対談

【後編】相馬野馬追と琉球競馬から見つめる、日本の馬文化のいま

星野博美×梅崎晴光

客を呼べる馬行事

梅崎 野馬追が江戸時代から観客を呼び込んでいたという話がありましたね。例によって沖縄と結びつけちゃう私は、冊封使の馬行列を思い出しました。琉球王国が明・清に朝貢していた頃は、王が代わるたびに使節団を迎えるならわしがありました。使節団を那覇の天使館から首里城まで、坂道をのぼって7、8キロ運ぶのですが、正使と副使だけ輿に乗せて、150名ほどの文官・武官はみんな馬で行きます。これに琉球王国の役人たちが加わるので、計200頭か250頭の馬が二列になって、幹線道路を首里城に向かって歩いてゆく。そうすると、みんな見にくるわけです。

星野 やっぱり楽しいですよね。

梅崎 はい。中国から使節が来た、めずらしい格好をしている、それがおもしろくてしょうがない。人がずらーっと見ている中を、馬の行列が進んでゆく。これって星野さんが書かれている野馬追のシチュエーションとまったく同じだったと思いますよ。「よく馬がパニックを起こさないものだと感心する」「沿道からの圧が高まったことで、馬が脅えやしないか」といった記述がありましたけど、琉球王国時代の馬行列もまさにこれだったんです。

星野 パニックになって冊封使を落馬させたりしたら、本当に首が飛んじゃいますからね。

梅崎 そうすると、一か所に集められても、まわりに人だかりができても、おとなしく整然と首里城まで人を乗せることができる、そういう馬を300頭用意することが、馬役人の最大の使命になるわけです。その苦労は並大抵のものではなく、本島だけでは集まらないから宮古島までスカウトに行って、それでも足りないから八重山まで行って。当時の資料に、馬役人の泣き言が残っています。

星野 しかも中国から来た役人が乗るわけだから、乗り方も違うはずですし。

梅崎 彼らにどれだけの騎乗技術があったかは定かじゃないですけど、いずれにしても初対面の馬に乗るわけです。そうすると、もともとのおとなしい気質に加えて、相当教育された馬たちが集まっていたのでしょう。側対歩がよしとされるようになったのも、乗っていて疲れないからです。そのような優秀な馬を選別するために、2頭ならべて歩き方を競う琉球競馬がはじまったのだと私は考えています。

星野 野馬追は戦の備えから始まり、琉球競馬は客を迎えるところから始まったということですね。

梅崎 だから、ンマハラシーでは歩調を変えたらダメと言われるじゃないですか。原点はそこなんですね。客人を快適に運ぶこと。

星野 でもコースにあるなだらかな下り坂で、馬は楽しくなっちゃうんですよ。ラララーンってなっちゃう。それで「ああ走っちゃったー!」って(笑)。

梅崎 やっぱり馬はアップダウンに対してはハミがかかる習性がありますから、沖縄で確認されている198箇所の馬場跡はすべて平坦です。起伏の多い沖縄本島で300メートルの平坦な直線を見つけるのは難しいですよ。だからこそ、基地を作る側にしてみればこんなにおいしいところはない。「こどもの国」のンマハラシーは、会場をどこにするか議論を重ねた結果、いまの場所に決まったのですが、直線で200、300メートル取れないから、往復の競走になりました。往復するというルールは本来の琉球競馬にはないんだけど、土地の問題でやむを得ないですね。

馬がもたらしてくれるもの

星野 今回うかがった久米島では、すごくいい試みをしていました。久米島にも雑草の茂った土地がたくさんあるので、島の人と話をつけて、今月はここ、来月はここというふうに放牧地を貸してもらって、馬を放牧しているんです。馬はむしゃむしゃ、草を食べ放題で、飼料代がかからない。いろいろ試行錯誤した結果、それがいちばん持続性のあるやり方だと気づいたそうです。もちろん、地元の方々との信頼関係があって初めて成立することですが、地産地消の最たるものでした。

他の地域でもそういう取り組みが増えたらいいなと思いました。馬糞はいい肥料になりますし、競走ができなくなった馬でも、出張して草を食べたり、人と触れ合ったりといったお仕事はできるので。そういうことをカジュアルに循環させて、馬がもうちょっと幸せに暮らせるようになったらいいなと思っています。

梅崎 私は乗馬はほとんどやらないのですが、星野さんは経験豊富ですね。世界中で馬に乗っておられる。次はどこに行かれるご予定ですか?

星野 特に決めていませんが、これからも馬には関わり続けたいです。元気なうちに、馬のいるところをもうちょっと訪ねたいなと思いつつ、あまりケガはしたくないかな(笑)。先月も落馬で軽い骨折をしてしまいました。

梅崎 私は馬に第六感のようなものを感じます。なにかを察知して急に立ち止まり、押しても引いても動かない。するとその先に危険があったと、そういった話をよく聞きます。沖縄の馬に限らず。

星野 私もよく、押しても引いても馬がなにもしてくれないことがあります。でもそれはただ、なめられているだけです(笑)。

梅崎 1頭1頭、気性が違いますからね。子どもの頃から叩いてばかりいると、馬も人の言うことを聞かなくなるし、逆に信頼関係ができていればおだやかになる。馬はなで方で決まるとか、馬の気性を見れば飼い主の気性が分かる、とかよく言われます。野馬追に参加される方々はきっと、家族同然に馬をかわいがってるのでしょう。

星野 あと、馬はタイムスリップさせてくれますよね。馬に乗って風景を見ることで、違う時間軸を体験できる。さっきの冊封使の話みたいに、400年ぐらいすぐにさかのぼるじゃないですか。

梅崎 野馬追で考えると、起源は平将門だから千年ぐらいさかのぼってしまう。それぐらい昔から、馬と人は親密な関係を育ててきたのです。

星野 はい。そこが馬のおもしろいところですね。モータリゼーションがすべて悪いとは思わないけど、これからもう少し、馬と人とのつながりが見直されていってほしいです。

(了)

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プロフィール

星野博美

(ほしの ひろみ)

ノンフィクション作家、写真家。1966年、東京生まれ。『転がる香港に苔は生えない』(文春文庫)で第32回大宅壮一ノンフィクション賞、『コンニャク屋漂流記』(文春文庫)で第63回読売文学賞「随筆・紀行賞」・第2回いける本大賞、『世界は五反田から始まった』(ゲンロン)で第49回大佛次郎賞受賞。主な著書に『島へ免許を取りに行く』(集英社文庫)、『戸越銀座でつかまえて』(朝日文庫)、『みんな彗星を見ていた』『謝々! チャイニーズ』(文春文庫)、『馬の惑星』(集英社)など。

梅崎晴光

(うめざき はるみつ) 

1962年、東京・高円寺生まれ。1986年、スポーツニッポン新聞(スポニチ)東京本社入社。1990年からJRA中央競馬担当。2022年の定年後もスポニチ東京レース部専門委員として記者活動を続けている。『消えた琉球競馬 幻の名馬「ヒコーキ」を追って』(ボーダーインク)で、2013年度JRA賞馬事文化賞、沖縄タイムス出版文化賞正賞を受賞。2025年、同書の増補改訂版を刊行。2024年には絵本『おきなわ在来馬ものがたり』(沖縄在来馬保存事業実行委員会 事務局・琉球新報社発行)を著した。

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