公共の利益 vs プライバシー権
アメリカ人として、私はアメリカと日本を比較することを好みません。なぜなら、人々はそれを「アメリカの方が日本よりも優れている」と言っているように聞くかもしれないからです。私はどちらかが他方よりも優れているとはまったく思いません。
しかし、伊藤氏の元弁護士を代表する佃克彦弁護士が、集英社の記事で彼の主張を支持するためにアメリカの映画を例に挙げたので、私もアメリカと日本の比較で応えることは公平だと思います。佃弁護士は、アメリカの映画『She Said/その名を暴け』で、アメリカのジャーナリストが被害者の名前を明かさず、関係者からの同意を得るために多大な努力を払うことを示して、これがアメリカにおける標準的な慣行であると主張しました。
これに対して私は、伊藤氏が映画の中でレイプ被害者の名前を一切明かしていないこと、そして伊藤氏から聞いたところによると、彼女は問題の映像について同意を得るために最善を尽くしたこと、を指摘しておきたいと思います。また、彼女は何年にもわたってタクシー運転手に10回以上電話をかけ、警察官に連絡を試みたが、電話番号が変更されていたことを知ったとのことです。
佃氏は、映画の中のアメリカ人ジャーナリストたちを理想化しており、彼らがジャーナリストとして行うべき正しいことや倫理的なことをすべて実践しているかのように描いています。また、多くの人々がアメリカ映画を通じてアメリカの一部を理想化していると私は思います。しかし、現実には、アメリカは自らが作り上げた理想像に必ずしも応えられていないことが多いのです。
もちろん、アメリカのジャーナリストは通常、個人からの同意を求めますが、時にはそれが不可能な場合もあります。それでも「フェアユース」と「公共の利益」の名の下に、彼らは記事を公開します。アメリカのドキュメンタリー映画制作者やニュース組織は、フェアユースと公共の利益を理由に、無許可の映像の使用を定期的に擁護しています。これら2つの概念は、アメリカにおける表現の自由の基本的な柱であり、公にされず隠されるであろう問題をメディアが批判し、暴露することを可能にしています。
もちろん、アメリカの裁判所が常に「個人のプライバシー権」よりも「公共の利益」を優先するわけではありません。映画制作者やジャーナリストは、映像の公開が個人に与える害よりも公共の利益が上回ることを証明しなければなりません。伊藤氏のケースでは、警察官の映像には大きな公共の利益があると私は考えます。なぜなら、それは日本でレイプ被害者が事件を証明するために直面する大きな課題を明らかにし、公務員が友人を起訴から守ろうとする(権力を持つ者がその力を恣意的に使う)姿を示しているからです。
権力を持つ者がいかに腐敗しているかを知ることは、人々が選挙で判断を下す際の重要な情報であり、それは公にされる必要があります。ホテルとタクシー運転手の映像は、レイプ被害者が法廷と世間で事件を証明するために必要な証拠の種類を示しているため、公共の利益にかなっています。さらに、このホテルが防犯カメラの映像の使用を拒否した場合、その拒否が重要な情報を公に隠そうとしていると見なされるため、アメリカではフェアユースの主張を強化することができます。
これに関連して、佃弁護士が集英社の記事で、伊藤氏の現弁護士たちに反論したコメントについて触れたいと思います。伊藤氏の現弁護士たちは、ホテルの映像が「性暴力被害者の救済」になるため公共の利益にかなうと主張しました。これは、映像を見た性暴力被害者が、さまざまな理由で救済を見出す可能性があるという意味だと私は解釈しています。
例えば、伊藤氏がホテルに引きずり込まれる姿を見ることで、他の被害者が自分自身の経験を「酔っていたために巻き込まれた不幸な状況」ではなく「性的暴行」として認識するようになる可能性があります(2020年に日本の性暴力被害者支援団体が行った調査によると、52%の被害者が直後に性的暴行を受けたことを認識できず、平均7年かけてその事実を認めたそうです)。
佃弁護士は、伊藤氏が裁判で被害者と認められたことで、公共の利益は達成されたと反論しました。彼は伊藤氏の現弁護士たちのコメントを、「ホテルの映像によって伊藤氏が被害者であることが証明され、それが他の性暴力被害者にも救済をもたらす」という意味だと解釈したようです。確かに、そのような理由で一部の被害者が救済を見出す可能性はありますが、大事なポイントはそれだけではないと思います。佃弁護士が「伊藤氏は裁判に勝ったことで公共の利益は達成された。だから、彼女の映画でホテルの映像を公開する理由はない」というようなこと述べたことから、彼が公共の利益の概念を理解していないように思えます。
先に述べたように、プライバシー権の問題があると私が考えるのはタクシー運転手だけです。ホテルは人間ではなく、警察官は公務員であり、映画が公開される前にすでに内部告発者として特定されていました。映画によってもたらされる大きな公共の利益と、タクシー運転手に与える潜在的な害を比較すると、アメリカの裁判所は伊藤氏を支持する判決を下すだろうと私は推測します。なぜなら、タクシー運転手は悪役として描かれておらず、むしろ当時葛藤していた誠実な人物として描かれているからです。したがって、彼に与える害は最小限かほぼゼロでしょう。
もちろん、私の推測が間違っている可能性もあります。タクシー運転手は深刻な精神的苦痛を経験したり、仕事を脅かされたりしたかもしれません。ただ、彼が「自分が撮影されているとは知らなかった」と簡単に雇い主に説明できることを考えると、そうは思えません。これについては、日本ではプライバシー権が非常に重視されているため、日本の裁判所がどのような判決を下すかは予測が難しいですが、裁判所の判決に関わらず、日本においては、プライバシー権についての公的な議論を始める時が来ていると思います。プライバシー権が強すぎると、情報が公に届かない可能性が出てくるし、ひいてはそれが検閲につながります。重要な情報が公にされないことを防ぐ対策を考えるべきです。
被害について言えば、伊藤氏の元弁護士たちは、警察官とタクシー運転手に対する潜在的な害を防ごうとしていると述べています。しかし、彼らは、元クライアントであり性暴力の生存者である伊藤氏に与える心理的および名誉的な害について考えたのでしょうか。伊藤氏は、山口敬之氏との訴訟中に膨大な批判や脅迫に直面し、安全を感じられず、自殺さえ考えたほどでした。その攻撃のほとんどは保守派や右翼からのものでしたが、今ではリベラル派や、かつての友人や支持者たちが伊藤氏を攻撃しています。
私自身の経験から言えることは、このような攻撃は予期せぬものであるため、より大きなストレスや悲しみを引き起こす可能性があるということです。誰かがレッドカーペットを笑顔で歩く姿を見ると、私たちはその人がカメラの前では幸せで健康に見えても、プライベートでは深刻な鬱や不安に苦しんでいる可能性があることを忘れてしまいがちです。私は伊藤氏が批判から免れるべきだと言っているのではありませんが、彼女の元弁護士たちは、伊藤氏を公に非難する前に、元クライアントである彼女に与える害についてもう少し考えるべきだったと思います。
先に、問題となっている個々の映像がなぜ公共の利益にとって重要であるかを説明しましたが、私はそれら疑問の余地のある映像も全体の一部として、映画をひとつのまとまりとして見るべきだとも考えています。この意味で、この映画は非常に公共の利益にかなうものであると信じています。なぜなら、この映画は日本において、将来的にレイプやその他の性暴力を防ぐ力を持ち得るからです。この映画は、日本だけでなく世界中の人々に、性的同意ができないほど酔った人がどのような状態であるか、そしてレイプ犯がしばしば見知らぬ他人ではなく、知人、同僚、あるいは友人であることを示しています。また、この映画は、日本で正義を得ようとする際に被害者が何を耐え、何に直面しなければならないかを人々に示すことで、社会の理解を変え、最終的には被害者が正義を得ることがより苦痛の少ないものとなるような政策変更につながることを期待しています。
プロフィール
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1983年、テネシー州生まれ。上智大学卒業後、山梨県と沖縄県で5年間、日本交流教師プログラムに従事した後、タイで1年間、仏教僧となる。YouTubeでは「メダマ先生」としても知られており、コメディ動画や日本の社会問題に関する動画を制作。2019年公開のドキュメンタリー映画『主戦場』は監督デビュー作。