私は訊ねる。
テイクオフやジャンプの高さについて。羽生自身の言う、「吹っ飛ぶ感覚なので、軸がぶれてしまうことがある」について。
「何も問題ありません。だいじょうぶ。三本とも、軸は真っ直ぐです。
その『ぶれ』というのは、彼にしかわからない微妙なものだと思います。跳んでいる彼にはわかる。でも、見ている限りではわからない。
強いて言えば、身体がわずかに斜めになった状態が、ぶれにつながっているのだと思います。
風の抵抗がありますから、回転しているとどうしても振られやすい。そうすると、軸がちょっとぶれたり、外れたりするんですよ」
重ねて訊ねる。
新型コロナウイルスの影響で、カナダ、モントリオールでの世界選手権は中止になった。もし、中止にならなかったら、羽生は挑戦していただろうか。
「普通の子だったら、まず間違いなくやっちゃいますね。これだけ回れて、これだけのものを持っているのですから。
だけど、羽生は完全主義者なので、『降りられる』という確証がなければやらない。
彼のイメージする力って、ほんとうにすごいんですよ。自分が『できる』と思ったら、できてしまう。ただ、それが完璧でないと納得はしない。
私がすばらしいと思うのは、彼が自分を客観的に理解しているというところです。現実と事実を、ちゃんと把握しているのはすごいと思います。
ある意味、羽生はコーチなんですよ。自分自身の」
そう話して、都築は目を細めた。いつものように、柔らかく笑った。
都築章一郎と羽生結弦は似ていると、私は思う。
世の中には、「成功するにせよ、失敗するにせよ」という言葉があり、わりと普通に使われている。
だが、都築と羽生の思考には「失敗するにせよ」がない。だから、自ら進んで苦しい道を行く。まったく諦めない。そうした姿勢が、よく似ている。
ところで、都築の話には、まだまだ先がある。たとえば、
「羽生に足りないのは、恋だと思います」
というあたりは、たいへん興味深かった。ぜひとも綴らなければならない。
しかし、それはもう少し後だ。物事には順序がある。なぜ、羽生はあんなに美しくアクセルを跳べるのか。都築章一郎だから語れる話を、次回もする。
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ノンフィクション作家、エッセイストの宇都宮直子が、フィギュアスケートにまつわる様々な問題を取材する。