「令和人文主義」をめぐり、議論が広がっている。
2025年秋にこの言葉を提唱した哲学者の谷川嘉浩(1990~)によると、これは「読書・出版界とビジネス界をまたいだ文化的潮流で、人文知の重要性を押しつけがましさ抜きに訴える姿勢に貫かれている」という(※1・2)。
担い手としては、ポッドキャスト「歴史を面白く学ぶコテンラジオ」で知られる深井龍之介(1985~)、文芸評論家の三宅香帆(1994~)、クイズYouTuber集団「QuizKnock」に携わる哲学者の田村正資(1992~)、書評家の渡辺祐真(1992~)、YouTube・ポッドキャスト「ゆる言語学ラジオ」パーソナリティーで雑誌編集者の水野太貴(1995~)など、1980年代中盤~1990年代生まれの若い高学歴層で、非学術界に向けて広く、知的な情報を発信している者が挙げられることが多いようだ。そしてやはり谷川によると、かれらはビジネスや日常への即効性をうたう「ファスト教養」や、競争や威圧にも使われかねないかつての「教養主義」とも距離を置いているらしい。
「令和人文主義」たちはアカデミズムの外で多くの支持者を獲得し、大いに支持されているが、批判もあるらしい。とくに、批評家・エッセイストの小峰ひずみ(1993~)がnoteで発表した2025年11月末に発表した、「令和人文主義」を「正社員様の哲学」と批判する文章「『令和人文主義』に異議あり! その歴史的意義と問題点」(※3)は話題になり、Xをはじめとしたソーシャルメディア上で、いっちょかみによる議論が盛り上がった。
「令和人文主義」は、撤退戦を続ける知の反転攻勢の兆しなのか、それとも、清潔感あふれる「正社員様」による、知の商業化の隠蔽なのか。いや、そもそも「令和人文主義」とは何で、担い手とされる者たちは何を考えているのか。
「令和人文主義」の周辺をうろつく聞き手が、当事者である谷川嘉浩氏に「令和人文主義」という言葉の真意を聞く。
※インタビューは、2025年10月半ばに行われた
「令和人文主義」へのぼんやりした期待と不安
―僕が「令和人文主義者」にくくられる方々の何人かと仕事をご一緒した限りでは、みなさん知的で、勉強熱心で、礼儀正しいとよいこと尽くめで、発信しているコンテンツも、一部で誤解されているような浅薄なものではない。本当に希望を見出せる世代だと思っているのですが、一方で、一抹の不安みたいなものを感じることもあるんですね。
谷川嘉浩(以下谷川):というと、どんなことですか?
―何というか、あまりにも「よい」人たちなので、その「よさ」は何かを代償にしているのではないか、それが今後出てくるのではないか、みたいなことを考えるんです。一例を挙げると、徹底して読者の側に立って、分かりやすく示そうとする文体や口調ですね。
谷川:そうですね。そもそも、令和人文主義は、近年の動向を「時代の兆候」として取り出したものであって、運動や党派ではないし、メンバーシップ化できるものではないことを断らせてください。なので、「私個人」についての話か、あくまで「時代の兆候」についての私の観察として聞いてほしいです。
話を戻すと、令和人文主義の書き手は、「小林秀雄が言ったように……」と無前提には書きません。「20世紀初めごろに生まれた、小林秀雄という評論家がいます」みたいに書きます。「ポップ文学」とも括られた小説家の高橋源一郎(1951~)さんは、評論ではこの書き方をしますよね。ああいうノリです。
こういうスタイルに「深みがない」みたいな批判があることは承知していますが、深さの判断は個々人の印象論以上のものではない。上の世代の「深い文体」は読んできてよく知っているし、美しいとも思うのですが、そういう「深さ」は今だと高踏的すぎて、特定の共同体に閉じる話法になっていますよね。
―つまり、届く相手が限られてしまうからだと。
谷川:そうです。もし詳しさや厳密さが必要になったら、専門家相手にやればいい。一般書やポッドキャストは一般の人を相手にするものだから、人文知のより深い話題にガイドするイメージでいます。
―なるほど。質問の角度を変えると、「令和人文主義者」の皆さんは、これはあいまいな言葉でよくないですが、「新自由主義」的なものを内面化してしまっているようにも見えるんです。「令和人文……」と名指したところも含め、自分の売り出し方をしっかり考えるところとか。出力が、常に他者の目をくぐってから現れるというんでしょうか。
谷川:学びが「競争」「比較」になることにも、ビジネスに役立つ教養を身につけようという考えにも距離をとるものとして、令和人文主義を規定したのですが、後半の点はめっちゃそうで、むしろ私は、みんな早く指摘しろ!と思っていますよ(笑)。「自分で名付けるんかい」と(笑)。
私の研究している「プラグマティズム」も一種の自称として生まれたものなので、別に変なことではないのですが、私の自己編集が行き届きすぎているとも言える。でも、今はSNSが日常の一部である以上、演技性というか、自己編集の視点は誰も避けられないものではある。自覚しているかどうかはともかく。
他方で、時代の潮流を読んで視点を提示できる書き手をメディアの側が育てられなくなっているから、内側から言っちゃうわけですよね。学位論文以来ずっと、孤高の天才が何かを生み出すというより「時代が考えて文化を作っている」という発想なので、時代の兆候を私は普段から気にしているのもあります。
「オールドメディア」の外からやってきた令和人文主義
―本インタビュー記事編集者(吉田):編集の仕事をしていると、いまの30代くらいの書き手の方は自己編集能力がすごく高い印象があります。そうなっている背景には、既存メディアの影響力低下もあるのだろうと思います。昔は、新聞や雑誌といったメディアを舞台に、言論人が作り上げられていったわけですよね。そこではメディアのほうが強かったんですが、だんだんと影響力が個人のほうに移っていき、いまでは新しい人を売り出す機能をメディアが失っていることの象徴が「令和人文主義」なのかなと。
谷川:たしかに、デビューのしかたを振り返るとそうですね。たとえば三宅香帆さんの最初の著書(『人生を狂わす名著50』、ライツ社)もブログ記事が話題になったのがきっかけだし、書評家の渡辺祐真さんもYouTube投稿がきっかけです。私がはじめての一般向け著書である『スマホ時代の哲学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を書いたきっかけも、ある企業のWEBメディアがバズったことでした。
ほかにも、「コテンラジオ」の深井龍之介さんや「ゆる言語学ラジオ」の水野太貴さんのようにポッドキャストやYouTubeで知られた人たちです。私が「令和人文主義」の記事を書いたときに挙げた人たちのなかで、いわゆるオールドメディアが見出した人はいないです。
―編集者(吉田):自分の書いたものや関わったものに対して、しっかりSNSを駆使しながら宣伝に自ら試行錯誤しているのも、いまの書き手の特徴かもしれませんね。宣伝も本来は出版社の役割なのですが……
谷川:私も本を出してからは、SNSやブログをやって自分から情報を出していかないと忘れられるな、とは思いましたね。書店との付き合いも増えたし。
コロナ禍の直前くらいからかな、本を出した人が対談イベントをやることが増えてきましたよね。本や書店にもライブ性が大事になった時代に適応しているのかもしれないです。いろんな事情で本が読めない人もイベントには来てくれますから、大事だと思います。
―文壇や論壇みたいなものへの関心は?
谷川:全然関心ないです。私は研究者だし、文筆のデビューがそもそも文壇・論壇とは無関係だったので、「あるらしいね」みたいな感じで。反感や批判ではなく、興味がない。でも、東京には未だに「文壇バー」があるらしいですよね。
「ReHaQ」と「ポリタス」の間
―「令和人文主義者」に対してよく言われる政治性の薄さも、自己編集の強さと関係がありますか? かれらとの個人的な付き合いを振り返っても、政治性は薄い気がします。もちろんネット右翼はいないけれど、左翼と呼べそうな人もほぼいない。
谷川:そうですね。政治的な表明をしないではないけれど、SNSでは党派性に回収されないように気をつけています。少なくともSNSで表明するかどうかは注意深くしよう、と私は思っていますね。実は結構「政治」の話をしているんだけれど、伝え方や伝える方法をコントロールしている、と言った方が正確かもしれません。
―わかります。ただ、それは「コントロールできる程度に弱い」とも言えるのでは?
谷川:そうかもしれませんが、それも、脱資本主義でないなら全部ダメだとか、ラディカルじゃないからダメだという一本槍の発想では、曖昧さやグレーゾーンが許容されづらいですよね。党派性のある言葉では、決まった範囲で自家中毒になるだけです。
自分と相容れない考えの持ち主にも人文知は届けたいんですよ。読者やポッドキャストのリスナーの中には、参政党を支持している人も、共産党を支持している人もいるかもしれないし、政治的無関心も含め、どんな立場の人も「私は呼ばれていない」と思ってほしくない。
もちろん個人として政治参加はします。それに、危うい行為や発言に何も言わないわけではない。でも直接批判するかは状況次第。自分の考えを伝えて対話を続けたり、本人に恥を感じさせずに指摘したり、その人の関心に届きそうな本や作品を紹介したりといった、状況判断に基づく個別対応をすることになると思います。
―「『令和』人文主義」と、元号を使っているのが気になる人もいるみたいですね。
谷川:それは単純に、私が批判的に見ている「大正教養主義」あるいはそれに続く「昭和教養主義」に倣っているだけです。朝日新聞デジタルにも書いたように(※1)、大正教養主義の背後には競争や優越の感覚がある。それに、現在はファスト教養が強く、ビジネスに役立つ簡潔さが重視されている。このどちらとも距離をとり、読者や学びの素朴な楽しさを確保することはとても難しいと思うし、そこ抜きに人文知に深入りしても、競争主義や成果主義に囚われてしまう。教養概念から引き継ぐべきものはあると思いますが、その意味では、かつての教養主義は失敗したと私は思っていますね。
―なるほど。ただ、谷川さんが団塊の世代だったら、命名に元号は使わなかった気はします。
谷川:ああ、その意味の政治性は絶対に薄いですよ。この無頓着さに苛立つ人がいるのは承知していますが、「ある記号を使っているから悪い」という思考法が有効だとは思えないんです。あるシグナルや記号の有無だけで人や議論を判定して何になるのかなって。政治の記号化からは距離をとりたいです。
その点でノリが近いのは、浅田彰さん(1957~)の『逃走論』(筑摩書房)かもしれません。あの政治性って、搦め手ですよね。浅田さんが2022年のインタビューで振り返っていますが(※4)、上の全共闘世代の、あまりに重たくて鈍重な思想を念頭に置きながら、しかし、それを直接批判するんじゃなくて、軽妙なエッセイ集にした。別の表現をすると、言及しないことが、逆に、メッセージになっている本でした。
だから、「政治性のなさ」とも言えるとは思うんですけど、どちらかというと、私は別の政治性を展開しているだけだと思います。
―編集者(吉田):令和人文主義の書き手の人たちよりは少し下のZ世代では政治性は逆に二分してますよね。自民党支持率が高かったり新自由主義を内面化している人が多い一方で、文化資本が豊かな層はかなりリベラルな方に行っていたりと、二分化しているんですよね。メディアで言うなら「ReHaQ」と「ポリタス」みたいに。令和人文主義者はその間にいて、両者とコミュニケーションをとろうとしているのかなと。
谷川:そう、そんな感じです。政治性がないんじゃなくて、政治性の表現法や場所を選んでいるんだと思う。本や論文、時評をちゃんと読むと、政治の話が結構多いことに気づくと思います。あと、メディアが政治のことを聞いてこないのもありますね。
―「令和人文主義」に関してすごく不満なのは、インタビューする側が当たり障りのないことばかり聞くんですよね。あれはもったいないよなあ。
専門性とアカデミズム
谷川:それは、各々の令和人文主義者たちが、「言語学」「哲学」「文芸」みたいにはっきりした得意分野や専門性を持っているから、それについて語るだけでインタビューが終わる、というのもありますね。
専門性が際立っているのは私たちの特徴だと思っていて、上の世代の言論を担ってきた人たちは、浅田さんにせよ柄谷行人さん(1941~)にせよ、政治も、文学も、経済も、芸術も、なんでも語りますよね。根拠地があった上で越境しているだけであって、こういう、すべてを背負っている感じは令和人文主義にはないと思います。
―あえて批判的なことを伺うと、それは、専門性への逃避という面はありませんか。
谷川:逃避かどうかはわからないですけど、専門性へのリスペクトは、私たちには共通してあるんじゃないですか。東浩紀さん(1971~)って大学やアカデミアをすごく批判するじゃないですか。私が研究していた鶴見俊輔さん(1922~2015)や梅原猛さん(1925~2019)もそう。
だから専門性や得意分野を意識するへのスタンスは、かつて在野で文章を書いてきた言論人が反アカデミズムだったことの揺り戻しだと理解しています。かつては大学が強かったから、そこへのカウンターが意味を持ったけれど、「文系学部廃止」騒動や運営費交付金の削減、学術会議問題、人口減などで、大学は今や風前の灯ですから、そこに対してカウンターの立場をとる理由がわからない。
それに、ポスト・トゥルースの時代、知や真理まで相対化されている以上、アカデミックな専門性を尊重しないのは難しいです。タコツボ化の問題は別にあるにしても。
―知識人vs専門家、という対比が昔からあったように思いますが、この枠組みだと、「令和人文主義者」の皆さんはどこに立ちますか。
谷川:どちらかというと、知識人寄りじゃないですか?ただ、研究を続けながら活動している人も多いし、それを言論活動以外の形で表現し、社会に根付かせようとしている人も多い。だから、それは二者択一というより、グラデーションがあるし、活動ごとに切り替える人もいるんじゃないでしょうか。
―アカデミックな専門性を尊重しつつ、そこから一歩、外に出たいと。
谷川:私もいつまで大学にいるかわからないし、いるのは芸大で、デザインの制作指導をしています。三宅さんも非常勤のポストだし、それがメインの仕事でもない。令和人文主義者って、大学にがっつり所属している人のほうが少数派なのに大学へのリスペクトは持っているという、不思議な立ち位置なんだと思います。
もちろん、私は学会や大学で嫌な目にもあったから、アカデミアへの不満や批判は持っています。でも、それをメディアで喋ろうとは思わないですね。アカデミアを叩くためにしか使われないと思うので。この種の話題は愚痴として友人に話したり、改善に取り組めばいいだけのことで、過去の人たちは個人の経験を「大学全体」みたいな大きな話にしすぎたんですよ。
コミュニケーションへの絶望と希望
谷川:令和人文主義が、不毛な炎上や冷笑をたくさん見てきたのも大きいと思います。私は1990年生まれで、パソコンには小学校中学年くらいから触れていましたけど、「2ちゃんねる」みたいな匿名掲示板カルチャーとは距離があったので、ネット上の言論に触れたのは大学生くらいなんですね。スマホをはじめて持ったのも、大学生のころでした。
―「令和人文主義者」の皆さん、仲良しですよね。いつも一緒にイベントをしていて、論争はしない。
谷川:何かあったとき説明や謝罪ができそうな範囲にしたかったので、顔見知りをベースに挙げたので、現に仲良しです。私たちは批判や議論はしますけど、ネットでの論争はしないですね。SNSの論争とケンカは本質的に区別がつかないものだと思うので。
これは三宅さんにも、哲学者の朱喜哲さん(1985~)にもよく言うんですが、顔見知りの令和人文主義の人たちは、人前で不用意なことをしないだけで、ある種の「過剰さ」を抱えていると思います。異常な活字好きだったり、服を買うために新潟に行くくらい「店」に取り憑かれていたり。私だと、地元のヤンキー文化の中で育った文化系なので、「舐められたらあかん」みたいな規範を結構内面化しているので、SNSではそれをおさえている感覚があります。本当はどこか型にハマっていないところがあるはず。
―「令和人文主義」の人たちの表面的な笑顔の裏に、乾いた、コミュニケーションへの絶望みたいなものを感じることはあります。絶望とまではいかなくても、「ゆる言語学ラジオ」「コテンラジオ」が典型だと思いますが、かれらはいつも、コミュニケーションの難しさについて語っている気もしますね。
谷川:そうかもしれない。「え、こんなに易しく書かれてるのに誤読されるの?」みたいな事例をたくさん見てきたので、基本的に意図通りには伝わらないと思っています。だから慎重になるし、逆に、理解してもらえるとすごく嬉しいんです。
繰り返しになりますが、上の世代の難解で深い文体は美しいし、個人的には好きです。でも、一般書は、出版社と連携して不特定多数の読者に伝える営みなので、正確さや伝え方の配慮があっていい。上の世代と同じことをしたいなら、今なら専門書や論文で、研究者とかのハイコンテクストな話が通じる人を相手に書いたら? と私は思いますね。
n=1の問題
―ただ、かつては、とても難しい問題を、コンテクストを共有しない他者にも伝えられる人たちがいて、そういう人たちを「知識人」と呼んでいた気がするんです。加藤周一(1919~2008)などのイメージです。
谷川:見かけの問題であって、実際それはやっているんじゃないでしょうか。違うとすれば、それを一人で背負い込まず、専門家や他分野と連携しつつチームでやっているのが令和人文主義だと思います。(「ゆる言語学ラジオ」の)水野さんは、一人で言語学の魅力を伝えようとしているのではなくて、専門家や専門書をさらっと紹介することで、一般読者を専門家である言語学者につなげようとしていますよね。
―それはわかります。しかし、歳を重ねるにつれ、ハンディキャップを持った子が生まれるとか徴兵されるといった個人的な体験からその人だけの「n=1」の問題を発見し、それを他者に伝えようと苦しんだことが、批評とか文学のモチベーションだったように思えるのですが。
谷川:他の人はわからないですが、ぶっちゃけ、私はそれをもう、博士論文『信仰と想像力の哲学』(勁草書房)と『鶴見俊輔の言葉と倫理』(人文書院)でやっちゃったんです。今後もああいったものを書きたくなることがあるかもしれないけれど、実際に書くかどうかは、私のスキルとタイミングの問題ですね。
丸山眞男さん(1914~1996)が、「福沢諭吉は状況判断に基づいて必要な役割を担う演技性がある」と指摘していますが、それはわかるんです。たとえば、ノウハウ本が出る以前のビジネス書、たとえばピーター・ドラッカー(1909~2005)とかを哲学の視点から検討するのは面白いと思いますが、私が書くよりも広告代理店に勤めている朱さんが書いた方が面白いと思うし……と、先回りして考えてしまいますね。
―その「先回り」が通用しない領域や、他者の目を意識する余裕を失うような問題が今後、「令和人文主義者」の皆さんの前に現われることはないでしょうか。古今東西の作家は、そういうときに傑作を残してきたような気がします。
谷川:令和人文主義のコンテンツはすでにそういう問題を扱っているけど、でもサラッと読むこともできるように巧妙にコントロールしている、と言った方がいいかもしれない。わかりやすい文体に騙されているだけで、注意深く読めば著者の衝動や実存はすでに背景にあると思います。
「令和人文主義」のエリート性と周縁性
―話は少し変わりますが、「令和人文主義者」の面白いところとして、ほぼ全員が超難関大学(院)を出ているというエリート性と、一方で地方出身者やオールドメディアの外から出てきた人が多いという「周縁性」を併せ持っている点がある気がします。読書との親和性は、前者と関係があるでしょう。
谷川:それはどうでしょうね? 最新の大学進学率は、短大も含めれば6割に達しているし、大学院重点化政策で進学しやすくなっているので、あまりエリート的だとは思いません。院生なんてお金もないし借金あるし、数だと1割以上行きますから。私たちは、大学に行くこと自体に特別な価値がなくなった時代に大学に行き、大学院入学者が増えてからの大学院に行った書き手たちだと言えます。むしろ難しい文体で語る上の世代の方が、人文好きの高学歴・高知識層に向けて書いてきた印象です。社会条件が変わったのに手法だけ引き継ぐのは保守でも何でもないので、文体や語り方を変えて、もっと広い層に向けて人文知を届けているんだと思います。
―たとえば三宅さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社)は爆発的に売れて発行部数は31万部を超えていますが、日本人は1億2000万人以上います。有名大卒ばかりの出版業界では多くの人が読んでいたけれど、それは学歴などの社会階層と読書習慣に強い関係があるからで(※5)、圧倒的大多数は読んでいません。「令和人文主義」自体が、マジョリティから隔絶されたところにいる気がします。
谷川:読書と社会階層に関係があるなら、それはそうとしか言いようがないですけど、その論法だと、三宅さんに及ばないすべての本はダメになっちゃいます。それに、浅田さんの『構造と力』はめっちゃ売れましたが、紹介する批評家も誤読するくらい、まともに読まれていない。その点、令和人文主義者は頑張って、部数はもちろん、伝え方やメディアを多元化して、幅広く言葉を届けようとしている気がしますけれどね。その手段は本ではなくて、YouTubeやポッドキャスト、イベントなど別のものかもしれないですが。
―それが「令和人文主義者」の、エリート性とは違う一面で、QuizKnockなどによく表れていますよね。
谷川:ですね。皆、積極的には階層のことを語らないですけど、それは自覚がないからではなくて、逆にめっちゃ意識しているからだと思う。私、名刺に大学名を書いていないんですよ。専門性を背負っているという意味で「博士」と書いていますが、大学名はない。特定の属性や党派で「なるほど」と理解されたくないし、ハッシュタグで発言や文章を読まれるみたいになりたくないからです。
三宅さんも、多くの場合は「文芸評論家」としか名乗らないですよね。もちろん、隠してはいないので、必要があれば京都大学にいたことや博士課程まで進んだことを話すでしょう。むしろタイミングによっては四国出身であることを強調することも多いし。
―わかります。しかしエリート性を示さないことが階層性を覆い隠してしまう懸念も持っています。
谷川:でも、いつもすべての属性を開示するのは変ですよね。私は自分のジェンダーや出身地を普段は明かさないけど、それって普通のことですよね。それに、人は他人のアイデンティティや属性を知れば、「あれとこれと…」と勝手に背景を読み込まれて、勝手に理解されてしまう。アイデンティティ・ポリティクスの時代ですから。当然大事なことなんだけど、それに回収されるようでは、届かない言葉や知見があると私は感じます。
たとえば、令和人文主義者の多くはあきらかにフェミニズムに共感を持っていて、ときには「フェミニズムは大事だ」と言いますけど、それがラベルやハッシュタグにならないようには気をつけていると思います。アイデンティティの問題にされてしまうと、身動きがとれなくなってしまうから。
―とはいえ、「一億総中流」の時代が去って「令和人文主義」の世代になると、ノブレス・オブリージュみたいなものが芽生えつつある印象も受けます。話を伺った範囲ではQuizKnockの伊沢拓司さん(1994~)や水野さん(ゆる言語学)に顕著でしたけれど。
メリトクラシーから偶然性(セレンディピティ)へ
谷川:みんな社会階層のことは分かっていると思うし、ノブレス・オブリージュと言っても間違いではないかもしれないですが、もっと素朴なものだと思う。たまたま大学に行けて、大学院にも進めて、そこで視野が広がるのはとても楽しかった。それを、もっと広く知ってほしい、楽しんでほしい、という。
私は兵庫県の工場地帯で育ったんですけど、近所には大きな書店もなくて、文化に餓えて育ったんですね(※6)。でも、この時代に生まれ、男性の身体を割り当てられ、たまたま入ったブックオフでいい本に出会えたり、たまたま塾の先生から本を借りたりといった無数の偶然の積み重ねの結果、哲学にのめり込み、大学院で博士号をとった。
親は大学に行っていないし、同級生はほとんど地元にいるし、哲学科を諦めた女友だちもいます。だから、進学や仕事選びだってたまたまです。ここにいるのは偶然の結果であり、そうではない人生もあり得たことを知っています。だからこそ、人文知と出会う偶然がもっと多くに生じるようにしたいんです。
―三宅さんと水野さんの対談でも、お二人のそういった面は強く出ていましたね(※7)。文化的周縁性は、島根県の「そこそこのレベルで貧困」な家庭に生まれたと語る「コテンラジオ」の深井さんもはっきりと持っていますし(※8)、「令和人文主義」に含めていいと思いますが、麻布競馬場さん(1991~)のテーマも、まさにそれですよね。
谷川:インタビューがバズって一般向けに本を書いたみたいな言い方でしたが、自分自身めっちゃサイコロ振ってきましたよ(笑)。出版社に電話して「原稿を書かせてください!」ってお願いしたり、企画書を何度も出したり。その末に、予期せぬところから人文知を届けるチャンスがきた。今社会には人文知が必要で、私は専門家だし、伝えるスキルもある。だから、人文知に出会ったり、進路形成に人文知が隣り合ったりするような確率を上げたい。子どもから大人までみんな。
―それに近い語りって、2010年代にかけてオンラインサロンやビジネス書で量産されてきましたよね。「自分はこれだけ努力したから成功したんだ」的な。でも、その「努力」が「偶然性」に変わっているのが、2020年代の「令和人文主義」世代の大きな特徴だと思う。偶然によって知の楽しさに触れることができたから、それを広めたいと。
谷川:まさにそうです。すそ野を広げたいんです。地方でヤンキーやギャルに囲まれていて、本を読まなかったかもしれないかつての私みたいな人に人文知を届けたい。いや、そのヤンキーやギャルにも届いてほしい。
―谷川さんの語りはかなり自己編集が効いていた気がしますが、今の言葉は本音そのものに聞こえますね。
取材・構成:佐藤喬
※1 谷川嘉浩「深井龍之介、三宅香帆…新世代が再定義する教養『令和人文主義』とは」Re:Ron連載「スワイプされる未来 スマホ文化考」(第9回)、2025年9月11日
https://digital.asahi.com/articles/AST982GY9T98ULLI001M.html
※2 谷川嘉浩、高田里惠子 構成・佐藤美鈴「『令和人文主義』を語り合う 自由を希求する教養と人文知のこれから」Re:Ron連載「スワイプされる未来 スマホ文化考」(第10回)、2025年12月26日
https://digital.asahi.com/articles/ASTDS1401TDSULLI010M.html?pn=16&unlock=1#continuehere
※3 小峰ひずみ「『令和人文主義』に異議あり! その歴史的意義と問題点」文学+WEB版、2025年11月27日
https://note.com/bungakuplus/n/n7f809eebf081?sub_rt=share_pw
※4聞き手・塩倉裕「『逃走論』40年後の世界 浅田彰さんは今なお『逃げろ』と訴える」朝日新聞、2022年2月13日
https://digital.asahi.com/articles/ASQ285VXYQ27ULZU009.html?pn=8&unlock=1#continuehere
※5 たとえば就業者10000人を対象にした2023年の調査「働く10,000人の就業・成長定点調査」(パーソル総合研究所)では、大学院卒の読書率は、高校・中学校卒業の人々のそれのほぼ倍である(32.4%と16.3%)。
※6 「哲学者 谷川嘉浩さん<前編>大人にも学問が身近にある社会にしたい 正解にたどり着くまでのプロセスを自分で考える公文式 その仕組みは文化や言語を問わない」KUMON now、2025年1月24日
https://www.kumon.ne.jp/kumonnow/obog/108_1/
※7 三宅香帆、水野太貴 構成・谷頭和希「『本を読まない人』に読書の楽しさを伝えるためには?文芸評論家・三宅香帆が『ゆる言語学ラジオ』水野太貴と考える」集英社新書プラス、2024年4月17日
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/miyake_mizuno_/26837
※8 取材、構成・古澤誠一郎「【深井龍之介】田舎の貧困家庭で育った。名前の由来は芥川、父は木こり」PIVOT、2022年9月11日
https://pivotmedia.co.jp/article/6951
プロフィール

さとう・たかし フリーランスの編集者、作家。「令和人文主義」周辺の仕事としては、『歴史思考』(深井龍之介、ダイヤモンド社)、『QuizKnock 学びのルーツ』(QuizKnock、新潮社)、『動物たちは何をしゃべっているのか?』(山極寿一・鈴木俊貴、集英社)などを手掛けた。著書に『1982』(宝島社)など。1983 年生。X:@SatoTakash1

たにがわ・よしひろ 1990年生まれ。京都市在住の哲学者。博士(人間・環境学)。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。現在、京都市立芸術大学美術学部デザイン科講師。著書に、『増補改訂版 スマホ時代の哲学』(ディスカヴァー携書)、『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』(ちくまプリマー新書)、『信仰と想像力の哲学』(勁草書房)など。社会時評やカルチャー評論、エッセイなどで活動するほか、企業との協働多数。


佐藤喬×谷川嘉浩









石橋直樹