敗戦から2年後の1947年、北海道の荒海で一人の元陸軍中尉が死んだ。無謀な戦争がやっと終わったというのに……。彼が戦時中に所属していた「機動輸送隊補充隊」は広島・宇品を拠点とした陸軍船舶部隊(暁部隊)の一つだった。
僕は『陸戦隊と暁部隊』のモチーフとなった中国新聞連載で、この暁部隊による水上特攻をめぐる証言を追った。その取材から11年後の2022年、一通のメールが届く。
送り主は、この元陸軍中尉、志水南洲の縁戚にあたる祥介だったことから、僕と彼の共同作業が始まる。第2話では、南洲の短い生涯をさらに追う。
ニシン漁に沸いた島々
もう一つ、祥介と僕が突き詰めたいことがあった。それは「焼尻島と志水家」である。2018年は「北海道150年」の節目だったが、志水家も明治の世に名古屋から移り住んできたという。絶海の孤島に生きた一族の歩みが南洲の生き方に影響を及ぼしているはずだと、僕たちは直感した。
焼尻島を巡るルポを探してみた。意外にも有吉佐和子が『日本の島々、昔と今。』(岩波文庫、2009年)で取り上げていた。「離島振興の慈父」たる民俗学者宮本常一も上陸はしたが泊まっていないと知って思い立ったという。1979年の夏に対岸の羽幌町に前泊し、役場で「小説など書いている有吉佐和子という者ですが」と名乗り、『羽幌町史』を借りる。それから第一天羽丸に多くの「カニ族」*たちと一緒に乗り込み、1時間足らずで旅館の名前を掲げた十数人の島民が迎える立派な港に着いた。
僻地らしからぬたたずまいに有吉は驚き、投宿すると高名な作家だと気付いた主人が背広に着替えて挨拶に来る。「旅館の前ですか、ニシン漁をやっとりました。いや、親方じゃありません。ニシンが来ていた頃は、産卵期になると大変なものでしたが」と主人。さらに話は弾んで隣の天売島との比較になる。二つの島は何もかも違うという。
「焼尻は、都会志向型とでも言いますか、若い者は島を出て行ってしまうのが多くて、高校も今年で廃校になりました。天売の方は若い人が島に残って親の後を継ぐのが多いのです。高校もありますし、まるで違っていますから、肌合いが」
有吉は焼尻島の古老にも集まってもらい、話を聞く。うっかり長生きしてきただけだと軽口をたたく姿勢のいい人によると、かつてはニシン漁で「喰うに困らぬ天売焼尻」という唄があった、そのニシンが1954年から来なくなって今も困っているという。この古老も宿の主人のように、焼尻は若者が島外に出て帰ってこない、教育熱心が仇になって高校がなくなった、と嘆く。
有吉のルポには志水家の人の名前は出てこない。しかし、ルポから想像できることがある。志水家では要次郎が焼尻村の収入役などを務め、長男要も戦後、羽幌町と合併するまで3期12年にわたり民選の村長を務めた。いわば近代焼尻の「創業家」の一つだったようだが、南洲が陸士に進んだように子息たちは島にとどまらぬ気風が常にあったのではないか。南洲が戦後もう一度「船出」したのも志水家の総意だった可能性はあっただろう。
*「カニ族」1960年代後半から1970年代にかけて流行した若者の貧乏旅行者を指す俗称。

プロフィール

(さたお しんさく)
1957年、島根県出雲市生まれ。ジャーナリスト。大阪市立大学文学部卒業。
広島を拠点に取材活動45年。現在は中国新聞客員編集委員、日本ペンクラブ会員、宮本常一記念館運営協議会委員。
著書に『陸戦隊と暁部隊 ヒロシマの秘史を追う』(集英社新書)
『宮本常一という世界』『風の人宮本常一』、共著に『われ、決起せず 聞書・カウラ捕虜暴動とハンセン病を生き抜いて』(いずれも、みずのわ出版)など。
佐田尾信作





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