選択的夫婦別姓の実現を望む世論が、徐々に高まりを見せる昨今。しかし、「保守色」の強いとされる高市政権は、「旧姓の通称使用」を進めることで、このような世論に応えようとしている。なぜ、選択的夫婦別姓ではなく、弥縫策であるようにも思える「旧姓の通称使用拡大」を進めようとするのか? 彼らのロジックの根拠は「選択的夫婦別姓が実現すると、『戸籍の根幹』が揺るぎかねない」といったものだ。
しかし、今年の7月に『選択的夫婦別姓はなぜ日本を変えるのか』(集英社新書)を上梓した中村敏子氏によると、「旧姓の通称使用拡大」こそがむしろ「戸籍の根幹」をゆるがしかねないのだという。政治学者がアクチュアルな問題を追う緊急寄稿!

そもそも戸籍は何のためにあるのか
高市政権は、「戸籍の根幹」が揺らぐとして「選択的夫婦別姓」ではなく「旧姓の通称使用」を進めようとしている。ここでいう「戸籍の根幹」とは、戸籍が家族の同姓を定めていることを指しているようである。
しかし戸籍は、もともと家族が同姓であるべきことを示すために作られたのではない。それは、国家の行政手続きに関する一つの制度であり、ある個人を登録して、国家に関わる権利義務を確定するために存在する。つまり国民は、ここに登録されることで、国民として、教育や選挙そして医療などに関わる権利を行使することができるし、納税などの義務を負うことになるのだ。
戸籍制度が作られた明治の初期には納税や徴兵という国民の義務が主張されたので、通常権利の側面には目がいかないが、今は国民としての権利の保証がこれに基づいていることを確認しておくことが重要であろう。
はじめ国家は、もっぱら国民の義務を果たさせるために戸籍を作った。そのとき国民全員に苗字を与え、それを変更することを禁止したのは、権利義務の主体となる個人を特定し、それがゆらがないようにするためであった。「夫婦別姓」の問題を考えるためには、そもそも国民全員が姓(苗字)を名乗るようになったのは、このためであったことを押さえておく必要がある。
その後、一夫一婦制と離婚の禁止というキリスト教の教えに従う西洋諸国から、日本の男女関係における妾や離婚の多さが批判されたため、政府は明治民法を制定する中で「夫婦同姓」を定め、夫婦の一体化を図ろうとした。これにより多くの女性が結婚により姓を変えることになったのである。
個人を特定するという戸籍制度の原則から言えば、こうした女性の結婚による改姓は、苗字(姓)の変更の禁止という原則から外れる措置だったと言える。個人の姓が変わることで、国家による国民の把握は不安定になるからである。
しかし明治民法は、女性が結婚により姓を変えることを、同時に作られた「家制度」と紐づけた。結婚により女性は「家制度」における夫の「家」のメンバーとなり、戸主の支配下に入ることになった。また、女性は主として「家」における仕事を担い、国家との関係で大きな義務を負うこともなかったので、女性が結婚により姓を変えることは戸籍制度の原則からの逸脱であるにもかかわらず、国家としては大した問題だとは考えなかったのであろう。こうして「夫婦同姓」が続いてきた。
しかし現代では、「家」にかかわらず、個人として社会的に活動する女性が増えることによって、結婚時に改姓を迫られる女性たちから、自分が生まれて以降持ち続けた姓を結婚後も使い続けたいという要求が出てきた。そして「選択的夫婦別姓」が議論されるようになったのである。
「旧姓の通称使用」こそが「戸籍の根幹」を揺るがす
この「選択的夫婦別姓」の要求に反対して、高市政権は「旧姓の通称使用」を主張し、その根拠として「選択的夫婦別姓制度」は「戸籍の根幹に関わる」という理由をあげている。しかし政権がめざす「旧姓の通称使用」というやり方こそ、戸籍制度が作られた時に目指された「国民としての権利と義務の確定のための、国家による個人の特定」という戸籍の目的から逸脱し、「戸籍の根幹」を根底から揺るがす可能性がある。その理由は以下のようなものである。
「旧姓の通称使用」とは、ある個人が結婚により配偶者の姓に改姓し、結婚前に名乗っていた旧姓と異なる姓を名乗る人間として戸籍に登録されるにもかかわらず、社会的には旧姓を名乗る人間として活動することである。つまり、これまでAという姓で花子という名前だった人が結婚して、Bという姓に改姓し、戸籍上は「B花子」となっても、社会的には「A花子」と名乗り続けるということである。
「旧姓の通称使用」を推進しようとする人々は、これの適用範囲が拡大すれば、「選択的夫婦別姓」にする必要がないと主張する。しかし、そのような状態になれば、戸籍上「B花子」となった人物は、姓の変更にもかかわらず、社会的には「A花子」として認識され続ける。その名の使用範囲が拡大するにつれ、その人はますます「A花子」という人格として、社会的に認知されることになるだろう。
その時戸籍に登録された「B 花子」という名を持つ人物は、社会的に認知された人格を持たない。つまり「B花子」という個人を社会において見つけることができないのである。こうなると、国家が戸籍に基づき権利義務を確定する対象となる「B花子」という個人は、社会的に存在が認められていない「幽霊」のような存在になる。戸籍はある意味「幽霊」を登録しているということになるだろう。
このような状態では、国家が戸籍に基づき「B花子」という個人を特定することは困難となるだろう。これにより、通常は社会において「A花子」として生活している個人の権利義務の認定が、不確実になる可能性が生じる。
こうした事態は、国家の行政の観点、つまり「国家に関わる権利義務を確定するための個人の特定」という戸籍制度の本来の目的から見て大きな問題である。これこそが、高市政権の主張である「戸籍制度の根幹」に関わる問題だと言えるのである。「旧姓の通称使用」という考え方は、行政手続きに関してこのような大きな問題を持っている。
「夫婦別姓」問題の本質
「夫婦別姓」の問題は、結婚により改姓を迫られる多くの女性からの個々人の要求として提示されてきた。しかし、これは戸籍に関わる問題であるがゆえに、「国家による個人の特定」という戸籍制度の目的の観点から議論することも必要である。
そもそも明治政府が戸籍制度を作ったのは、国民一人一人を把握するためであり、そのために、個人を特定できるようにすべての人に苗字を与え、それを変更するのを禁止したのである。国民の姓は、個々人を識別するためにある。そして改姓を禁止し、氏(姓)の使用を義務化したのは、生涯にわたってその個人を把握できるようにするためであった。
このような個人を把握するという戸籍制度の原則から言えば、女性も結婚により姓を変更すべきではない。明治9年に太政官により出された「妻は嫁入り後も生家の氏を名乗ること」という指令は、「生家」の「氏」を重視するという意味もあったと言われるが、行政的には、女性に関しても生来の姓の変更を禁じたものと考えることができるだろう。
このように考えれば、通常「夫婦別姓」の議論として認識されている女性たちの要求は、単に、生まれた時に登録された姓を変えないという戸籍制度の大原則を、自分たちにも適用するよう求めているだけなのだと考えることができる。これこそが「夫婦別姓」の問題の本質なのであり、戸籍に夫婦を別姓で登録することは、その効果にすぎない。
それゆえ、戸籍における「夫婦別姓」を可能にすることは、西洋の影響により女性が姓を変えるという形で歪められた戸籍制度を、女性も男性も、戸籍に登録された「一生変わらぬ姓に基づき個人として特定する」という原則に基づいたものに正すことだということができよう。それはまた、現代社会における女性の要求にも適合する改革なのである。
戦後の民主化の達成
明治民法の「家制度」が戸籍の「同一戸籍同一氏」という考え方と関連づけられて以来、戸籍は単なる家族の登録簿であることを超えて、「家」に関わる「イデオロギー」の根拠として使われてきた。現在の政権が主張する「夫婦同姓」の主張もそのひとつである。しかし、「個人を特定する」という行政手続き上の戸籍の原則から考えれば、ある個人が結婚により姓を変えようが、それまでの姓を持ち続けようが、それを戸籍に登録し、それに基づき個人を特定すればいいだけの話である。
法務省のホームページの「選択的夫婦別氏制度(いわゆる「選択的夫婦別姓制度」)について」のところに、「別氏夫婦の戸籍の記載例」というのが載っている。それを見ると、夫婦が別姓になっても、これまでの戸籍の書き方とほとんど変わらない。単にこれまで夫婦のどちらかが姓を変えて同じ姓で登録されていたものが、異なる姓で登録されているだけである。

これだけのことで、多くの女性が改姓に関わる煩わしさから解放され、しかも「旧姓の通称使用」に関する無駄な行政手続きが不要になるのである。さらにそのことで、戸籍は「家制度イデオロギー」として機能することをやめる。先に述べたように「夫婦同姓」は、明治民法による「家制度」と紐づけられて成立した。それゆえ、「夫婦別姓」を選択できるようにすることは、戸籍制度の原則を男女共に適用することにより、個人の「姓」を「家制度」から解放するであろう。これにより、「家制度」を解体するという、戦後の民主化のための改革が初めて達成されることになるのである。
【編集部より】
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明治以来、多くの女性が結婚により改姓を迫られています。戸籍と民法が作る構造は、夫婦間だけでなく、日本社会全体でも男性優位の状況を作り出してきました。この現状をどう変えていけばよいのか、考えるきっかけになる一冊です。
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プロフィール

(なかむら としこ)
1952年生まれ。政治学者、法学博士。北海学園大学名誉教授。75年、東京大学法学部卒業。東京都職員を経て、88年、北海道大学法学研究科博士後期課程単位取得退学。主な著書に『福沢諭吉 文明と社会構想』『トマス・ホッブズの母権論――国家の権力 家族の権力』『女性差別はどう作られてきたか』。翻訳書に『社会契約と性契約――近代国家はいかに成立したのか』(キャロル・ぺイトマン)。近刊は『選択的夫婦別姓はなぜ日本を変えるのか』(集英社新書)。
中村敏子






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