徳光和夫の昭和プロレス夜話 第4夜

馬場夫妻の知られざる恋愛感動秘話

徳光和夫

 ここで話は変わり、日本プロレス時代の馬場さんの日常は、徳光さんから見て、どんな感じでしたか。例えば、長い巡業中はどのように過ごしていたのか、とても興味があります。

「ほとんど宿泊先の旅館などから外出しなかったと思います。だから、麻雀をね、よく打っていました」

 徳光さんも、馬場さんと卓を囲んでいたんですか。

「はい。当時の麻雀は電動式ではなく、手で牌を混ぜ、積むでしょ」

 ええ。

「馬場さんの大きい手で一気に積むので、早かったですねえ、積み方が(笑)」

 そういえば、これは松山千春さんに聞いた話なのですけど。

「ええ」

 松山さんと馬場さんは、名古屋で卓を囲んでいたそうなんですね。

「名古屋?」

 松山さんの東海地区のコンサートを制作している会社の社長と馬場さんをサポートしていた方が同じ人物で。

「ああ、はいはい」

 それで名古屋に松山さんと馬場さんが居合わせたときは、頻繁に打っていたそうなんです。それで松山さん曰く〝天下のジャイアント馬場なのに、麻雀に関してだけはセコい〟と言っていて。

「(笑)」

 例えば、松山さんがリーチをかけたとするじゃないですか。そうすると、馬場さんはチラッと松山さんを見るらしいんですね。そして、牌を積り、自分の手牌の中から何かを切らなければならない段階になると、ロンされたくないもんだから、大きな手で手牌を六牌ぐらいガバッと掴み、そのまま宙にかざしてから、ボタボタと卓に落とすそうなんです。そうすることによって、松山さんの心理といいますか、目の動きなどで、その六牌の中に当たり牌があるかどうかを探る。世界のジャイアント馬場が、そうまでして勝ちたいのか、と。

「(笑)。ああ見えて馬場さんは負けず嫌いでしたよ。そこはやっぱり、プロレスラーの気性なんだと思いますね。そうそう、麻雀以外にも、時間を見つけては景色のいいところに出向いて写真を撮っていました」

 そうでしたか。それは知りませんでした。

「その風景写真を基に絵を描いていたようですね。でも、馬場さんからすると、本当は写真を撮るのではなく、その場所にキャンパスを立てて描きたかったみたい。6Bの鉛筆で下絵を描くようなことをしたいんだけど、実際にやってしまうと、目立ってしまい、いろんな人たちが集まり出して、ヘタすると、いろんな方々に迷惑をかけてしまう恐れがあるので、やりたくてもやれなかったと言ってましたねえ」

 ええ。

「だから、やむを得ず写真だけを撮りに車を走らせていたんです。その風景も美しい山の連なりとか、断崖絶壁に波打つ波濤、そういう雄大な景色を好んでいたようですね」

 1997年の春、馬場さんにインタビューをした際に〝何をしているときが一番幸せですか〟と訊くと〝そりゃ絵を描いているときだわな。ハワイのアラモアナの浜辺でひとり、海の絵を描いている瞬間に幸せを感じたりする〟と言っていて。

「わかりますねえ、その話は」

 さらに、こうも言っていたんです。〝ただ、リタイアしてまで絵を描こうとは思ってない。日本で殴られ蹴られ、投げられて痛い思いをするからこそ、ハワイで絵を描くのが楽しいと感じられるんだ。本当にリタイアしてしまったら、絵を描いてもちっとも楽しくないだろうし、幸せも感じないだろう〟と。

「実に馬場さんらしいなあ。そういえば、絵に関することでもうひとつ――」

 夜話が?

徳光さんからは馬場さんとの思い出が次々に出てきた。撮影/五十嵐和博

 

「はい。私に弟がいましてね」

 ミッツ・マングローブのお父さん!

「ええ(笑)。彼が伊勢丹に勤めていたんです。それであるとき、馬場さんの描く絵は素晴らしいんだよと言うと、伊勢丹で個展を開けないかとお願いされたんですよ。でも、ダメでした。2回も交渉しましたけど、OKを貰えず。2回目の交渉のときは、完全に馬場さんを怒らせてしまいましてね」

 せっかくの機会なんだから、開けばよかったのに。

「普通はそう思うでしょ。でも、馬場さんは違ったんです。絵に関しては素人の俺が個展を開いてしまったら、プロの画家のみなさんに失礼になる。そんなことできるわけがないということなんですね。その道のプロが行うことなどは認めるけれども、素人が周りにデコレーションを付けてプロらしく見せることを最も嫌っていましたよね。それが人と人との礼儀でもあると考えていたんでしょう」

 そうでした。

「そういうね、人とのつながりにおいての礼儀みたいなものは、ずいぶんと馬場さんから教わりましたよ。親しき仲にも礼儀あり――これ、馬場さんの座右の銘だったみたいでねえ」

 はい。

「さきほどの個展を開きませんかという2回目の交渉の時に、しみじみ言われちゃって。“人の心の中に土足で上がり込んじゃダメなんだ。常に相手との距離を持つ。それはアナウンサーとして大切にしなければいけないことだよ”と。いやもう、ハッと思いましたし、反省もしました。先輩のアナウンサーから言われるより衝撃的でしたし、私の胸に響きました」

 はい。

「考えてみれば、馬場さんのその揺るぎない信念とでもいいいますか、生きていく上での人としての基本みたいなものが、結局はアメリカのマーケットの信頼を受けていたんでしょうね。アメリカマットであれほど信用、信頼されていたプロモーターっていないでしょ」

 ですね。

「だからまあ、人と人との付き合いの中で大事にしなければいけないことを馬場さんは麻雀をしながら、私たちにいろいろと語ってくれた思い出があります」

 牌をまとめてガバッとつかみながら。

「そうそう(笑)」

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プロフィール

徳光和夫

1941年、東京都生まれ。立教大学卒業後、1963年に日本テレビ入社。熱狂的な長嶋茂雄ファンのためプロ野球中継を希望するも叶わず、プロレス担当に。この時に、当時、日本プロレスのエースだった馬場・猪木と親交を持つ。

 

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