ワインを切り口にイタリアの風土と歴史を追う、集英社新書ヴィジュアル版の新刊『グラスの中のイタリア 教養のワイン文化史』。その刊行を記念したトークイベントを、ジュンク堂書店池袋本店にて開催しました。
台風一過の晴れ間の10月1日、着物姿で登壇されたのは著者の櫻井芙紗子さんと、法政大学名誉教授の田中優子さん。対談はイタリアワインの多様性に始まり、ワインが映し出すイタリアの人と地域の魅力、イタリアと日本の類似点やイタリアから日本が学べることなど、多岐にわたりました。
ここでは、イベントの試飲会でも提供した『グラスの中のイタリア』第1章に登場する白ワインについてのお話を抄録します。
撮影/五十嵐和博 構成/新書編集部

ワインが生まれた風景に入っていけるような仕立ての、ヴィジュアル新書
田中優子さん(以下、田中) 私、『グラスの中のイタリア』を拝読して、本当に晴れ晴れとした気持ちになる本だなっていうふうに思ったんですね。
櫻井芙紗子さん(以下、櫻井) ありがとうございます。
田中 後で現地の映像なども見せてくださるそうですが、まず、この本は写真がきれい。全部ご自身でお撮りになったんですよね? よくこれだけの写真をお撮りになれるなと思うくらいきれいな写真です。ですから、この本はワインの本ではあるんだけれども、ワインのことを学びながらイタリアの風景に入っていってしまうので、読んでいると、風景を見ながらワインを飲みたくなるっていう、そういう本ですね。

櫻井 はい、風景もそうですが、いろんな要素を見つけることができるというのがワインの魅力だと思うんですけれども、特にイタリアは地域ごとの個性が本当によくワインの中に反映されていまして、地域の数だけワインがあるといっても過言ではないくらい、多様性に満ちた世界があるんですね。ですので、その多様な中のいくつかの特筆すべきワインを厳選して、今回、1冊の本としてまとめています。
実はこの本が形になるまでに、約60名の生産者の方々にイタリア語でインタビューを行っているのですが、それをコロナのロックダウンの間にやっていたんですよ。4年くらいそれをしながら、皆様に発表する場として「イタリアワイン文化講座」というオンラインの講座を開催しました。優子さんは、その講座全30回を踏破してくださったという……。
田中 はい、踏破しました(笑)。講座では、イタリアワインってこんなに多様なのかって思うくらい、前もってワインが送られてくるんですよ。見たことがないワインばっかりでしたよね。
櫻井 今日はその講座を圧縮した短い映像もお見せしたいと思いますが、まず、私がこの本を作るにあたって優子さんからどのような影響を受けたかということを、ちょっとだけお話ししたいと思います。
今回、私の本を出していただいた「集英社新書ヴィジュアル版」というのは、新書だけれどカラー写真を豊富に収録するという非常にユニークなフォーマットになっています。その第1号が優子さんの『江戸を歩く』(写真:石山貴美子、2005年)という本で、私の『グラスの中のイタリア』は48番目です。同じシリーズの中で、またおつながりができたというのは感激で、ありがたいことだと思っています。

そして、『グラスの中のイタリア』をデザインするにあたって参考にさせていただいたのが、優子さんの『江戸百夢』(2000年、朝日新聞社)という代表作です。サントリー学芸賞も受賞されていますが、まず文章があって、その文章がとても鋭い。本当に剃刀のように。それを読ませてから、内容を体現した図版があるという、読んだ瞬間にアッと思わせるような構成の素晴らしい本なんです。私は自分の本にも何とかそういう要素を盛り込むことができないかと思いまして、まったく逆のパターンですが、まず扉絵でシンボル的なイメージを見てもらって、その後、文章でその世界観を追いかけていくということをやってみました。

郷土への誇りと愛から生まれる稀有なワイン
櫻井 さて、今日ご覧いただきますのは、この後、皆様にテイスティングしていただくワインが生まれたイスキア島の映像です。ナポリからフェリーで1時間くらいの、ナポリ湾に浮かぶ島です。講座では、アントニオ・マッツェッラというワイナリーが自社で作った映像などをお借りして、現地に行かれたことのない方にどんなところかイメージしていただけるよう工夫をしました。そのワイナリーの畑というのが、海に面した断崖の上にあるんですね。
田中 私は講座を受けていたから時々こういう映像を拝見したんですけれども、本当に土地の特徴がよく表れていますね。まず、畑まで車が入れるような道がない。で、どうするのかというと、畑で手回しの圧搾機で葡萄を搾って果汁にし、崖の下の海に浮かぶ舟までホースで送って回収する。それがそのまま醸造所のロゴマークにもなっているんですよね。ワインと土地のかかわりが深いということがよくわかります。

櫻井 こちらは兄妹でやっているワイナリーなのですが、兄のニコラさんが素晴らしいなと私が思いましたのは、自分たちがやらなければこの葡萄畑は見捨てられてしまうんだ、耕作放棄地になるしかないんだと仰るんですね。そういうある種の使命感をもってワインを造っていらっしゃる。ですから、会社が大きくなることももちろん大事にされていると思うんですが、自分たちの島をよくしていきたいという気持ちがあってワインを造っているのだということを、私はインタビューをしていて感じました。
田中 本当に、ご本で紹介されている中にはそういう土地がたくさんあって、ワインをいただいていてもすごく多様だし、さらにその多様性の向こうの葡萄の種類そのものがすごく多いですよね。フランスだとワインにする葡萄は300種くらいなのに、イタリアには1800種くらいあると。だからイタリアでは、それぞれの土地で、小さい規模だけれどもすごいものができるというのがよくわかります。
櫻井 はい、1800種というのはあくまで国のデータベースに登録されている数字でして、実際には登録されていない、広く知られていない葡萄も相当数あるといわれています。それだけイタリアの葡萄の多様性というのは大きくて、それがワインの豊かさに直結しているということなんですね。
田中 そして、こちらのワイナリーは本当に家族でやっていますね。インタビュー中にも、赤ちゃんの声が聞こえてきたり(笑)。
櫻井 赤ちゃんの声が聞こえてくるわ、宅配のピンポンが鳴ったりするわで、編集なしにはお見せできない映像なんですが(笑)。
田中 家族っていうのが単なる制度なんかじゃなく、本当にみんなで一緒に働いているんですね。それこそ土を耕すところから。葡萄の種類が多いのはわかりましたが、妹のヴェネランダさんのお話では、その畑の環境の香りがワインに入ってくると。そこからまた多様性が生まれるわけですね。
櫻井 はい。彼女も女性の葡萄栽培醸造家のひとりといえると思うんですが、やはり女性の感性は素晴らしいなと感じたポイントがいくつかありました。たとえば香りについて語るところで、彼女は自分の感性をのせて、イスキアの風景になぞらえてワインを説明することができるんです。畑の間にある灌木や柑橘類、島では5月に咲くエニシダの香りを、グラスの中のワインの香りにも見つけることができると仰るんですよ。機械的、理知的にものごとを進めていくニコラさんに対して、彼女は文学的、抒情的にワインを説明できる。うまく兄妹で棲み分けているんだなって思いますね。
田中 ワインの説明って普通に聞くとわかりにくいなと思うんだけど、色々な喩えを使ってやるんですよね。それがとてもよくわかりました。
櫻井 それと、あえてヴェネランダさんにインタビューを申し込んだ理由としては、イスキアの歴史について語ってほしいなと思ったんです。すると、「ネストルの盃」というテラコッタのカップが出てきまして、それについてもきちんと自分の考えをお話ししてくださったので、本当に助かりました。
田中 ワイン用の葡萄と一緒にギリシアから持ちこまれたっていうお話でしたよね?
櫻井 はい、盃の側面には古代ギリシアのアルファベットが刻まれていて、その記録としては最古のものともいわれています。実はこのことが、優子さんのイシス編集学校も構成に携わっている『情報の歴史21』という本の中に書かれていて、私はびっくりしたんですよ。
田中 はい、これのことです。

櫻井 もしかしてその盃のことを知っているのは日本で私だけなんじゃないかなんて思っていたんですけど、松岡正剛さんはご存じでした(笑)。イスキア島はギリシア人がイタリアで最初に拠点とした地といわれていまして、イタリアワインの歴史の中でも非常に重要なので、私の本の第1章はこの島から始めたいと思っていました。
田中 盃は紀元前8世紀ですから、イスキアのワインの伝統はとても古いんですね。しかもイタリアのワインそのものは6000年前からあるというんでしょう? 日本は縄文時代ですよね。もちろん紀元前8世紀もまだ縄文時代ですけど。
櫻井 どこでワインが始まったのかということを突き止めるのはものすごく大変なんですけれども、イタリアの人たちはそれを非常に一生懸命にやっているんです。ネストルの盃のようなものを自分たちの地域から見出して、それを自分たちの生産するワインにうまく投影していくんです。

櫻井 今、モニターに映っているのはイスキア島にあるアラゴン城ですが、これが「ヴィーニャ・デル・ルーメ」のラベルに描かれています。この城はスペインのアラゴン家とゆかりがあるのですが、16世紀に城主だったヴィットリア・コロンナという女性はミケランジェロと友人だったと。
田中 その彼女の肖像を、ミケランジェロが描いている……。
櫻井 そうなんです。そういう意味で、イスキアというのは決して離れ小島ではなく、非常に文化度の高い歴史が重層している場所なんですね。それをうまくワインのイメージにつなげたいということで、アラゴン城の入ったラベルをデザインしています。
「ヴィーニャ・デル・ルーメ」自体は「光り輝く葡萄畑」という意味なんですけど、海面から切り立った断崖の上の段々畑で、葡萄が栽培されています。収穫した房の葡萄を持って急斜面を上がるのは非常に困難なので、畑で葡萄を搾って、海で待っている舟にホースで果汁を送るというやり方を、ニコラさんの代から始めました。
田中 その果汁を醸造所へ運んで発酵させるわけですね。
櫻井 そうなんです。新しく拓いた畑では、葡萄を房のまま運べるように道も一緒に作ったとニコラさんは仰っていました。つまり、彼らもわざわざ手間をかけたいわけではなく、そうせざるを得ない状況の中で最善の方法を選んでいるということです。そういったある種の現場主義、合理性というものがイタリア人の面白いところだなと私は思うんですよ。
田中 そして、そういう現場がもう、本当にあちこちにある。「コムーネ」といわれる小さな共同体の単位でもそうですし、その中にまたいくつもの家族がいて。

櫻井 はい。皆さん負けず嫌いなので、たとえばイスキア島の中でも、いくつもの家族経営のワイナリーが互いに競争してしのぎを削って、あそこには負けたくないみたいな気持ちで、よりよいものを造ろうとしている。そういう原動力がどの地域にもあるのが、イタリアワインの、イタリアのひとつの特徴なのかなと思います。
今回、私は、単なる液体としてのワインについてではなく、液体の背後にあるものを皆さんと分かち合いたいなと思ってこの本を書きました。ワインを通してイタリアを知る、イタリア人のものの考え方を知る。そういうことをこの本によって多くの人にお伝えできたらと願っています。
◆トークイベントの全容は、「丸善ジュンク堂オンラインイベント」のアーカイブにて2026年10月23日まで有料配信中です。
https://onlineservice.maruzenjunkudo.co.jp/products/j70019-261001
プロフィール

櫻井芙紗子(さくらい ふさこ)
ジャーナリスト。2001年、法政大学社会学部卒業(環境社会学)。イタリア語で現地取材・撮影・編集を行うスタイルを貫く。2019年より『イタリアワイン文化講座(ACCVI)』を企画・運営。2023年、駐日イタリア大使館(東京・三田)にて、イタリアと日本の相互理解に寄与したジャーナリストに贈られる「ウンベルト・アニェッリ賞」を、ローマの伊日財団(Fondazione Italia Giappone)より受賞。
田中優子(たなか ゆうこ)
法政大学名誉教授・元総長、イシス編集学校学長。法政大学社会学部教授、同大学総長などを経て、同大学名誉教授、同大学江戸東京研究センター特任教授。専門は日本近世文学、江戸文化、アジア比較文化。主な著作に『不確かな時代の「編集稽古」入門』(朝日新書)、『遊廓と日本人』(講談社現代新書)、『苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神 』(集英社新書)、『江戸の想像力』(ちくま学芸文庫)等、共著に『江戸から見直す民主主義』(現代書館)等多数。
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