対談

「新しい戦前」をきちんと理解するために今、大江を読む

『大江健三郎を読む』刊行記念対談 前編
成田龍一×長瀬海

大江健三郎と出会い直すために

長瀬 戦後を生きた大江健三郎の軌跡をたどることは、戦後そのものを問い直すことである。と同時にそれは大江と出会い直すことにもなる。『大江健三郎を読む』はその作業の集積だと言えるわけですね。

成田 はい、そのとおりです。大江作品と「出会い直す」ことは、まさしく狙いとしてありました。長瀬さんも指摘されましたが、「大江健三郎は難しい」とはやっぱり今の読者の共通認識でしょう。確かに、大江作品はあとになればなるほど一筋縄ではいかなくなります。

 大江作品の困難さを評した見事な表現の一つに、「一見さんお断り」という言葉があります。先ほど言及した『社会文学』「特集 大江健三郎」での座談会における作家の平野啓一郎さんの発言です。たとえば、最晩年の長編『水死』だけを読んで理解するのは困難を極め、それ以前の『取り替え子(チェンジリング)』から読み続けていなければ、すっと物語に入ることは難しい……。平野さんの言葉はまさに言い得て妙なのですが、大江さんがそこに行き着かざるをえない必然性があったこともまた事実なのです。

 朝日カルチャーセンターの講座で、『大江健三郎自薦短篇』(岩波文庫)をテキストに選んだのは、大江作品を初期の短篇から順番に読んでいけば、「常連さん」(!)になるだろうと思ったからです。また、そうすることで、大江作品とその世界をもっと身近なものとして感じることができるのではないか。そう考え、大江健三郎入門のような構えで進めていくことにしました。

 ただ、もちろん短編だけでは完結しない世界もあるので、『万延元年のフットボール』『個人的な体験』、あるいは『水死』も織り交ぜることにしました。さらに大江さんは、エッセイにおいても独自の世界を持っている。『ヒロシマ・ノート』や『沖縄ノート』は多くの人に読まれているエッセイなので、それもあわせて読んでみようと思いました。

長瀬 今回の対談を漫才のように構成してみようと思ったと先ほど言いましたが、それはそうすることで大江の小説にやどるユーモアがより際立つのではないかと考えたからでした。そういう語りの本は、大江健三郎の入門書としては出色のものになるんじゃないか、と。それができたかどうかおぼつかなかったのですが、これまでのところの読者の方々の反応を見ていると、みなさんそこを楽しんでいるようでよかったです。

長瀬 海(ながせ かい) ライター・書評家。近著に『僕と「先生」』、共著に『韓国文学ガイドブック』など。

成田 おっしゃるとおり、大江健三郎さんの小説は、深刻な顔をして読むようなものではないのですね。ユーモアが漂う作品も多いのですが、長瀬さんはそれが伝わるように構成してくださいました。大変ありがたいことです。

 また、今回、「おかしな二人組」として、小森さんと一緒にやったことにも小さくない意味があると思っています。どうしても一人でやると、一方的に解釈を示しがちとなります。小説を読むうえで、啓蒙的であってはならないでしょう。だから、歴史学者と文学者である二人の解釈をぶつけあうことで、それぞれの読みが相対化される対談形式が採用されました。

未発表小説をめぐって

長瀬 この対談連載が『すばる』で完結した直後に、大江健三郎の未発表小説が発見されました。講談社から本書と同じ時期に刊行された『火山 旅への試み 大江健三郎デビュー前小説集』に収録されている、「暗い部屋からの旅行」(1955年)と「旅への試み」(1957年)という二作がそれです。本書では同作を取り上げられなかったのですが、せっかくなので今回、成田さんと議論できればと思います。

 「旅への試み」は足に障がいを抱えている15歳の治郎の視点で語られる小説です。彼には一人で街を歩く自由がなく、「看護婦」さんから(性的な)ケアを受けている。という設定だけで大江の小説を読んできた方はピンとくると思いますが、「他人の足」にとてもよく似ていますね。原型と言ってもいいかもしれません。もう一つの「暗い部屋からの旅行」には、個人的により大きな衝撃を受けました。同作は大江健三郎をとおして戦後を考えるうえでも重要な小説ですので、少し慎重にあらすじを紹介させてください。

 小説はG市を流れる運河で水死体が見つかる場面から始まります。語り手の「僕」はR教授なる人物から招待状を受け取り、市長記念館で彼と会う。K市で考古学の教授をしているR教授は、人類学を教える別の教授の講義で自身がオランウータンのような類人猿だとして嘲笑の対象になっていることを告げる。彼は自身が大学の内外で迫害されていることを訴えるわけです。

 「僕」のいるG市では、ユマニスト党なる過激な政治団体が勢力をふるっています。彼らはR教授のいるK市に進出しているようで、R教授を類人猿だと糾弾しているのもユマニスト党の人たちであるらしい。自分の窮状を一通り訴えたR教授がいなくなると、今度はG市の大学に通うヒロ子という女性が「僕」の前に現れる。ある暴力的な事件に巻き込まれたものの記憶がないヒロ子を匿うことになった「僕」は、彼女と共同生活を始めるのですが、そこにR教授からの日記が届く。そこにはR教授が迫害されている日々のできごとが綴られていた──というあらすじの小説ですね。

 ここで注目すべきは、大江が同作でヒューマニズムを捉え直そうとしていることだと思います。大江の師匠であり、フランソワ・ラブレーのユマニスムを研究していた渡辺一夫の影響がここに見られると言ってもよく、この時点で大江は従来のヒューマニズムを批判し、「アンチ・ヒューマニスティックな倫理」を作ることを模索していたことになる。

 『大江健三郎を読む』でも成田さんが指摘していますが、ヒューマニズムを作り直すことは『ヒロシマ・ノート』のテーマでもありました。そこへ結びつくものだとすれば、この小説が発見されたことの意義は大きいと思うのですけど、成田さんはどのように読まれましたか?

成田 ここも少し遠回りして、お話しさせてください。「戦後」にとって一つの節目となったのは1989年です。この年に冷戦体制が崩壊すると、大江さんが大事にしていた「戦後」の磁場が変容し、いってみれば「「戦後」後」の状況に入り込みます。大江さんは、「戦中」、「戦後」、「ポスト戦後」の三つの体制を生きたことになるわけですが、「戦後」によって「戦前」を捉え直す作法は、あらたな「「戦後」後」の状況に直面し、「戦後」の相対化も迫られることになるのですね。つまり、大江健三郎という作家は、一つの体制から次の体制へと移りゆくなかで、どのように自分の思想を鍛え直していくか、常に苦闘していたということです。 

 一般的に、人間において思想はなかなか変わりにくいとされるでしょう。だからこそ、彼はいかにして軍国少年から民主主義少年に転身するか、工夫を続けてきました。大江さんの初期作では、天皇を信奉する少年だった自分がどうすれば「戦後」のなかに居場所を見つけられるかを模索していましたが、後期作では、自分が信じる「戦後」の価値が「ポスト戦後」において、いかに通用するのかを考えています。とくに初期に書かれた小説には、「戦後」的な価値観に順応するに際しての内面的な葛藤が、如実に描かれており、例えば1957年に発表された「奇妙な仕事」や「死者の奢り」では、「僕」が直面する「戦後社会」にまだ色濃く「戦時」の局面や価値観が入り混じっていることへの戸惑いが書かれていた。この点は『大江健三郎を読む』でも議論しました。

 そうした目で「暗い部屋からの旅行」を読むと、そこで展開されている世界にあっと驚かされる、というのが私の感想です。

出発点としてのアンチ・ヒューマニズム

成田 「暗い部屋からの旅行」は、長瀬さんが示されましたが、混み入った設定の小説です。G市とK市という街が舞台になりますが、時間も空間も特定できません。そこに生きるR教授という人物は「類人猿」とみなされ、迫害されている。つまり、若き大江健三郎は、1950年代の日本社会を念頭に置きつつ、社会の分断、「一般市民」と「類人猿」との階層があり、後者が差別されている社会を設定します。当時は民主主義が根づいた社会をみなが一丸となって作り上げようとしていたとされますが、決して一枚岩ではなく、歴然とした階層差があると考えています。

 作中で「僕」に届いたR教授の日記には、こんな言葉が書かれていました。

「新しい意識とは、僕が意志的に人間と別の岸に立っていることを認め、かつ、それを行動の規範にすることではあるまいか。彼等が僕に対してヒューマニズムを武器とするように僕はアンチ・ヒューマニズムで武装すべきではないか」。

 「類人猿」であるR教授は、不平等を抱え込む社会と向きあううえで、人間とは別の岸に立っている。自分は迫害をしている人間たちとは異なることを宣言しながら、「アンチ・ヒューマニズム」を行動規範にしようとしています。つまり、ここで若き大江さんが標榜しているのは、「戦後」の理念とは異なる価値観です。

 「戦前」には様々な階層や差別がありましたが、「戦後」はヒューマニズムの旗印のもとで、みな一致団結し、それをなくそうとすると思いきや、大江さんはこの作品で、そうした社会の動きに真っ向から勝負を挑んでいると言えるのではないでしょうか。先ほど「あっと驚かされる」と言いましたが、それはこの時点で、戦後社会の重んじたヒューマニズムではダメだと考え、自分なりの思想を作り上げようとしていると読めるからです。

 となると、大江さんがこの作品を発表しなかったのは、それなりの理由があったとも思います。もし大江さんが生きていたら、この作品が出てきたことに複雑な気持ちを抱いたであろうというのが、私が新発見小説を読んで考えたことでした。

長瀬 大江はこの作品で、戦時と戦後の地続きの感覚を見つめようとしたのではないかと思います。「僕」は共同生活を営むことになるヒロ子を「女学生」と呼びますよね。『大江健三郎を読む』では「奇妙な仕事」における「女子学生」という呼称が検討されましたが、今作では旧制高等女学校の学生を想起させる「女学生」が使われる。まるで戦前・戦中の亡霊が戦後社会に現れたかのように感じられました。

成田 なるほど。確かに大江さんは、そのあとの作品で「戦前」と「戦後」は決して断絶していないと、叙述していきます。ですが、この小説はもう少しねじれこんでいます。大江さんは、「戦前」と「戦後」が断絶したとの地点から民主主義を問い直し、近代とは異なる社会の理念を作り出そうとしているように見えます。そのとき、旧来のヒューマニズムではダメなんだと考えているのではないでしょうか。

 しかしそのあと、「戦後社会」は「近代」の方向に進みます。そうしたなかでは、「戦前」/「戦後」の連続が目につき、実際に公表された「奇妙な仕事」や「死者の奢り」などでは双方がまだまだ入り混じっていることを考えたと解釈するのですね。どうでしょうか、いささか強引な読みなのですが……。

長瀬 なるほど。僕としてはユマニスト党の動きに戦時下の暴力を看取したくなるのですが、『大江健三郎を読む』のなかで成田さんが繰り返し用いられていたフレーズを使って言うなら、「ここは論点としましょう」(笑)。

成田 そうですね(笑)。長瀬さんとは、大江作品をめぐって継続的に議論できればと思います。一つだけ付け足しておけば、大江健三郎さんはデビュー以前のものを活字化されることを、極端に嫌がる人でした。以前、私はアメリカの図書館で、大江さんが中学時代に学内の文芸誌に投稿した詩を見つけたことがありました。ぜひこれは翻刻しましょうと、編集者を介して大江さんに打診したのですが、きっぱりと拒絶されました。「デビュー以前のものには触るな」とのことでした。

 「奇妙な仕事」以降の作品を自分の仕事の出発点とし、それ以前の作品、習作と呼ばれるものは、自分の作品として勘定しないという姿勢ですね。

 「暗い部屋からの旅行」に関して言えば、長瀬さんの言うように、師である渡辺一夫の教えに反するような「アンチ・ヒューマニスティック」を核に置いていたからなのかもしれません。

(後編に続く)

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プロフィール

成田龍一×長瀬海

成田龍一(なりた りゅういち)

日本女子大学名誉教授。専門は近現代日本史。著書に『近現代日本史との対話』『増補「戦争経験」の戦後史』『戦後史入門』など。

長瀬海(ながせ かい)

ライター・書評家。近著に『僕と「先生」』、共著に『韓国文学ガイドブック』など。

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