対談

「新しい戦前」をきちんと理解するために今、大江を読む

『大江健三郎を読む』刊行記念対談 前編
成田龍一×長瀬海

2026年9月9日、朝日カルチャーセンター新宿校で『大江健三郎を読む』出版記念イベントが開催された。本書は、もともと〝朝カル〟で2024年に行われていた小森陽一さんと成田龍一さんの対談講義をベースに作られた。ということで「小森陽一×成田龍一+司会・長瀬海」という形での〝凱旋イベント〟を予定していたのだが、残念ながら当日は小森さんが体調不良のため欠席。そこで急遽、成田×長瀬対談での開催となった。
前編の今回は、「今この時代に大江健三郎を読み直そうと思ったきっかけ」と「今年発見された未発表小説」について語っていく。

取材・構成:集英社新書編集部  撮影:五十嵐和博

なぜ大江を読み直そうと思ったのか

成田 小森陽一さんとの対談『大江健三郎を読む』が、今年の8月7日、集英社新書として刊行されました。朝日カルチャーセンター新宿校で2024年1月から1年間行った連続講義をもとにした本です。講義のあと、まずは『すばる』2024年4月号から連載となりました。構成はライター・書評家の長瀬海さんの手に拠っています。対談による講義というライブを、長瀬さんが活字として再構成してくださったということです。

 今日は本書をめぐり、その功労者である長瀬さんと「なぜ今、大江健三郎なのか?」をテーマに議論したいと思います。

長瀬 よろしくお願いします。じつは僕自身、大江健三郎の小説に対しては苦手意識を持ってたんです。せっかくだから勉強するつもりで、対談の構成をお引き受けしました。難解な大江の作品を初期から順番に読み解くお二人の講義についていけるか心配だったのですが、拝聴したところ、まったく難しさを感じさせない軽妙なやりとりが交わされていて、驚きました。

 であるならば、お二人の掛けあいがもつ漫才のような雰囲気をいかそう。そう考え、なるべく笑いやおかしさを漂わせることを意識しながら構成しました。お二人の軽い語り口をとおして、重々しいとみなされがちな大江の作品に読者が出会い直せるように、と。

成田 のっけから、舞台裏があかされました(笑)。大江健三郎さんの小説に「おかしな二人組」がたびたび出てきて、小森さんと私もそのことを意識していましたが、長瀬さんもまた、それと重ねあわせるように、私と小森さんの関係を捉えてくださったのですね。

長瀬 そうですね(笑)。お二人の軽妙なやりとりは大江の小説に入門するのにぴったりだと思ったので。成田さんはそもそもなぜ朝カルで同講座を開こうと思われたのでしょうか?

『大江健三郎を読む』の著者・成田龍一先生(右)と構成を担当した長瀬海さん

成田 小森さんと私は2歳違いで、ほぼ同世代です。小森さんは文学研究の道を、私は歴史学の勉強をそれぞれしてきましたが、二人とも比較的早い時期から大江健三郎作品を読んできました。それほど、1950年代はじめに生まれた者にとって、大江さんは圧倒的な存在感を放つ作家だったわけです。文学者としても、批評家としても、無視できない存在でした。そのため、「大江健三郎」と言い切ることが難しく、互いの対話のなかでも「大江健三郎さん」と敬称をつけて言い表してきました。実際に大江さんにお会いする機会を得たあとはむろんのこと、学生時代からずっとそうでした。

 べったりの大江信者ではなく、それなりの距離を取りながら、しかし細大漏らさず大江作品を読むという姿勢ですが、単行本はもちろん、雑誌に書いたエッセイや新聞のインタビューなど、大江さんの発言は必ずチェックしてきました。それが、私と同世代の者たちの大江作品との付きあい方でした。

 そうした大江さんが2023年3月に亡くなりました。きっと各種のメディア、さらにはアカデミズムの世界も、大江さんを追悼する意味を込めて、多くの特集を組むだろうと私は思っていました。しかし、その想像は空振りでした。

長瀬 どこも大江健三郎論を勢揃いさせるような特集を組むことはしなかった。

成田 ええ。もちろん各文芸誌に、追悼文は掲載されました。しかし予想外に少なかった……たしかに『ユリイカ』、あるいは同人誌『群系』など、大江健三郎特集号は出ました。しかし、それくらいにとどまります。その後、私もかかわって、『社会文学』で「大江健三郎特集」を組みましたが、決して多くありません。

 私が記憶している限りで言えば、たとえば三島由紀夫が自殺したときには文芸誌の増刊号が出され、吉本隆明が亡くなったときも、吉本を論じ直そうという機運が生まれました。大江さんには、なぜそのような動きがないのか。なんとも釈然としませんでした。思い当たるのは、大江さんが取り組み、メッセージを送ってきた「戦後」自体に、何か変化が生じてきているのではないか、ということです。「戦後」が色褪せているのかもしれない。

 以前から同じようなことは多方面で言われていましたが、それを目の当たりにしたような気がしました。そんな今だからこそ、大江さんが考えてきたことをもう一度読み直す必要があるのではないかと思い、小森さんと講座を始めることにしたのでした。

「新しい戦前」に込められた意味をめぐって

長瀬 大江が時代に求められていないという危機感があったわけですね。確かにその感覚は僕にもよくわかります。僕と成田さんはふた回りほど世代が下ですが、僕と同世代で大江を熱心に読んでいる人はかなり少ないのではないかと思います。

 大学時代を思い返しても、現代文学が好きな友人たちは高橋源一郎や村上春樹こそ読んでいましたが、大江を同じような熱量でフォローしているわけではありませんでした。それは本屋の棚にも表れていますね。今や書店の文庫本コーナーに並んでいる大江の小説は少なくなってしまった。

 しかし、閉塞感の蔓延しているこんな時代だからこそ、大江の小説は必要だ。成田さんがそのような痛切な気持ちを抱えながら大江を読むという営みを取り戻そうとしていることは、対談を構成している僕にも伝わってきました。そのうえで改めてお聞きしたいのですが、今、大江健三郎を読むことにはどのような意義があると思われますか?

成田 少し迂回してお話ししてよいでしょうか。大江さんが亡くなる少し前に、「新しい戦前」という言葉がメディアで使われるようになりました。おそらく最初に言ったのは、タレントのタモリさんだったかと思います。長瀬さんが言われるように、今や多くの人々が閉塞感を抱いている現状があります。「戦後」の行き詰まりが見られています。そのような状況を言い当てる言葉として、「新しい戦前」が言われるようになったわけです。

成田龍一 (なりた りゅういち) 日本女子大学名誉教授。専門は近現代日本史。著書に『近現代日本史との対話』『増補「戦争経験」の戦後史』『戦後史入門』など。

 しかし、じつは大江健三郎さんは、もっと早くに「新しい戦前」という言葉を使っていました。大江さんが初めて用いたのは、『同時代としての戦後』(1973年)のなかでですが、そこで考えようとしていたのは、もっと複雑な問題でした。大江さんは1935年生まれですから、少年時代を戦争のもとで過ごします。10歳までは、「少国民」─―軍国少年としての教育を受けている。そして敗戦によって、打って変わって、「戦後民主主義」を学校で学ぶことになります。

 そこで目にしたのは、大人が豹変した姿でした。親も教師も、大人たちは信じられないという思いを抱えながら、しかし大江少年は「戦後」の価値観にだんだんと馴染んでいきました。彼が1973年に「新しい戦前」という言葉を用いたことの意味は、そのような流れのなかで理解されるべきだと、私は思っています。いったんは内面化し価値化していた軍国主義や戦争を、時間をかけて克服したはずのところ、それらが再び顔を出していると感じざるをえない状況。その状況に直面し、いまや中年となった大江さんは、危機が差し迫っていることを敏感に感じ取ったのでしょう。

 それからさらに50年近くが経ち、あの「新しい戦前」という言葉が、今を生きる人々の切実な感覚とともに使われ始めました。「戦後」の終焉とでも言うべき状況になり、戦争の影がちらついてきたという予感でしょう。今使われている「新しい戦前」にはそのような意味が込められているのだと思いますが、事態はいっそう複雑でしょう。

長瀬 かつて大江が「新しい戦前」と言ったときと現在では、言葉の意味あいが少し違う、と?

成田 ええ。私たちは「戦後的」な価値観にすっかり馴染んでいるでしょう。そのような「戦後的」な見方で、あたかも別種の時間のように捉える「戦前」と、大江さんのように「少国民」として戦前を生き、敗戦後に突如、民主主義の精神を重んじるという変化を経験した人間が用いる「戦前」という言葉の意味は、異なるはずです。

 後者には、「戦中」と「戦後」を生きた人間の経験がある。それを補助線とせずに「新しい戦前」という言葉を持ち出しても、事態を単純化してしまうだけではないか、ということです。逆に言えば、「戦中」・「戦後」を潜り抜けた大江健三郎さんの言葉をとおして現在の「新しい戦前」を見ると、もっと複雑に事態を理解することができると思ったわけです。

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プロフィール

成田龍一×長瀬海

成田龍一(なりた りゅういち)

日本女子大学名誉教授。専門は近現代日本史。著書に『近現代日本史との対話』『増補「戦争経験」の戦後史』『戦後史入門』など。

長瀬海(ながせ かい)

ライター・書評家。近著に『僕と「先生」』、共著に『韓国文学ガイドブック』など。

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