パターナリズム的態度の元弁護士たち
伊藤氏の元弁護士たちや、彼らの立場を支持する人々は、個人のプライバシー権を守ろうとする善意を持っていると信じています。しかし、彼らの行動の副作用として、映画の上映を事実上不可能にする環境を作り出しています。映画に反対する彼らの積極的な努力は、映画が彼らの満足する形に編集されない限り公開されるべきではないかのようで、権威主義的でパターナリズム的に感じます。パターナリズム的だと言うのは、警察官とタクシー運転手は大人であり、自分たちで映画に反対するかどうかを決めることができます。彼らは伊藤氏の元弁護士たちに自分たちの代表になってもらいたいとか、代わりに発言したりするよう頼んでいません。実際、伊藤氏の元弁護士たちには、前述のように、彼女に対する忠実義務が業務終了後も無期限に続きます。
また、警察官とタクシー運転手は、伊藤氏に反対する声を持たないような社会的弱者ではありません。彼らが公に苦情を言えば、ジャーナリストたちがその話を書きたがることは間違いありません。また、元弁護士たちは伊藤氏に対してもパターナリズム的だと思います。まるで元弁護士たちが彼女の親であり、ルールを破った彼女を公に叱り、言うことを聞かないなら映画を上映すべきではないと言っているかのようです。
ドキュメンタリー映画制作者は、しばしば害を及ぼす可能性のある真実を明らかにするためにリスクを冒します。しかし、私たちはそのリスクを取るかどうかを計算し、明らかにされる真実の重要性に比べて害が最小限であると感じた場合に前に進むことを選び、そのリスクの結果を受け入れます。伊藤氏は、大人であり、性暴力の生存者として、多くのアーティストがそうするように、自分の人生と経験を表現する芸術を作るためにリスクを冒しました。映画によって傷ついたと感じる人々がいることは理解できますが、彼らは自分で発言したり法的措置を取ったりすることを決めることができます。そして、映画を観た後、公衆とメディアがその公共的価値と倫理について議論することができます。しかし、そのためにはまずは映画が日本で上映される必要があります。
プロフィール
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1983年、テネシー州生まれ。上智大学卒業後、山梨県と沖縄県で5年間、日本交流教師プログラムに従事した後、タイで1年間、仏教僧となる。YouTubeでは「メダマ先生」としても知られており、コメディ動画や日本の社会問題に関する動画を制作。2019年公開のドキュメンタリー映画『主戦場』は監督デビュー作。