1.古代の哲学者たちの睡眠言説
これまでの連載では、睡眠をめぐる現在の状況を分析するところからはじめて、徐々に歴史を遡り、19世紀の人工照明の発達が私たちの眠り方に決定的な変化をもたらしたことを確認してきた。夜を人工的な昼にできる照明技術の普及によって、人間は太陽がもたらす光と闇のリズムから外れ、自分自身で睡眠時間を管理しなければならなくなっていったのである。現代の数ある睡眠アプリも、この19世紀に生じた変化の延長線上に存在している。人工的な光を昼夜問わず浴びつづけながら、そして睡眠時間を適切に自己管理せよという社会(資本主義)からの圧力を受けながら、私たちはいかにしてよい睡眠を求めることができるのか。今回からは哲学者たちの知を借りながら、この問いに迫っていきたい。
哲学と睡眠といえばアリストテレス(前384‐前322)からはじめるのが王道である。西洋哲学は古代ギリシアにはじまるが、そのなかでもアリストテレスは突出して眠りについて多くのことを書き残している。『眠りと目覚めについて』、『夢について』、『夢占いについて』という「眠り三部作」がとりわけ有名で、かのフロイトが『夢解釈』の冒頭で取り上げているほど、西洋の思想においてアリストテレスの睡眠論は存在感を放っている。
しかし、眠りについて論じた哲学者はアリストテレスが最初というわけではない。哲学史の教科書を開けばわかるように、アリストテレスが登場するまでにはもちろんソクラテスとプラトンがおり、それ以前の紀元前7世紀から紀元前5世紀にかけては、「ソクラテス以前の哲学者」や「初期ギリシアの哲学者」と呼ばれる哲学者たちが活躍していた。万物の根源を水と考えたタレス、「あるものはあり、あらぬものはあらぬ」という言葉で有名なパルメニデスなどがよく知られているところだろう。分量的にはアリストテレスに遠く及ばないとはいえ、この時期の多彩な哲学者たちも睡眠に関して非常におもしろいことを述べており、ここを素通りしてしまうのはもったいない。今回はアリストテレスにかぎらず、古代哲学が生みだしたさまざまな睡眠言説について広く見ていこう。
2.夢は神のメッセージ
そもそも古代ギリシアにおいて哲学はどのようにはじまったのだろうか。これも哲学史の本でよく説明されるように、哲学が現れる前にはホメロスやヘシオドスの神話的な叙事詩が存在しており、こうした神話を背景として哲学が生まれてきたとされる。もちろん、それ以外にもエジプトやメソポタミアからの影響なども指摘されているが、ここでは神話に話を限ろう。
では、神話を否定することで哲学が成立したのかというと、事はそう単純ではなく、「神話から哲学へ」という発展や進歩の図式では説明できないほど、哲学者たちの思考には「神」の要素が残っている。たとえば、夢についての哲学者たちの考え方には神の影がかなり色濃く見て取れる。
現在だと、夢は人間の欲望や無意識と関係するものとみなされるか、あるいはレム睡眠のあいだは奇妙な夢を見ることが多いといった科学的な説明がなされる場合がほとんどだろう。しかし、古代ギリシアの人々にとって、夢とは何よりもまず神々のお告げであり、神々からのメッセージだった。眠っているあいだに神々からのメッセージを受信して、それが夢になるということだ。代表例として、三平方の定理など数学に関する探究でよく知られているピュタゴラス派による夢に関する説明を見てみよう。
また、空気全体は魂で充満していて、これらの魂がダイモーンとか、半神とか呼ばれているものである。そして、これらダイモーンや半神たちによって、夢や、病気と健康の兆しが人間たちには送られてくるのである。
(ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝(下)』加来彰俊 訳、岩波文庫、1994年、第8巻第1章第32節)
ダイモーンとは「神霊」などと訳される存在で、古代ギリシアにおける信仰の対象である。ピュタゴラス派では、そのような人間ならざる神的なものからメッセージが送られた結果、人間は夢を見ると考えられていた。このような説明は、現代の夢についての説明と対照的なものだといえるだろう。現代では、夢の原因を欲望や睡眠の状態といった私たち自身の内部から説明するのに対し、古代ギリシアでは夢は人間の外部からやってくるものだったのである。
プラトンの著作にもピュタゴラス派と同じような発想が見られ、たとえば『クリトン』には死刑を宣告されたソクラテスがみずからの処刑日を夢で知る場面が出てくるほど(現在だと「予知夢」と呼ばれるような夢だ)、古代ギリシアでは夢を神のお告げと捉える見方は一般的だった。理性主義や合理主義としてイメージされがちな古代ギリシアの文化だが、そこには神的なものや理性的な推論を超え出るものが頻繁に顔を出している(この点に関しては、たとえばE・R・ドッズの古典とも言うべき研究『ギリシァ人と非理性』(岩田靖夫・水野一訳、みすず書房、1972年)を参照されたい)。
3.夢の原子論的メカニズム―デモクリトス
夢と神を結びつける発想は根強かったが、その一方で夢について合理的な説明を試みた哲学者たちもいた。そのひとりがデモクリトス(前460頃‐前370頃)である。デモクリトスといえば、それ以上分割できない「原子」から世界を説明する原子論で有名だが、夢も原子論によって解明が試みられている。現在の視点からすると荒唐無稽にも思える説明ではあるが、なかなかおもしろいので見てみよう。
通孔を通って身体内に進入した写影像(エイドーラ)が立ちのぼる場合に、睡眠中の視覚を作りだす。写影像は、家財道具や衣類や植物など、至るところから発せられるが、特に動物は動きが激しく熱をもっているために、さかんに発せられる。
(内山勝利 訳、『ソクラテス以前哲学者断片集Ⅳ』、岩波書店、1998年、DK68 A77)
カギとなるのは「エイドーラ」と呼ばれるものだ。「射影像」や「剝離像」とも訳される「エイドーラ」とは、薄い膜のようなもので、生物か無生物かにかかわらずあらゆるものはこの薄膜を放出している。衣類や人間から剥がれ落ちたフィルム状のエイドーラは、身体に開いた穴を通って人間の内部に入ってきて、たとえば視覚器官に衝突するとそこで視覚が生じる。デモクリトスによれば、このメカニズムが眠っているあいだに起きると夢になるという。睡眠中も人間の身体には穴が開いており、そこからエイドーラが入り込み、夢という視覚イメージを発生させるのである。
オカルト的とも言えそうな理論ではあるが、重要なのはエイドーラと感覚器官が衝突するというただそれだけのことによって夢が説明されているところだ。原子(エイドーラ)の運動のみであらゆることを説明する原子論には、神的なものが入り込む隙間がない。若き日のマルクスが学位論文でデモクリトスを論じたのも、原子論が非常に唯物論的かつ無神論的だったからである(『デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異』中山元 訳、『マルクス・コレクションⅠ』、筑摩書房、2005年所収)。
少々余談になるが、エイドーラについてのデモクリトスの理論は、文字どおり身近なところで生じていることだともいえるだろう。たとえば、私たちは眠っているあいだも瞼は閉じているが鼻や口は完全に閉じていないし、もし塞いでしまったとしたら呼吸ができずに死んでしまう。もちろん鼻からエイドーラが侵入してきて夢を見るわけではないが、睡眠中も人間は絶えず外部へと通じる穴を開けておかなければ生きていけない。そして、この穴から知らないうちに色々なものを体内に取り込んでいることは、コロナ禍を経験した後ならば身に沁みて理解できるはずである。私たちはいつのまにか他人の排出した飛沫を吸い込み、ウイルスを体内に招き入れていたわけであり、ともに食卓を囲むということは飛沫を交換することだった。普段の生活においても、私たちは衣服の衣擦れによって立ち上ったホコリや空気中の花粉を吸い込みつづけている。そうした肉眼では見えにくい小さなものがアレルギーを引き起こして体調を悪化させるわけだが、だからこそ微小なものの世界はオカルト的想像力を搔き立て、ときに「ワクチンにマイクロチップが入っている」といった陰謀論へと人間を走らせもする。デモクリトスが描いた原子論の世界は唯物論であると同時に、人間の妄想やイデオロギーが入り込みやすい世界でもあるのだ。こう考えると、古代の哲学者が唱えた突拍子もなく見える理論も案外身近に感じられるだろう。
4.睡眠の生理学(1)――エンペドクレス
話を睡眠に戻そう。デモクリトスのほかにも合理的なかたちで睡眠を解明しようとした哲学者たちがおり、そのうちの何人かは現代であれば「生理学」とも呼べそうな議論を展開しているが、ここではまずエンペドクレス(前490頃‐前430頃)を見てみよう。エトナ山の噴火口に身を投げた最期がよく知られている哲学者だが、眠りに関してはどのようなことを言っていたのだろうか。
エンペドクレスによれば、血液のうちなる熱が適度に冷却されると眠りが生じ、完全に冷却されると死が生ずる。
(丸橋裕 訳、『ソクラテス以前哲学者断片集Ⅱ』、岩波書店、1997年、DK31 A85)
残念ながらエンペドクレス本人が語った睡眠についての言葉は伝わっていない。書き出しが「エンペドクレスによれば」となっているのはそのためだが、血液の温度が下がると眠るという生理学的ともいえる理論は、どうやらパルメニデス(前515頃‐前445頃)も唱えていたらしく、古代ではある程度広まっていた説と考えることもできるだろう。
哲学的に見て重要なのは、エンペドクレスが死からの逆算で眠りを捉えているところである。もともと眠りを死に似たものとみなす発想は古代ギリシアに限らず非常に根強く、現代のドラマや映画でも、呼吸を感じさせないほど深く眠っているひとを見て、周囲の人々が「死んでいるのでは!?」と焦る場面がしばしば登場するように、眠りと死は密接に関係している。いわば、死とは目覚めない眠りなのである。そう考えると、当然のことながら死ねば冷たくなるので、死に似たものである眠りのあいだも血液は冷たくなっているにちがいない。おそらくエンペドクレスの理論は、このように死を起点に睡眠へと遡るかたちで導き出されたのだろう。
ちなみに現代の科学的知見によれば、眠ってすぐの人間は、皮膚体温が上昇する一方、逆に直腸などで計測する深部体温は低下するとされる。身体の内側からの放熱によって深部の温度が低下すると、表面である皮膚の温度が上昇するわけだが、これをエンペドクレスの説に当てはめてみるとおもしろい。エンペドクレスの理論は図らずも深部体温についての科学的説明と合致しているうえ、血液という深部体温と関わる部分に言及されているところも興味深い。もちろん、古代ギリシアで皮膚体温と深部体温のちがいが知られていたかは定かでないが、もしかすると何らかの手段で深部体温を計測していたのかもしれないと思わせるほど、エンペドクレスの理論は現代の知見に通じるところがあるといえる。
5.睡眠の生理学(2)――アリストテレス
このあたりでアリストテレスの睡眠論へと視線を移そう。先にも述べたように、アリストテレスは「眠り三部作」とも呼ばれる三つの論考を残している(いずれも『自然学小論集』所収)。アリストテレスが取りあげているテーマは、眠りのメカニズムから夢や占いまで幅広いが、ここではやはり生理学的な説明がなされているところを見ておきたい。なぜ眠気が襲ってくるのかという疑問に対して、アリストテレスは次のように答えている。
眠りが最もよく生じるのは、栄養物からなのである。なぜなら、多くの湿ったものと物体的なものとが、いっせいに上へ運ばれるからである。それで、これが上つまり頭部でとどまると重くなり、うとうとさせる。そして、下へと傾き、反発によって熱いものを押し戻したとき、そのときに眠りが生じて、動物は眠るのである。
(『眠りと目覚めについて』坂下浩司 訳、『アリストテレス全集7』、岩波書店、2014年、456b24-28)
食べると眠くなるのはいまも昔も変わらない。それがわかるおもしろい一節だが、現代であれば「血糖値スパイク」のような説明がなされるところを、アリストテレスは「上下」という軸に沿った運動として解明しようとしている。現代の私たちにはいささかわかりにくい説明なので、ひとつずつ解きほぐしてみよう。
まず大前提として、アリストテレスは口から摂取された食べものの栄養は血液になると考えている。これ自体は、小腸で血液に栄養が取りこまれるようなものだと考えれば突飛な発想ではないが、重要なのは、アリストテレスにおいては栄養物の血液への変化が「蒸発」と考えられていることだ。「蒸発」とは、「上へ」向かう運動である(水が蒸発して水蒸気になるように)。そのため、栄養物が血になると、蒸発したものが体内をどんどん上へと立ち上っていく。アリストテレスによれば、この上へと向かう運動こそが眠気の原因にほかならない。
しかし、こうした「上へ」の運動にも限界がやってくる。蒸発したものがたまった頭部は徐々に重くなっていき、瞼もまた重くなる。そして、その重さに耐えられなくなったときに、頭部も瞼も一気に「下へ」向かい、眠気は実際の眠りに変化する。文字どおり眠りに「落ちる」のだ。睡眠中の人間が瞼を閉じ、頭部を地面に対して垂直に保っていられない様子を観察したアリストテレスは、眠りとは「下へ」と向かう運動だと考えたのだろう。実際、日本語の「寝落ち」や英語の « fall asleep » など、眠りを「落下」と結びつける表現はいまも多く使われている。
こう見ると、一見すると怪しげなところがありつつも、アリストテレスも睡眠に関する生理学的な説明を試みていたことがわかるだろう。ただし、アリストテレスの睡眠論には形而上学的な側面もあることに注意しなければならない。次にその点を見ていこう。
6.睡眠の形而上学――アリストテレスの「目覚め中心主義」
古代ギリシア哲学の睡眠論の特徴のひとつが、ここまで見てきたエンペドクレスやアリストテレスのような生理学的な議論にあることはまちがいない。ただし、神的なものの力を借りずに理性的かつ論理的に展開される睡眠論は、古代ギリシア哲学の先見性を示しているとはいえ、現代の科学を知っている身からするとどうしても古臭く感じられてしまうのも事実だ。
それに対し、哲学者たちによる形而上学的な睡眠論は、いまでも深く考えさせられるポイントを突いたものが多い。「形而上学的」という言葉を定義するのは専門的にはなかなか難しいところがあるのだが、さしあたりは「物の捉え方の枠組み」くらいに考えておいてもらえればと思う。「睡眠という状態をどのようなものとして捉えるのか」という問題に対して、観察可能な事実やデータから説明するのではなく、いわば「睡眠観」のようなものを打ち出すのが形而上学的な睡眠論だと考えていただきたい。
以上をふまえて、まずはアリストテレスの睡眠論の形而上学的な側面を見てみよう。先ほども引いた『眠りと目覚めについて』では、次のようにも言われている(長く難しい一節なので、引用部分は飛ばして地の文に進んでいただいてもかまわない)。
それで、まず、われわれが述べていることは、自然は何かのためになすということ、その何かは或る善きものであるということ、また、自然本性的に動くのではあるが快楽を伴ってつねに連続的に動くことはできないものすべてにとって休憩は必然的であり有益であるということ、そして、人々は眠りにその隠喩を当てはめて「休憩」であるとしているが、それは真理そのものによってそうしているのだということである。したがって、眠りは動物の救助のためにあるのだ。しかし、目覚めが目的である。なぜなら、感覚するということや賢いということは、それらのどちらかが属するすべてのものにとって目的であるから。実際、それらは最善のものなのであるが、目的とは最善のものであり、したがって、動物の各々に眠りが属するのは必然的であるのだから。
(アリストテレス『眠りと目覚めについて』、455b16-26)
ここでアリストテレスは睡眠の「原因」について考えている。アリストテレスといえばいわゆる「四原因説」が有名だが、ここではそのうちのひとつである「目的因」に焦点が絞られ、睡眠が「何のため」にあるのかが問われている。
「何のために睡眠はあるのか」という問いに対するアリストテレスの答えは「救助」である。11日間眠らなかったことで有名なランディ・ガードナーの断眠実験を思い出せばわかるように、人間は何日も眠らない状態がつづくと思考力が低下し、幻覚を見たり幻聴が聞こえたりするようになる。また、数々の残酷な動物実験が明らかにしているように、さらに強制的な断眠をつづけた先に待ち構えているのは死にほかならない。つまり、眠らないということは人間や動物にとって死を意味するのだ。それゆえ、睡眠は人間を死から救助するためのものなのである。
ただし、アリストテレスが「救助」よりもさらにもうひとつ上位の目的を設定しているところに注意しなければならない。「眠りは動物の救助のためにある」と言ったそばから、アリストテレスはすぐに「しかし、目覚めが目的である」と述べて目的を追加し、眠りの究極的な目的が「目覚め」にあると主張する。つまり、眠るのは目覚めるためということだ。たしかに、目覚めない眠りとは死を意味するだろう。そう考えると、アリストテレスの考えは妥当なように思える。
しかし、「睡眠の目的は目覚めである」という考え方は、「睡眠」と「目覚め」を逆にしても成り立つのではないだろうか。「目覚めの目的は睡眠である」と両者を入れ替えても、別に不合理なことはなにもない。眠るために起きているひとがいてもおかしいことはまったくないはずなのだが、アリストテレスは「目覚め」のほうを目的として、そこに「最善」という倫理的な価値づけをおこなっている。ここにアリストテレスの睡眠論の恣意性があると言えるだろう。アリストテレスは目覚めに目的という価値を置いて、睡眠をその手段にしてしまっているのだ。その結果、「目覚め中心主義」とでも言うべき価値観が形成されてくる。
眠っている状態よりも起きていることのほうに価値を置く「目覚め中心主義」は、アリストテレスから約2400年を隔てた現代にまで影響を及ぼしている。たとえば、ケア論でも頻繁に参照されるヴァージニア・ウルフのエッセイ「病気になるということ」を思い出してもよいだろう。いまから約100年前のスペインインフルエンザの大流行を経験したウルフは、健康な「直立人」と病を得た「横臥者」という印象的な対立を駆使して、この世界が「直立人」の視点を中心に作られていることを描き出し、病気で横になっていることの意味を問うたわけだが、ウルフが用いたこの対立は眠りにもあてはまるにちがいない。「目覚め中心主義」とは、起きて直立している人間を「正常」とみなす世界観だからだ。
直立する健康的な人間を中心に回っているそのような世界においては、何らかの理由で横たわっているひとは、いずれ直立できるように「回復」すべき存在だとみなされてしまう。目覚めている直立人にこそ価値があり、横になって眠っている人間、つまり直立人と同じ価値を生み出さない人間には適当なところで目覚めて立ち上がってもらわなければならない――結局のところ、目覚めを睡眠の目的とみなすアリストテレスの考え方はこのような結論に行き着かざるをえないだろう。いうまでもなく、これは現代の資本主義に呑み込まれていくような睡眠の捉え方にほかならない。
7.眠りを拒む哲学者たち
以上のような「目覚め中心主義」は、アリストテレスだけでなくプラトン(前427‐前347)にも見て取れる。プラトン最晩年の著作『法律』では、プラトンそのひとを彷彿させる「アテナイからの客人」が、睡眠について激しい言葉づかいで次のように述べている。
睡眠を取りすぎることは、わたしたちの身体にも魂にも、またこれらすべての公私の活動にも、ほんらい調和しないのです。というのは、誰でも眠っているあいだは、何の価値もなく、屍も同然です。わたしたちのうちで、誰でも生きることと考えることとに、もっとも心を砕く者は、できるだけ長い時間起きていて、健康に必要なだけの時間を、眠りのためにとっておきますが、この時間は、うまく習慣づければ、けっして長くはありません。
(プラトン『法律(下)』森進一・池田美恵・加来彰俊 訳、岩波文庫、1993年、808B-C)
プラトンにとって重要なのは、思考すること、つまり知を愛する哲学の営みを可能なかぎりつづけることだった。そのような立場からすれば、身体的・生理的な必要性にすぎない睡眠の時間はできるかぎり短くしなければならない。プラトン自身が『パイドロス』で述べているように、身体とは魂が縛りつけられている墓場のようなものであり、思考にとっては邪魔なものでしかない。「魂>身体」という価値序列はプラトン哲学の基本中の基本であるが、睡眠中の人間を「屍も同然」と断言するきわめて強い言葉は、身体を貶めるこのヒエラルキーから生み出されたものだと言える。
興味深いことに、睡眠時間を極力削りたいというこの欲望は、他の古代の哲学者たちにもある程度まで共有されていたものだった。プラトンと異なる思想を唱えている哲学者であっても、睡眠に関するエピソードを読むかぎり、実人生ではできるだけ眠りを回避し、ショートスリーパーを目指していたようなのである。たとえば、アリストテレスには次のような独特な眠り方をしていたという伝承が残されている。
ある人たちの話では、〔…〕アリストテレスは就寝するときには、青銅の球を手のなかにもち、下に皿を置いていたが、それは球が皿に落ちると、その音で目を覚ますようにするためであったということである。
(ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝(中)』加来彰俊 訳、岩波文庫、1989年、第5巻第1章第16節)
いったいアリストテレスは生涯で何枚の皿を割ったのだろうか。もちろん真偽のほどはわからないが、たとえ事実でないとしてもアリストテレスが睡眠時間を短くしようとしていたからこそ生まれた逸話のように思えるし、先ほど見たように、睡眠の目的を目覚めだとする『眠りと目覚めについて』での議論からしても、アリストテレスの哲学が無駄な睡眠時間を認めないことはまちがいない。
あと二つだけ哲学者たちの睡眠にまつわる逸話を見ておこう。少し時が流れて、古代ローマのストア派の哲学者セネカ(前1頃‐後65)が自身の生活習慣について語っている書簡風の文章を読んでみたい。
昼寝は最小限だ。君も私の習慣はご存じだろう。ごく短時間の睡眠をとるだけで、いわば一息入れるといったところだ。私には目を覚ましているのをいったん停止するだけで十分だ。時には眠ったことを自覚するが、時にはそれさえ疑うほどだ。
(『倫理書簡集』大芝芳弘 訳、『セネカ哲学全集6』、岩波書店、2006年、83・6-7)
一般にストア派は睡眠をできるかぎり減らし、睡眠をコントロールしようとしていたとされるが、セネカの習慣はそのようなストア派の態度をまさに示している。とりわけ、「目を覚ましているのをいったん停止するだけで十分だ」という言葉からは、セネカもまた、目覚めていることに価値を置く哲学者であったことが窺える。
最後にもうひとつ、古代も終わりへと向かう時期の哲学者のエピソードも見ておきたい。神秘主義的な新プラトン主義の創始者として有名なプロティノス(205‐270)は、どうやら眠くならないように食べる量を減らしていたようなのだ。弟子のポルピュリオスによるプロティノスの伝記からの一節である。
このようにプロティノスは、他人に応接すると同時に自己にも応接していたのである。そしてこの自己自身に対する注視を、睡眠中以外には決して弛めなかったようである。そしてその睡眠も、食事の少量なことと――というのは、彼はパンすらとらないこともしばしばであったようである――自己の内なる英知への不断の没入のために、短かったようである。
(ポルピュリオス『プロティノスの一生と彼の著作の順序について』水地宗明 訳、田中美知太郎責任編集『世界の名著 続2』、中央公論社、1976年)
食べると眠くなるのならば、できるだけ食べなければいい。プロティノスはそう考えていたのだろう。このような考え方は、身体を邪魔なものとみなすプラトン的な発想にもとづいている。実際、ポルピュリオスの伝記は、「われわれの時代に現われた哲学者プロティノスは、自分が肉体をまとっていることを恥じている様子であった」という印象的な一文からはじまっている。
プラトンやプロティノスのような身体を蔑視する態度と「目覚め中心主義」は表裏一体のものである。覚醒時の思考に価値を置く哲学者たちにとって、眠気は思考を曇らせるものでしかなく、睡眠は思考を中断させる悪にほかならない。もちろんそれとは異なる睡眠論を展開した哲学者もいたが(たとえば、この連載の最後のほうで扱う予定のヘラクレイトスがそうだ)、睡眠に対して積極的な価値を見出した古代の哲学者は驚くほど少ない。この傾向は中世以降もつづき、現代に至ってもなお睡眠が哲学のテーマになることは稀だと言わざるをえないだろう。哲学の歴史とは「目覚め中心主義」であると言ってもよいほど、哲学者たちは睡眠に関心を向けてこなかったのである。
しかし、「目覚め中心主義」にとどまっているかぎり、現代の睡眠をめぐる状況から脱け出すことはできない。起きて活動している時間のために効率よく眠りたいという欲望は、まさに「目覚め中心主義」から生まれてくるものだからである。惰眠を貪らず、適切な時間だけ眠り、ベストなコンディションで日中の活動に臨もうという現代のいたるところに見られる態度は、哲学的には「目覚め中心主義」に下支えされていると言ってよいだろう。ある意味で、プラトンをはじめとする古代の多くの哲学者たちの眠りについての思想は、睡眠時間を自己管理するよう要請される現代社会と相性がよいのである。私たちは青銅の球を持って寝る代わりに、枕元にスマホを置いているだけなのだ。
それゆえ、効率化と自己管理に塗れた睡眠とは別の眠りのかたちを探究するならば、「目覚め中心主義」とは異なる睡眠の哲学を構想しなければならない。そこへと向かって、次回以降も哲学の歴史を追っていこう。
(次回へ続く)
プロフィール

いとう じゅんいちろう
哲学者。1989年生まれ、千葉県出身。早稲田大学文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、新潟県立大学国際地域学部講師。専門はフランス哲学。著書に『「誰でもよいあなた」へ:投壜通信』(講談社)、『ジャン゠リュック・ナンシーと不定の二人称』(人文書院)、翻訳にカトリーヌ・マラブー『泥棒!:アナキズムと哲学』(共訳、青土社)、ジャン゠リュック・ナンシー『アイデンティティ:断片、率直さ』(水声社)、同『あまりに人間的なウイルス:COVID-19の哲学』(勁草書房)、ミカエル・フッセル『世界の終わりの後で:黙示録的理性批判』(共訳、法政大学出版局)など。