
今年1月、東京・下北沢の書店「本屋 B&B」で、批評家の佐々木敦と劇作家の岡田利規による公開対談が行われた。佐々木の新著『メイド・イン・ジャパン 日本文化を世界で売る方法』(集英社新書)の刊行を記念したもので、本の中でも海外における岡田の活動が2章に渡って詳述されている。
そこで佐々木は、日本語で書いた日本の物語を、外国語に翻訳して外国の俳優と上演するという近年の岡田の活動について、「現時点での『日本文化の海外進出』の最適解のひとつ」だと主張している。
まずは、本書を書いた動機と、岡田を取り上げた理由が佐々木の口から語られた。
構成/西中賢治
佐々木 僕は映画の批評から出発して、音楽、思想、文学といろんなジャンルについて書いてきたんですけど、自分が批評対象にしてきたもののほとんどが、実は「輸入文化」だったことに気づいたんですね。日本語ロックもそうだし、日本の現代思想もそう。
だけど「輸入文化」の時代も終わり、自国の文化がドメスティックに消費されるようになった今、逆にそれを海外に「輸出」できないかと考えて書いたのがこの本です。そしてその「輸出」のやり方の最適解が、岡田利規のやっていることだと思ってるんですね。
岡田 自分が最適解なのかどうか、自分ではわからないですけど、今の話を聞いててまず思ったのは、「演劇って果たして『輸入文化』なのか?」という問いですね。たとえば、海外の音楽をCDで聴くことと、日本で西洋の演劇を観ることは、根本的に違うような気がしていて……。ちょっとうまく言えないんですけど。
佐々木 確かに演劇の場合は、『ハムレット』やチェーホフの作品を日本人が日本語で演じて、「私はロシア人です」とか普通にやってますよね。そもそもそれって、すごく奇妙なことだと思うんですけど。
一方、かつての岡田さんは、日本語を解さない海外の観客に日本語で、それも非常に日本ローカルな内容の演劇を見せて成功しました。そして今や、日本語で戯曲を書き、それを岡田さんもわからない外国語に翻訳し、海外の劇場で海外の役者と上演している。つまりローカルを突き抜けた先に、グローバルになり得ているわけですよね。
岡田 言われてみれば、そうなのかもしれないですね。確かに僕は、海外の劇場で作品を作る機会を与えられていますからね。ただ、演劇をつくる者としての自分にとっての一番の関心ごとは、「自分のやりたい演劇を作り続けることができるか、そして作る経験を通して自分の演劇を発展させ続けられるか」ということなんですね。演劇をつくる機会を与えられるということが、自分にとっては何よりの報酬なんですよね。で、今はドイツから頻繁にそのチャンスをもらえているという。なので、僕のやり方が他の文化に接続する仕方の最適解かどうかということを、僕自身としてはよくわからないというか、それをきちんと考えたことがあるわけではないというか。自分の資質とか自分のやっている演劇の方向的に言って、ドメスティックな活動の仕方だけではやっていけないだろうなということは、だいぶ前から薄々分かっていた、とは思いますが。
冒頭で岡田が提出した「演劇って果たして『輸入文化』なのか?」という問いは、対談の後半において、鮮やかに回答が出されることになる。さしあたって、ふたりの対話は佐々木によるインタビューのような形で進んでいった。
佐々木 この本の中でも繰り返し書いてるんですけど、かつて日本人が世界に進出しようと思ったら、「ニッポン人」になるか「ガイジン」になるか、ふたつしかやり方がなかった。「ニッポン人」になるというのは、エキゾチシズムを利用して過剰に日本的なものを押し出すこと。「ガイジン」になるというのは、日本的なものを全部捨てて海外に適応し、その国の言葉で表現すること。
しかし、音楽や文学、映画の世界で「ニッポン人」にも「ガイジン」にもならず、「第三の道」を選んで成功する例が出始めている。「日本の日本性」を手放さず、しかし過剰に「日本性」を打ち出すこともなく、日本のローカル性を他のローカルと接続して表現する、というような。その好例が岡田さんだということです。
岡田 それは良く腑に落ちます。これは「輸出」の話とはレイヤーが違うかもしれないけど、そもそも僕、10代の頃から、自分の生きてる社会、つまりまあ日本の社会、に対して違和感とか距離感を抱き続けて育ってきてて、大衆的な支持を得ているポピュラーなものに心から入れ込んだこともないし、なんならそういうのを読んだり見たり聴いたりしてなかったりもするんです。そんな自分の作るものが、大衆的なものになりようがないってことはずっと思ってます。
ただ、文化って基本的には、現実との軋轢があって初めて生まれるものだと思うんですよ。社会に対して「どうなの?」っていう違和感が、むしろ多くの人の共感を呼んだりする。
佐々木 なるほど。僕は2000年代の半ばにチェルフィッチュ(岡田が主宰する演劇ユニット)の『三月の5日間』(2004年初演)という作品に出会って、決定的なインパクトを受けたんですね。この作品は、イラク戦争という大状況と、日本に生きる若者の「距離」を描いたものだと言えます。岡田さんはこの『三月の5日間』で、演劇界の芥川賞と言われる岸田國士戯曲賞を受賞しました。
普通に考えれば、そこから国内の「小劇場すごろく」をたどっていって、日本で大きくなるという道もあった。しかしそうはせずに、割とすぐにヨーロッパで活動するようになった。それはどうしてですか?
岡田 僕らは2007年に初めて『三月の5日間』でブリュッセルのフェスに呼んでもらえて(同地で開催されている「クンステン・フェスティバル・デザール」)、その後も海外の劇場から声をかけてもらえたっていう理由がまずあるんですけど。同時に、国内からも当然オファーはあったわけです。ただ、それはうまくいかなかったっていうか、自分が楽しいと思えるような企画ではなかったというか、うーん……。
これは今になって言えることですけど、まだ自分が未熟だったということだと思います。ちゃんと国内で経験を積んでいけば、そっちの方向で自分が面白いと思うことができたかもしれない。
佐々木 あくまでドメスティックに活動することもできたということですね。
岡田 はい、そうだと思います。でも、当時はそのヴィジョンを描けなかった。僕の演劇の、普通の演劇じゃなさ、の共犯者になってくれる雰囲気を国内ではじゅうぶんに感じることができなかった。小劇場すごろくに、僕はときめくことができなかった。でもブリュッセルは、僕たちの表現を受け入れてくれるという以上に、共犯者になってくれる感じがあった。
佐々木 要は、岡田さんがやっていることを受け入れられる理解の水準というものを、たまたまそのフェスはクリアしていたと。
僕がよく覚えているのは、2009年にベルリンの劇場HAUが企画した日本特集への参加です。あのときは僕も招聘されて現地でレクチャーを行ったんですが、そこでチェルフィッチュの『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』という作品が世界初演された。その成功が岡田さんのヨーロッパでのプレゼンスを増す決定的なきっかけになったと思うんですね。ああいうドメスティックな作品がヨーロッパでウケたということを、どう感じましたか?

ここで佐々木が言及している『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』は、3つの話からなるオムニバス作品だ。最初は、会社から契約を打ち切られた女性派遣社員のために、同僚が「ホットペッパー」で送別会の店を選ぶという話。次に、オフィスのクーラーの設定温度を巡って、女性社員と男性社員が延々と会話するエピソード。そして最後に、派遣切りにあった女性が長々とお別れの挨拶を述べて終わる。
「ホットペッパー」といった日本固有のメディアや、日本企業の労働環境、職場文化を下敷きにした内容ながら、本作はベルリンで絶賛された後、世界各地で上演された。
岡田 あの作品までは、自分が海外の人に見せる演劇をどうやって作っていけばいいか、すごく試行錯誤していたんですね。自分はエキゾチシズムになびくことは死んでもヤダと思っていながら、でも、じゃあどうしたらいいのか? がわからなくて、もがいてました。
そういうときに、自分なりの作り方が見つけられたのが『ホットペッパー〜』。あれが評価されたことによって、単純に「自分がやりたいことをやればいいんだ」っていうシンプルな考え方ができるようになったんですね。
と同時に、あの作品をパリやカナダやアメリカでもやらせてもらえたことで、「演劇とは何か」的な考えを自分なりに深めていけた。同じ作品を何回も、何年にもわたっていろんな場所でやってるうちに、「演劇を構成するものって半分は観客なんだな」とか、「作品がある場所と時代に置かれたときに、何が起こるかが重要なんだな」とか、そういうことがわかってきた。
佐々木 岡田さんのやり方は、海外のエキゾチシズムにもなびかないし、国内にも安住しない、二律背反的なところから導き出されたものだと思うんです。だって普通は、日本の話だったとしても場所の設定をヨーロッパにしちゃったり、その土地に合わせてローカライズすることはできるわけですよ。
それをしないのが岡田さんの極めて強固なオリジナリティだと僕は思う。それが後に、日本語で書いた日本の話を、ドイツ人がドイツ語で演じるというところまで行くわけですよね(2017年にドイツで初演された『NO THEATER』など)。
岡田 それが成立するのは、演劇だからだと思います。演劇において、フィクションの上での設定ってどうでもいいことだと思うんですね。観客にとって重要なのは、今自分がいる場所から見える舞台の上の出来事であって。それがブリュッセルの話であろうが東京の話であろうが、どうでもいいよねって僕は思ってる。
佐々木 要は、演劇の「トポス」(作品の生まれる場所)はどこか、という話ですよね。
岡田 あ、そうです、そうです。「トポス」っていうのは、演劇の場合はそれが上演される場のことだと僕は思ってるんです。だから、さっき佐々木さんがおっしゃってた、『ハムレット』を日本人が日本でやるっていうのも、別に僕はおかしいと感じないんですよ。
佐々木 確かに。考えてみたら、岡田さんが日本語で書いた日本人の物語を、他の国で違う言語と俳優でやるということは、シェイクスピアを日本人がやることと全く同じですね。
この演劇の「トポス」を巡る会話は、冒頭で岡田が提出した「演劇って果たして「輸入文化」なのか」という問いの答えになっている。歴史的には近代演劇の形式は西欧から輸入されたものだが、こと演劇においては、それが上演されてきた「今ここ」こそが作品の生まれる場所ではないかということだ。
そしてこの演劇のトポス論は、岡田が現在アーティスティック・ディレクターを務める舞台演劇祭「秋の隕石」が掲げる「文脈たちの宴」というコンセプトにもつながっていく。

岡田 ある作品で表象されるテーマや問題は、常に具体性を持ってますよね。時代や地域とか。でもそれを、上演が行われている「今ここ」と接続できないと、観客にとっては面白くないと思うんですよ。
その接続のことを僕は「文脈化」と言ってみたりしてるんです。この接続可能性は、作り手が考えるのでも、(フェスや劇場に)呼ぶ側の人間が考えるのでもいいんですけど、作品をいかに「文脈化」するかっていうことを考えるのが演劇の筋だろうと。どうやったらそれができるのかは、僕も本当にわかってないんですけど。
佐々木 実は今日話したかったのは、日本語という言語の問題なんです。岡田さんは日本で生まれ育って、日本の文化を見てきたから、日本語で日本のことを書くのは一番自然なことだと思う。だけど、日本語というマイナー言語を使うがゆえのディスアドバンテージは確実にあると思うんですよ。
岡田さんが初めて海外の劇団のために書き下ろした『ZERO COST HOUSE』(2012年初演)でも、水村美苗さんの『日本語が亡びるとき』に言及されてましたよね。『日本語が〜』は、日本語が将来使われなくなるかもしれないという危機を語った本ですが。
岡田 水村さんの本の影響は、あの時期は確かにありました。あと、字幕をどうするかとか、言葉の問題にすごく悩んでたというか、困ってた季節でしたね。でも、なんかその季節は過ぎていきました。
佐々木 そもそも日本語を外国語に翻訳したら、どう伝わるのかわからないという問題があるでしょう?
岡田 それも考えなくて済む状態になりました。ていうのも、たとえば海外で日本の俳優が日本語で演じる場合に、「セリフをとちってもどうせわからないよね」と思ったとする。無理もない話ですよね。向こうの人は日本語が音としてしか聞こえてないから。
でも、実際にやってみると、その日のセリフの良し悪しがカーテンコールの拍手の回数と明らかに比例してたんです。それはなぜなのかわからないんですけど、そのとき僕はすごくホッとしたというか、「日本語どうせわかんないでしょ」みたいに考えてちゃダメなんだということがわかったんです。
それと同じで、僕が日本語で書いたテキストを翻訳して上演する場合も、「どうせ翻訳するし」とか考えちゃダメで。とにかく自分が書く日本語のテキストの強度を一定の水準以上のものにしなければいけない。それは意味のないことじゃなく、重要なことだと思ってます。
佐々木 考えてみたら、岡田さんが海外の劇団や劇場のために書いた戯曲は、これまでほとんど日本語で上演されてないんですよね。つまり僕らは元のテキストの上演をほとんど見てないわけです。ただ、岡田さんがドイツのハノーファー州立劇場のレパートリー作品として制作した『Sliding Away』という作品が、来る8月に東京芸術劇場で『映画を撮りたいゾンビの演劇』として日本語で上演されることになりました。今後、もっとこういう機会を増やそうという気はありますか?
岡田 まず、今まで日本語でほとんど上演されてこなかったのは、僕が拒んでいたわけではなくて、物理的なスケジュールの結果なんです。でも、『映画を撮りたいゾンビの演劇』のように、海外で作ったものを日本語でやるということも、これから増やしていくかもしれません。
プロフィール

(ささき あつし)
批評家。1964年、名古屋市生まれ。音楽レーベル HEADZ 主宰。多目的スペース SCOOL 共同オーナー。映画美学校言語表現コース「ことばの学校」主任講師。文学、映画、音楽、演劇など、幅広いジャンルで批評活動を行っている。『「書くこと」の哲学 ことばの再履修』(講談社現代新書)、『ニッポンの思想 増補新版』(ちくま文庫)、『増補・決定版 ニッポンの音楽』(扶桑社文庫)など著書多数。

(おかだ としき)
演劇作家、小説家、演劇カンパニー「チェルフィッチュ」主宰。2007年に『三月の5日間』で海外進出を果たして以降、世界90都市以上で作品を上演し続けている。音楽家・美術家・ダンサー・ラッパーなど様々な分野のアーティストとの協働を積極的に行うほか、2016年からはドイツの公立劇場レパートリー作品の作・演出を継続的に務めている。2026年8月7日から東京芸術劇場で上演される『映画を撮りたいゾンビの演劇』の詳細はこちらhttps://www.geigeki.jp/performance/theater412/
佐々木敦×岡田利規








能條桃子×中村敏子
井田奈穂×中村敏子
星野博美