書評は「商品テスト」の役割を果たせ
武田 さて、私は木瀬さんの『本づくりで世の中を転がす』の帯コメントを書かせてもらっているのですが、実はそれだけではなく、本の中にも名前が出てくるんですよね。
木瀬 そうなんです。
武田 私が以前、『私は本屋が好きでした』という本でヘイト本「隆盛」の舞台裏を書かれた永江朗さんとの対談で、「一番は製造者責任ではないか」という話をしたんです。永江さんの本はどちらかというとヘイト本を置く書店の責任が強調されているけれど、書店は需要がある限り「置く」という判断をせざるを得ない場合もある。もっとも責任が重いのはそういう本を作る著者であり、次に出版社、ずっと離れて、取次や書店だと考えるべきではないか、と。
それに対して木瀬さんは「確かに、その通りだが、武田さんを含む書評者の責任はどうだろうか」と書かれています。
木瀬 はい。編集者が「武田さんに推薦文を書いてもらいましょう」と言ってきたときは、思わず原稿のその部分を「削りましょうか」と言ってしまいました(笑)。でも、「武田さんはそんなことを気にするような人じゃありませんよ」と言われて、そのままお願いしてコメントをいただいた……という経緯です。
これも本の中で書いていますが、日韓の出版界に精通されている韓国の方が「ヘイト本の氾濫は日本の知識人の恥である」とおっしゃっているんです。ヘイト本が数冊出ているという話ではなく社会の中の「層」になってしまっている、それを日本の知識人が押し返さなかった、あるいは押し返せなかったことを「恥」として指摘されているわけです。まったくそのとおりだと思いました。そしてこの「知識人」とは大学の先生だけではなく、本を書く人や出版する人、そして評する人をすべて含むんだと思うんですね。
武田 私は日頃、様々なところでコラムを書いたり、ラジオで話したりもしているので、そこでヘイト本への抵抗を示してきました。しかしながら、書評に限定して言えば、たとえば朝日新聞の書評委員を2年間やったときも、ヘイト本を取り上げて批判するようなことはしてこなかったかもしれません。魚住昭さんの『出版と権力 講談社と野間家の一一〇年』を取り上げたときには、著者がその中で、講談社の出したヘイト本に対して言及したことに触れつつ、「六七〇ページもの大著の締めくくりにある苦言は、出版文化をこの先へと持ち運ぶための、重い言葉だ」と書いていますが。そもそも、日本では、書評というと「批評」というより「この本、いいですよ」と紹介するものになりがちなんですね。
木瀬 そうなんです。でも、私は書評には本来それだけではなく、製品テストのような役割もあるはずだと思っています。つまり、よくない本に対しては「この本は買うべきではない」ということも含めて書いていく。それによって、「駄目なものは駄目と書くこの人が推薦してるんだから、本当にいい本なんだな」というふうに、推薦されている本や書評者への信頼も高まっていくんじゃないかと思うんです。
「言論のアリーナ論」と図書館
木瀬 武田さんの他にもう一人、帯に推薦コメントをいただいたのが、ジュンク堂書店の福嶋聡さんなのですが、福嶋さんの「言論のアリーナ論」についても本の中では批判的に取り上げています。
武田 書店は、ヘイト本も含めていろんな本を並べることで、あらゆる言説を保障する「言論のアリーナ」であるべきだ、という論ですね。でも、どうなのでしょう、たとえば、ヘイト本の中には、具体的に〇〇人と言わないようにしますが、『○○人に生まれなくてよかった』といったタイトルの本もあります。そんなタイトルの本が書店の店頭に並んでいるのは、言論のアリーナだと言う前に「○○人」に対する明確なヘイト行為です。そうした本を置くことが言論の多様性を保障するとは、私には思えません。
木瀬 私は、ヘイト本を置くという役割は書店ではなく図書館が果たせばいいのではないかと思っていて、本の中でもそう書きました。2010年代以降にヘイト本が大量に出版されたという歴史的事実をきちんと継承するために、図書館にはそういう本もちゃんと所蔵してほしい。ただし、表の書棚に並べるのではなく、倉庫に置いておいて利用者からの希望があったときだけ出してくる「閉架式」で、と。
武田 そこにも反論があります。全国の図書館に購入してもらうのは、その分の売上が保障されることを意味します。限られた予算の中で購入する本を選びます。ヘイト本が図書館に所蔵されるとなれば「それで儲かる、売り上げが確保される」と考えてヘイト本を出す出版社が出てきかねない。図書館というのは公共性の高い場所ですから、閉架とはいえ、そこにヘイト本が選び抜かれて置かれることで、「この本には公共性がある」というメッセージを出すことになってしまわないでしょうか。
そもそも、どの本がヘイト本でどの本がそうでないかについても議論があり、そこに線を引くのは簡単ではありません。今は多くの図書館も職員が少ないし、非正規雇用も多く、司書業務が弱くなっている。そこまで図書館にお願いするというのは難しいのではないでしょうか。
木瀬 でも、書店がその役割を果たすよりは、図書館のほうがまっとうにやってくれるんじゃないか……というのが私の考えですね。
武田 ちなみに書店の場合、大手の出版社からある程度の部数でヘイト本が出版されると、取次を通じて自動的に配本されてくることが多いと思うのですが、木瀬さんとしては、書店はそれらの本をどうすべきだと思っていますか? 売らずに返本すべきでしょうか?
木瀬 ずっとそう思っていたし、今もどちらかといえばそう思っています。でも最近、ある書店員さんと話をしていて知ったんですが、そう単純な問題でもないんですね。出版社による書店の「ランク付け」の問題があるんだと。
つまり、ジュンク堂や紀伊國屋みたいな大手の書店はAランク、そこから規模などによってB、C、D……と分けられていて、それによって配本の部数が変わってくる。初版数十万部で、Aランクの書店には100冊入ってくるような本も、ランクの低い書店には数冊しか入らないという具合です。そして、もし配本された本を「ヘイト本だから」といってそのまま返本したら、出版社からその「ランク」を落とされてしまうかもしれない。そうしたら、次に売りたい本が出てきたときに、以前なら数冊は配本されていたのがゼロになってしまう可能性がある……というんです。
武田 そうすると、たとえば村上春樹さんの新刊が数冊しか入って来ずにすぐ売り切れてしまった後でお客さんが来たら、「なんだ、ここ売ってないんだ、じゃあ隣町の書店に行こう」となってしまう。そして、その隣町の書店には村上春樹とともにヘイト本が山積みになっているかもしれない。
木瀬 そうなんです。だから小さい本屋さんにとっては、返本というのはそんなに簡単ではない。私が話したその書店員さんは「だから、大きい書店にもっと頑張ってほしい」とおっしゃっていました。大型書店ならいくら返品したってランクを落とされることはまずないんだから、ヘイト本が来たら堂々と返品して「あ、こういう本は売れないんだな」と出版社に思わせてほしい、と。
武田 大型書店の一つである三省堂書店に、『NOヘイト!』というタイトルの本の外壁広告を出したいと言ったら断られた話を、本の中で書かれていますね。しかも、その後同じ場所に、産経新聞出版の『日本が戦ってくれて感謝しています』という本の広告が出ていた、と。大きな書店の存在意義、そして意思決定のあり方について考えさせられます。
木瀬 そう考えると、「どこで本を買うのか」はとても重要だし、消費者も少しずつ賢くなっていかなきゃいけないと感じますね。

プロフィール

武田砂鉄(たけだ さてつ)
1982年東京都生まれ。出版社勤務を経て2014年秋よりライターに。ラジオパーソナリティとしても活躍している。『紋切型社会』(朝日出版社、のちに新潮文庫)で「第25回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞」「第9回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」を受賞。他の著書に『べつに怒ってない』(ちくま文庫)、『テレビ磁石』(光文社)、『「いきり」の構造』(朝日新聞出版)など。2025年、第28回みうらじゅん賞を受賞。
木瀬貴吉 (きせ たかよし)
1967年滋賀県生まれ、出版社「ころから」代表。早稲田大学第二文学部中退。1991年からNGOピースボートに勤め2004年に退職。地域紙記者を経て、2008年に出版業界へ。2013年に二人の仲間とともに「ころから」を設立。加藤直樹『九月、東京の路上で』、永野三智『みな、やっとの思いで坂をのぼる』、ソン・アラム『大邸の夜、ソウルの夜』など、これまでに約80冊の本を刊行。


武田砂鉄×木瀬貴吉






大塚久美子×塚原龍雲

苫野一徳×岩内章太郎×稲垣みどり
