワックス製造の日本精蠟徳山工場が立地する。前身は南満洲鉄道(満鉄)の子会社。「輸入に頼っていたパラフィンワックスを国産化し、貴重な外貨の節約に寄与するとともに残渣油(重油)を徳山海軍燃料廠に供給する」(同社ホームページ)という構想のもとに1929年に設立されている。満鉄が撫順炭鉱で手に入れた油母頁岩(オイルシェール)が「源泉」だったのだ。

 敗戦後は在外資産として一時GHQに接収された後、東京に本社を置く新社として現在に至る。元首相佐藤栄作の長男龍太郎が会長を務めたことがあるが、岸、佐藤の2人の元首相は言うまでもなく実の兄弟。かつて僕はこの会社を取材した時、事務所の床暖房は今もオンドルだと誰かに聞かされたことがある。

 かつての周防灘は海軍の徳山燃料廠(現在の周南市)と光工廠(現在の光市)を擁していた。徳山も光も激しい空襲を受け、とりわけ光工廠は1945年8月14日の空襲で738人の犠牲者を出し、うち軍属(従業員)と学徒が687人を占めた。女性が251人にのぼるという数字も戦時下とはいえ痛ましい。僕は徳山支局時代に光工廠の惨事を知り、忘れることのないよう努めてきた。なぜあの時期に大空襲だったのか、新鋭の光工廠の潜在能力が残ることを一切許さない思惑があったのか――。関係者が組織した光廠会は証言集『回想の譜 光海軍工廠』(光廠会、1984年)の中でこう疑問を呈している。

 この『回想の譜』には現在の北九州市若松区に生まれ、『麦と兵隊』などで知られた作家火野葦平の絶筆「虹の花びら」が再録されている。火野は1959年に光を訪れて取材し、フィクションとして書き上げた。これは元動員学徒や遺族に国の援護がない実態を憂えた女性たちが周防大島出身の衆院議員受田新吉(日本社会党、後に民社党)に訴え、受田が火野に働きかけたいきさつがあった。

 小説には「だって、右足の繃帯の先が丸いもん。でもお国のためなら、足の一本くらい、なんでもないわ」という負傷した女子学徒の言葉が出てくる。従軍作家だった火野は戦後、一転して世間の冷たい視線を浴びたが、戦時下に疑うことなく力を出し切った者たちの魂はどこにゆけばいいのか、ずっと悩んでいたに違いない。この小説を書き上げて間もなく火野は自死する。「虹の花びら」は火野の死後も動員学徒・遺族の窮状を知らしめる手づるとして広められたのである。

土本正二の自宅に眠っていた「兵隊さんの行李」。戦後77年にして持ち主の消息が分かった=2022年、山口県下松市笠戸島(写真/著者)
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プロフィール

佐田尾信作

(さたお しんさく)

1957年、島根県出雲市生まれ。ジャーナリスト。大阪市立大学文学部卒業。
広島を拠点に取材活動45年。現在は中国新聞客員編集委員、日本ペンクラブ会員、宮本常一記念館運営協議会委員。
著書に『陸戦隊と暁部隊 ヒロシマの秘史を追う』(集英社新書)
『宮本常一という世界』『風の人宮本常一』、共著に『われ、決起せず 聞書・カウラ捕虜暴動とハンセン病を生き抜いて』(いずれも、みずのわ出版)など。

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「兵隊さんの行李」と「船隠し」の謎1

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