羽生は四回転半アクセルを、「難易度の問題」とはしていない。自身の「人間としてのプライド」としている。
これについて、都築は「その通り」と話した。
「スケートが好きという思いがいちばん大きいと思います。しかし、そこには夢、強いこだわりがある。
彼は子どもの頃から、ものすごい執着心を持っていました。真剣に挑戦をし、自分を高めていくというスタイルを、です。
青年になった現在でも、そういう点が継続できているのは、ほんとうに素晴らしいことだと思います。
成功した子どもはだいたい、周囲にちやほやされて、天狗になったりするものですが、羽生の場合、そうした態度を一切見せませんからね。
それには、お母さまをはじめ、支えてくださる大勢の方々への感謝もあるのではないでしょうか」
では、広く言われる「絶対王者」についてはどうか。どう捉えるのだろう。訊ねると、都築は小さく笑った。
「彼はそうでなければ、納得しない。『王者』であると、自分自身で思っているんです。いや、人にはそうは言いませんよ。私にも言いません。
でも、心では、いつもそう思っている。あの子はだから、『王者』であろうとして、懸命な努力を重ねているんです。
これを跳ぶと何点、あれを跳ぶと何点という世界に、もう羽生はいません。すでに離れています。
ただ、そこまで来たというのは、肉体的にも精神的にも、ものすごい圧力の中にいるということです。
ちょっと想像も出来ない疲れがあって当然のような気がします。いつ燃え尽きてしまってもおかしくない。
ここまでやりきっているスケーターは、ほんとうに少ないと思いますね。
そういう意味では、やはり、ほかには真似の出来ない強さを持っていると言えるでしょう」
「絶対王者」であること、あり続ける困難に、羽生結弦は抗って立っている。波濤を凌いでいる。
「転んでも転んでも、必ず起き上がる」
美しいが、苦しい生き方をする。
さて、都築章一郎は実にさらりと言った。
「いや、僕からしたら、恋愛が必要というか、どんな相手と出会うのかという問題になりますね」
「え? えーっ?」
とは、私の反応である。
「えーっ」は、ちょっと声が大きかった。反省している。でも、それくらい驚いた。
「年齢的に、これから、どういう変化が起きてくるでしょうか?」
と、私は訊いた。その返答が「恋愛が必要」だったのである。
都築は、静かなままだ。にこやかに続ける。
「恋をきっかけに、羽生は変わるかもしれません。
スケートの世界観はなかなか変えられないものですが、恋をすれば、これまでとは違う世界が開けるかもしれない。
まあ、相手がどんな人かにもよりますね。羽生に影響を与えられるかどうか。彼はちょっとやそっとでは、変わりませんから。
恋については、ロシアのコーチもよく言っています。『恋をしなさい』って。特に、アイスダンスではみんなが言います。
やはり恋をしますと、人間というのはいろんな面で世界が変わります。違った世界が実現する。
羽生にとって、それが良いものの実現になるか、悪いものの実現になるのかはわかりませんが」
私は言う。
「身体能力がどう変わってくるのかをお訊きしたつもりでした」
都築は言う。
「身体的なものは、年齢と比例するんじゃないでしょうかね。
下り坂に入っていくのはそうですが、情熱の燃えるときというのは、身体もしっかりしています。強いです」
羽生結弦は、フィギュアスケートにすべての情熱を注いで生きている。火のように熱い。きっと、これからも強いだろう。
「ところで、三國連太郎さんの本(小著『三國連太郎、彷徨う魂へ』文藝春秋刊)、読みましたよ。面白かったです。僕らの世代の人ですからね。
三國さんのような方でも、よりよく演じるために恋が必要だった。たくさん恋を重ねた。だから、その点で言えば、はっきりしているんです。
あの本を読み、三國さんの世界はすごいなと思いました。どんどん女性を変える。それが、多彩な表現、いろんな役柄につながっていったのではないかと想像します。
スケーターと俳優は違いますが、表現者としては似ていると思います」
本をしたためるくらいだから、私は「三國連太郎」を、詳細に知っている。
三國は、奔放な人だった。恋を湯水のようにした。恋はときに、「遊びにもならない行為」でもあった。ときめきを、絶えず求めた。
女優、太地喜和子との関係をこう言った。
「あれは、恋でも愛でもありませんでした。でも、本物だった。ものすごい刺激を受けました。
狂気を感じました。あの人は天才だったと思います」
表現者に、恋は必要だ。それは、間違いないと思う。
ただ、三國がしていたような刹那の恋を、誰もが必要とするわけではない。さらに言えば、恋をする、しないは人の自由だ。
私は、羽生結弦の詳細を知らない。それでも、演技には魅せられる。透明感のあるスケートを美しいと思う。
都築は言った。
「はい。とてもよく踊っています。舞踊家の方がご覧になっても、そう解釈すると思います。それほどよく踊っている。
羽生の世界観は、素晴らしいです。追随を許さないところに来ています。
イメージが、完全に出来上がっていますから、このまま突き進むのが、いちばん賢いやり方です。
だけど、今後の成長を考えるとき、もうひとつ、違った表現があれば、さらに魅力的になるのではないかと思います。
変えられるとすれば、音楽ですか。それから振り付け師。振り付け師によっても、ずいぶん変わりますが、羽生は……、うーん、どうでしょう」
と、いうわけで、
「いや、僕からしたら、恋愛が必要というか、どんな相手と出会うのかという問題になりますね」
という話になり、私は、
「え? えーっ?」
となったのである。
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ノンフィクション作家、エッセイストの宇都宮直子が、フィギュアスケートにまつわる様々な問題を取材する。