
『ルポ 被爆二世』(集英社新書)の刊行を記念して、著者でジャーナリストの小山美砂さんと小説家の小山田浩子さんによる対談が、2026年7月、広島市のエディオン蔦屋家電で行われました。
ふたりはともに被爆地・広島に居を構え、戦争に関する発信を続けています。小山田さんは2025年、戦争を語り継ぐことをテーマにした小説『作文』(U-NEXT)を刊行。この物語がうまれた背景には、入市被爆(*1)した祖母に聞き取りをした経験があるといいます。
対談では、被爆者の孫として広島に生まれ育った小山田さんの話を入り口に、「被爆二世」やヒロシマについて書くことへの思いが語られました。前後編でお伝えします。
*1 原爆投下後15日目までに爆心地から約2km以内の区域に立ち入ったこと
取材・撮影/集英社新書編集部
「被爆二世となる父の死は、原爆と関係していたのだろうか」(小山田さん)
小山 今日は広島市在住の小説家、小山田浩子さんをゲストにお招きしました。ゆっくりお話しすることは初めてで、戦争をテーマにいろいろお伺いしたいと思い、お声がけしました。
小山田 私は広島生まれ、広島育ちです。今も広島にいて、両親ともにずっと広島です。個人的な話を、まずはさせてもらっていいですか?
小山 はい、お願いします。
小山田 父方の祖母が、被爆者健康手帳を持つ「被爆者」でした。米軍が広島に原爆を投下した1945年8月6日当時、広島市の隣にある呉市の軍需工場にいたそうです。学徒動員ですね。その後、広島市に立ち入って被爆しました。なので、私は「被爆三世」なんですが、被爆三世としてのアイデンティティーを持っていたかというと、そうではありません。 被爆二世となる父は、もう亡くなっているんですが、骨髄の病気だったんですよ。母親、つまり私の祖母の被爆が影響しているのか否かについては、家族の中でも認識が分かれています。影響しとってじゃろねえ、というニュアンスで取る人もいれば、「いや、そうじゃなかろう」という人もいる。祖母は、すごく元気で長生きしたんですよ。
小山 おいくつまで?
小山田 96まで生きまして。
小山 わあ、すごい。

小山田 ですから、子どもへの影響はなかろうで、と言う人もいる。だけど私は、影響があるのではないだろうかと疑っていました。父が亡くなってから主治医の先生に、「これは原爆と関係あると思いますか」と聞いたんです。すると先生は、「あなたのお父さんのような人については、データがないんです」と……。データが明らかになると政治にとって不都合だから、わざと取っていないのかなと、直感的に思いました。もし病気との因果関係が明らかになれば、国や自治体が保障をしなきゃいけない。それを避ける上で「データがない」というのは、すごく万能じゃないですか。だって、ないんだもん。父の死は、「被爆二世の死」としてカウントされていないと思います。そのことは、もう取り返しがつかない。でも、そういうことを口には出してこなかった。平和活動をしていない被爆二世や三世は普通にいるし、病気になる人もおるし、ならない人もいるし……もやっとした感じで生きている、そういう人間だと思います。
小山 広島の空気感みたいなのを思い返します。雑談の中で「実は僕も被爆二世なんだよ」と打ち明けられたり、「二世だけど特に意識してはいない」と告げられたり、そういうことがごく日常的な会話の中に紛れている。そして、本当に多様な声があるんですよね。お父さまが亡くなったのは、小山田さんがいくつの時だったんですか?
小山田 29歳でしたかね。うちの父はすごく運がよくて、骨髄移植のドナーが見つかったんですよ。なので、病気が発覚してから10年以上生きて、57歳の時に亡くなりました。
小山 お父さまの病気は原爆と関係あるんじゃないかと、小山田さんは心配なさったわけですよね。
小山田 正直、そうですね。病気になるまでは、父が被爆二世だということを全然意識していなかったんですけれど、病気になったらそれが家族のタブーになって、うかつに口に出せなくなった感じがします。
「差別の対象にされていること自体、原爆がもたらしたものと言える」(小山さん)
小山 語りにくさ、触れるのが怖い、みたいな感覚があるだろうと思います。さっきの「データがない」という話に取材者として補足しておきたいんですけれど、被爆二世の実態は全然よくわかっていないんですね。人数さえわかりません。
小山田 ひどい話じゃないですか。
小山 30万人から50万人と推計している団体もあるんですが、正確な数字は存在しません。それは国が実態調査をしていないからです。その一方で、戦後まもなくアメリカが設置したABCC(原爆傷害調査委員会)では、生まれてすぐの赤ちゃんを対象とした調査があり、後身の放射線影響研究所(放影研)でも調査が続けられています。ですが、これらの調査では被爆二世の全員を対象としているわけではありません。お父さまは、放影研の健康診断は受けていないですよね。
小山田 私の知る限りでは、受けていないです。
小山 となると、放影研のデータには反映されないので、そういう意味で「被爆二世の死」としては記録されていないだろうと思います。ただ気を付けないといけないのは、遺伝的影響の有無は、まだ科学的には確定していないということです。影響を示唆するものもあれば、確認できなかった、とするものもある。私が『ルポ 被爆二世』で焦点を当てたかったのは、結論が出ない中で、調査や議論、あるいは差別の対象にされていること自体、原爆がもたらしたものと言えるはずだ、ということでした。小山田さんは、ご自身が「被爆三世」であることについて、意識してこなかったとおっしゃっていましたよね。
小山田 はい。
小山 いつ頃から意識するようになったとかありますか。
小山田 小説家になってからですね。私は広島で生まれ育ったので、「広島出身です」と言っても何の響きもないんですけれど、東京の出版社の人と会って「広島出身です」「祖母が被爆しているんですよ」と言うと、「えっ」みたいな反応が返ってくる。小説家になってから初めて仕事で行った海外で、広島の出身だと言った時に、聴衆がどよめいたんです。あの広島? みたいな。
小山 広島の方には経験があるかもしれませんね。
小山田 こちらが驚くくらいの反応がありました。私は広島で生まれ育って、私の世界の中心は広島なんだよ、などと話すと、「おー、よう言うた!」、と。
小山 称賛みたいになっちゃうんですね。
小山田 世界史の中で重要な固有名詞、ランドマークとなるような場所に私はいるんだと、初めて意識しました。たとえば、今、身に着けているクフィーヤ。これはパレスチナから輸入されたもので連帯を示すシンボルなんですけれど、「どうして日本人のあなたが着けているの?」と聞かれるんですね。「祖母がアトミックボムのサバイバーなんです」と言うと、すぐに納得してくれました。
「すべきことができていないという感覚がずっとあった」(小山田さん)
小山 なるほど。平和とか反戦にまつわるメッセージを発する時に、説得力を与える意味合いはあるかもしれませんね。「被爆者の孫です」と、「被爆三世です」ではニュアンスが違うと私は考えているんですが、小山田さんは使い分けていらっしゃいますか。
小山田 「被爆者の孫です」と言う方が、頻度としては多いと思います。「被爆三世」は、原爆や戦争のことを話題にしている時に使うかもしれません。小山さんが思うニュアンスの違いはどういう感じですか?
小山 私のイメージでは、「被爆者の孫」という時は、原爆を直接体験した祖父母に焦点が当てられています。「被爆三世」ならば、被爆者の孫として生きてきたその人の半生や思いに、フォーカスが絞られるような印象を持ちますかね。
小山田 実は、ちょっと後ろめたい気持ちもあるんです。特に活動をしているわけでもないし、戦争をテーマにした作品は去年の『作文』が初めてで、デビューしてから15年間、書くことができませんでした。2021年に亡くなった被爆者の方にも「いつか書いてくださいね」と言われて、「はい」と答えたんですけれど、書けないまま時間が過ぎて、昨年ようやく書けた。祖母に「書いてくれ」と言われたわけではありませんが、すべきことができていないという感覚がずっとあったんです。小山さんは広島や長崎出身ではないけれど、原爆というテーマに関わり続けていますよね。
小山 そうですね。大阪出身で、親族に被爆者もいない。広島とのつながりもないんですが、一つあるとすれば、原爆の練習で投下された模擬原爆が、地元の田辺という地域に落とされました。だけど私にとってのヒロシマ、ナガサキというのは、ずっと「学ぶべき歴史」だったんです。大学生の時に初めて被爆証言を聞いて、これは「今」の問題なんだと痛切に感じたことを機に、取材をはじめた経緯があります。だから、「知りたい」「伝えたい」という気持ちでこれまで書き続けてきたんですが、被爆二世については悩みました。本当にこれを書いていいんだろうかと。小山田さんのご家族もそうであったように、タブーになっていたり、話せない、話したくないという人もいるからです。小山田さんの「書けなかった」というのは、どういう感覚でしたか。
小山田 うーん、書けると思ったんですよ。祖母の話も聞けるし、調べれば資料もたくさんあるし。意気揚々と引き受けて、1年くらい執筆期間を取ったのに、びっくりするぐらい書けなくて。私の書くものが、祖母の話より面白くないんです。
小山 おばあさんの聞き取りを超えられない、ということですかね。
小山田 そう。聞き取った話を小説にするために私が考えた部分が不自然で落差がひどくて、全然面白くない。書かなきゃいけないから書いているというのが、すごくわかる。資料を参照したり引用したりとかも苦手で。資料で読んだものと、自分の中から出てきた文章がやっぱりなじまないんです。だけど今回の『作文』の依頼は、戦争を「語り継ぐ」ことをテーマにお願いしますという内容だった。主語を語り継ぐ側に置く。ならば私の「語り継げていない」経験を書けばいいじゃんと、ぱっと書けた感じがありました。

小山 それが小山田さんの、小説家としての執筆スタイルなんでしょうね。広島というものの重さは感じませんでしたか? 私は本当に自分が書いていいのかと自問しつつ、いろいろ調べながら書いていて。
小山田 本当にすごいんですよね、参考資料。すごくたくさん。
小山 取材には計6年かけたので……。どれだけ調べたり、読んだり聞いたりしてもわからないし、わかった気になっちゃいけないという思いもある。今回、一旦『ルポ 被爆二世』として刊行したけれど、至らないこととか取りこぼしているものが絶対にあると思います。だから、広島というものと向き合う重さとか、半端な覚悟では書いちゃいけないという気持ちもあるんです。小山田さんはそういうことを感じたりされたのかなと、聞いてみたくって。
小山田 もちろんありました。だけど私が書く動機って、書いていて楽しいかどうかが一番大切なんですよ。これを世に問わねば、という動機で書ける人もいるけど、私はそうじゃない。書いていて楽しいからつい書いちゃう、という文章に、当初は原爆のことがうまく混ぜられませんでした。技術の未熟さもあったと思いますし、おっしゃる通り、広島というものの重さ、というのも感じて怖くもあって。今考えていることや取り組んでいることを「私」の話として書くという方法で、やっと書けました。
「被爆二世というテーマにこう向き合いました、という記録」(小山さん)
小山 「書いていて楽しい」は、めっちゃわかります。テーマ性を考えると語弊があるかもしれませんが、それでも書きたくて書いている時は、重たい内容であっても楽しい。没頭する、と言った方がいいかな。だけど『ルポ 被爆二世』は、すごく苦しかったです。
小山田 うん、すごく苦しそう。
小山 伝わっていましたか(笑)。
小山田 葛藤が書かれているんですね、これを書いていいんだろうかと。ノンフィクションとはいえ、小山さんの声が多分に入っている。一緒に考えたり、困惑したり、混乱したりしながら進んでいく。ですが、取材したことや頭の中で考えたことを文字にした時点で、それらは嘘になるんですよ。
小山 どういうことですか?
小山田 言葉にした時点で、幾ばくかのズレが生じるんです、どうしても。この世は言葉でできているわけじゃない。解釈によって白黒はっきりさせられないものがあり、いろんなおそれから本当のことを言わない人だっているだろうし、悪気なく語り残したことに本質があることもある。それを文字にして固定して印刷して、現段階で小山さんの本として出すというのは、すごく大変なことだなあと思います。
小山 そうですね。インタビューを受けてくれた方々も、すごい覚悟で話してくださっていると思います。この本に出ていただく方は、研究者も当事者も含めて、ほとんど実名なんですよね。嘘になるというか、本当のことかどうかわからないというのは、私も考えます。特に被爆二世の取材となると、親御さんがどんな経験をしたのかというところにも取材が及ぶのですが、伝聞の伝聞になってしまうんです。ご本人がすでに他界しているケースが多いからですね。となると、確認作業が非常に難しい。だけど、語ってくださることは真実なんですよね。これは、「黒い雨」(*2)を取材して得た教訓です。取材者として可能な限り証言の裏取りはしますが、まずはお話をそのまま受け取る。これが誠実な態度かなと思っています。今回、書名を単なる『被爆二世』とはせず、「ルポ」と頭につけたのは、そういう意味合いもあるんです。
小山田 (小山さんの前著)『「黒い雨」訴訟』には、「ルポ」はついてないですね。
小山 はい。それは「黒い雨」訴訟を巡る歴史なり事実を、客観的な立場で追い求めたものだと思っているからですね。でも今回の『ルポ 被爆二世』は、私は被爆二世というテーマにこう向き合いました、という記録として出したかったんです。被爆二世の声や、彼らの周辺にある課題を、とても網羅できないと思ったからです。私の視点を明らかにした「ルポルタージュ」として出す方が、この問題に誠実でいられるかなと考えて、そうしました。
*2 原爆の投下後に降った、放射性物質を含んだ黒く汚れた雨のこと
後編「戦争と私をつなぐ『水路』を見出す」につづく(10月21日公開予定)
プロフィール

小山美砂(こやま・みさ)
ジャーナリスト。1994年、大阪市生まれ。毎日新聞記者を経て、2023年からフリー。広島原爆投下後に降った「黒い雨」の被害を記録した『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)で第66回JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞受賞。旧ソ連のセミパラチンスク核実験場(カザフスタン)を訪れるなど、核被害をテーマに取材を続けている。近著に『気象学者 増田善信 信念に生きた101年』(本の泉社)ほか。広島市在住。
小山田浩子(おやまだ・ひろこ)
作家。1983年、広島県生まれ。2010年、「工場」で第42回新潮新人賞を受賞しデビュー。2013年、同作を収録した単行本『工場』が第30回織田作之助賞を受賞。2014年、「穴」で第150回芥川龍之介賞を受賞。著書に『工場』『穴』『庭』『小島』『最近』(すべて新潮社)、『ものごころ』(文藝春秋)、『パイプの中のかえる』『かえるはかえる パイプの中のかえる2』『小さい午餐』(すべてtwililight)ほか。
小山美砂×小山田浩子







櫻井芙紗子×田中優子
小山美砂×永井玲衣
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中溝康隆