映画『BLACK BOX DIARIES』で今一番争点にすべきポイントは何か

ミキ・デザキ

ジャーナリストの伊藤詩織さんが監督した映画『BLACK BOX DIARIES』が今年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされたものの、日本ではいまだ劇場公開されていない。その原因のひとつに、この映画の制作過程に問題があったことが挙げられている。この映画をめぐっては、伊藤さんの裁判を支えた元弁護士が記者会見を開いて批判を行い、さらに新聞記者やジャーナリストなどの間でもさまざまな議論がなされている。この現状に対し、戦時中の日本軍による従軍慰安婦問題に切り込んだ映画『主戦場』の監督であるミキ・デザキさんが、伊藤さんの映画で本当に焦点をあてるべき部分を指摘する。

映画『BLACK BOX DIARIES』より

ドキュメンタリー映画制作者として、私は現在の伊藤詩織氏による無許可映像を使用した映画の状況について発言することが重要だと考えています。正直なところ、これまでこの問題については、詳細を十分に把握しておらず、明確な判断を下すことができないと感じていました。しかし、現時点では、この問題について意見を述べるのに十分な情報が公開されていると感じています。

私の映画『主戦場』が公開された後、5人のインタビュー対象者が私を訴え、彼らの同意が虚偽の前提の下で得られたと主張しました。私は地方裁判所と高等裁判所で勝訴し、最終的には最高裁判所が上告を棄却し、私の勝利が確定しました。伊藤氏のケースは、同意が得られていなかった点で私のケースとは異なります。私がインタビュー前に書面による同意を得ていたのに対し、彼女はそうではなかったという違いがあります。それでも、彼女が映像の使用を正当化するための強い主張を持っていると私は考えています。

元弁護士たちは「忠実義務違反」の可能性がある

まず、このような形で非難が公にされるべきではなかったと思います。日本とアメリカでは、弁護士にはクライアントに対する忠実義務があり、それは弁護士の業務が終了した後も継続します。これは、弁護士が以前の業務に関連する事項において、元クライアントの利益に反する行動を取らない義務があることを意味します。したがって、西広陽子弁護士と加城千波弁護士は、元クライアントである伊藤氏に対する忠実義務に違反した可能性があります。

伊藤氏によると、彼女と西広弁護士は、ホテルに対して映像が訴訟のみに使用されることを約束する誓約書に署名しました。そのため、西広弁護士が、映像が日本で公開された場合に責任を問われる可能性を感じたことは理解できます。さらに、彼女は自分に責任がないことを示すために、映画の上映を阻止するため全力を尽くしたことを示す必要があると感じたのかもしれません。しかし、このような状況であっても、元クライアントを公に非難することは行き過ぎだと思います。もしホテルが伊藤氏と西広弁護士を訴えた場合、西広弁護士が私的に何度も伊藤氏に映像の使用を思いとどまらせようとしたことを証明するのは容易であり、それによって彼女の無実が明らかになるでしょう。

伊藤氏の元弁護士たちがなぜ忠実義務に違反するリスクを冒したのか、正確な理由を判断するのは困難です。彼らが記者会見で述べた内容によると、伊藤氏が人権やプライバシー権を侵害していると考え、発言をしなければならないと感じたようです。また、問題の映像の使用が、今後ホテルや企業が被害者に防犯カメラの映像を提供することをためらわせたり、警察官やタクシー運転手のような内部告発者や証人が進んで協力することを妨げたりする可能性があると主張しました。

人権侵害の非難に関しては、私も誰かの人権やプライバシー権を侵害することを容認しません。実際、もし私が伊藤氏に編集を提案するなら、タクシー運転手の顔をぼかし、声を変えること、そして警察官の声が認識可能であれば、それも変えることを勧めるでしょう。しかし、映画公開による公共の利益が個人のプライバシー権を上回る場合もあります。これについては後で詳しく説明しますが、まず人権とプライバシー権の根本的な目的について考えましょう。

これらは、政府や企業のような強大な存在から、力を持たない個人を保護するために作られました。このケースでは、ホテルは人間ではなく、したがって人権はありません。警察官は公務員であり、映画が公開される前にすでに警察内部で特定されていました。残るはタクシー運転手で、彼はプライバシー権が侵害されたと主張する正当な理由があると思います。しかし、彼がそれほど動揺して苦情を申し立てるとは思えません(私の考えが間違っているかもしれませんが)。なぜなら、彼は映像の中で伊藤氏を助けており、そのことで彼の評判が傷つくことはないからです。

伊藤氏の元弁護士たちが、今回のような無許可の映像の使用によって、将来の被害者がホテルや企業から防犯カメラの映像を入手することを難しくする可能性があると主張している点については、私は疑問を抱いています。仮に、伊藤氏が同じホテルで別の犯罪に巻き込まれた場合、ホテルが映像を提供することをためらうことは理解できます。しかし、まったく無関係なホテルが、伊藤氏が無許可で防犯カメラの映像を使用したという理由だけで、まったく別の被害者(おそらくドキュメンタリー映画制作者ではない)に証拠を提供しないでしょうか? 可能性はありますが、私はそうは思えません。

さらに、伊藤氏の元弁護士たちが、将来のレイプ被害者がホテルから映像を提供されないことを伊藤氏の責任にするのは無謀なレトリックだと思います。このようなレトリックは、伊藤氏のような性暴力の生存者にとって非常に有害です。彼女は、他の被害者が証拠を入手することを難しくするようなことは望んでいないはずです。伊藤氏の元弁護士たちは伊藤氏を非難する代わりに、ホテルや企業が犯罪に関する防犯カメラの映像を提供しやすくするよう呼びかけるべきです。なぜなら、それを拒否することは司法妨害にあたるからです。

同様に、内部告発者や証人は、個々の状況や関与する事件の具体的な文脈に基づいて判断を下すと思います。証人や内部告発者が暴露されるリスクは常に存在しますが、伊藤氏の映画がその判断に大きな影響を与えるとは思いません。むしろ、ホテル、警察官、タクシー運転手が伊藤氏を助けた勇気ある行動を見ることで、彼らを称賛する声がメディアや世間から上がり、より多くの人々が内部告発者や証人として名乗り出ることを促す可能性もあります。

次ページ 公共の利益 vs プライバシー権
1 2 3 4

プロフィール

ミキ・デザキ

1983年、テネシー州生まれ。上智大学卒業後、山梨県と沖縄県で5年間、日本交流教師プログラムに従事した後、タイで1年間、仏教僧となる。YouTubeでは「メダマ先生」としても知られており、コメディ動画や日本の社会問題に関する動画を制作。2019年公開のドキュメンタリー映画『主戦場』は監督デビュー作。

集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル
プラスをSNSでも
Twitter, Youtube

映画『BLACK BOX DIARIES』で今一番争点にすべきポイントは何か