僕がトレイルを歩く理由 第2話

アパラチアン・トレイルと伝説の第一人者

斉藤正史

トレイルとの出会い

 僕がトレイルを知ったのは、NHKで放送されたBBCの番組だったと思う。この日はなぜかお酒も飲まず、普段見ることのない公共放送を深夜に見ていた。なぜその日そうだったのかは今となっては思い出すことも出来ない。

 番組はアパラチアン・トレイル(以下AT)を歩く数名のハイカーにスポットを当てたドキュメンタリーだった。スタート地点に立った若いハイカーが「僕はこれから6ヶ月間、テレビも電気もないシンプルな生活をするんだ。ワクワクするよ」きっと、そんなニュアンスの言葉を呟いていた。そして、ATの姿をそれぞれのハイカーの目線で映し出した。見終わった瞬間、そう遠くない将来、このATのスタート地点に自分が立っている、そんな気がした。そして3年後、僕はテレビで見たあのATの南の起点にあるプレートの前に立っていた。

 なぜ、僕が3年後、ATを歩くことになったのか、その経緯を少しお話したい。 

 2004年、父が亡くなり当時高校生だった妹が結婚することになった。そんなタイミングで、僕が当時勤務していた鉄道関連の会社の合併話が進んだ。その年の秋に無事に妹を送り出した頃、合併先へ異動を打診された。母を1人残して家を出ることも考えられなかった僕は、あっさり会社を辞める決断をする。そしてこの時、僕の頭の中にあのATの景色が蘇ったのだった。嫁いだばかりの妹に話すと、「今まで頑張ってくれたし、応援するから行って来たら」と言ってくれた。叔父に相談しても、親会社に戻った元上司に相談しても、「お前らしい決断だ。頑張ってこい」と言ってくれた。トレイルという言葉が全く世の中に知られていなかった状況を考えると、不思議な感じもする。

 仕事人間で、多くの業務を抱えていた僕は、毎晩遅くに帰宅すると、情報を集めることから始めた。まだインターネットがISDN回線で、トレイルに関する日本語の情報はほとんどなく、ガイドブックすら手に入らなかった。トレイルの道具も想像で揃えるしかなく、英語で情報を探しては、辞書を片手にホームページを地道に翻訳する日々だった。

 上司に「お前は石橋を叩いて壊して渡らないほど慎重だ」と言われていた僕が、あっさり会社を辞め、しかも社会の枠組みから離れ渡米するとは、当時の僕からしても説明のつかない行動だった。よくあんな状況でアメリカに行くことを決めたと今でも不思議に思う。今なら運命的な出来事だったと片づける事が出来るが、当時の僕はどう思っていたのだろう。いくら考えても思い出せない。

 結局退職まで、僕は有休を1日も行使することなく、辞める当日も深夜12時まで働き、その後、数日は無償で引き継ぎを余儀なくされた。当時の時代背景もあったが、トレイルを歩き終えたあとは、地元企業に再就職するつもりでいたので、いい加減な辞め方だけはしたくなかった。

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 第1話
僕がトレイルを歩く理由

トレイルはアメリカ発祥の概念で、山野に付けられた道を歩く、いわゆる「山歩き」。 北米ではポピュラーなアクティビティであり、文化として根付いている。 山に登るのではなく、山を歩くとはどういうことか。なぜ人々は山を歩くのだろうか。 20年にわたり国内外のトレイルを歩き、日本におけるトレイルカルチャーの普及に努めてきたプロハイカーが、その豊富な実体験を通して「山歩きの哲学」を伝える。

プロフィール

斉藤正史

(さいとう まさふみ)
プロハイカー

1973生まれ。山形県新庄市出身。アパレルブランドやディベロッパー企業などに勤務後、
2012年より日本で唯一のプロハイカーとして活動。トレイルカルチャー普及のため、海外のトレイルを歩き、アウトドア媒体を中心に寄稿、講演やイベントを行う傍ら、地元山形にトレイルのコースを作る活動「YLTクラブ(山形ロングトレイル)」に携わる。スルーハイク(単年で一気にルートを歩く方法)にこだわり、踏破した国内外のトレイルだけで25,000km(地球半周以上)を超える。

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アパラチアン・トレイルと伝説の第一人者

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