その日、恋の話をする予定はなかった。
アクセルの話を徹底的にしたいと思っていたし、プログラムや音楽についても訊きたいと思っていた。
都築章一郎は、終始にこやかに話をしている。口調は優しく、穏やかだ。
ただし、内容には独特の厳しさがある。ときに、鋭角だ。その洞察には、深く頷かされる。驚かされる。
前回で触れた、
「恋が足らないと思います」
にも、しっかりとした理由がある。演技論と言えばいいだろうか。むろん、フィギュアスケートの話だが、都築はこうも言った。
「三國連太郎さんだって、たくさん恋をなさったでしょう? それが必要でしたでしょう?」
少し長くなるが、終盤に「恋」について綴ろうと思う。
だけど、まずは「王様」の話からだ。アクセルの話であり、羽生結弦の話でもある。
「アクセルは前を向いて跳びますからね、怖いですよ。
四回転半に必要な条件は、飛距離、スピード、高さ、回転の速さ。そして、それらをまとめる協調性が非常に大切になります。
条件を瞬時にひとつにし、一瞬でぱっと発揮する。ばらばらなら無理です。絶対に跳べません。
羽生は、身体の協調性がものすごくいいんです。ほかの子がまねをしようとしても、なかなか出来るものではない。
あれは、天性の資質と言ってもいいと思います。幼少の頃から、持ち合わせておりました」
私は訊ねる。羽生の、挑戦を止めない姿勢をどう評価するか。
「転んでも転んでも、必ず起き上がる。彼はそういうふうに生きてきています。これまで、ずっとそうです。
トリプルアクセルを跳ぶときも、四回転ループ、ルッツを跳ぶときも、今と同じことを繰り返しながら、習得した。這い上がってきた。
羽生はイメージする能力に長けています。だから、今では、四回転半のイメージも出来てきていると思います。
失敗を繰り返しながらやるうちに、人間ですから、いろいろ感じるわけですよ。
彼は、それを正確に感じ取る。決して無駄にしない。練習することによって、考える。自分のものにしていく。そして、完成させるんです」
ノンフィクション作家、エッセイストの宇都宮直子が、フィギュアスケートにまつわる様々な問題を取材する。