101歳を迎えたマハティールの思想をまとめた集英社新書『マハティール 百年の思想 イスラーム、日本、脱植民地主義への道』刊行記念対談の最終回。日本でもムスリムの墓地問題などをめぐり、イスラームとの共生が問われている。異なる宗教や文化をもつ人々と、どうすればともに生きていけるのか。中東学者の内藤正典氏と本書の編訳者の久志本裕子氏が、日本や欧米の現状を見つめながら、マハティールの言葉が今、私たちに問いかけるものを考える。
構成:村田活彦

「イスラームは怖い」という見方を超えて
――イスラーム圏というと中東をイメージしがちですが、人口が多いのは東南アジアです。マレーシアとインドネシアは経済的にもうまくいっている。「イスラームが経済発展の妨げになる」という議論は、もう成り立たないのではと思えます。
内藤 さすがにもう、そうは言わないですね。この10年ほどで急速に、そんな議論をしてもしょうがないという空気になりました。学問や教育を西洋化しないと先進的になれないかというと、まったくそんなことはないですよね。

それに、人はグローバルに移動します。欧米に渡ったムスリムのルーツを持つ人たちの科学への貢献など、無尽蔵にある。新型コロナ期に、トルコ人が皮肉で言っていました。ファイザーとワクチンを共同開発したドイツのビオンテック社は、社長もその妻の科学者も共にトルコの移民だと。当時のメルケル首相は、ドイツ人が開発したと言っていましたが。ネガティブな話題のときは「トルコ系の」「イスラーム系の」と付けるんですが、つけなかった。ヨーロッパのダブルスタンダードですね。
ですが現実にロンドン市長もニューヨーク市長もムスリムですし、ベルリンでもトルコ系の女性(こちらは左派でイスラーム色はありません)が市長になろうとしています。宗教やアイデンティティを政治と結びつけても意味がないほど、グローバル化は進んでしまったんです。
そこで気になるのは日本です。日本のイスラモフォビア(イスラーム嫌悪)に対して、マハティールのこの本が一つのポジティブなメッセージになることを期待しています。
イスラーム嫌いは、ハラールの話だとか、最近は墓の話だとか、あちこちに飛び火します。しかもネット上では議論にもならず、一方的に話が進んでいく。そういう議論がいかにばかばかしいかを、仲立ちして伝える人が必要なんです。
久志本 日本の議論で仮想敵になっているのは、「こうでなければ私たちは受け入れません」というタイプのイスラーム教徒ですよね。マハティールは、まさにそういうムスリムを批判しているんです。
内藤 そこがマハティールの慧眼です。彼は、あらゆるイスラーム教徒の味方だと言っているわけではない。
久志本 イスラーム教徒であっても、いろんな地域に行って、その土地の文化を尊重して生きることができる。それができないイスラーム教徒を、彼は批判しているんです。
内藤 コーランで禁じられている「強制」をしようとするムスリムが多い、という批判ですね。日本でもムスリムが増えるにつれて、イスラームはこれだけすばらしい宗教なんだと宣伝しようとすると、やはり今の日本社会とのあいだにズレが出てきます。それを埋める言説や書物が、特に必要だと思います。
墓地問題は「対立」でしか解決できないのか

内藤 最近、私のところに来る取材は、ムスリムの墓地の要求をどう思うか、というものが多いんです。
まず日本の場合、日本人が火葬をよしとしているのは、宗教上の理由ではありません。平地が狭く墓地の確保が難しいこと、そして誰が管理するのかという問題がある。そう考えると、公的な墓地に集団で合葬するのは合理的です。うちの両親も都立墓地の合葬を自分で申し込んでいて、私が納骨に行きましたが、確かに合理的な発想だと思います。
日本人で改宗したムスリムが、信仰に従って埋葬されるのは当然です。ただ、議論からすっぽり抜け落ちていることがある。外国から働きに来ているムスリムが亡くなったとき、ご遺体をどうやって母国に帰すかです。
ドイツやオランダ、フランスが先に取り組んだのはそちらでした。事故や病気で亡くなったら、いかにスムーズに手続きをして、故郷にご遺体を搬送するか。モスクの信徒団体などが、それをビジネスとして担っています。感染症に関する医師の証明も必要ですから、プロでないとできないんです。
日本では、その議論がまったくされていない。技能実習生などで、若くして不慮の事故で亡くなった方をどうやって帰してあげるか。それを先に議論すべきです。墓地の要求を前面に出してわざわざコンフリクトを起こすのは、イスラーム教徒の側も少し急ぎすぎだと思います。
明治時代にオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が和歌山県の串本で遭難したとき、日本は亡くなったトルコの兵士を地元で埋葬しています。土葬であったようですが、イスラームの儀礼に基づいて埋葬したかどうかはわかりません。それに対してトルコは文句などまったく言っていません。状況によって常識的に判断しているだけです。ただ、火葬にひどくおぞましい感じを抱くのは事実です。私もトルコの友人に「悪いことは言わない。俺たちは焼いたりしないから、イスラーム教徒になってトルコで死ね」と言われたことがあります(笑)。改宗を勧められたのは、後にも先にもその一度だけです。
イスラーム教徒の側の説明で、一つ間違っていると思うのが「焼いたら天国に行けない」という話です。よく出てくる話ですが、そんなことを言ったら、ガザの空爆で亡くなった子どもたちは天国に行けないというのか。そんなことはあり得ないでしょう。アッラーは、ちりになろうが何だろうが、そこから人間をよみがえらせるはずです。そうでなければ、神の絶対性が損なわれてしまう。
これは天国に行けるかどうかの話ではなくて、ご遺体を損なわれるのが非常に嫌だという気持ちから来ているものです。それなら、日本人にだって理解できることでしょう。非イスラーム教徒の側も、そこは踏まえておくべきだと思います。
久志本 この1、2年、学生から墓地のことをよく聞かれるので、先日シンガポールのお墓を見てきました。シンガポールは東京23区程度の面積しかなく、しかも熱帯ですが土葬をしているので、どうやっているのかと。とても面白かったです。
シンガポールでは宗教を問わず、埋葬地が一か所に集められています。墓地エリアはかなり大きいスペース、東京の千代田区の半分くらいの広さでしょうか。ムスリムだけでなくカトリックなども土葬ですよね。土葬の区画は分厚いコンクリートで囲われていて、においも何も出ない。埋葬から15年ほど経って分解が進んだところで骨だけを取り出し、8人で合葬するというやり方をしています。
1990年代末に政府が「これ以上は土地が足りないから、全員火葬して合葬にする」と言い出したそうです。そこで公的なイスラーム委員会が急いで議論し、各地を視察して、1年ほどでこの案を出した。今の計算では、この方法で200年はもつということです。
内藤 土葬して土に返し、そのあと骨だけ合葬する。いいじゃないですか。そういう知恵こそ学ぶべきことですね。

久志本 お金をかけてコンクリートで固めれば、水質や土壌の心配もなくなる。気分的にもいい。そういう解決策をすぐに見いだすところが、シンガポールはすごいと思いました。
内藤 イタリアなども、最近、土地が足りなくなってきたというので、後で合葬にしていますね。
イスラーム法学の先生たちも交えて議論すれば、土地がないという物理的な条件を踏まえた合理的な答えは出てくるはずです。日本の場合は、ほとんど空中戦のようなネット上の言い合い。コミュニケーション不全になっている。
そもそも今、日本人自身がお寺の墓地を維持できないと言っている時代ですよ。だからむしろ、イスラーム教徒も含めて、こういう合理的な解決法を一緒に考えていけばいい。この本を読んでいて、非常に「無理がない」という点が、日本人へのメッセージとして大事だと思います。白か黒か、イスラーム教徒かそうでないかと二分する発想を、マハティールはむしろ戒めている人ですから。
共生をめぐる、グローバルサウスと欧米の逆転

内藤 トルコには、また別の発想があります。元はオスマン帝国ですから、最初からキリスト教徒も含めていろんな人がいた。今の政権はイスラーム主義的ですが、多様性を評価しているところがあります。国民国家、ナショナリズムを持ち出して一色に染めようとするから、クルド問題や世俗主義対イスラームの問題が起きる。オスマン帝国のときの発想はそうじゃない。いろんな文明や文化、民族を包み込むところにこそ豊かさがある、と。
よく言われる例えがあります。花壇に一種類の花だけを植えるのと、いろんな花を植えて様々な色を楽しむのと、どちらが豊かだと思うか。
ところが欧米はそれを「新オスマン主義」と呼んで、帝国の復活を狙っていると非難した。今どき領土の復活など狙うはずがありません。隣近所の国、みんな仲悪いのに。
アルコールを禁止しないのも、この発想からです。かつてキリスト教徒はワインをつくり、飲んでいた。税金さえ払ってくれればそれでいい。イスラーム教徒は飲むべきではないけれど、そこは自分で考えなさい。そのほうが国家として発展する、というのが今のトルコの発想です。
久志本 マレーシアでも、理想の時代をマラッカ王国に求める言説があって、似ていて面白いですね。マラッカにはいろんな宗教の人たちがいて、その時代にこそイスラームが広まっていった。
内藤 まさにそうです。イスラーム自体、異なる宗教や文化の人たちが混ざり合うところで広まったわけでしょう。イスラーム教徒だけだったら、それ以上広がらないんだから(笑)。
久志本 そうですね。何世代もたどっていけば、今のイスラーム教徒もイスラーム教徒じゃなかったんだから、という言い方もありますね。当たり前ですけれど(笑)。
内藤 イスラーム教が広まったのは、教義が気に入って信者になった人より、交易の場でフェアな取引の合理性に納得して入っていった人のほうが多かったんじゃないかと思います。
久志本 ただ、マラッカの時代と今のあいだには植民地支配が挟まりますよね。今のマレー人、華人、インド人という民族の枠組みは、植民地期に固められたもので、それはマラッカ時代と全然違う。
内藤 それはイギリスっぽい(笑)。イギリスは統計でも何でも、全部カテゴライズして分けないと気が済まない。どちらかというと、イデオロギーで縛って一色にしたがるのはフランスの支配です。人種など関係ないと言っておいて、実際の生活では人種による差別が出てくる。
今、ドイツで極右がどんどん台頭してきていますが、極右が強いのは旧東ドイツ側です。ところが非常にたちが悪いのは、西ドイツ側の人たちがそれを「旧東側が啓蒙されていなかった」という意味に、つまり自分たちの優位を確認するために使っているところがある。
現実に衝突が起きるのは旧西ドイツ側なんですね。東側には移民がいなかったんですから。メルケルが2015年に東の地域に移民や難民、特にイスラーム教徒を割り当てたわけです。そこで初めて難民キャンプ、収容施設というのが出来て、旧東ドイツ側の人たちに未知への恐怖を与えたことは確かなんです。
だけど、それまでに様々な暴行事件や襲撃事件が起きているのは多くが旧西ドイツ側、半世紀以上にわたってイスラーム教徒と一緒に暮らしていた地域です。だから、西側にはAfD(極右政党「ドイツのための選択肢))のような勢力が出てこないなんて言いますが、そのまま受け取れないですね。
――なるほど。世界情勢を見るとトランプ現象といい、欧米の側が共生できてない、むしろグローバルサウスのほうが進んでいるのではと感じます。
内藤 その意味ではこの夏、決定的にトルコの姿勢が定まったなと思ったんです。トルコはNATOの加盟国です。ということはアメリカとの軍事同盟は持っている。にもかかわらずサウジアラビア、パキスタン、トルコの間でメッカ共同防衛協定を締結した。これは集団的自衛権のような条項を持っていますから、他の国が攻撃された場合に出ていける。
ただし、もう既にサウジアラビアがフーシ派に攻撃されましたが、それでトルコ軍がフーシ派を攻撃するかというと、そこはイスラーム的な対応となります。まず睨みに行くんですね。外務大臣が行って「いいか。ここで一線を越えるとこういうことになるぞ」と。あれはすごくイスラーム的なケンカの仕方、戦争の仕方です。
パキスタンは核兵器を持っています。トルコはNATO第二位の兵力を持っていて、お金はサウジが持っています。そういうものを新たなもの、オルタナティブとして作った。別にNATOから脱退したわけじゃない。しかし、トルコはイスラームじゃなきゃ駄目だというのは明確にしている。だからトランプとは口をきくけど、ネタニヤフとは口をきかないわけです。
アメリカはペルシャ湾で、何がやりたいんですかね。それに対しイランも売り言葉に買い言葉になるわけですが、そもそも仕掛けたのはアメリカですからね。そういうものから一線を画すと、今回トルコがはっきりと姿勢を示したのは非常に大きい。
もう一つ、最近のトルコで大きかったのはクルド問題です。クルドの武装組織PKKが解散を表明し、与党とクルド系政党が協議に入って、包括的な和解の法案が成立した。自分が生きているあいだにこんなことが起きるとは思いませんでした。しかもそれを主導したのは、トルコ民族主義の極右政党です。
これも実は、ものすごくイスラーム的だと思いました。19世紀に持ち込まれたナショナリズムが、結局は争いと人の命を奪うことに終わった。そのことを象徴しています。もちろん、まだ紆余曲折はあるでしょう。それでも、まともな方向に向かっているのはこちらなんです。
マハティールが日本に語りかけること
――マハティールは本書の序文で、こう書いています。
「今日の日本は、地域の大国間で高まりつつある緊張を背景に、自国の役割を模索して、内なる葛藤に直面しているように見えます」
「日本には独自の強みがあり、地域の緊張や紛争、さらには戦争の可能性を高めるような特定の陣営に与するべきではありません」
マレーシアのアンワル首相も、イスラエルを何度も非難しています。その意味では、トルコと軌を一にしていますね。
内藤 イスラエルがパレスチナにやっていることには、誰がどう見ても一片の公正さもない。ドイツなどがそこでぐずぐずしたのは、「反ユダヤ主義」と言われるのを恐れたからでしょう。ドイツの市民がみんなそうなわけではないですが。それは違うだろうと気づくのが、ヨーロッパはだいぶ遅いですよ。
マハティールもエルドアンも言っていますが、反ユダヤ主義はヨーロッパの問題なんです。そもそもそんな発想はないと言っている。
ユダヤ人を嫌ってきたのはヨーロッパのキリスト教徒ですから。もともと今のトルコの辺りでキリスト教が出来た。教えが違って袂を分かったけれど、相手を殲滅しようなんて発想はない。トルコ人と話していても、ユダヤ教徒だから嫌だという発想はまったくない。嫌なのはネタニヤフであり、シオニストだと言います。
久志本 マレーシアでも当然、ユダヤ教徒が嫌いだという言い方はしません。ただ、パレスチナ問題を世界史的に理解している人はそれほど多くなくて、もっと記号的に受け止められています。それはイスラームとユダヤ教の対立では絶対になく、イスラーム世界全体が受けている不公正が、そこに凝縮しているという感覚です。他人事ではないんですね。
――日本の義務教育では、政教分離の事情もあって宗教について十分に教えられていないように感じます。それも、宗教差別が起きる原因の一つではないでしょうか。
内藤 日本だと、社会科の中で教えるしかないですよね。
久志本 イスラームについては高校の倫理や世界史、中学と高校の地理などで扱っていますよね。
内藤 かつて高校の地理の教科書を書いていたとき、イスラーム世界の記述を増やしました。最大の部数を持つ帝国書院の『新詳地理B』を担当していて、そこがイスラームの記述を厚くすると他社も追随するんですね。それまでは通り一遍の話しかなかったので、ヨーロッパがすでに多文化化していてムスリムが暮らしていること、そこにどんな問題があるかを初めて書き込みました。
ただ、それで無用なヘイトクライムを抑えられるかというと、非常に限界を感じました。その点でも、マハティールのメッセージは大事なんです。
マハティールが言っているのは、国の独立をどう達成し、どう発展させるか。それは隣国を含めて他国と争ったり、優劣を競ったりすることではない、ということです。そこには信仰があるんです。アッラーの前に立つ自分として見れば、優位か劣位かを口にすること自体がはばかられる。
まっとうなイスラーム教徒の政治家は、その感覚を持っていると思います。オスマン帝国時代にも、民衆がスルタンに向かって「おごってはいけない、あなたの上にはアッラーがいる」と言うことができた。
今の大統領だって結局、神の前には一人の信徒にすぎないわけです。エジプト革命のとき、エルドアンは当時のムバラク大統領に退陣を迫って、こう演説しました。「人間、死んだら数メートル四方ほどの墓しかない。その墓の中に、大臣だった、大統領だったと肩書を入れてどうするつもりなのか」。それは当時、かなりエジプトの民衆の支持を得たんです。
ところが欧米のメディアは、中東の民主化運動の「アラブの春」の時にタハリール広場でTシャツにジーパンでギターを弾いている「欧米でも受け入れられそうな若者」の絵しか撮らなかった。その背後にいた、イスラーム主義のムスリム同胞団を支持する膨大な数の人たちは意図的に映さなかったし、声も拾わなかった。その後の選挙で同胞団のムルシーが勝つと、今度は手のひらを返したようにたたき始めた。この矛盾を、私はこの20年ほどずっと見てきました。西洋はどんどんどんどん悪いほうに向かっていて、どこかで気づいてくれないと困る。
日本はまだ手遅れとは言わないけど、相当手遅れに近い状態になっている。だからこそマハティールのメッセージが生きてくるんじゃないかな。説教しているんじゃないからね、この人は。

久志本 この本でマハティールが語っているイスラームは、どう読んでも穏健に見えます。でも、ひとつ注意していただきたいことがあります。これを読んで「マレーシアのイスラームは穏健だ」「マレーシアとなら仲よくなれる」という話になると、それが言いたいわけではないんだ、というところがあると思うんです。
内藤 そこが大事です。マハティールが穏健に見えるのは、ナショナリズムで切っていないからなんです。ナショナリズムで切ると、「うちのイスラームはいいけど、隣は駄目だ」という話になる。東南アジアのムスリムから「うちのはにこやかなイスラームだけど、中東のは違う」という言い方を聞いたこともありますが、もうそういう時代ではない。「東南アジアのイスラームは穏健だ」とは長らく言われてきましたが、そういう問題ではないですよね。
久志本 そう読んでしまうと、結局「イスラーム自体が怖いものだ」というロジックから抜け出せないと思うんです。よく言われる「東南アジアのイスラームは穏健でつきあいやすい」という言い方は、「イスラームは本来他の宗教と共存できない教えで、真面目にやればやるほど共存が難しくなるような宗教だけれども、そんなに真面目にやってない人なら共存できそうだ」という認識が前提になってしまいます。マハティールのイスラームの語り方についても、一見「マハティールはイスラームを緩く解釈しているから受け入れやすい」ように見えてしまう。
マハティールが強調しているのは、その逆です。イスラームを真面目にやれば、共存する方向に行く。緩くしたから共存できるのではなく、イスラームを根本から捉え直せば、それは共存できるものなんです。
イスラームは、日本語の「宗教」という言葉が指す範囲よりもずっと幅広い、文明的なものや道徳的なものをもともと含んでいます。だからこそ、イスラーム教徒のいない日本にも、イスラームを見いだすことができる。マハティールが言っているのはそういうことです。日本語の「宗教」という概念でイスラームを捉えること自体を見直してほしい。そういうメッセージとして読まれるといいなと思っています。(了)

プロフィール

(ないとう・まさのり)
1956年東京都生まれ。同志社大学大学院教授。一橋大学名誉教授。中東研究、欧州の移民社会研究。『限界の現代史』『プロパガンダ戦争』(集英社新書)、『トルコ』(岩波新書)、『となりのイスラーム』(ミシマ社)他多数。共著に三牧聖子氏との『自壊する欧米 ガザ危機が問うダブルスタンダード』(集英社新書)等。

(くしもと・ひろこ)
上智大学総合グローバル学部教授。専門は東南アジアのムスリム社会、文化人類学、比較教育学。マレーシア国際イスラーム大学専任講師を経て、2019年より上智大学。共著に『東南アジアのイスラームを知るための64章』(明石書店)等。
内藤正典×久志本裕子







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