高額療養費制度利用の当事者でもあるジャーナリストの西村章氏が、決して終わったわけでも解決したわけでもない、この制度の〈見直し〉問題を追う連載の第6回。
2024年末に議論が始まり、今年8月に第一弾の自己負担上限額引き上げが実施された高額療養費制度の〈見直し〉には、今も様々な異論や反論が多い。その理由は、この〈見直し〉の財政的な負担と給付がアンバランスで、そこに違和感をおぼえた人が多かったからだ。一方では、日本社会は「租税・社会保険料」への忌避感が非常に強い。この負担と給付を巡る「分断」を乗り越えるためには、我々は「財政民主主義」をどう実現させていけばよいのだろう?
高額療養費制度などのセーフティネットを社会に張り巡らせて、安定的に維持してゆくためには、当然ながらそれなりの財源が必要だ。その一方で世論調査などによれば、これらの財源を削ぐことを意味する「社会保険料負担の軽減」を訴える政党の主張や、現在国会で議論中の食料品消費税1パーセント化方針もまた、支持を集めている。社会保障の充実した給付を求めながらそのための負担は忌避するという、相矛盾したように見える世間の反応は、いったい何に由来するのだろう。そして、このような矛盾を乗り越えて「希望と責任」を分かちあう社会の連帯を実現するために、我々はどんな課題に向き合い、対処していくべきなのだろう。適正な税徴収と運用による「ベーシックサービス」の拡充を長年訴え続ける、慶應大学経済学部教授の財政社会学者、井手英策氏に話を訊いた。
財政の基本は「ニーズを満たす」こと
井手 社会保障について話を進める前に、まず一見矛盾しているように見える世論の状況についていえば、これはそもそも財政の仕組みに対する誤解や理解のなさが影響しているのだろうと思います。

生きている限り、人間には必ずニーズがありますよね。たとえば、赤ちゃんが生まれたら育児保育ニーズが必ず発生して、このニーズを満たさなければ赤ん坊は死んでしまいます。このニーズをお父さんお母さんが満たすのか、おじいちゃんおばあちゃんに頼んで面倒を見てもらうのか、それともお金を払ってベビーシッターに頼むのか、あるいは税金を払って保育施設を作るのか。つまり財政とは、自分自身や親の財産で払うのか、地域のコミュニティで満たしていくのか、あるいは税を払って社会全体で満たしていくのか、そのバリエーションの違いのことなんです。この当たり前の事実が、おそらく十分に伝わっていないのだろうと思います。社会保障も財政の一部だから、同じことなんですよ。
国民が全部自分でやりたいのであればそういう社会もあり得るだろうし、一方で、みんなが税金を払ってそのお金で賄っていくようにしたければ、そういう社会もあり得る。
だから、唯一の正解というものは実はなくて、大切なことはニーズを満たすことで、それを自己負担の自己責任でやっていく社会が望ましいのか、それとも税を払って皆が満たしあって生きていく社会がいいのか。問題はその選択の違い、ということです。
――井手さんが様々な著書や論文で指摘されているとおり、日本は江戸時代から連綿と、自助もしくは共同体による共助でそのようなニーズを支えあってきた社会です。とはいえ、そのようなやりかたには限界があるので、現代の社会では皆が薄く広く負担しあうことで公的な手段を通じてフォローしあう方法が最善の選択だろう、ということで福祉や社会保障が発展してきたわけですよね。
井手 そうです。近世ではご近所さんや村のコミュニティの中などでお金を払わずにやりくりしていたサービスを、お金で買うことができるようになった時代が近代です。つまり、病院にお金を払って医療を受けるとか、誰かにお金を払って自分の子どもの育児保育ニーズを満たしてもらう、といったことができる社会になった。経済が右肩上がりで成長していく時代ならそれでよかったけれども、問題はそうではなくなった時代に、「所得が増えてゆくからサービスは自分で買えばいいじゃないか」ということが本当に成立するのかどうか、ということが問われ始めている。それが現在の社会なのだと思います。
だけど、我々は自己責任で生きていく前提で社会を作ってきたので、税金を取られると可処分所得が減ってしまう。だから、人々は「サービスを買うことができなくなる」と認識して、税に反発する。そのような考えになるのもまた、もっともなことです。
ここで最初の答えに戻っていくのですが、「本当にそういうことなの? それは誤解じゃない?」というところが、実は本質なのだと思います。医療費が必要な時に、自分で全額払う社会がいいのか、それとも少しずつ税金を出し合って皆が安い金額で医療サービスを利用できる社会がいいのか。これをマクロで見た場合、実は払っている額は一緒なんですよね。医療費の3割自己負担分(※未就学児や高齢者は原則1~2割負担)を全国民が1年間に病院へ払うお金と、増税して医療費負担を無料にしたとしたときを比べると、国全体での負担は増えてないんです。でも、窓口の医療費負担がなく誰でも病院に行ける社会がいいのか、それとも、お金を持っている人だけが病院に行ける社会になるのか、というところが違う。そのどちらがいいのか、という選択の問題です。
――とはいえ、選択の問題というからには、皆がその選択肢について理解を共有していることが前提になるわけですよね。その「選択肢がある」という理解を共有できていないところが、問題の一因のように思います。
井手 たとえば高額療養費の自己負担引き上げでも、他人事だと思っているから、別に痛くも痒くも感じないけれども、いざ自分が当事者になった瞬間にその痛みに気づくわけじゃないですか。だから、たとえば税金のない社会や社会保険料のない社会をいちど想像してみればいいんじゃないでしょうか。
税金のない社会、保険料のない社会って嬉しいですよね。可処分所得が減らないから、みんな大喜びじゃないですか。その代わり、その社会では車を買ったら道路を自分で作らなければなりません。水道管が壊れたら、自分で修理をしなければなりません。病院も介護も10割自己負担。これが税金のない社会、保険料のない社会です。
その社会がいいのであれば、それも国民の選択だと思います。でも、そんな社会はおそらくほとんどの人が嫌でしょう。それならば、メディアも「社会保険料や税金を上げてこの公共サービスの費用に充当する代わりに、そのサービスを使用する場合の自己負担はこれだけ減っています」と報道すればいいじゃないですか。たとえば「1パーセント消費税を上げました。これで3兆円の税収が増えますが、大学の授業料は無料にします。したがって、国民の自己負担は3兆円軽くなっています」と言えばいいのに、このあたりまえの事実をメディアが言わないことが大きな問題だと思うんですよね。
――たしかにメディアの問題もあると思いますが、メディアと同等かひょっとしたらそれ以上に、政治家がそういうことを真正面から語らなくなっていますよね。
井手 私は講演をするたびに、最後に「今日の話を聞いて増税に賛成と思う人は手を挙げてください」と訊ねるんですが、9割以上の方々が手を挙げてくださいます。つまり、語るべき言葉さえ持っていれば有権者を説得できるはずなんです。なのに、その語るべき言葉を政治家が持っていない。これが最大の問題ですよね。
たとえば消費税を2パーセント下げると、低所得層には月に約3000円、高所得層なら約8000円が返ってきます。年間で見れば低所得層は約3万6000円で、高所得層は年間約9万6000円。この年間3万6000円で子どもを産めますか、結婚できますか、病気やケガをしてもの心配ない社会になりますか? この年間3万6000円を毎年貯めて、90年くらいがんばるとめでたく子どもの学費1人分になります。これが消費税2パーセント減税の世界です。
逆に、2パーセント上げるとどうなるか。1パーセントで約3兆円程度の税収になるので、まず、住民税非課税世帯(約1300万世帯)に年間15万円を給付できます(約1.95兆円)。さらに、大学の授業料を全国民無料(約2.4兆円)にして、介護保険サービスの自己負担分(約0.9兆円)も全国民無料になります。さて、増税と減税のどちらがいいですか? と訊ねると、9割の人が増税がいいと答えます。これだけの話です。それを政治家が国民に言えていない。
ただ、ひとつ注意していただきたいのは、先ほど「選択の問題」と言いましたが、じつは必ずしも有権者は減税を支持しているわけではない、ということです。だって、増税を主張している政党はひとつもないのだから、国民は減税しか選べないわけです。それで、「減税を支持しますか? しませんか?」と聞かれれば、支持すると答えるに決まっていますよ。だけど、今申し上げたように、減税によって少しのお金を薄撒きで返す社会と、100円のジュースが102円になるけれども学費も介護も無料になって、低所得層は暮らしの心配がない社会のどちらがいいですか、という選択肢を示して初めて世論調査に意味が出てくるわけじゃないですか。
――それは社会保険料についても同じことで、社会保険料の中身を言わずに「引き上げられることをどう思いますか」という設問にすると「いやだ」と回答するに決まっていますよね。
井手 そういうことです。だから、国民に選択肢を示さない限り、国民は認識しないし選べないんですよ。選択肢を示して国民が選べるようにしなければいけないのに、政治家が言わない。だから選択肢が出てこない。
全体主義とは自由のない社会で、自由のない社会とは選択肢のない社会です。ということは、今の社会を政策レベルで見ると全体主義化しているわけです。全政党が減税を主張していて、それしか選べない。こんなものは民主主義じゃないですよね。民主主義の死です。全体主義なんて日本にはやってこないと思っている人が多いかもしれないけれども、もう目の前に来ているじゃないか、というのが私の認識です。
全政党が同じで国民は選びようがないから、面白おかしく極端なことを言う政党が伸びるのも当然ですよね。「あいつがずるいことをしている」「こいつが利権で得をしている」と煽ると、皆が吸い寄せられるように叩きに行く。その対象が最近では外国人などに向かっていますが、これは思想的に日本社会が排外主義化したとか右傾化したというよりも、この30年来続いてきた「公共事業は無駄だ、特殊法人が無駄だ、生活保護は不正受給だ」という袋叩きの構造が対象を変えて外国人になった、ということだと思います。だから結果的に、外国人を叩いておけば選挙で票になるというおかしな状況が生まれている。そうすると、今度は本当に社会が排外主義化してしまう。今はその入り口に差し掛かっている状態だと思います。
――入り口、ということは非常に際どいって状況でもある、と。
井手 歴史的に見ても、ファシズム、独裁国家、福祉国家の分かれ道は、財政から始まってるんです。大恐慌後の1930年代には、バラマキが世界中で横行しました。日本でもドイツでも、アメリカ、イギリス、スウェーデンもそうだし、南米諸国もそうです。そこからファシズムに行く国、福祉国家に行く国、南米諸国のような権威主義的な独裁国家に行く国、と分岐するんです。だから、このバラマキからどうやって福祉国家的な民主主義的な道につなげていくか、ということが大事なんですが、今の日本はそのパス(経路)を作ることができずにいて、我々は苦しんでいるわけです。
示すべきは「税は取るけれども皆のために使います」というパッケージ
井手 この話は、第二次大戦後の占領期にまで遡るんです。取引高税(※1)という税金が1948年に始まったのですが、たった1年半で廃止になりました。中小企が猛烈に反発して、主婦の運動と労働組合も合流して撤回させるわけです。これが成功体験になって、1970年代の一般消費税の時も、1980年代の売り上げ税の議論の時も、そしてその後に3パーセントの消費税を導入したときも、野党や左派政党は常に中小企業や主婦層、労働組合を動員して反対してきました。だから、「消費税に反対すれば勝てる」という姿勢で選挙を戦ってきたのが野党の歴史です。
実際に1997年に消費税を3パーセントから5パーセントに上げた時には、その翌年の参議院選挙で自民党がコテンパンに負けています。だから、与党は消費税の話をすると負けるというトラウマがあるので、正面から語ろうとしない。野党は野党で、反対しておけば選挙に勝つという成功体験がある。だから、トラウマと成功体験の歴史が負の遺産になっているわけです。
(※1)銀行業や製造業、運送業、物品販売業など39業種を対象とする1パーセントの間接国税。中立性に反するという批判や、印紙による納税手続きの煩雑さへの抵抗などから1年半で廃止された。
――消費税導入後の40年近い歴史の中で、その議論の流れを変えるチャンスはなかったんですか?
井手 あったとすれば、民主党政権時代の「社会保障と税の一体改革」(※2)の時でしょうか。
(※2) 2008年の社会保障国民会議から翌年の安心社会実現会議を経て、2012年の民主党野田政権時代に成立した「社会保障改革推進法」に基づいて、社会保障改革とその財源確保に必要な消費税引き上げなどを包括的に推進してゆく一連の改革事業。

――社会保障4経費(年金・医療・介護・少子化対策)の財源として消費税を段階的に10パーセントまで上げる、と決めた政策でしたよね。
井手 そうです。ところがあの改革では、消費税の増税分を社会保障に使うと言いながら、5パーセントだった消費税をさらに5パーセント引き上げるうちの4パーセントを借金の返済に振り向けちゃったんですよね(※3)。もしあの時に、せめてその半分を社会保障の再分配にあてていれば、国民の税に対する感覚は変わっていたかもしれません。
当時、私が主張していた(消費税を8パーセントからさらに10パーセントへ引き上げる際の)2パーセント分組み替え論を、政権を民主党から取り返した安倍晋三さんが第二次政権でそのまま流用して、幼保無償化と低所得層の大学無償化を実施しました。10パーセントへの引き上げ前後に朝日新聞が実施した世論調査では、実施前は反対が約6割で賛成は4割だった(2019年5月実施:反対54%・賛成39%)のに、増税後は「納得している」「納得していない」の割合が見事にひっくり返ったんです(2019年10月実施:納得している54%・納得していない40%)。理由は簡単で、税金を取られたけどタダになっているサービスがあるからです。だから、社会保障と税の一体改革でせめて半々くらいの割合で、財政再建と社会保障の拡充をやっていれば、その後の歴史は変わっていたかもしれませんよ。
(※3)ちなみに厚労省の説明によれば、消費税10パーセント時の増収内訳は満年度ベースで、
・基礎年金国庫負担1/2化の割当……3.2兆円
・子ども子育て支援、医療介護等社会保障の充実……2.8兆円
・消費税引き上げに伴う社会保障4経費増……0.8兆円
・後代への負担つけ回しの軽減……7.3兆円
となっている(https://www.mhlw.go.jp/content/12401000/0000187194.pdf P13)。
――社会保障と税の一体改革で厚労省事務方を担当していた元官僚の香取照幸氏が今年の春に刊行した『社会保障・税一体改革の政治過程分析』(日本経済新聞社出版)には、かなり詳しい内幕が記されていました。一連の改革で消費税引き上げによる財源フレームが歪んでいった経緯について、香取氏はこの本の中で政治家や自分がかつて所属した厚労省に忖度することなく、率直に述べています。
井手 消費税を引き上げた分の全額を社会保障に使うという説明になっていたんですよ。ところが、蓋を開けてみると、未来の負担を軽くするとか将来世代の給付削減を減らすとか、いろんなあの手この手で、結局は増税分の8割が借金返済なんですよね。財務省の作戦勝ちですが、彼らはいま、あの時の戦術をどう評価するのでしょうか。
――上記の書籍では、「社会保障の機能維持」という名目で後代への負担つけまわしの削減に使用することになった、と記されています(P329)。「社会保障の〈機能〉と言っているけれども、自分たちの社会保障につながっていないじゃないか」という国民の不信感が一層強くなってしまうと、「税を徴収して分配・給付する」という政府の機能に対する信頼がますます揺らぐことになりますね。
井手 そのとおりです。もうひとつの問題は長期金利です。10年債はここ30年来の高騰ぶりで、40年債は制度ができて以来の最高利率にまで上がってきています。だから、うっかりしていると単に財政再建のための増税になってしまいます。その手前のところで、きちんと払えば戻ってくる世界を作っておかないと、「金利が上昇して危機的だから増税に応じざるをえない」というすさまじくネガティブな体験が国民に刻みこまれることになりかねません。
そうなる前に、長期金利の上昇を抑えるためにも、「税を取るけれどもちゃんと皆のために使っています」というパッケージを示すことです。これでマーケットが落ち着いて、やがて少しずつ、徴収した税の一部を財政健全化に振り向けていく。最後は、徴収したうちの半分が社会保障、半分は健全財政化、というくらいのところに落ち着くのがいいと思います。
――そのようなグランドデザインやビジョンを政治は示すことができるのかどうか、ですね。本来なら財政当局や厚労省、そして与党の人たちが国民に説明するべきなのでしょうが、できる人たちがいるのかどうか……。
井手 官僚に期待するのは無理だと思います。だって、財務省は歴史的にも定義問題としても金庫番で、歳出を削るのが彼らの仕事ですから。だから財務省としては、増税は借金を減らすためだ、という方向へ行かざるをえない。一方で、厚生労働省は社会保険料の枠内であれば社会保障を議論できるけれども、税を徴収する権限はない。だから、使う方と取る方をパッケージで議論するフレームがもともとないわけです。
ということは、政治がそれを示すしかないわけですが、実はどんな世論調査を見ても、「増税するべき」「健全財政にするべき」という意見が常に2割はいるんですよ。つまり、この2割はブルーオーシャンで、増税を主張すればこの2割を全部持っていくことができる。だったら、今こそ弱小化している野党は負担と給付の財源論をしっかりと示したうえで、増税を主張するべきなんです。
――ただ、野党は増税反対を旗印に戦ってきた歴史があって、減税は正義だとずっと訴えてきたわけじゃないですか。2割の増税支持のブルーオーシャンはともかく、そうやって減税に賛成して野党を支えてきた人々が、増税を主張する政党に納得するでしょうか?
井手 そこは先ほどの繰り返しになってしまうのですが、選択肢がない中で減税しか選べなかった国民なんだ、ということを踏まえておく必要があると思います。だから、これからきちんと増税と財源論を打ち出す政党が出てくれば、そこには2〜3割の支持が集まりますし、現役世代と高齢者の受益をよりわかりやすく充実させていけば、4割、5割の支持になるでしょう。それだけの支持があれば、少なくとも比例代表で一定割合の議席を獲得できますよ。そうやって選択肢が可視化されれば、以後はパタパタパタッといくつも財源論が出てくるようになると思います。
財政民主主義とは何か
――伝統的な言いかたを用いれば、日本は医療や福祉の社会保障に関してどんどん「小さい政府」化しているように見えます。井手さんが長年主張している、「たとえ貯蓄がなくても安心して老後を暮らしていけるように、ベーシックサービスを税金で充実させて皆で支えあう社会を作ろう」という主張についても、賛否以前にそこまで国民の発想が思い至らない、というのが正直なところではないでしょうか?
井手 北欧礼賛論に与する気はないのですが、たとえばスウェーデンやフィンランドなど北欧諸国の教科書を読むと、主権者教育の質が違うんですよ。
たとえば、水道施設を作るのにお金がかかる場合、「税金を払うことによって整えるのがいいのか、それとも各自が料金を払うことで支えていくのがいいのか、一体どっちなんでしょう」と子どもたちと一緒に考えるわけです。「税で払うとみんなが使えるけど、保険料は払える人と払えない人が出てきます」「保険料だと受益に対する負担が明確になってわかりやすい。税は誰かが無駄遣いしても、わかりにくい面がありますね」と、いいところと悪いところの両方を出しながら、子どもたちと一緒に議論する。議論をするけれども、たったひとつの正解があるものではないから、答えは教えないわけです。
あるいは、「病院に行った時にあなたはいくら払っていますが、残りの部分は税金なんですよ」とか「救急車に乗った時にあなたたちはこれぐらいの料金を払うけれども、残りのこれくらいは税金なんですよ」、と教えていく中で、税とは何かということを子どもたちに教えていく。このチャネルが日本にはないんですよ。
――最近は社会保障教育の重要性もよく指摘されますが、税や社会保険料と生活の結びつきを体感的に理解できるような教育にはなかなかなっていないようですね。
井手 フィンランドの中学教科書では政党の作りかたや手続きを教えていたり、仕事をなくした時には市役所のこのセクションに行くとこんな保険や仕組みを利用できる、と書いてあります。私は「ベーシックサービス」と言っていますが、日本でも公的サービスの質や内容の話をしっかりやってほしいとつくづく思います。
――この秋は食料品消費税の1パーセント化が大きな話題になっていて、「骨太の方針」でも社会保険料を下げると明記されました。「責任ある積極財政」というキャッチフレーズを標榜しているものの、「責任ある」の部分がぼんやりしたまま、という印象はどうしても拭いきれません。
井手 新聞の論調も最近はようやく少しづつ変わりつつあって、朝日、毎日、日経、読売、産経、東京新聞等々、私の知る限りではどこも消費税減税に批判的です。新聞以外のメディアでも、これからはしっかりと財源論をやっていくべきだと思います。ただし、財務省的な健全財政主義、借金の返済のための増税というロジックには慎重であるべきです。「このままだと破産するぞ」では恫喝だし、その反動で「ザイム真理教」という左派ポピュリズム的な言葉が流布してしまったのではないでしょうか。
そうではなくて、どの税を多く取ってどの税を軽減するか、各党がもっと議論していいと思います。消費税を高くするという政党や、法人税を分厚くすると主張する党があって、何が公平でどうすることによって社会的公正が実現できるのか、ということを政党間できちんと競争するのが本当の民主主義なのに、公正さや公平さの議論がなくなっているんですよ。
――井手さんの論文では、「何が税のベストミックスかは、また何が給付のベストミックスかは、それぞれの政党が競い合えばよい」(「社会への投資」を支える税の構想」:『社会への投資』(岩波書店)P272)とお書きになっていますね。
井手 何が社会にとってベーシックなサービスか、ということは議論をしなければ決められません。自民党以外の多くの政党が大学無償化を主張していますが、自民党は無償化を主張していない。ということは、自民党にとって大学はベーシックサービスではない、ということです。一方で、乳幼児の医療費は全国の7割以上の自治体で無償化されています。だからこれはおそらく、ベーシックサービスだと見なされているわけです。そんなふうに、何がベーシックなサービスなのかを議論する場が国会であり地方議会です。税についても、どの税を中心にすると公平な負担になるのか、それを皆で議論する。その組み合わせのアイディアが各政党の個性になって、それを我々が選んでいく。
どの税で誰にどのぐらいの負担をお願いし、どのような給付を誰にどのような形で提供していくか。それを話し合うのが財政民主主義じゃないですか。これがこの国では本当に弱いと思います。
――とくに近年では野党も与党も「社会保険料を下げる」「手取りを増やす」「消費税を下げる」と、負担軽減ポピュリズムの競い合いになっているように見えます。
井手 たとえば、社会保険料を下げようという主張の背景は何なのかと考えると、現役世代の負担が大きいことが問題だからですよね。社会保険料は労働所得にしかかからないから、現役世代の負担が大きくなって、賃金を得ていない高齢者にはかからない。だったら、まず現役世代の負担を軽くする。すると、その分だけ財源が飛びますよね。そこで消費税を上げる。消費税を上げると高齢者も負担するから、負担が現役世代から高齢者にシフトします。
一方で、社会保険料は労使折半だから、社会保険料を下げれば大企業も得をします。だから、得をしている分だけ法人税で徴収する。消費税に戻ると、これを上げたことで高齢者だけではなく現役世代もある程度負担が増えましたよね。そこに今度は法人税を使う。そうすると、皆がいい塩梅になるわけです。
たとえばこういう仕組みを、今、社会保険料という言葉が出たので考えてみました。私が3分くらいで思いつくようなことを、政党に発想できないわけがないと思います。
本当の意味での「人間支援」をどう実現させるか?
――有権者の側には税や社会保険料を財源にした給付、という発想や実感があまりなくて、むしろ「税金や保険料は一方的に取られるもの」という意識が非常に根強いから、増税や保険料引き上げに何が何でも抵抗する、という強い「租税抵抗」が連綿と続いてきたのではないかと思います。日本社会のこの租税抵抗の強さは、将来的にどこかの段階で切り替わることは可能なんでしょうか?
井手 その質問の裏返しになるのが、日本の政党には連帯を語る政党がひとつもない、という事実です。ここが問題なんですよ。どの国に行っても、社会連帯を訴える政党はひとつくらいあるものですが、それが日本にはない。
だから、税は社会の負担だという発想にならないし、子育てや教育も介護も、親や家庭の責任で、社会の責任とは見なされない。社会や連帯という概念があまりにも弱いので、従ってそういうことを訴える政党も出てこない。弱者の味方だと言っている共産党だって金持ちや大企業を叩いているから、「我々日本社会は……」とは言わないわけです。
でも、政治の本質は社会の連帯であり国民の統合ですから、社会も国民も分裂してはいけない。分裂させないために、日の丸と君が代というイデオロギーによる統合しか方法がなくなって国家主義的な国民統合が進んでいくと、ファシズム化しますよね。そうなる前に、何とか連帯の社会を作りたい。そのための手段が財政であり税だろうと思って、私は今まで頑張ってきました。だけど、この社会の自己責任的な価値観は近世以来連綿と続いているものだから、それを変えていくのは簡単なことではない。でも、諦めずにやってくしかないですよね。
――社会連帯ということで言えば、給付の話題になると常に「本当に困っている人に……」という選別主義的な発想になって、すべての人にあまねく行き渡らせるという普遍主義的な方向へは進まない傾向が強いように思います。あれはなぜなんでしょうか?
井手 それは私の本でも指摘しているとおり(「社会はなぜ引き裂かれたのか 通俗道徳から見た日本の〈勤労国家〉」:『財政社会学とは何か』(有斐閣)P190等)、 日本は憲法に勤労の義務と書いている国ですから。
――「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」(日本国憲法第27条1項)ですね。
井手 労働の義務や就労の義務を憲法に書いている国は他にもありますが、勤勉に働く、という働きかたまで憲法で指図している国は世界中を探しても日本と韓国くらいです。二宮尊徳的な自己責任で生きていく美徳が強調され続けてきた社会(上掲書P182等)なので、たとえば1990年代後半のアジア通貨危機で日本でもマイナス成長になって数百万人の失業者が発生した際には、自殺者が1年間で8000人以上増えました。そのほとんどが40代から60代の男性労働者です。理由は簡単で、住宅ローンを払えない、子どもの学費が払えない、家族を養えないから。さらにその元を辿れば、勤労の美徳、倹約の美徳という価値観が根強いからです。このような「通俗道徳の実践が経済的な成功につながる」という価値観は、やがて「経済的な失敗」は「道徳的な失敗」として社会に理解されるようにもなっていきました。だから、人様のご厄介になるぐらいなら死んだ方がマシだ、と思い詰めて死んでいった。そういう国民性ですよ。
明治時代にできた公的救貧制度の恤救規則は、自助と共助でまずなんとかして、それでもどうしようもないときにようやく公助の出番だ、という建て付けになっているのですが、その理念が現在の社会まで連綿とつながっているんです。だから、「税をみんなで分かち合ってやっていこうよ」と言うと、いまだに嫌悪感を示す人が多いのはそういう背景があるからです。
でも、税に保守かリベラルかは関係ないし、税は右派のものでも左派のものでもない。最初にも言いましたが、税を払わない全部自己責任の社会を好むならそれでもいいし、皆でお金を出しあって助けあう社会を作りたいなら税を払おう、というそれだけの話です。
――しかし、税を払って助けあう社会を選択したくても、日本は税の徴収機関である政府に対する国民の信頼が非常に低いので納税に対する抵抗が強い、ということを、井手さんは様々な著書で指摘していますよね。
井手 そうです。だから、政府の信頼を高めるための施策を各政党が競い合ってもいいと思います。オランダのCPB(Central Plan Bureau:経済政策分析局)について何度か書籍で紹介したことがありますが、これは政府がある政策を提案したり、野党がマニフェストで政策を掲げたりしたときに、その政策ではどの人たちに負担が発生してどの人たちにメリットが発生するかを検証して、つまびらかにする組織です。そうすると、たとえば一時的に負担が増えても自己負担のこの部分が減っている、ということが可視化されるので皆が政策に関心を持つようになり、イデオロギーではなく自分にとって望ましい政策の党を選ぶようになります。そのような、政府から独立した政策検証機関を日本にも作るべきだと思います。
――給付がこれだけ行き渡る、そのためにこれだけの財源が必要になる、ということが透明化されて皆に理解されれば、ではその政策を有権者がどう判断するか、という議論になるわけですからね。
井手 そういうことです。今の我々現役世代は働いて、その中から誰かのために税金を払っています。だけど、小さい頃は義務教育が無料で教科書もタダで支給されて乳幼児の予防接種も無料だったから、その費用は誰かが払ってくれていたんですよね。そして、年を取ると今度は介護や年金や医療を誰かが払ってくれる。
だから、今の自分が払っているお金は未来の自分の受け取りなんですよ。財政はこの長い時間軸で考えるべきで、幼い時に受けた恩恵を返し、また未来に受け取るために今の私は他者に払っている、ということです。この時間軸の流れ、人間には年齢相応の負担と受益の関係がある、ということを見えるようにしてくれればいいと思うんです。
――ただ、現役世代はどうしても負担感が大きくなって、自分たちに給付として返ってきている実感が少ないのも事実ですよね。
井手 それは世界中のすべての先進国でそうですよ。なぜなら、子どもの時と高齢者になった時、あるいはケガや病気で自分が困った時に、そのリスクヘッジを社会化するのが財政の仕組みだからです。
だから、失業したら失業保険、あるいは年を取って働けなくなったら年金保険と、お金の世界は社会保険で回していけばいい。しかし、お金の有無に左右されては困る社会のサービスは税でやるべきです。この二つを両輪にしながら、私たちが安心できる社会を作っていく方法が財政です。これをCPBのような公的機関に可視化してほしいわけです。そして、選挙の時にそれを広報して政策ごとに競い合ってほしいんです。
あとはもうひとつは、基礎自治体のレベルで住民が参加して、予算について議論できる仕組みを作るべきだと思います。たとえば次のようなモデルはどうでしょうか。
私は神奈川県小田原市に住んでいて、人口は約18万4000人です。そこから何十人かを無作為抽出して、5日間の会議を開く。そして、会議に来てくれた市民には日給1万円を支払う、というふうにします。初日は財政についてまず勉強し、徐々に小田原市の財政状況や問題についてディスカッションをしてゆく。最後の日には勧告を作って議会に提出します。議会は代議制民主主義で選ばれた人たちで決定権があるので、勧告に従う必要はないけれども、棄却するときには理由を説明する義務を負わせる。これを何年も続けていくことで、人々の税や財政や自治に対する認識は深まっていきます。このような仕組みが全国の基礎自治体にあれば、やがて国の財政のありかたも変わっていくと思います。
だから、国家レベルでの独立機関設置と、基礎自治体レベルでの住民参加の仕組みを車の両輪にしていくべきだと思うし、国民が政治と財政に関心を持つためにはそれが一番の近道だと思います。
小田原市の例で言えば、実施する場合に80人集めるとして、5日間だとのべ400人、1人1日1万円で400万円。それくらいの費用なら、民主主義のコストですよね。
――その予算はどうやって作るのですか?
井手 小田原市の世帯数は約9万です。1世帯当たり50円徴収すれば450万円になります。年間50円の増税でこの市民参加の仕組みを作れるのなら、画期的ですよ。むしろ国の取り組みにしてもいいと思う。地方交付税にその経費を織り込んで予算化して、いろんな基礎自治体でやればいいじゃないですか。
似たような発想で、民生委員の問題も解決できます。地方の福祉は民生委員がいないと回らないのに、今はなり手がいないんですよ。なぜなら、ボランティアだから。でも、1ヶ月4万円で年間約50万円の報酬があれば、手を挙げる人はきっと増えるでしょう。深刻な問題としてよく指摘される、全国の公立病院の赤字化もケアマネージャー不足の問題も同じことです。公立病院の1年間の赤字が4000億円で、平均賃金の7割程度の給与しか貰えていない全国30万人のケアマネージャーさんの給与に50万円加算すると1500億円。消費税1パーセントで約3兆円の税収になるので、税を0.25パーセントくらい引き上げれば埋め合わせることができるわけです。
つまり、100円のジュースが100.25円になってその0.25円分の税金を皆が払いさえすれば、民生委員の問題も公立病院の赤字もケアマネージャーの低賃金もすべて解決します。それだけのことなのに、この税の負担と給付を誰も真正面から語れない、語らないのは、政治と民主主義の貧困以外のなにものでもないと思います。ここをきちんと語ることができれば、選挙にきっと勝てますよ。

――でも、日本の政治の歴史では「増税を主張すると負ける」というトラウマがあるので、そこに踏み込めないのでしょうね。
井手 人間というものは総合的な存在なので、社会はその視点とリスペクトをもっと持つべきだと思います。たとえば高齢問題、介護問題、貧困問題、育児保育、教育、住宅……、何でも構いませんけれども、そういういろんな問題がセクショナリズムで分断されてしまっているわけです。ならば、このそれぞれのセクションに横串を通す人たちがいないと、本当の意味での人間支援はできないですよね。そのために様々なセクションをつないで接着剤のような役割を果たす仕事がソーシャルワークだ、と私は考えているんです。
様々な困りごとの接着剤のような役割を果たすことで、その人の置かれている環境を変えていく。ひとりの人の困りごとは家庭の困りごとで、それは結局社会全体の困りごとになるわけじゃないですか。でも、税を出しあえば解決できる。その仕組みが財政であり、その仕組みを議会で話し合って作っていくのが財政民主主義です。だから、希望と責任を皆が分かち合う社会にしていくために、税に対する世の中の見方を少しでも変えて死んでいきたい、というのが学者としての私の思いです。経済学の巨人たちと自分を比較するのははなはだ不遜ですが、アダム・スミスもマルクスもケインズもシュンペーターも、そうやって人々のものの見方を変えて社会を動かしてきたわけですから。
プロフィール

(にしむら あきら)
1964年、兵庫県生まれ。著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞・第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)、『MotoGP 最速ライダーの肖像』、『スポーツウォッシング なぜ〈勇気と感動〉は利用されるのか』(集英社新書)など。自己免疫疾患の治療で2009年から高額療養費制度を継続利用中。
西村章





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