麻布台ヒルズ、高輪ゲートシティ、渋谷サクラステージ……コロナで止まった時間が動き出すとともに、TOKYOでは「100年に1度」の「魔改造」(大再開発ラッシュ)が進行中だ。
超高層ビル=金融商品となる21世紀資本主義の中で、私たちは格差の拡大、価値観の画一化、個人への抑圧という脅威に、都市を通じてさらされている。グローバルな競争に遅れず、個人の自由を確保するというアクロバットを、TOKYOは演じることができるのか。
そのための思考と方策について、渋谷、池袋、谷根千、下北沢、丸の内など、TOKYOのシンボルエリアを踏査しながら「新しいTOKYO」のあり方を解き明かしていく。
「オオバコモデル」の優等生
2023年、新型コロナウィルス感染症の蔓延で止まった時間が再び流れ出すとともに、東京では「東京ミッドタウン八重洲」「麻布台ヒルズ」「高輪ゲートウェイシティ」「渋谷サクラステージ」と、超高層タワーを主体とした大規模再開発が、次々と姿を現すことになった。
都市は常に新陳代謝を繰り返している巨大な生命体だ。グローバル時代の今、その速度と規模は、個人の想像をはるかに超えるレベルに達している。
渋谷ハチ公前交差点で、カオスをなす群衆が不思議な秩序とともに、いっせいに動いているあの眺めは、まさに東京が持つ生命運動の一端だ。
そして今、ハチ公前に続いて、そのような都市の蠕動を想起させるスポットが、品川駅にも登場している。それは、朝夕のラッシュアワーに、スーツにマスクといういで立ちのビジネスピープルが、大河の流れのように黙々と歩き、流れていく眺め。構内を見渡せる駅ビル3階のコーヒーショップで朝食をとるインバウンド観光客やSNSユーザーたちが、その光景に驚き、「ちょっと見て!」と揶揄的なニュアンスとともに動画を拡散したことで、東京の新名所リストに加わった。
ただし、そこでお気楽な観光客に見下ろされている人々は、決して日本社会の敗者などではない。むしろ21世紀以降、品川駅前に続々と建ったピカピカの超高層オフィスに勤める「勝ち組」のホワイトカラーたちなのである。
2020年、建築家の隈研吾とともに『変われ! 東京 自由で、ゆるくて、閉じない都市』(集英社新書)を著した。この本では、1964年の東京オリンピックから56年後の節目に、「東京2020」という二度目の五輪開催機会を得た東京が、その間に蓄積した力を使い、世界をリードする豊かな都市に変わってほしい、という希望を記した。
その前提として、同書の「はじめに」で隈は、戦後の日本社会にはびこった「オオバコモデル」を痛烈に批判した。
オオバコモデルとは何か。それは、人々が「電車やバスというハコに詰め込まれて、自然を破壊して建てた郊外のハコに帰る」という“効率のよい”ライフスタイルのことだ。オオバコモデルの源流は、人類に効率の効用を示した二十世紀の強く豊かなアメリカにある。第二次世界大戦で、そのアメリカに負けた日本は、軍国主義から資本主義に宗旨替えをするやいなや、オオバコモデルの優等生として、戦後をひた走ることになった。その様相を隈は次のように記す。
オオバコシステムは、オフィス空間のみならず、都市のすべての空間のモデルとなった。教育も同じく、生徒を均質なオオバコに詰め込んで、「平等」に授業を供し、それとは矛盾する競争に駆り立てることが効率的とされた。そこで育った子どもたちは、そのまま企業というオオバコに詰め込まれ、同じように激しく競争させられて、ある年齢に達したり、「効率」が落ちてきたりすると、オオバコから放り出された。そのシステムが人間に強いる大きなストレスに対しても、効率性の名のもとに、目がつぶられ続けた。
(『変われ! 東京 自由で、ゆるくて、閉じない都市』p.13)
コロナという奇禍を得たことで、東京2020は開催が翌年にずれ、オリンピックという一大イベントに対する希望や期待以上に、税金のムダ使いという批判が、より激しく燃えさかるようになった。パンデミックで社会が停滞する中で、隈とともに同書に託した願いも、残念ながらピントがずれてしまったように思う。その痛恨は別にして、私たちはコロナ禍をもう一つの「奇貨」として、オオバコから全力で脱するべきだった。
しかし、経済の復調とともに、いよいよあらわになった新しい東京は、さらに洗練されたオオバコモデルとして、私たちの前に立ちはだかる。
ピカピカで高級になる東京
鉄、ガラス、コンクリートの組み合わせが極限まで磨かれた超高層ビルの群れ。商業施設、オフィス、ホテルの3点セットに広場や緑、レジデンスが加わって、申し分ないほどに便利で快適になった東京。
コロナ禍で人々の活動が大きく制約された時、東京の経済もそれにともなって収縮するという悲観論が広まった。ところが実際は、コロナ禍の最中から、東京の不動産には巨額のグローバル投資マネーが続々と集まっていた。
投資家にとって社会不安の要素が少ない日本は、世界有数の安全な投資先だ。中でも東京は大きな市場規模と、外国人でも不動産売買を容易に行える環境がある。そこに円安、低金利が加われば、不動産は大幅割引のバーゲンセール状態になる。しかも、そこから得られる利ザヤは巨額だ。
2020年以降、東京の商業用不動産投資額は、世界最大の不動産市場、ニューヨークを超えて1位に躍り出るようにもなった。不動産サービス大手のJLL(ジョーンズ・ラング・ラサール)の調査によると、26年上半期の日本の商業用不動産投資額は過去最高の3兆7517億円、通年では前年比10パーセント増の7兆円に達する見込みという。その右肩上がりの成長を東京が牽引している。
東京2020のオリンピック選手村を、開催後に5000戸を超える分譲マンションに転用した「晴海フラッグ」は、商業用不動産ではないものの、活況を呈した東京市場のシンボルだった。当初は交通の不便さなどから買い手が集まらず、事業破綻を予想する声が、専門家からもさかんに出ていた。しかしフタを開けてみると、初期価格の設定が低かったために、実需と投機双方の買い手が殺到し、価格は大暴騰。短期での転売が相次ぐ事態となった。前後して東京では堰を切ったようにタワーマンション建設が加速し、都心では分譲価格が200億円を超える“ウルトラ・ハイエンド”物件も登場。高級マンションの相場は数億円単位から、数十億円へと桁が変わった。
東京がピカピカで高級になる一方で、では、個人が感じる自由や開放感はどうだろう?
大型再開発に付帯する数十億円ものレジデンスはいうまでもなく、物価が安く住みやすいとされる下町エリアでも、家族向けの新築マンションの価格は一億円を超えるようになった。
東京圏の人口は就職や就学機会の一極集中で、増加の一途。そこに外国人移住者やインバウンドの旅行者も加わり、JRも地下鉄も常に混み合っている。駅では傍若無人に引きずられるキャリーバッグをよけながら、うっぷん晴らしの「ぶつかり被害」にも遭わぬよう、常に緊張を強いられるようになっている。
再開発ビルはいくら駅直結であろうとも、巨大化した分、動線が複雑で、そのラビリンスをさ迷いながら、ようやくたどり着いた時には疲労困憊。超高層階にアクセスするために、複数の中から正しいエレベーターを見つけるストレスも加わり、間違ったら一からやり直し。以前なら電車を降り、改札を出て、1分も歩けば着いていたような場所に、ぐるぐる回って10分もかかったりしている。
と、ピカピカ、ツルツルになった外面の裏で、少なくとも私にとって、東京は以前よりも不便で息苦しく、疲弊を強いる都市になってしまっているのだ。
現実論として、都市・東京が世界の経済競争に遅れずに発展していくことは大切である。そこにはシンガポール、香港、さらにニューヨーク、ロンドンを見据えたグローバルな都市間競争がある。その点で、経済活動の拠点となるハコが整備され、磨かれていくのは必定である。
しかし、それらの投資がある閾値を超えて投機となり、個人への抑圧が強まるのであれば、まったくの本末転倒である。都市は投資の舞台になろうとも、決して投機の舞台になってはいけない。投機マネーにとって、その街に住んでいる人の暮らしは視野の外にある。投機によって家賃や土地の価格が異常に高騰したら、もとからの住民は、そこには住めなくなる。親しみのある商店が並ぶ街は無個性なビルの連続に飲み込まれ、住民が築いてきたコミュニティは崩壊し、都市が本来的に持つ魅力が失われてしまう。
このように私たちは、同時代システムの板挟みにもだえ苦しむのであるが、そこから見えてくる進路はある。
社会と経済が成熟した時代の都市には、グローバルな競争に遅れず、個人の自由を確保するという、そんな相反するアクロバットを演じる力こそが求められる、ということだ。
果たして東京はそれが可能か。そのためのビジョンと方策はどのようなものになるか。本連載では、渋谷、池袋、谷根千、下北沢など、東京のシンボルエリアを踏査しながら、この大きな問いを解き明かしていきたいと思う。
「お金を生み出せる都市」vs.「快適に生活できる都市」
最初に、世界基準から見た都市・東京の現在地をつかんでみよう。
森ビルを母体とするシンクタンク「一般財団法人 森記念財団都市戦略研究所」は、2008年から毎年、「世界の都市総合ランキング(GPCI: Global Power City Index)」を発表している。その最新版(2025年12月公表)では、1位ロンドン、2位東京、3位ニューヨークから以下、パリ、シンガポール、アムステルダム、ソウル、ベルリン、ドバイ、サンフランシスコがトップテンの都市として並んでいる。
同ランキングでは、「経済」「研究・開発」「文化・交流」「居住」「環境」「交通・アクセス」という6つの分野を設けて、それぞれに評価基準を設定。国籍が異なる第一線の有識者による実行委員会の監修の下、作業委員会が具体的な分析を行って、スコア化。それらのスコアを合計することで、人や企業をひきつける都市の「総合的な磁力」を算出している。
その中で大きなウエイトを占めているのは、やはり「経済」である。実際、6分野の中で「経済」は評価対象となる項目数がもっとも多く、また、その他の「研究・開発」「文化・交流」などの項目も、最終的に経済に寄与する要素で構成されているので、結局のところ、「総合的な磁力」は「経済力」に集約していく。
同ランキングでは、2016年からロンドン、ニューヨーク、東京がトップスリーを占め続けていた。東京は長らく3位をキープしていたが、25年版ではじめてニューヨークを抜いて、世界2位となった。
点数に大きく貢献した要素は、東京の財政力だ。
2025年度の東京都予算は、一般会計で約9.16兆円、特別会計と公営企業を含めた全会計では17.8兆円と、過去最高に達している。これは日本の国家予算である122兆円(26年度)の7分の1以上。スイスやスウェーデン、フィンランドという先進国の国家予算に匹敵する金額だ。豊かな財源は、東京が持つ圧倒的な量の企業集積と、1400万人以上の人口がもたらす、法人税収と個人税収である。
このランキングで東京は土地・家屋の価格が高いという「居住」の弱点はあるものの、高い財政基盤の上に、「安全性」「公共交通網」「外食・文化交流のバラエティと厚み」を、幅広く備えた都市とされている。
対してニューヨークは、世界金融の中心地として突出した経済力を誇るものの、安全格差や物価高、とりわけ家賃の高さが、住みにくさとしてスコアの足を引っ張る。たとえば日本でいう2LDK、70平方メートル相当の家賃は、中央値で月額100万円と、東京の4倍以上。このような重い住居負担は、人の自由な活動を妨げる要因になる。
1位のロンドンもニューヨークと同じく物価が高く、家賃相場も東京をはるかに上回る。しかし、産業革命を機に18世紀から積み上げられてきたロンドンの街は、超高層タワーが林立する今の時代にあっても、壮麗な都市景観と、都市の「富」というべき重厚さを失っていない。マイナス要因を補ってあまりある文化・交流分野の奥深さと、交通アクセスの充実で、揺るぎない強さを見せるのである。
世界の都市の力を測るランキングではもう一つ、イギリスの経済誌『エコノミスト』グループの調査・分析部門である「ザ・エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)」による「世界で最も住みやすい都市ランキング(GLI:Global Liveability Index)」も、よく知られている。
GLIの2025年度版では、1位のコペンハーゲン以下、ウィーンとチューリッヒ(同率)、メルボルン、ジュネーブ、シドニー、大阪とオークランド(同率)、アデレード、バンクーバーがトップテンとなっている。いずれも経済力が高い都市ではあるものの、前出のGPCIのランキングとはだいぶ様相が違う。
GPCIとGLIのランキングを表にしたので、見比べていただきたい。実はそれぞれのトップテンは1つも重なっておらず、だいぶ違うどころか、両者はまったく異なっているのである。

ここで注目したいのは、GLIランキングでは東京がランク外になる一方で、日本第二の都市、大阪が東京を抑えてトップテンにランクインしていることだ。GPCIでは、大阪は18位であり、2つのランキングでは、東京と大阪の地位が逆転している。
GPCIでは世界都市の力として、GDPをはじめとする経済や研究開発、国際交流、交通アクセスに焦点をあてている。つまり、お金を生み出せる都市かどうか、である。
対してGLIでは、治安、医療、教育、文化・環境を評価基準の中心に据えて、生活の快適さを前面に持ってきている。
2つのランキングの差とは、すなわち「経済指標」と「住環境指標」の差である。現状では、その間にはかなりのズレがあり、経済的に豊かな都市が、必ずしも住環境にすぐれているわけではない。ということは、業務と居住という2つを、大きな矛盾なく融合させた都市こそが、21世紀の理想型になるという仮説が浮かんでくる。
その理想を実現できるのではないか、という観測が湧きあがった時期が、近い過去にはあった。そう、コロナ禍の時代である。日本では緊急事態宣言が発令された2020年4月から、新型コロナウィルスの五類感染症への移行にいたった23年5月までの、約3年がそれにあたる。
(【後編】は10月29日に公開します)

麻布台ヒルズ、高輪ゲートシティ、渋谷サクラテラス……コロナで止まった時間が動き出すとともに、TOKYOでは“100年に1度”の“魔改造”(大再開発ラッシュ)が進行中だ。 超高層ビル=金融商品となる21世紀資本主義の中で、私たちは格差の拡大、価値観の画一化、個人への抑圧という脅威に、都市を通じてさらされている。グローバルな競争に遅れず、個人の自由を確保するというアクロバットを、TOKYOは演じることができるか。 そのための思考と方策について、渋谷、池袋、谷根千、下北沢、丸の内など、TOKYOのシンボルエリアを踏査しながら解き明かしていく。 隈研吾、永山祐子など名だたる建築家からの信頼が厚く、時代の最先端にいる人物の取材を数多く行い、都市再生の研究者でもあるジャーナリストが、「新しいTOKYO」のあり方を問う。
プロフィール

ジャーナリスト・都市研究者
1960年、東京都生まれ。東京女子大学文理学部卒業。慶應義塾大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。英ケンブリッジ大学客員研究員。時代の先端を行く各界の人物インタビュー、都市開発、ライフスタイルを幅広く取材。著書に『新・都市論TOKYO』『変われ!東京 自由で、ゆるくて、閉じない都市』(いずれも隈研吾と共著、集英社新書)、『観光亡国論』(アレックス・カーと共著、中公新書ラクレ)、『書店再興 まちの本屋さんのゲームチェンジのために』(日経BP)など。
清野 由美(きよの・ゆみ)





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