悪い方向へ「転がらない」ために
木瀬 今日の対談のタイトルは「本で世の中は転がるのか?」ですが、私は悪い意味でも本によって「転がる」ことがあると思っています。
たとえば小池百合子東京都知事は、関東大震災のときに虐殺された朝鮮人を追悼する式典への追悼文送付を、知事就任の翌年からとりやめました。そのきっかけが、ジャーナリストの工藤美代子さんが書いた『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』。「朝鮮人虐殺などなかった」と主張するこの本を、ある都議が都知事に見せたんだそうです。それで「いろんな意見があるのに、その一方を取り上げて追悼文を送るのはよくない」という判断がされたようなんですね。
これがもし、工藤さんがたとえばネット上のブログにそういう記事を書いただけだったら、都知事はそこまで真剣に取り上げなかったのではないでしょうか。ブログではなく本、それも産経新聞出版という名のある出版社から出ている本だからこそ、事態が「転がる」ことになってしまったんだと思うんです。それが本の怖さだと感じました。
武田 そうですね。だからこそ、やっぱりその「製造者」である書き手、そして出版社の責任を厳しく追及する必要があります。
最近の事例でいうと、『週刊新潮』に、「朝鮮半島や中国にルーツのある人たちに対して「日本名を使うな」などと攻撃する差別コラムが掲載され、批判を受けて新潮社は謝罪文を出しました。コラムの連載自体が終了になりましたが、著者の高山正之氏はその後、問題になった回のコラムも含めてコラムを単行本にまとめ、出版しています。新潮社もさすがに出さないと判断をしたものを、別の出版社──ワックという、これまでにも数々のヘイト本を出してきた版元です──が引き取って出した。
今、コラムの中で名指しされた作家の深沢潮さんが高山氏やワックを相手取って損害賠償請求を起こしていますが、傷つけられた人がなぜまた表に出て声をあげなければいけないのか。そして、書店に本が並んでいるのを見た人は、「なんか話題になってたけど、結果的に本になってるということは、どっちもどっちだったのかな」くらいの判断をしてしまうかもしれない。
これも、本という「もの」があるからこそです。本を出すのは大きな責任を有する行為だし、著者や出版社がそれを認識していないとしたら、それは暴力です。
木瀬 これは『九月、東京の路上で』の著者である加藤直樹さんが言っていることですが、「朝鮮人虐殺はなかった」と主張している人たちの多くは、本気でそう思い込んでいるわけではないし、世の中の人全員に「なかった」と思わせようとしているわけでもない。ただ、「なかったんだ」という論を出すことで、「両方の論があるんだな」と思わせる、それによって「だったら『あった』と『なかった』の中間くらいに真実があるのかな」と思わせれば大成功だと考えているんだと思います。そのときに、本というのは非常に「使い勝手がいい」んですよね。
いわゆる「外国人問題」にしても、統計を見れば在日外国人の数が増えても犯罪はむしろ減っていることは明らかです。でも、「犯罪が増えている」と言い切る本を出すことで、「増えてるのかもしれないな」と思わせることができてしまう。そういうふうに本が使われてしまうことに対して、出版業界の中にいる身としてなんとかブレーキをかけていかなきゃいけないと思っています。
武田 最初に触れたように、ヘイト本の数は以前に比べて減っているけれど、それはヘイト本を生み出していた言説がそのままウェブサイトや動画に流れただけのこと。出版社も「前ほど売れなくなったから出さなくなった」だけで、自分たちがやってきたことを反省したわけではない。書店が安心・安全な場所になってきている、という単純な話ではないですよね。
木瀬 はい。そして、私はこのヘイト本をめぐる問題は、必ず形を変えてぶり返すと思っています。なぜなら、ヘイト本を出した人の中で、「悪かった」と謝罪した人は一人もいないからです。謝罪なきところに再発ありで、本を使ってヘイトの方向に世の中を転がそうという人は絶対に現れてくる。ネットだけでは真実味が足りないと考えた人たちが、本を利用するという「工夫」を凝らしてくるんじゃないかと考えています。
『本づくりで世の中を転がす』というタイトルは編集者が付けてくれたものなんですが、世の中を「変える」じゃないところがいいなと思っています。今は選挙前になると、どの政党もみんな「変える」の大合唱ですよね。でも私は、あまのじゃくなのかもしれないけれど、「社会を変な方向に変えられたくない」という思いのほうが強い。そのために、抗い続けていこうと思っています。
構成/仲藤里美
プロフィール

武田砂鉄(たけだ さてつ)
1982年東京都生まれ。出版社勤務を経て2014年秋よりライターに。ラジオパーソナリティとしても活躍している。『紋切型社会』(朝日出版社、のちに新潮文庫)で「第25回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞」「第9回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」を受賞。他の著書に『べつに怒ってない』(ちくま文庫)、『テレビ磁石』(光文社)、『「いきり」の構造』(朝日新聞出版)など。2025年、第28回みうらじゅん賞を受賞。
木瀬貴吉 (きせ たかよし)
1967年滋賀県生まれ、出版社「ころから」代表。早稲田大学第二文学部中退。1991年からNGOピースボートに勤め2004年に退職。地域紙記者を経て、2008年に出版業界へ。2013年に二人の仲間とともに「ころから」を設立。加藤直樹『九月、東京の路上で』、永野三智『みな、やっとの思いで坂をのぼる』、ソン・アラム『大邸の夜、ソウルの夜』など、これまでに約80冊の本を刊行。


武田砂鉄×木瀬貴吉






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