日本の政治に絶望している人たちへ。天才経済学者E・グレン・ワイルが描く 「デジタル民主主義」の未来

「世界はひとつの声に支配されるべきではない」。人々の多様な声を政策に反映させる「デジタル民主主義」を台湾にもたらした、オードリー・タン。世界的に「民主主義の危機」が囁かれ、シリコンバレーが「AIによる大失業の恐怖」を煽るなか、オードリーが「対立を創造に変える協働テクノロジー」の書として、マイクロソフトリサーチ首席研究員で経済学者のE・グレン・ワイルと共同で発表した書籍が『PLURALITY(プルラリティ) 対立を創造に変える、協働テクノロジーと民主主義の未来』(サイボウズ式ブックス)だ。
Pluralityとは「多元性」。AIに代表されるデジタル技術が、分断と対立を量産し、巨大プラットフォームが権威となる時代。対立を創造に変えるPluralityのテクノロジーは、多様性のある社会を取り戻す新たなインフラになるだろう。
デジタル民主主義は日本でも実装できるのか? 『PLURALITY』の共著者E・グレン・ワイルに、その入門書ともいえる『テクノ専制とコモンへの道 民主主義の未来をひらく多元技術PLURALITYとは?』(集英社新書)の著者・李舜志が聞いた。
構成=高山リョウ 撮影=内藤サトル

1 Pluralityとは何なのか
李 グレン・ワイルさん、今日はありがとうございます。僕は英語版の“Plurality”が出た時から、付箋を貼りながら綿密に読んでいました。今回、この魅力的な本の日本語版が刊行されたことを、とても嬉しく思います。あなたと共著者であるオードリー・タンさんによる、デジタル民主主義「Plurality」に関する興味深いアイディアが、こうして日本の読者に届くことは、非常にすばらしいことだと思っています。
ワイル ありがとうございます。このような機会をいただきまして、私自身も非常にうれしく光栄に思います。これは日本語版の序文にも書いたのですが、実は、私が仕事の中で唯一涙が出た経験があって、それは前回、2024年7月に来日した時の出来事でした。

東京お台場の日本科学未来館で、英語版“Plurality”を日本でベストセラーに押し上げることになるイベントに参加したのですが、未来館は私たちが提唱しているPlurality(多元性)の精神を、すでに体現している施設だったのです。
会場の中心にある巨大な地球のディスプレイは、「言語、宗教、民族」といった人間の多様性を考えるためのPlurality(多元的)な見方を表示していました。それは古代のスピリチュアリティと、現代の仮想現実やブロックチェーンによるNFT(Non-Fungible Token:代替不可能なトークン)などを統合した技術によるものでした。
そして施設を案内してくれた浅川智恵子館長による「AIスーツケース(スーツケース型のロボット)」という啓発的なお手本。浅川館長は、ご自身のような目の見えない人々が、尊厳を持って世界をナビゲートできるように、白杖のかわりとなるAIスーツケースを使っていました。私たちもAIスーツケースによるナビゲーションを体験しました。これらはPluralityの物語を具体的に語ってくれる、言葉など及びもつかない出来事でした。
最後は座談会。WIRED Japan編集長の松島倫明さんをモデレーターに、オードリー、のちに日本語版『PLURALITY』の解説文も書くことになる鈴木健さん、未来館の学芸員である小沢淳さん、そして私の4人。この場で私が述べたアイディアはすべて、鈴木さんが10年前に行なっていた活動や、小沢さんが現在取り組んでいる展示、そして観客の皆さんからの質問と共鳴したのです!
時代を超え、世代を超え、日本とアメリカと台湾の文化的相違も超えた対話。親密さを通じての、多様な人々とのコラボレーション。座談会の終わり頃には目頭が熱くなりました。
李 あの日、私も観客のひとりとして参加していました。たしかにあの場では共鳴が起こり、私も胸が熱くなったのを覚えています。グレンさんの明るさ、オードリーさんの器の大きさも印象的でした。
そして私は、日本語版『PLURALITY』の入門書ともいえる『テクノ専制とコモンへの道 民主主義の未来をひらく多元技術PLURALITYとは?』(集英社新書、2025年6月17日発売))を書くことになりました。今日は「PLURALITY」について、あるいはグレンさん御自身のお考えをお聞かせいただければと思います。
2 民主主義に絶望している人たち
李 まず、現在は1930年代と状況が似ているのではないかと思うのです。「資本主義と民主主義の行き詰まり」が指摘されていて、極左だったり極右のような極端な政治思想が広まっている時代だと思います。この日本でも、特に民主主義に絶望している人がたくさんいまして、そういった人々は、この本に書いてあるような「テクノクラシー」だったり「リバタリアニズム」を支持しています。
テクノクラシーの「テクノ」は技術、「クラシー」はギリシア語で支配を意味する「クラトス」に由来する言葉。人間や社会の統治をテクノロジーの専門家が担うことを意味します。代表的な提唱者にイーロン・マスクがいます。
リバタリアニズムは、暗号技術やネットワーク・プロトコルにより規制から解放された個人が利益を追求することを最重視するイデオロギー。PayPalやOpenAIの共同創業者であるピーター・ティールが、代表的な提唱者です。ティールは「私は自由と民主主義が両立するとは思わない」と主張しており、ドナルド・トランプとその支持者の主要な援助者でもあります。
テクノクラシーとリバタリアニズムが支配的な、現在の民主主義。しかし、あなたやオードリー・タンは、そのどちらでもない立場を取っています。あなたたちの立場とはどういうものか、説明していただけますか。

ワイル 国際関係においても民主主義においても資本主義においても、「制度が壊れているのではないか」とか、「これまでのような体制が崩壊しつつある」というような、希望のない見方、または恐れや懸念があると思います。しかし、民主主義や資本主義の分野において、まだ現実に起こっていない、私たちがまだ見ていないようなワクワクする展開が、これから生まれてくるだろうと思っています。その明確なビジョンとテクノロジーを、この本で示したいのです。
民主主義が多くの地域で衰退し、経済成長が鈍化している一方で、たとえば台湾のような場所では状況がよくなっています。民主主義は進展し、経済成長は加速しており、その両者はテクノロジーの発展と共に加速しています。
一方、日本では、人々は政党に対して少し幻滅しているかもしれません。日本の政党制度は、これまで特に活気のあるものではありませんでした。しかし同時に、日本において世界で他に類を見ない非常に特別なことが起こっており、私たちに異なる視点を提供しています。このような体制について、西欧や他の世界のコミュニティにおいては、十分に議論がされていないと思います。
現在は「議会制民主主義か、独裁主義か」というような、非常に極端な面からの議論しかされていません。ですが将来的には、新たな政治の枠組みが出てくるだろうと私たちは思っています。
世界を見ると、特に日本を見ていると、文化的にも政治的にも未来志向であるように思います。また日本以外にも、インドや台湾の状況というものがあり、西欧とはすこし違う形で民主主義が発展しています。政治体制も同様です。
それなのにこれらの国の話を、人々はあまりしていないように思います。ヨーロッパかアメリカか中国の話ばかりしている。しかし本にも書いたように、インドや日本、台湾は、Pluralityの観点からは、欧米や中国より進んでいる面があるのです。
ですから、ぜひ日本は、いまの日本の状況を世界に向けて発信すべきだと思います。未来へのビジョンとリーダーシップを、日本は示すことができます。
3 神道の世界を仮想現実に?
ワイル 今、台湾やインドなどで起きているデジタル民主主義の実態として、テクノロジーが今ある制度を全て「消し去る」とか「無くす」のではなくて、逆に私たちは、現状の制度の上で「機械やテクノロジーを活用したい」という立場です。日本が近代化を果たした際に実践したように、私たちが持つ最も深い価値観を表現し、長年抱いてきたがこれまで実現できなかった目標を達成するための手段としてテクノロジーを活用することです。
たとえば大昔からの文化として、日本には神道がありますね。神道には「万物に魂が宿っている」という考え方があります。そうした中でテクノロジーが万物の声を聞かせることができたらすばらしいのではないか、というアイディアなんです。昨日スタジオジブリを訪れたのですが、そこにある多くの作品は、そのアイディアを表現したものですよね? あれはアニメですが、川であるとか、森であるとかの、自然が秘めている「声」を、たとえばですが、AIや新たなデジタル技術を使って聞かせることができたら、それは本当にすばらしい世界ではないでしょうか。AIの大きな目標の一つは、コンピュータがすべてを代行するということではなく、森が語り、川が語りかけるような世界を実現することだと私は思います。

別の例を挙げると、カトリック教会で新しい教皇が選出され、彼は教皇レオ14世の名前を名乗りました。教皇レオ14世は『Rerum Novarum』という素晴らしい回勅を発表しました。 この回勅は、主に「補完性(subsidiarity)」と「多極共存主義(consociationalism)」と呼ばれる概念について扱っていました。 つまり、権限を地方に委譲し、人々は単なる個々人としてではなく、所属するグループを通じて代表されるべきだという考えです。
一方で、都市には多様な仕事があり、会社があり、教会もあり、いろいろな団体があります。本当に複雑なネットワークで出来ている世界なので、コンピュータなしには、様々なものを結びつけることはもはや不可能でしょう。コンピュータを活用することで、カトリックの社会思想が求める深い願いを実現することができるのです。 それがPluralityの本質です。それは、これらの文化や思想を消し去り個人主義やコンピュータのような他の思考様式で置き換えるのではなく、それらを尊重し、テクノロジーを用いて複雑さに対処することです。
李 ありがとうございます。たしかに本の中でも、たとえば気候変動に対処するために「木の気持ちになってみる」という、没入型共有現実(ISR)のプロジェクト(Treeプロジェクト)がありましたね。あなたが今おっしゃった「自然の声を聞かせる」というアイディアも、神道という日本の伝統的な考え方に合致するものだと思います。
ワイル ありがとうございます。TreeというISRのプロダクトがありますけれども、それは仮想現実(VR)だけでも、拡張現実(AR)だけでも、複合現実(MR)だけでもなく、それらを統合させた没入型の体験を通して、本当に木の気持ちになるということです。ISRの技術の進歩は目まぐるしく、自然と話をする、自然の気持ちになる。それから、さらに一歩進んで自然と交渉するというような考え方も出てきています。
また「万物に魂が宿る」という神道の考え方は、アメリカの絵本作家であるドクター・スースの本(李補足:2012年、『ロラックスおじさんと秘密の種』というタイトルでアニメ映画化され公開)の中にも、木と話をする、または木を代弁するようなキャラクターとして出てきます。そういった小さなところにも多元的な文化、日本とアメリカの文化を超えた共通点があると思っています。
4 資本主義は今や「レガシー」にすぎない
李 ところで先ほど、テクノクラシーとリバタリアニズムについて話していました。特にリバタリアニズム、この本の中では「企業リバタリアニズム」と呼ばれていますが、おそらく彼らは、「自分は資本主義的に合理的な振る舞いをしている」と言うと思うんです。「経済学的にごく適切な振る舞いをしている」と。しかし、あなたは経済学者であるにもかかわらず、企業リバタリアニズムを批判して、デジタル民主主義、ひいてはPluralityを支持しています。それはどういった理由からでしょうか?
ワイル 経済学者が資本主義の制度を正当化しようとする試みは、非常に有名です。ミルトン・フリードマンを思い浮かべることもできますし、経済理論としてはケネス・アローやレオン・ワルラス、さらには厚生経済学の定理などを考えることもできます。しかし非常に不可解なのは、人々が資本主義を正当化する際に口頭で挙げる理由――たとえば「資本主義は新しいアイデアを生み出し、大企業や産業を育て、イノベーションをもたらす」といった説明――が、理論的な正当化と矛盾しているという点です。なぜなら、理論的な正当化のほうでは収穫逓減(事業規模が大きくなればなるほど、新しい投資の期待値と現実がかけ離れていくこと)を前提としているからです。
効率的な資本主義を実現するためには、効率的な価格が形成され、需要と供給が均衡する市場が必要であり、そのような市場では収穫逓減が前提とされます。収穫逓減を前提とする市場では投資に見合った成果が期待できなくなるため、イノベーションに投資するインセンティブが生まれにくくなります。また大規模な組織の構築も排除されます。 それ(=収穫逓減を前提とした理論)は、実際には人々が資本主義の天才的な特徴として称賛しているあらゆるものを否定してしまうのです。つまり問題なのは、私たちが持っている資本主義の理論が、現実に資本主義に帰せられている利点と真っ向から矛盾しているということなのです。

したがって、「資本主義は経済的に合理的である」という考えは、私たちが現実に思い描いているような資本主義が存在しない世界でしか意味をなさないのです。これは、私たちが解決しなければならない根本的なパラドックスです。 このパラドックスを解決するためには、今私たちが「資本主義」と呼んでいる制度が、実際には、収穫逓増やイノベーションといった現代の核心的な経済課題をうまく扱える制度からは、ほど遠いものだと認識しなければなりません。それらは単なる歴史的なレガシーに過ぎないのです。
過去に薪を燃やしてエネルギーを得ていたからといって、それがエネルギーを生み出す最適な方法だと誰も思っていないのと同じです。それは「エネルギーを生み出すべきではない」という意味ではなく、「私たちはもっと創造的になり、別のやり方を考えなければならない」ということです。
まさにそれが、私たちが資本主義をどう捉えているかということです。私たちは、資本主義の理論とその現実のあり方との間に矛盾があることから、前に進むための最善の方法は、資本主義の中で使われるテクノロジーに対して行うのと同じくらい、資本主義という制度そのものを変革することだと考えています。
5 相互関税でもグローバリズムでもない道
李 引き続き経済についての質問をさせていただきたいのですが、現在、アメリカのトランプ大統領の相互関税が世界を騒がせています。日本でも、連日報道されています。この点でお聞きしたいのが、自由貿易の是非についてです。あなたが前著の『ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀: 公正な社会への資本主義と民主主義改革』(共著、東洋経済新報社)で引用していた経済学者レオン・ワルラスは、「自分はノーベル平和賞を受賞すべきだ」という考えを持っていました。というのもワルラスの理論は「関税なき自由貿易」の理論で、それは平和にも貢献するものであると。ワルラスは「自由貿易は経済的な豊かさだけでなく、平和にも貢献する」と考えていました。
とはいえ現在、トランプの関税政策を支持する人の中には、以前のグローバル資本主義に戻るくらいなら、相互関税の方がいいという人もいると思います。
自由貿易を阻害する現在の関税政策ではなく、以前のように格差がどんどん広がっていくグローバル資本主義とも違う経済活動。それはどのようなものになるのでしょうか?

ワイル さて、自由貿易のグローバル化の根本原則は、産業政策の制度を破壊し、産業に対する公的支援を破壊し、保護や市場の境界や制約という概念を破壊することです。
しかし、私たちが経験してきた国際協力は、それだけではありません。EUは各国の防衛産業を統合して、エアバスなどを製造する EADS(European Aeronautic Defence and Space)を設立しました。これは大成功でした。それは物事を破壊することではなく、橋を築き、それを維持することで成功を収めたのです。
私は、今後の国際協力の形は、自由貿易や保護主義よりも優れたものになると考えています。それは「共同開発(co-development)」です。自由貿易によって開発国家(developmental state)を排除するのではなく、同盟国と開発国家を共有するのです。
いつか、日本がこの動きのきっかけとなることを願っています。しかし、これらの価値観を共有する民主主義国家は、ただ関税を課さないことだけで合意するだけでなく、それぞれが得意分野を取り入れ、相互に投資を行い、大規模モデルや防衛システム、ネットワークインフラなど、一国では達成できないスケールを共同で構築できる体制を構築すべきです。 それは、障壁や助成金を撤廃してスケールを破壊するのではなく、スケールを活用し、協力によってスキルを構築することなのです。
李 ありがとうございます。日本のニュースでは、トランプの関税政策が批判されているのですが、その代替案というものがあまりなくて、「以前のグローバル経済の状態に帰る」ことが良いことだとされています。建設的な意見で、非常に勉強になります。
ワイル 代替案が日本にはないとおっしゃいましたけれども、もうすでにそういったモデルを日本は作っているのではないですか? 私から見ると、そのように思えます。日本は非常にユニークなビジネスモデルを作っているので、ぜひ国際的なリーダーになって、そのモデルを世界に伝えていけばいいではないですか。他の国との共同投資の方法は、単なる自由貿易だけではありません。それは、ものづくりにも当てはまります。
ほとんどの企業は、単に「利ざやをとらない」と言うだけでなく、共にものづくりに投資することで他企業と関係や同盟を結びます。これが日本の企業が世界中で実践してきたモデルです。このモデルを、日本が他国と共に採用すべきだと主張すべきです。日本がリーダーシップを発揮するためには、何よりも自国のストーリーに対する自信が必要だと思います(後編に続く)
プロフィール

(E・Glen Weyl)
1985年生まれ。経済学者。RadicalxChange、マイクロソフトリサーチのPlural Technology Collaboratory & Plurality Institute 創設者。マイクロソフトリサーチ首席研究員。共著に『ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀: 公正な社会への資本主義と民主主義改革』(東洋経済新報社)がある。

(リ・スンジ)
1990年、神戸市生まれ。法政大学社会学部准教授。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。日本学術振興会特別研究員、コロンビア大学客員研究員などを経て現職。著作に『ベルナール・スティグレールの哲学 人新世の技術論』(法政大学出版局)。