都築章一郎は、ノートパソコンで動画を見ている。
普段の都築は穏やかで、柔らかな笑みを浮かべている。でも、そのときは指導者らしい目をしていた。
動画には、羽生結弦が映っている。半袖の練習着を着て、黒い手袋をしている。彼がいるのは、イタリア、トリノのリンクだ。
私は言う。
「昨シーズンのグランプリファイナル、公式練習の際の映像です」
都築は言う。
「四回転半をやったんですか。それが、羽生の生き方なんです。本来の生き方なんですよ」
一本目、 するすると軽い感じで滑ってきて、羽生は跳ぶ。降りられず、転倒する。それでも、都築は頷いた。
「ああ、いいですね。いい感じです」
二本目にも、気負いは感じられない。羽生の様子はいかにも自然で、周囲の興奮を抑えている。彼は跳び、また転倒する。
「これが二本目です」
「うん、いい感じですね」
「もう少しですか?」
「はい。ここまで回らなくちゃいけないのを、これぐらいで終わっているんです。あと四分の一。もう四分の一回れば、後ろ向きで降りられます」
都築の言葉が熱を帯びる。「ここまで」で画面を指さし、「これぐらい」でテーブルに角度を描いた。
そして最後の三本目。羽生はくるくると細く回り、リンクに倒れた。ちょっと足を気にする。小さく首を振りながら、トレースを確認する。
そうした何気ない所作さえ、私は尊いと思う。彼が行っているのは、世界で誰も成しえていないことへの挑戦なのだ。
都築は、とても嬉しそうに言った。
「ああ、これはもう回っていますね。今のは回っています。理想的な跳び方と流れ方をしています。
三本とも、流れ方は理想的です。とくに三本目は回転も足りている。あとは降りるだけですが、回転が足りていれば点数はある程度もらえるので」
都築は喜んでいる。羽生は、自らと闘っている。その強い生き方を喜んでいた。
だから、言葉は弾む。勢いがある。
「こんな流れの四回転半をやっているのを、私は初めて見ました。すごい。すばらしいと思います。
本人は『技術的に足りない』と言っているんですか?
たしかに、練習はもう少し必要かも知れませんが、身体は後ろを向いているのだから、あとはつま先で降りればいいんです。
こうしたところで、こういうチャレンジをするということは、試合に入れるともう決めているのでしょう。
そのために、場を活用しているのだと思います」
ノンフィクション作家、エッセイストの宇都宮直子が、フィギュアスケートにまつわる様々な問題を取材する。