日本に紹介されたトレイル
さて、トレイルは、さほど昔から使われていた言葉ではない。実は1970年代前半に、アメリカのトレイルのひとつパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)を舞台にしたアメリカの紀行文が、日本で翻訳され出版されている。当時はトレイルを「トレール」と表記し、近かしいだろうと思われる日本語に当てはめ「縦走路」(尾根や山の稜線を連続して歩く登山の方法)という言葉があてがわれていた。
1990年後半に入り、作家でバックパッカーの加藤則芳氏がその著書『ジョン・ミューア・トレイルを行く』で初めて本格的に日本にトレイルカルチャーを紹介した。後にJTB紀行文学大賞を受賞し、多くの方にトレイルが知られるきっかけとなった同書の中で「トレール」が「トレイル」と表記されるようになり、この時から今も日本で使用されているトレイル用語が浸透し始めた。ちなみに、「WILDERNESS」が、日本語で該当する言葉が無いとして、加藤氏により「原自然」という言葉で表現されている。海外の言葉が入ってくると、日本にある何かに例えようとするのが日本人の悪い癖。これが本来持つ言葉の意味を複雑にする原因のように思う。無理に何かに例える必要はなく、新たな言葉にして意味を付けるほうがよっぽどスマートだと僕は思う。
もう少し掘り下げてみると、トレイルは「踏みしめられて出来た道」と直訳される。車が行きかうアスファルトの道路ではなく、自然の中に付けられた「道」であることが想像できると思う。トレイルはアメリカの山野を中心に付けられており、山岳エリアを通過する場合でも、必ずしも山頂まで付けられているわけではない。谷から峠までゆっくりスイッチバック(つづら折り)しながら登り、降りていく道が多いので、日本でいう山頂を目指す登山とは違う。仮にトレイルが山頂を通過したとしてもそこが目的地とはならない。つまり、トレイルは山の山頂を踏むことがマストではなく目的にもならない。そんなわけで、トレイルは山を登る「山登り」ではなく、山を歩く「山歩き」と表現するのがわかりやすい。
いったんアメリカのトレイルから離れて日本の登山について考えてみよう。
日本では、山岳信仰があり、聖域である山頂に祠(ほこら)や神社があった。登山道は参道とされ、山の頂上を踏むことで修行が完成すると考えられていた。そのため、明治以降、欧米の文化が導入された際、イギリスのアルピニズム(単純に山に登ることだけを目的とする宗教的要素等を持たないスポーツ登山)と、日本の山岳信仰が結びつくのは自然なことだった。そもそも山頂まで続く道があったことから、国土の狭い日本では「登山」がより愛好され発展し、「歩く文化」が根付きにくい環境だったのかもしれない。
一方「歩く文化」は世界的に見てもメジャーな行為で、運動や楽しみとして道を歩くという考え方は、ヨーロッパで18世紀頃に発展した。当時の社会では、歩くことは貧困を表していたが、長い距離を歩く事は宗教的な巡礼の一部として古くから行われ、イギリスではフットパスやウエイ、一部地域ではトレッキング、トランピング、トラックなどと呼ばれている。これらは多少地域によってニュアンスの違いがあるものの、歩くことについて表現する言葉である。
トレイルと登山の違い
トレイルと登山のもっとも大きく違う点が、その歩行距離と歩き方だ。日本の登山は「日帰り登山」が中心となる。1日往復10kmほどの歩行が一般的で、縦走登山でも数日間かけて登るのが普通だ。一方、トレイルは1日15マイル(24km)ほど歩くこともある。トレイルは来た道を戻らないのが特徴で、A地点からB地点まで歩く。登山は基本的に登山口から山頂を目指し登り、登った道を下ってまた登山口に戻ることが多い。つまりA地点から山頂のあるB地点に行き、A地点までまた同じ道を通って戻る。
そして、トレイルは来た道を基本的には戻らないので、横に移動する。登山は標高差を楽しむが、トレイルは横に移動して環境の変化を楽しむ。登山とトレイルは、自然に対して全く別のアプローチになるのだ。
日本の登山はおおむね、縦走の場合でも早朝から午後3時くらいまでに終える事が多い。トレイルを歩く場合、コースは、長いもので1万キロを超える。スルーハイカー(単年で一気にトレイルを歩く方法)が一般的に1日に歩くといわれる20マイル(32km)の距離を休み無しで歩き続けると10ヶ月程かかる。そんなこともありトレイルでは、日暮れまで歩き続けることが少なくない。
つまりトレイルを歩くということは、登山と違い自然の中で多くの時間を過ごすことになる。自然に長く滞在すると、自然に愛着を持つようになるので、自然の中にゴミが落ちているのが気になり始める。そして、そのゴミを拾うようになる。その行動こそが、まさに自然保護に繋がるのだ。
アメリカのトレイルを管理する各団体が提唱する言葉がある。「LEAVE NO TRACE」(リーブノートレイス)。直訳すると「痕跡を残さない」。つまりハイカーがトレイルに残していいのは「足跡だけ」とされている。要するにトレイルを歩く行為は、人間が動植物の生息する自然の中に入らせてもらっている意識が必要で、自然のものはそのままにするということなのだ。
長い間歩くには、自然の中で生活しなくてはならない。動植物の生活圏で人間がその痕跡を残さず生活するには、少なくとも動物の生態を知り、その対処を学ばなくてはならない。自然に与えるダメージを極力少なくするため、ハイカーには知るべき事、守るべきルールがある。
近年、日本では熊の目撃情報や熊による被害が多く報道されている。捕食動物ではないツキノワグマが人間を襲うには様々な理由があると考えられる。
アメリカのバックカントリー(観光地以外の原自然エリア)では、熊によるハイカーへの事故がほとんど報告されていない。それはハイカーがしっかり熊の生態を知り、熊に人間の食料を食べる機会を与えないように、ベアハンガー(鉄製の食料を掛けるための支柱)や木に食料を吊るしたり、熊の多い地域ではキャンプ場に備え付けられたベアボックス(鉄製のロックがかかる食料保管箱)に食料を保管したりと、ハイカーが確実にルールを守り、行動する結果なのだろう。
日本ではまだまだ、登山中にりんごやバナナの皮は自然に戻るから捨てても平気、と思っている人は多いのではないだろうか。自然に還る前に動物の餌となり、野生動物が人間の食べ物の味を覚える原因を作っているという事実を認識してほしい。
ちょっと脱線してしまったが、トレイルを歩く事は、前人未到の未開の地を目指し成し遂げる訳でも、神の領域に挑む訳でもない。ハイカーは山野に付けられた道を歩くだけ。
だから僕らハイカーは登山家のように自然を相手に「命のやり取り」はしない。ストームが来ればやり過ごすし、望みをかけて山頂へアタックすることもない。トレイルを歩く事は、自然の脅威に抗うのではなく、自然を受け入れ、自然の中をただ歩くということなのだ。
(続く)

トレイルはアメリカ発祥の概念で、山野に付けられた道を歩く、いわゆる「山歩き」。 北米ではポピュラーなアクティビティであり、文化として根付いている。 山に登るのではなく、山を歩くとはどういうことか。なぜ人々は山を歩くのだろうか。 20年にわたり国内外のトレイルを歩き、日本におけるトレイルカルチャーの普及に努めてきたプロハイカーが、その豊富な実体験を通して「山歩きの哲学」を伝える。
プロフィール

(さいとう まさふみ)
プロハイカー
1973生まれ。山形県新庄市出身。アパレルブランドやディベロッパー企業などに勤務後、
2012年より日本で唯一のプロハイカーとして活動。トレイルカルチャー普及のため、海外のトレイルを歩き、アウトドア媒体を中心に寄稿、講演やイベントを行う傍ら、地元山形にトレイルのコースを作る活動「YLTクラブ(山形ロングトレイル)」に携わる。スルーハイク(単年で一気にルートを歩く方法)にこだわり、踏破した国内外のトレイルだけで25,000km(地球半周以上)を超える。
公式HP https://hikermasa.wixsite.com/
Instagram @hikermasa
Facebook https://www.facebook.com/saito.masafumi.3


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