「黒パン」が覆したシベリア抑留のイメージ
――他にも、何か意外な発見のようなものがあったのでしょうか?
清水 今回の旅でずっと探していたもののひとつに、黒パンがありました。父の話では何もかも凍るようなシベリアの寒さの中、捕虜たちは腐ったような味がする黒パンで命をつなぎながら、重労働に従事していたそうで、実際にどんなものか知りたかったんです。
ところが、ロシアのレストランで出てくるパンはみんな白いパンで、駅の近くにあった売店にも見当たらない。イルクーツクのスーパーで目立たないところに置いてあったのをようやくみつけ、大事に日本に持ち帰りました。
シベリア抑留者たちが強制労働の対価として支給された黒パンは一日あたり350グラムだったそうで、資料にも「350グラム」という話が何度も出てくるんです。
いったいどれくらいの大きさなんだろう? と、やっと手に入れた黒パンを家の秤に載せてみたら、ぴったり350グラム、想像以上に大きくて驚きました。
ライ麦で作られた黒パンは身が詰まっており、完食するまで1週間もかかるほど食べごたえがあったのです。「すっぱくてまずい」と聞かされていた味も、なかなかおいしかったですよ。
――実際に食べてみて、「黒パンのような粗末な食事で重労働をさせられた」というシベリア抑留のイメージが覆されたわけですね。
清水 ソ連の肩を持つわけではありませんが、捕虜もロシア人労働者も基本的に同じ規定で、これだけの量の黒パンに加え、雑穀や野菜、魚などの副食物も支給するよう定められていました。
収容された場所によって違いはあったでしょうし、ノルマに達しなければ、より少ない黒パンしかもらえなかったとはいえ、過酷な労働に対してそれなりの食糧が支給されていたというのは意外でしたね。もちろん、75年前と今とではパンの味は変わっているでしょう。
父の足跡を辿るつもりで乗ったシベリア鉄道の旅にしても、我々がいたのは暖房のきいたコンパートメントで、寒風吹きすさぶ中、貨車に揺られていった父たちの移動をそのまま追体験できたわけではありません。
それでも、わずかな手がかりから考えをめぐらせ、他の記録などで補いながら、父の人生から戦争の無用さについて考える材料を揃えることはできたのではないかと思っています。
文責:加藤裕子
(後編に続く)
プロフィール
1958年東京都生まれ。ジャーナリスト。日本テレビ報道局記者・特別解説委員、早稲田大学ジャーナリズム大学院非常勤講師などを務める。新聞社、出版社にカメラマンとして勤務の後、新潮社「FOCUS」編集部記者を経て、日本テレビ社会部へ。著書は『桶川ストーカー殺人事件――遺言』『殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件―』(共に新潮文庫)、『「南京事件」を調査せよ』(文春文庫)など。2020年6月放送のNNNドキュメント「封印〜沖縄戦に秘められた鉄道事故~」は大きな反響を呼んだ。