『はじめての公共訴訟 社会を動かす、私たちのツール』の共著者のひとり、丸山央里絵さんと、『バラバラな世界で共に生きる リチャード・ローティの哲学』の著者で哲学者の朱喜哲さん、そして、若い世代の政治参加を促すNPO「NO YOUTH NO JAPAN」創設者であり、立候補年齢引き下げ訴訟の原告のひとりとしても活動する能條桃子さんをゲストに迎えた刊行記念鼎談。法律と哲学という異なる分野の2冊ですが、その根底にある「より公正な社会を、私たちはどうつくっていけるのか」という共通の問いについて、それぞれの実践の現場から意見を交わしました。
構成:稲垣收 写真:伊吹早織(LEDGE)、集英社新書編集部
*本記事は、2026年6月16日にB&B(東京・下北沢)で行われたトークを編集、採録したものです。
哲学と法律が重なり合う場所

朱 今回、W刊行記念イベントということで、NHK出版新書から刊行されました『バラバラな世界で共に生きる』という本の著者の私、朱喜哲と、集英社新書の『はじめての公共訴訟』の著者のおひとりである丸山央里絵さん、そしてこの本に推薦文を寄せられた能條桃子さんの3人でお届けさせていただこうと思います。
私も能條さんと同じく、『はじめての公共訴訟』に帯文を寄せさせていただいているんですが、この2冊の本の共通点、分かるでしょうか? 『はじめての公共訴訟』の帯には「もっと公正な社会を生きたいあなたへ」とあります。こういうテーマが僕の本にも通じるものがあるかな、と。
帯の裏面にある私の帯文には「よりマシな社会をあきらめたくないすべての人へ。ここに私と公共をつなぐ回路がある」と書いています。
この本は公共訴訟という法的な話、私のほうはリチャード・ローティというアメリカの哲学者の思想や彼の考えを紹介している本なんですけど、それが実はつながっているんです。
私の本、『バラバラな世界で共に生きる』では「わかりあえない他者を、敵にしないために」と帯に書いていますが、「他者とどうやって一緒にやっていくんだろう?」ということを考えるのは、『はじめての公共訴訟』と重なるテーマだと思っているんです。なので、よかったら、ぜひ併せて読んでいただきたいな、ということで、今回のW刊行記念トークイベントになったわけです。
最初は、お互いに、それぞれの本への印象を話しましょうか。
丸山 はい。朱さんの本を読んで、その中に「『私たち』という単位を断念する必要はない、諦めない」という言葉が書かれていて、私たちの本のサブタイトルは「社会を動かす、私たちのツール」で。「私たち」を諦めないというところでつながっているな、と思いながら読んでいました。
まず、もともと公共訴訟というものは、「制度やルールを、個人の声をベースにしながら、不具合的な部分を是正していく、制度を調整していく取り組み」という意味で、まさに朱さんのおっしゃっているような正義の実践のひとつでもあるのかな、と思っています。
それと私は、CALL4(コール・フォー)という公共訴訟のプラットフォームを運営しておりまして、そこで今、90件ぐらいの公共訴訟を、広報とかクラウドファンディングの面で支える、という活動をやっているんです。そのCALL4を、ボランティア含めて40人ぐらいのメンバーで運営しているんですが、その中には法哲学者もいて、その人が「CALL4がやっていることは、ローティの実践なのでは?」と言っていたんですね。
朱 そう言っていただいたときは驚きました。
丸山 それで、CALL4はローティ的なアプローチで公共訴訟というものを言語化して人々に伝えたり、当事者の思いのストーリーを紡いだり、みたいなことをやっているから、「CALL4のイベントに、ぜひ朱さんに来てほしい」という声があって。昨年末に関西でのイベントに来ていただいて、公共訴訟と朱さんのお話の接続をしたんです。
そういう御縁もあったので、私たちが扱っている公共訴訟とか、CALL4の活動というものが、この本の中で朱さんによって位置づけられていく感覚を持って読んでおりました。
朱 ありがとうございます。
なぜ18歳で選挙に立候補できないのか
朱 能條さんも、その『はじめての公共訴訟』に帯文を寄せられていますね。
能條 はい、そうですね。私はもともと、NO YOUTH NO JAPANという、若い世代の政治参加を促進するというNPOを大学生のときに作りまして、それをやっていたり、あと、FIFTYS PROJECTという20代、30代の女性やノンバイナリー(*1)の方たちの、地方議会への立候補を呼びかけて応援する、というような活動をする団体をやっています。
私はずっと「10代、20代は選挙の投票には行けるのに、なぜ立候補はできないの?」と思っていて、「選挙に立候補できる年齢を18歳にしてほしい」ということを、国会議員に会いに行って話したりしていたんですが、なかなか変わらなかったんです。それに、政治家と話をしても、「ああ、そうか、それならしょうがないな」と納得できるような理由を話してくれる政治家には出会わなかったんです。
「あなたが選挙に出られる年齢になったら、自分が立候補して政治家になって、変えればいいじゃないの」というような回答しか返ってこなくて。「うーん、それを聞きたいわけじゃないんだけどな」とずっと思っていたんです。
そんな中、CALL4をやられている皆さんに出会って「公共訴訟という道もあるのかも」と知って、原告のひとりとして今、「立候補年齢引き下げ訴訟」という訴訟に関わらせてもらっているんです。
そうしてやっていく中で、「公共訴訟というものが、社会の中でアジェンダ化していく、本当にそういう機能を果たしているんだ」ということを、公共訴訟のパワーだったり関わっている方々の思いだったり、そういうものを、本当に体感しました。
まず弁護士の方々でいえば、弁護士の資格を取って普通にやっていたら、お金がけっこういい仕事だってあるし、稼ごうと思えば稼げると思うんですよ(笑)。それなのに、ほとんどお金にならない公共訴訟というものを自分のライフワークとして取り組んでいらして、そこに意義を感じている。「それによって開ける扉があるんだ」ということを信じてやっている人たちがいる、というのを知って、すごく心強くなった部分が、私自身にあるんです。
だからそれが、本という形になったので、「そう。そうなんだよ!」って思いながら読みました。
それから、立候補年齢引き下げ訴訟も、ずっと丸山央里絵さんがデザインだとか、ライティングとか、「どうやったらこれを、単に一部の“意識高い若者”だけの問題にしないか」ということを考えてくれて。
やっぱり自分が選挙に立候補したいと思う若者って、本当にごく一部だと思うんです。「だけどこの話自体は、実はそうじゃなくて、みんなの話なんだよ」ということをいかに伝えるかを、央里絵さんはずっと考えてやってくださっていて。
この本を読むと、そういうことが本当に伝わるんじゃないかな、と思いながら読ませてもらいましたし、多くの人に届くといいなと思いました。
それから、朱さんの『バラバラな世界で共に生きる』については、私自身、この活動を始めたのが2019年なので7年ぐらいになるんですが、最初の1、2年のときは何にも考えずに真っ直ぐ突っ走れたんです、「自分の見ている世界が全て」という感じで。でも、だんだん「いろんな考えの人たちがいるんだな」ということが分かってきて。
あとは2年前の都知事選のときに、蓮舫さんが3位で、私のまわりはみんな蓮舫さんに入れていたのに、「あ、けっこう違うな」というズレを感じ始めて、今年2月の衆院選でもこれだけ自民大勝になって……。
もちろん選挙制度の問題とかもあると思うんですけど、「世論と言われるものと自分のまわりが全然違う」ということに対して、どう考えたらいいんだろうか、と思って。
あと、リベラルというものに、自分がすごく共鳴することも多い中で、自分のあり方も含めて「何だかこのままじゃいけない気がする」と思っている中で、この本を読んで、「あっ、こういうふうに考えることもできるのか」と思って。当時の私の日記には、たくさん気になったことを書いてました。
*1 「男性」「女性」という二元的な性別に当てはまらない、または固定されないジェンダー・アイデンティティ。
朱 なんと、そんなことが?(メモを見て)おぉ、すごい……ありがとうございます。
能條 はい。だから今日はお話をお伺いできればな、と思うんですけれども。
ひとつだけ言うなら、社会運動をやっていて、自分がしんどい思いしたということがモチベーションのひとつになるけれど、「しんどいこと」と、ここの本にもある「残酷なこと」で変えなきゃいけないこと、というのは全然分けて考えるべきことで。
ここは本を読んだ人にしか伝わらないかもしれないので、そこを後で話していただければと思うんですけど。みんなが、自分の「正しさ」の通じる「クラブ」に入り込んで、「しんどさはあるけど安全な場」作りにコミットしたがらなくなってしまう。これをどうしたらいいんだろうかというのを、私が読んだ当時の感想に書いたんですけど。そういう意味では、この本を基に、一緒に活動している仲間とかとも話したいなと思う、そんな本だと思いました。
個人が原告でも、めざすのは「みんなのため」

朱 ありがとうございました。先ほど丸山さんがおっしゃっていた通り『はじめての公共訴訟』が出る前の昨年にもCALL4のイベントに呼んでいただいたり、その後、この本の共著者のおひとりである亀石倫子先生とは、朝日新聞での対談もさせていただいたりして、わりと継続的にお話をさせていただく機会がありました。
僕自身、市民というか一生活者としてCALL4は以前から知っていましたし、すごい活動だなと思ったんですよね。知らない方もいらっしゃると思うので、そこからまず話します。
CALL4というのは画期的なウェブサイトなんです。
日本における公共訴訟って、なじみがない方も多いと思うんですが、一番分かりやすいのはいわゆる公害訴訟ですね。水俣病訴訟とか四日市ぜんそく訴訟とか、大企業及びそれを後押ししている国の責任を問うた訴訟で。
よく考えてみると、「公害」ってすごいネーミングだと思うんです。「公の害を訴える訴訟」であると。
それまでは、当たり前のように暮らしていた人たちがある日突然、自分たち家族や身近な人たちに健康被害が出てきて、「これは絶対、環境がおかしいぞ」と思っても、工場排水を海に垂れ流したり、工場のばい煙で空気を汚したりしている大企業からは「因果関係を特定できません」などと言われてしまう。そして政府も社会全体も、ある意味、その企業を後押ししている中で、被害を受けた当事者たちが、「いや、これはおかしいんだ」ということを言い続けた結果、やっぱり「公害という公の害があった」ということを、訴訟を通して、司法を通じて証したというのが「公害訴訟」という「公共訴訟」でした。
それをひとつの典型として、公共、つまり行政とか地方自治体とか、広い意味では大企業も入ってくると思いますが、「個人ならざるもの」を被告に据えて「おかしい」という訴訟のことを公共訴訟と呼ぶ、というわけです。
この公共訴訟についての初めての、包括的に扱った本がこの『はじめての公共訴訟』なんです。
この本は内容的にもすばらしくて、4人の著者がいるんですけど、3人の弁護士とクリエイターの丸山さんが書かれています。ここになぜ丸山さんが入っているのか、ということを、これから掘り下げて話したいと思っています。
まず、この4人の著者の文体が皆違うのが、すごくいいですね。
能條 全然違いますよね。そこにも注目して読んでほしいです。
朱 本書を含む取り組みの全貌についても、まず触れてみたいと思います。CALL4のWebサイトでは、広く公共訴訟たりうる多様な訴訟について情報を公開・共有していて、裁判の資料が判決の全文まですべて見られるんですよね。こういったもの自体、民間はもちろん行政も含めて、今までなかったものですよね?
丸山 はい。
朱 CALL4は何年から始まったんですか?
丸山 2019年からです。実はNO YOUTH NO JAPANと一緒なんです。
能條 そう、同じタイミングで始まって。
朱 なるほど。それは、すごく象徴的かもしれないですね。
そういう形で情報発信をしながら、「みんなにとっての訴訟」ということをちゃんと共有していくという、ある種のコミュニケーションの場づくりもしつつ、情報発信もしているサイトだと思います。
長らく活動してきた中で、専門性やプレイスタイルが全然違う人たちがチームとして一緒にやってきたんだ、ということも伝わってくる本ですよね。
4人の著者がいますけれど、それぞれ文体も違うし、専門性も違う。いかにも弁護士然とした、理路整然としたアカデミックな要素もある「そもそも公共訴訟って何だろう」とか「どんな歴史があったんだろう」という井桁大介さんのパートもあれば、「はじめに」と「おわりに」を書いている谷口太規さんは、意外にもポエティックというかとても文学的な文章を書かれる。
先日、大阪で一緒にトークイベントをさせていただいた亀石倫子先生は、タトゥー訴訟のことを非常に臨場感のある文体で、「原告たちがどんな思いでやったんだろう?」ということがありありと伝わるようなドキュメンタリー的な筆致で書かれていたり。
そうした文体の違いもすごく味わえるテキストなので、そこもまた面白い本じゃないかなと思います。
司法(ジャスティス)とは「社会を調整する仕組み」である

朱 この本、私自身は自分の研究対象である哲学者リチャード・ローティの思想や、彼が依拠しているリベラリズム(自由主義)と密につながっていて、その実践という観点で、非常に大事な本だと思いながら読みました。
そのひとつは、司法は英語でjustice、ジャスティスというわけですよね。ジャスティスには「正義」という意味もありますが、日本語で「正義」と言うと「正義の味方」とか「誰々の正義」みたいに、人の考えや立場を指しがちです。
でも、元のジャスティスという言葉の使い方を整理していくと、まさに『セオリー・オブ・ジャスティス』(『正義論』)という本を20世紀を代表する政治哲学者ジョン・ロールズが書いていて、これが、今日「正義」という言葉を使うときにひとつのスタンダードになっているんです。
司法の象徴でよく、目隠しをして天秤を手に持っている女神テミスの像が使われるんですけど、それがジャスティスを擬人化した像で、はかりを持っているのは「バランスを取っている」ということ。目隠しをしているというのは、「主観を入れない」ということです。
こういう、「バランスを取る手続き」というものがジャスティス、正義なんだとロールズは説く。
それは、「属人的なもの、誰かが背負うものではなくて、公共的な調整のシステムなんだ」というのが司法のすごく大事なポイントで。
それが、とりわけ実践されてきているのがCALL4の活動を含めた、公共訴訟の営みなんだと思うんです。
その観点からも、私自身が研究してきたリベラリズムの実践編、という位置づけでこの本を読めたなと。ですから私の『バラバラな世界で共に生きる』と、ぜひ2冊セットで読んでほしい、と思うぐらいの組合せだと思います。
原告になるため、立候補届を提出した
朱 公共訴訟の大事なところは、当事者とか原告を孤独にさせない、というか「みんなでやっている」ということがすごく大きいと思うんです。
公共訴訟のポイントって、原告が自分のためにやっているかというと、そうじゃないところがある。まさに「みんなのために」やっていたり「公共のために」やっている、ということがすごく大きなところで。そこがなかなか、パッと理解されにくいような気もします。
能條さんがやっていらっしゃる「立候補年齢引き下げ訴訟」も、「あなたが立候補したいの? じゃあ、立候補可能年齢になるまで待てばいいじゃん」とか「もうちょっと力を付けてからやればいいじゃないか」というようなことを、政治家に陳情した際も言われてしまうと思うんです。
自分だけのためだったら、そういう選択肢もあるかもしれないけど、なぜ原告になるのかというと、そうじゃないところがあるからだと思うんです。
「自分のためじゃない」ということは、すごく大事なポイントだと思うので、もしよければ、その話をぜひ伺ってみたいです。
能條 日本で公共訴訟を起こすには、「何か被害を被った」という事実がないと裁判を起こせない、という決まりがあるんです。
他の国だと、違憲裁判所などがあって、個人的な被害がなくても裁判にできたりするようなんですけど、日本の場合は原告が必要ということで、私や、他の原告5人も、2023年4月の統一地方選挙のときに立候補届を出しに行って。私は神奈川県知事選に立候補届を出しに行ったんですが。6人それぞれ、「ここで立候補したい」ということで立候補届を出しに行き、それが不受理になって、それをもって、「今のこの法律はおかしいんじゃないか」ということで裁判する、という流れを踏みました。
そのことをSNSとかに「裁判をやるんだ」ということも含めて載せたり、メディアもけっこう取材に来たりしたのでニュースにもなったんですけど、そのためにけっこうなバッシングも起きたんですね。
その中には「自己中心的だ」とか、「受理されないと分かっているのに、そういうことをやって、なんで職員さんの手間を取らせるんだ?」とか、「こんなルールも守れないやつに政治家になってほしくない」などということを言われたんです。
そういうふうに、「裁判を起こします」と言うと、ただ「自分のために闘っている」とか「目立ちたいんだろう」などと思われがちで……。
でも、私は原告集めを一緒に企画するところからやらせてもらったので、まわりで「一緒に原告になりませんか?」というお誘いもしていたんですけど、そっちで起きていたことはむしろ真逆で、本当に自分が立候補しようって考えている人は、「この裁判の原告になるということ自体がリスクだ」とか、特に保守的な政党から立候補したいと考えている場合、「裁判の原告をやったことがある」ということがネガティブに働く可能性すらある、と。
なので、「本当は自分が今立候補したいから原告になりたいんだけど、やっぱりやめておく」という人がたくさんいました。
逆に今残っている6人は、もちろんみんなそれぞれ「立候補できる権利があるなら、こういうことをしたい」という思いは、それぞれあるんですけど、「本当に自分の政治家生命を背負って」というまでは思っていないから原告になることができた、という面もあったりして。
ですから、「役割として原告が必要で、原告がいないと裁判が成り立たないからこそ、原告をやっている」という面があると思いました。
朱 これはとくに大事な話だと思っていまして、公共訴訟をはじめ原告として訴訟をやるというのは、それ単体では全然コスパが合わない、大変なことなわけじゃないですか。これは弁護士にとっても同じで、とりわけ公共訴訟では稼働に見合う対価を得られるわけもないわけですから、「自分のため」だけにはできないタイプの営みだと思うんですよね。
今、能條さんがおっしゃった、原告の話もそうだし、この本の場合、いろんな例が出てくるんですけど、これを全部見ていただくとよく分かるのは、特別な権利を言い立てたり、「自分を特別扱いしてくれ」という話では全くなくて、「なんで普通に扱ってくれないの? 」ということを言っているんです。「人として普通の扱いをしてほしい」と。
たとえば自分のパートナーがたまたま同性であるというだけで、他のカップルは誰もが受理してもらえる婚姻届が受理してもらえない、とか。
それまでずっと普通に仕事をしてきて、その仕事で家族を養ったりしてきたタトゥーの彫り師さんが、ある日突然「タトゥーを彫るのは医療行為だ」と急に言われて、「医師法違反」で訴えられて、仕事ができなくなってしまったりとか。あるいは、これまでどおり普通に夜、ディスコ、クラブで踊っていると、そのクラブが「風営法違反だ」と急に言われて営業停止になったりとか。それまで当たり前にやってきて普通に成立してきたことを、急に「犯罪」扱いされることさえある。
そういうふうな理不尽な目に遭ったときに、「なんでそうなるんですか?」と抗議できるのが、公共訴訟のすごく大事なポイントで。
それは「特別扱いしてくれ」とか「わがままを通してくれ」と言うのとは全く違うことをやっているんだ、ということを広く理解してもらうためにも、この本は重要で広く読まれてほしいと思うんです。
(第2回に続く)

プロフィール

(ちゅ ひちょる)
哲学者。1985年大阪生まれ。大阪大学社会技術共創研究センター招へい准教授。博士(文学)。専門はプラグマティズム言語哲学とその思想史。著書に『人類の会話のための哲学』(よはく舎)、『〈公正(フェアネス)〉 を乗りこなす』(太郎次郎社エディタス)。2026年5月、好評を博した『100分de名著 ローティ「偶然性・アイロニー・連帯」』のテキストを大幅改稿した初の新書『バラバラな世界で共に生きる――リチャード・ローティの哲学』(NHK出版新書)を刊行。

(のうじょう ももこ)
アクティビスト・一般社団法人NO YOUTH NO JAPAN代表理事、FIFTYS PROJECT代表。1998年生まれ、2019年、デンマーク留学をきっかけに、若い世代の政治参加を促進するNO YOUTH NO JAPANを設立。2022年、政治分野のジェンダーギャップ解消を目指し、20代・30代の女性やノンバイナリー、Xジェンダーの地方議会への立候補を呼びかけ、支援するFIFTYS PROJECTを開始。現在、立候補年齢引き下げ訴訟の原告のひとりとしても活動している。共著に『NO YOUTH NO JAPAN vol.1: わたしたちの生きたい社会をつくろう U30の投票から未来をつくる』(よはく舎)等。

(まるやま おりえ)
クリエイティブディレクター・認定NPO法人CALL4共同代表。リクルート『ゼクシィ』編集長・アプリプロデューサーを経て、2018年に独立。2019年に公共訴訟支援プラットフォーム「CALL4」に参画し、2023年11月より共同代表として訴訟の背景や人々の思いと物語を届ける。公共訴訟の専門家集団「LEDGE」には創設(2023年10月)からクリエイティブディレクター兼キャンペーナーとして関わる。2026年5月、共著『はじめての公共訴訟 社会を動かす、私たちのツール』(集英社新書)を刊行。
朱喜哲×能條桃子×丸山央里絵







能條桃子×中村敏子
井田奈穂×中村敏子
星野博美
速水健朗×角由紀子