伝統工藝を現代建築に取り入れた「工藝建築」で注目を集めている、Z世代起業家の塚原龍雲氏。著書『なぜ日本の手しごとが世界を変えるのか 経年美化の思想』(集英社新書)では、日本の伝統工藝が持つポテンシャルをみずみずしい感性で読み取っていく。そんな塚原氏と、これからの日本の工藝をつくる職人との対談。二人目のお相手は、日本とヨーロッパの伝統工法を融合させた建築で注目されている大工アーティストの菱田昌平氏。後編ではこれからの社会での「職人の手しごと」の可能性について探っていく。
構成:高山リョウ 撮影:菱田桔平

1 「職人って何だろう?」って考えた
しかし工藝の職人さんたちはいま、厳し過ぎる現状に立たされている。令和四年度のデータによれば、伝統的工芸品産業界の従事者数は約四万八千人、生産額は一千五十億円。一人あたりの生産額はわずか二百二十万円弱だ。それでも、瀬戸際でファイティングポーズを取り続ける職人さんたちを何人も知っている。僕はそんな職人さんたちに育てられながら、現場の厳しさも、未来への希望も、直に肌で感じてきた。
こうしたことを、自分なりの言葉と経験を通して伝えたいという思いから、この本は生まれた。僕が伝統工藝の存続に貢献できるとすれば、それは難しいデータや持論で危機感を煽ることではなく、工藝の素晴らしさに気づいてもらい、「モノを大切にしたい」と思う心を少しでも増やすきっかけをつくることだと思っている。(『なぜ日本の手しごとが世界を変えるのか 経年美化の思想』塚原龍雲・集英社新書より)
塚原 前回からの続きになりますが、日本とヨーロッパの伝統工法を融合させて、手しごとで住宅などを造る活動をされている菱田さんは、「大工アーティスト」と名乗っていらっしゃいます。そんな菱田さんとお話していて非常に印象深かったのが、「大工は職業じゃなくて生きざまなんです」というお言葉です。
日本の手しごとは世界を変えられると思っている僕の問題意識として、菱田さんのような日本の職人さんが海外に行くときに、自らの肩書きを表す適切な表現がない現状を変えたい気持ちがあります。「アーティスト」や「クラフトマン」などの外来語に置き換えるのではなく、「職人」は「SHOKUNIN」として世界に発信したほうがよいのではないか、そうすることで職人の手しごとが持っている本来の価値が、この資本主義の現代社会でも世界的に認知されていくのではないか? そんな話をしていました。
職人って、大工さんとか伝統工芸士さん以外にも、寿司職人にも「職人」と言うわけじゃないですか。でも回転寿司のスタッフには職人って言わないじゃないですか。そうしたときに「職人って何だろう?」と考えると、やはり人生を懸けて死ぬまで技を高め続ける生きざまそのもののことではないか?と。「職人」とは職業の名前ではなくて、生きざまとか、生きる姿勢の表現ではないかと思ったんです。だからこそ変な外来語に訳すのではなく、職人は「職人」として海外に出ていく言葉になれば嬉しいなと思っているんですけど、そのあたりの菱田さんのお考えを伺いたいです。
菱田 私もやっぱり、大工って職業じゃなくて生きざまなんだと思っています。「常日頃からの全ての行為がしごとにひもづいていく」という生き方が大工だと思っています。しゃべり方から、気遣いから、お茶の入れ方から、木の触れ方から全て。お客様と話すときも、道具に触れるときも、お茶を飲むときも、しごととプライベートを分けるラインが何もないというところが「大工」だと思っているんです。自分はそういう思いで大工をやっています。
ただし今、うちは会社になってしまっているので、若手を雇うと社員に、会社員になってしまうんですよ。これは私の考えるところの「職人」とすごく離れたところからのスタートになるので、理想と現実をどうやってつなげようか?ということを模索しているところはあります。今、菱田工務店の社員は45人ぐらいいて、若い大工を6年間かけて、社員の研修制度みたいな形で育てているんですけど、20代の大工が14名ぐらいいます。設計も20代が4、5人。結構若い会社です。独立した社員もいます。今、私の三番弟子までが独立して、この地域で大工として活躍しています。
採用は基本的にインスタ経由で問い合せが来るので、まずインターンをやってくれと。設計でも職人でも必ずインターンをやっていただいて、そこからうちの会社にフィットする子を採用していく感じです。やっぱりうちはスタッフもお客様もほとんどファンの方ですね。建築が好きで、自分でも設計してみたいとか、手しごとでものをつくりたいとか、「HISHIDAの家」を全く知らずにうちに来る子は一人もいない。
塚原さんの本にもあったように、職人が本当はやらなくていいことまでやっている現状、たとえばマーケティングとかブランディングとか。現代は、職人が職人として生きていけなくなってしまったから、職人のしごとに没頭できなくなっている。それはなぜかといえば、前回も言いましたが、どんなにしごとをしても経済がついてこないからですよね。
だから職人が職人以外のしごともやらなきゃいけないということで、私も会社のウェブサイトをプロデュースしたり、インスタのアカウントを作って自分の世界観を発信したりしているわけですが、心から「自分は職人だ」と言える生き方はしづらい時代だと思います。だから塚原さんみたいな人たちが、「職人が職人として生きられる環境」をつくってくれれば、生き方として人々からも憧れられて、そこに経済もちゃんとついてきて、世界にも出て行けるのではないかという気はするんですよね。

2 古いほど坪単価が高くなるヨーロッパの住宅
塚原 これは今回の本で書きたかったことの一つでもあるんですけれども、僕は資本主義を否定して、「手しごと大国」とか「手しごとの世界」をつくっていきたいみたいな話をしているわけではないんです。資本主義の便利なところは享受しながら、行き詰まってしまったシステムなどに対しての潤滑油として、「工藝」とか「手しごと」という考え方があるんじゃないか?ということを伝えていきたいんです。
今はこれまでよりはるかに経済というかマーケットの動きがあるような気がしていて、そのうちの2つぐらい事例を挙げると、ひとつがやっぱり「世界一美しい会社」と呼ばれているブルネロ・クチネリだと思うんです。彼らの「人間主義的資本主義」という、人のためにものづくりをする、人のために経済性を拡大していくという在り方そのものが、世界的にも受け入れられつつあるというか。
ひと昔前だと、明らかに企業の存在意義というのは、「株主利益の最大化」に行き着いていたところが、最近ではステークホルダーだったり地域だったり職人さんだったり、その企業に関わっている人のために活動していく。そのことで結果的に株主利益が最大化されるという構造が徐々にできてきている。これは徐々に徐々に世の中が変わってきている、すばらしい事例かなと思っています。
もうひとつは、菱田さんも最近一緒に作品をつくられたアーティスト、長坂真護さんの例です。先進国がガーナに廃棄したゴミをアートに昇華させて、その売上でガーナ人を雇用する活動を進めているのですが、これもガーナの社会課題があまりにも重くて、でもその課題が重いほど、てこの原理のようにレバレッジがかかって、彼の作品の経済価値が上がっていく。そしてその利益がガーナに還元される循環が生まれている。これもある種世の中が変わってきているといいますか、これまで見過ごされてきたものに光が当たることによって、結果的に経済性がついてきている。この動きがすばらしいと思うんです。
その点でいうと菱田さんがよく「古る美る(ふるびる)」美しさっておっしゃっているんですね。これ僕、すごい好きな言葉なんですけれども、時間が経つほど美しくなる「経年美化」の思想、それにも経済性がついてきていいんじゃないかと思っているんです。
面白いのがヨーロッパの一部地域では、古い物件ほど不動産の価値が高いんですよね。もちろん、新しい物件が立ちづらい条例や制限も影響していますし、さらにその物件が「良い物件であれば」という条件がつきますが。逆に日本では、古ければ古いほど坪単価が下がっていくじゃないですか。リノベーションしてビルの価値を上げましょうみたいなビジネスが最近出てきていますけど、東京の不動産市場とヨーロッパの不動産市場って価値観が少し違うのかなって。
「10年経ったら坪単価がこのぐらい下がって、賃料相場はこれぐらいです」みたいな今の資本主義の規定で物をつくっていくと、古びる美しさを醸し出せる素材なんて到底使えないんですけど、本質的にすばらしい素材ですばらしいものを建物ごとつくれたとしたら、「減価償却、耐用年数、利回り幾ら」みたいな経済の常識を跳躍できるような気がしていて。
これまでだったら「1億円なら毎年1000万円利益を出して、10年利回り10%で回収」みたいな感じだったのが、もしかするとこの先、「職人の手しごとで良質な素材を使った建物は10年前より価値が増している。だから坪単価としてより高く貸せる」というところまで経済価値が追いついてくると、かなり様子が変わってくると思うんです。これまでの利回り計算や市場相場感では使えなかった建築材や、入っていかなかった手しごとが入ってくると思うので。
徐々に徐々に世の中の資本主義市場観みたいなものが変わっているなかで、「職人さんの手しごと」というものが改めて、経済の循環に組み込まれるようになる。我々KASASAGIが、よりスムーズにその橋渡しをできるようになれればと思っています。
菱田 塚原さんがおっしゃるように、今後、職人の手しごとを発展させていくのに必要なことは、資本主義の経済を回すことだと思いますね。手しごとに本来あるべき価値を見出すことができる方、その人たちが時代をつくってくれると思っています。私はその大きい時代まではつくれなくて、私は私の範囲でしかつくれないので、たぶんそのような大きな仕組みをつくるのは、塚原さんのような方かなと思っています。工務店業界の橋渡しは、私がやってみますけど。
たとえば日本の建築業界を見ると、「大工と設計者って何でこんな混じらないの?」とか、「現場に経営者って全く混じらないの?」とか、なんでそんな不便なことみんなやってるの?と思ってしまうんです。
自分は設計の業界も、職人の業界も、経営の業界も見てきているので、それぞれの問題解決の方法を持っています。たとえば職人が抱えている問題も、経営のノウハウで解決できるみたいなことがよく見えるんですよ。今の建築業界にはその垣根を越えている人がいないので、私なりにまだまだ未熟ですけど、ひとつずつ垣根を越えながら、職人として、経営者として、もっとフリーな建築の世界をつくれないかと模索しているフェーズです。

3 時間がないと失敗ができない
菱田 昔は大工の修行で、まずは5年間。その後、親方にお世話になった御礼奉公でプラス1年、計6年間の修行期間がありました。私も大体ひと月に休みが1日か2日というサイクルで5年間修行させていただいて、御礼奉公の1年に入ったときに親方が65歳でしごとが無くなってしまったので御礼奉公は無くなり、5年で年季明けとなりました。
大工はやはり時間をかけて学んでいくもので、技術以外の部分を学ぶのに時間がかかるんです。みんな大工しごとが好きだから職人をやっているんですよね。だから遅かれ早かれ技術って誰でもついちゃうと思うんです。
ただやっぱり、塚原さんの本にもあったんですけど、身につけた技術を使いこなせる「人柄」がすごく大切なんです。私は建築が生業なので、スタッフにも日頃から言っていることなんですけど、「僕たちはお客様がいらっしゃらないと無能集団で役に立たない。だからこそお客様の言いなりにはならない」のです。
こちらはプロだから、お客様が言葉にできないような、だけどお客様が感じられていることをちゃんと酌み取って、すばらしいものでお返しするというのがプロのしごとだと思っています。そこに技術はあって当然で、一番大切なのがお客様の心を読み解く「精神性」なんです。
住宅って、生涯で一番高い買物になるわけですから、こんなハードルの高い会社に来ていただく方に、いかに一番最初のフェーズで心を開いていただけるか? そもそも「心を開くってどういうことかな?」って、私も20代から現場で働いて考えていました。私も昔は親方と二人っきりだったので、否応なく親方の精神性を毎日ぶつけられる環境にいて、大工としての精神性は自然と身についていったのですが、今、菱田工務店は企業になってしまっている。労働環境も変えなきゃいけない、週休2日制とか残業も申請しないといけないとか、昔の環境と全く違っていて、そこで何をどう伝えようかって難しい部分もあるんです。
現実的には、しごと以外のクラブ活動みたいなものづくりの時間をつくって、しごとではなく楽しみながら、互いに気を遣いながら勉強してもらおうとか、しごと以外の時間を月に1回取って精神的な話だけをするとか、気遣いや精神性といった「技術以外の一番大切なもの」が、なんとか若い子たちの血肉に入ってくれないかなと思いながらやっています。
うまくいっているときって、人は何も学ばないと思うんです。失敗したときが一番学ぶべき時期で、技術にしてもまずはできる範囲内でやらせてみる。「やって、こけて、死なない」ぐらいの課題を与えて、失敗したときに振り返る。そうして体で覚えていくということを、会社の枠組みのなかで6年かけてやっています。なぜ6年必要かというと、時間がないと失敗ができないからです。

4 人間らしく暮らせる家に住みたい
――菱田さんのつくる家は、窓が広々としている印象があります。最近の標準的な新築家屋は小さな窓、細長い窓が主流のようですが、菱田さんが考える「窓」とは?
菱田 おっしゃる通り、窓って実は今、住宅業界の考えでは「できるだけ小さくしましょう」という風潮なんです。なぜかというと性能で売りたいから。
窓を小さくすればするほど、断熱性能と気密性能が上がるんです。それらを数値化して、その数字で売る住宅メーカーがたくさんあるので、そこに追随してしまう工務店さんが多いんです。だから小さな窓、細長い窓の家ばかりが建つ。それは一般論です。
ただ私の概念に一般論はあまりないので、「だったら発泡スチロールの箱の中で住めば?」となっちゃうんです。それって人間として何の豊かさもないでしょうと。美しさも何も感じられないんじゃないかと、私もすごく感じているところです。
窓って、家の中と外をつなぐこともできるし、遮断することもできる。光や風の居場所にもなるんですね。それが私はすごく大切だと思っています。
空間って面白くて、私たちが建築を始めるとき、地面に地縄という縄を張るんですが、その縄で囲った敷地に立ってみると、ほぼ全員が「小さい」と言うんですよ。数字としての平米数と比較して、「何、この小ささ?」ってなるんです。
人間って、そこに壁と天井ができて初めて「空間」と認識できるんです。壁と天井に囲まれたとき、「自分は空間の中にいる」と認識するんです。それは下手をすると「壁に閉じ込められている」という認識にもなってしまうので、そこに窓をつけてあげると、空間が外に広がるんですよ。数字的な大きさとか数字的な性能値を、窓が全部飛ばしてくれるんです。
日本を出るとよくわかるんですけど、やっぱり日本って美しい四季があるじゃないですか。それを一番感じられるのは窓辺なんです。私の自宅はリビングが大きな窓で庭に抜けていて、カーテンはつけていないので、外の景色がそのまま目に入ってくるんです。去年2ヶ月ほどベルギーにいて11月頃帰ってきたんですけど、帰国して自宅のリビングで目覚めた朝、庭を埋め尽くす落ち葉が一気に視界に入ってきた。
そうしたら、それまで邪魔なものだと思っていた落ち葉が美しく見えたんです。2ヶ月ぶりの日本は落ち葉すら美しくて、「日本の四季ってすばらしいなあ」って感動しました。
自分自身のそういう体験もあるので、今の住宅業界の考え方とは真逆に、窓は大きく取ります。もちろん性能値も取れるので、断熱性や気密性も考慮して全体の設計をします。家を建てるとき、空間というものをより広げて美しいものにするために、窓は大切なものだと思っていますね。
塚原 菱田さんの家で過ごしていると、ちゃんと息している気分になります。息継ぎして人間に返った気分になるんですよね。
最近、けっこう長い時間オフィスで過ごしたり、地方に行けないときは社内にいるんですけれども、やっぱり何とも息が詰まってくる。そんななか、今日も東京から1時間ちょっとかけて坂城に来たんですけど、息をして人に返った気分になっているんです。
これ何でなんだろう?と思ったときに、やっぱり使っている素材が、壁も天井も全部土ですし、今こうして触れている机も木ですし、座っているのもKOMAさんの椅子だったりと、自然素材が暮らしの中にある。それって人間にとって、人間の心にとって、すごく大事なことじゃないかなと思っています。
「人は自然の一部」というふうに考えたときに、木や土といった自然素材の中で暮らしていくことで、人間らしい暮らしができるような気がしていて、ここに来ると都心のきゅうきゅうに詰まったマンションに対して疑問を抱かずにいられなくなってくる。だからといって東京の住宅が駄目という話ではないんですけれども、菱田さんの家では人間に返った気分になります。
そして「ちゃんとし過ぎてない」というところも大事かもしれません。菱田さんの家は、変にピカーッてしていないです。この机もそうなんですけど、「ピカーッとして真っすぐ」という感じでもない。
菱田 手鋸を引いたままなんです。
塚原 ですよね。本当に引いたままで、きっちりし過ぎてないみたいなのはすごく大事だと思っていて。「こうしてやろう」という意図があまりにもピタッとしている空間は、ちょっと息苦しくなっちゃうと思うんですけれども、「ちゃんとし過ぎていない」、そういう心地良い具合があると思うんです。
人と共存して、心地良い距離感になるような、素材の手の入れ方もあるのかもしれません。本にも書きましたけど、自然素材だからといって丸太のままでいいかというと、そんなことはない。逆に手の込んだことをしてピカーッと光らせたらいいかというと、それも違う。
緊張感を持たずに「心地良い」と思えるような自然との間合いが、菱田さんの家にはあるのだと思います。(了)

プロフィール


(つかはら りゅううん)
2000年生まれ。高校卒業後、米国の大学に入学。留学先で日本文化の魅力と可能性を再認識したことをきっかけに「KASASAGI」を創業。日本の美意識で世界を魅了することを掲げ、伝統工芸品オンラインショップ「KASASAGIDO」や、伝統技術を建材やアートなどの他分野に応用する「KASASAGI STUDIO」を展開。インド仏教最高指導者佐々井秀嶺上人の許しを得て出家した、インド仏教僧でもある。著書に『なぜ日本の手しごとが世界を変えるのか 経年美化の思想』(集英社新書)


菱田昌平×塚原龍雲










大塚英志
石橋直樹