突き止めた行李の持ち主
笠戸島に話を戻そう。電子メールのやり取りの後、療養中の土本を広島市東区温品の施設に訪ねた。広島エイト倶楽部という伝統あるアマチュア映像作家のサークルの一員であり、山城の仕事にヒントを得て作品「浜田藩家中四千人の流浪」を近年制作していた。幕末に長州藩に攻められて城を放棄した佐幕派小藩の悲劇がモチーフ。同時に笠戸島の歴史と土本家のファミリーヒストリーにも強いこだわりがあり、先の戦争に由来する二つの謎を教えてくれた。その一つが土本家に戦後ずっと眠っている行李である。
敗戦の年、土本家では「兵隊さん」が寝泊まりしていたと伝わる。詳細は分からず『下松市史』も1945年4月28日の年表に「笠戸国民学校に暁部隊駐屯」と記述しているだけだが、2014年に閉校した深浦小学校の「百十年誌」はもう少し詳しい。1944年11月から敗戦まで暁部隊が校舎を宿舎にしたと記述され、年配の初年兵が手旗信号の練習でどやされるのをよく見かけた、敵の上陸に備えて竹やりの先端を塩で磨いた、と卒業生が証言している。また暁部隊の兵隊だった安江(旧姓小池)浩という人物が「お詫びとお世話になったお礼」を述べて隊長以下総員の写真を寄せているが、残念ながら部隊の動きについては手掛かりがない。
僕はその後、笠戸島の土本家を訪ねて、家を守る元笠戸船渠社員の弟正二に行李を見せてもらい「『兵隊さん』の行李 持ち主は」と題した記事を中国新聞に出したのが2022年11月。だが取り立てて反響はなく、行李に墨書されている住所に出してみた手紙も「あて所に尋ねあたりません」と返ってきた。
行李は木製で長さ67センチ、高さ37センチ、幅44センチ。外側の2カ所に「宮崎県都城市下長飯町一八七七 田中茂」と墨書されている。土本もこれまで都城市役所に問い合わせるなどしたが、消息はつかめず、この人物や遺族が戦後訪ねてきたり手紙をよこしたりした形跡もない。加えて行李の中は空で、ほかに遺留品はない。
宮崎で新聞に出れば何か手掛かりが得られるのではないかと僕は思い立ち、業界のつてを頼って宮崎日日新聞都城支社長(当時)の湯田光に相談。日米開戦から81年の12月8日付で「持ち主どこに」と呼び掛ける記事を彼の署名入りで大きく出してもらった。「都城市 田中茂」も見出しになったせいか、翌日、姪に当たる都城市北原町の村岡ひさ子が伯父のことではないかと名乗り出たのだ。その月のうちに宮日の都城支社と土本の居室をオンラインでつなぎ、僕と土本は南国の地の田中茂の身内と初めて対面する幸運に恵まれた。
彼女の話によると、田中茂は1921年都城市生まれ。兄強は戦死し茂は次男になる。学徒出陣組とみられ、後日宮崎県に照会したところ、旧陸軍に兵籍があることが判明した。戦後は国鉄(現JR)で長く働き、鹿児島市を終の棲家にして98年に77歳で亡くなったという。「宮崎では労働組合の組合長だったそうです。近寄りがたい印象はありましたが、私の母は伯父をとても慕っていました」。
「下長飯町一八七七」は現存しないが、茂の父藤一の埋葬許可証に記述されていた1950年当時の住居表示と一致した。この時点では茂の軍歴は不明だったが、僕は「このたびは下松市笠戸島に戦後ずっと残っていた軍用行李についてお申し出頂き、改めてお礼申し上げます。田中茂さんの軍歴が戦時下の笠戸島の解明につながると期待しています」とひさ子に礼状を送り、分かっている範囲で記事をまとめる旨を伝える。続報は2023年1月9日付で「『兵隊さん』の行李 宮崎の縁者名乗り」の主見出しで掲載した。
その後、土本が東京都江東区に住む茂の子息浩太郎を紹介してもらい、彼が同年4月に父親の軍歴を取り寄せて写しを送ってくれた。それによると茂の兵種は陸軍輜重兵で最終の階級は少尉。1943年に中央大学専門部商科を卒業し、当時は関東軍が守備していた旧満洲の要衝ハイラル(現在は中国・内モンゴル自治区)で国境警備に従事した。翌年、将校・下士官の不足を補うため出陣学徒を任用する人事によって甲種幹部候補生として船舶司令部へ転属。ハイラルから釜山経由で下関に上陸し、直ちに船舶練習部幹部候補生隊(香川県豊浜町、現在は観音寺市)に分遣された。さらに見習士官として44年11月には海上駆逐隊補充隊に転属し、本人の履歴によると、一時、野戦船舶本廠にも勤務している。輜重兵が船舶兵に転じた一例だろう。
この海上駆逐隊補充隊は櫛浜に駐屯し、機動輸送隊補充隊と隣接していた。船舶特幹二期生の記録『紅の血は燃えて』(前出)によると、本来は20ミリ機関砲や爆雷などを装備した海上駆逐艇(通称カロ艇)を擁して敵潜水艦を攻撃し、友軍の輸送船団などを防衛する目的で1943年に創設された部隊。だが、転属してきた二期生の中でカロ艇を見た者はなく、海上駆逐隊本来の教育を受けないまま他の部隊に転属する者が多かったという。
また『陸戦隊と暁部隊』第七章の繰り返しになるが、野戦船舶本廠は広島湾の金輪島にあった陸軍舟艇の工場で日清戦争以来、この島で拡充されてきた。軍機のベールに包まれて詳細は分からない。原爆投下後は本土から瀕死の罹災者約500人が運ばれてきた島でもある。

プロフィール

(さたお しんさく)
1957年、島根県出雲市生まれ。ジャーナリスト。大阪市立大学文学部卒業。
広島を拠点に取材活動45年。現在は中国新聞客員編集委員、日本ペンクラブ会員、宮本常一記念館運営協議会委員。
著書に『陸戦隊と暁部隊 ヒロシマの秘史を追う』(集英社新書)
『宮本常一という世界』『風の人宮本常一』、共著に『われ、決起せず 聞書・カウラ捕虜暴動とハンセン病を生き抜いて』(いずれも、みずのわ出版)など。
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