「スポーツに政治を持ち込んではならない」という言葉がある。この言葉にこめられたスポーツの中立性や公平性は、オリンピックやサッカーワールドカップ等の国際的な人気競技大会からローカルな地域イベントに至るまで、ありとあらゆるジャンルでプロ・アマを問わず、スポーツに関わる者ならば当然遵守すべき金科玉条、と見なされている。
だが、スポーツほど政治的に利用されやすいものがないのもまた、事実だ。
スポーツはいつの時代も政治に利用され、振り回されてきた。しかも、その利用のされかたや振り回されかたは、各種メディアの発達や普及と歩調を合わせながら、ますます洗練の度合いを増している。その最も巧みでさりげない手法のひとつが〈スポーツウォッシング〉だ。
では、この〈スポーツウォッシング〉とはいったい何で、どこで誰がどのように行い、どんな影響を人々にもたらしているのだろう。そして、スポーツに関わる組織や諸団体とスポーツに参加する個々人、それを伝える各種メディアやプラットフォームは、この問題に対してはたしてどこまで純真無垢でいられるのだろう。
近年になって日本でも注目を集めはじめているこの〈スポーツウォッシング〉について、これから少しずつ読み解いていく。
去年あたりから「スポーツウォッシング」という言葉を、日本でもときおり目にするようになった。とはいっても、まだ世間の誰もが知っているほどの用語ではないだろう。
この言葉が日本のメディアで使われはじめる契機になったのは、おそらく、2021年夏に開催された東京オリンピック・パラリンピックと、2022北京オリ・パラ大会ではないか。この両大会は過去のどの五輪にも増して、様々な論点から大いに物議を醸した。
東京大会は、開催決定時から数えきれないほどの問題点や矛盾がぎゅうぎゅう詰めだった。北京大会も、開会式で外交的ボイコットという手段を取る国が続出し、開催国・中国に対する社会的批判が大きな注目を集めた。これらの大会に対して、スポーツの熱狂で人々の関心や意識を目の前の諸問題から逸らせようとする行為を指摘する際、「スポーツウォッシング」という言葉がよく使われた。
この用語は、五輪反対論者の理論的支柱であり、自身も五輪米国サッカーチーム代表という経歴を持つ米パシフィック大学教授ジュールズ・ボイコフ氏が近著で用いている。そのため、日本でもその論述が援用されることが多い。頻繁に参照されるだけあって、ボイコフ氏の文章は用語の定義としてとても簡潔でよくまとまっている。ここでもまず、それを引用しておこう。
「オリンピックが、開催地がスポーツ・ウォッシングをする絶好の機会になっているのは、歴史が証明している。スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意をそらすのだ」(『オリンピック 反対する側の論理』作品社)
もちろんこれは、オリンピック批判にのみ使用される言葉ではない。興奮と共感と感動を呼ぶ大規模スポーツ大会のソフトパワーをテコにして、開催地に都合の悪い事実をヴェールの下へ隠そうとする行為は、おしなべてスポーツウォッシングといって差し支えないだろう。そこで使われる大会は、ゴルフや競馬からモータースポーツ、サッカー、そして五輪までじつに多岐にわたる。また、スポーツウォッシングを使って自らに都合の悪い事実を洗い流そうとする国家や政権は、なにも独裁主義や権威的な体制に限ったことではない。さきのボイコフ氏の著書でも、この点について端的に指摘されている。
「民主主義社会でスポーツ・ウォッシングはジェントリフィケーションや警察の過剰な取り締まりといった不公正なプロセスからわれわれの注意を逸らす。そして、人権侵害は欧米の民主主義国でも日々起きていることなのだ」(上掲書)
これは要するに「気づかないうちに誰もが日々、スポーツウォッシングに晒されている」ということだ。つまり、お気に入りの選手やチームに関するニュースを愉しんでいるあなたのすぐそばにスポーツウォッシングは潜んでいるのだ。そしてそれは、スポーツを報道するわたしの周囲にも、じつにさりげなくたたずんでいる。
わたしはモータースポーツの、しかも日本ではマイナー競技と見なされるオートバイのロードレース(とへりくだってみたけれども、MotoGPは世界的に広く支持されている超メジャースポーツのひとつであることは強調しておきたい)をもっぱら長く取材してきた人間だが、その世界でもこれは非常に「身近」な問題として、目の前にある。
そこで、これからこの連載を開始するにあたり、まずは自分とスポーツウォッシングの関わりから話を始めることにしたい。
なぜ2000年代に入って中東諸国がスポーツ招致に力を入れ始めたのか?
二輪ロードレースの世界最高峰MotoGPが中東で初開催されたのは2004年、いまから18年前のことだ。面積でいえば秋田県ほどの小さな資源国カタールで、10月2日に決勝レースが行われた。ちなみに、四輪レースのF1でもこの年の4月にバーレーンGPが開催されている。2004年は中東地域にとって、いわば「モータースポーツ元年」のような年だったといっていいだろう。
この当時すでに、中東諸国では大きなスポーツイベントがそれなりにいくつも行われてはいた。だが、この当時の開催各地は、現在ほどの世界的な認知度をまだ獲得していなかったように思う。
たとえば日本では、1993年の「ドーハの悲劇」でカタール国の首都名だけは広く知られていた。とはいえ、その場所が中東のどこに位置するどれくらいの人口規模の国なのか、という詳細を知る人は少なかったはずだ。それでも、MotoGPが開催される前年の2003年にはサッカー界のスター、ガブリエル・バティストゥータがカタールリーグへ移籍したことが世界的にスポーツファンの注目を集め、地域全体は少しずつ一般的な認知度を向上させてゆく途上にあった。
この時期は、カタールがバティストゥータを国内サッカーリーグに招聘して、MotoGPを開催。バーレーンはF1初レースを実施。その後も中東各国ではF1の開催地が増えていった。また、自転車ロードレースの世界でも、ツアーオブカタールやツアーオブオマーンなどのステージレースを実施するなど、スポーツへの投資を積極的に行い始めていた。その理由は、2001年のアメリカ同時多発テロや、それに続くイラク戦争などの影響で「中東のイスラム諸国」として十把一絡で見られる悪イメージを払拭し、スポーツ各競技を通じて自国のプレゼンスを向上する狙いも大きかったのだろう。
また、豊富な天然資源がもたらす潤沢な資金力で、贅を尽くした都市開発を行っているドバイが経済ニュースなどで大きな注目を集め始めたのも、たしか世紀を跨いだこの時期だったと記憶する。カタールの首都ドーハも同様で、2004年にMotoGPの取材で初めて訪れたときは、人口60万人少々の小さな街のあちらこちらで大がかりな都市再開発事業が進んでいた。
毎年訪れるたびに、サッカースタジアムやショッピングモールが増え、幹線道路は拡幅されて町の美化も進んでいった。街中の到るところで大がかりな工事はさらに増え続け、中心部から少し離れた郊外には西欧資本の豪奢な高級ホテルがいくつも建ち並んでいった。サッカーワールドカップの2022年開催が決定したのは2010年だが、それ以降は街の整備と巨大建設工事にさらに拍車がかかって、まるでシミュレーションゲームで都市がむくむくと成長してゆくシーンを見ているかのようだった。
現代の“奴隷労働”、中東の「カファラシステム」
これらの工事を行うのは、インド、パキスタン、バングラデシュ、フィリピン、ネパール等からカタールへ出稼ぎにやって来る移民労働者たちだ。カタール以外にも、サウジアラビア、UAE、クウェート、バーレーンといった湾岸諸国では、建設現場や家事に従事するこれら出稼ぎ移民労働者に「カファラシステム」という独特の制度を適用している。
これは、出稼ぎにやってくる労働者たちのパスポートを雇用主が「預かって」管理する制度で、このシステムにより、労働者は勤務先の移動や出国の自由等が制限され、有無を言わさず劣悪な条件の長時間労働に従事させられてしまう(日本の外国人技能実習生たちに対する苛酷な労働と同様の問題ともいえる)。
このカファラシステムには国際的な批判が強く、近年では多少の制度改善が行われるようになった。しかし、根本的な解決にはまだほど遠い。日本ではこの問題が大きく報じられることはほとんどなかったため、おそらく認知も低いだろう。NHKがカタールのネパール人労働者の相次ぐ不審死を地上波ニュースで取り上げたこともあったが、社会全体で広く問題意識が共有されるまでには至っていない。
今年の11月に同国で始まるサッカーワールドカップの興奮と感動は、彼ら出稼ぎ労働者たちが劣悪な長時間労働を強いられ、体を壊し、命を落としていった事実をあっさりと押し流し、見えないものにしてしまうだろう。これこそがまさに、スポーツウォシングの持つ大きな「効能」といっていい。
4月1日に首都ドーハで行われた組み合わせ抽選会は、テレビや新聞・ネットニュース等で大きく報じられた。だが、この大会で使用される会場や宿泊・輸送設備などの建設で、多くの出稼ぎ労働者たちが酷使され命を落としたことについては、まったく報じられなかったようだ。「スポーツに政治を持ち込まない」ことを是とする、日本のスポーツ報道に独特の判断なのだろう。
ところが、FIFA自身はこの抽選会に先立ち、ジャンニ・インファンティーノ会長とカタール労働大臣が会合を持ち、出稼ぎ労働者たちの労働環境が大幅に改善したことを確認する旨のプレスリリースを2022年3月16日付で発表している。また、それに先立つ3月13日に同じくFIFAが発行したリリースでは、国際人権NGOアムネスティ・インターナショナルや労働問題の専門家たちとこの問題について会議を持ち、労働環境の大きな前進を報告したことも発表している。その一方で、アムネスティと並ぶ人権監視団体のヒューマンライツウォッチは、出稼ぎ労働者たちの賃金遅延や未払いが未だに多いことを3月3日に報告している。
端的に言ってしまえば、このサッカーワールドカップのために建設されたいくつもの壮麗なスタジアムも、ドーハ郊外の埋め立て地に並び立つ豪華な五つ星ホテルの群れも、そしてさらにいえば、2004年に竣工して以来、わたしがMotoGPの取材を続けてきたルサイル・インターナショナルサーキットも、これらはすべてカファラシステムによる苛酷な労働で、文字どおり彼らの健康や命と引き換えにして建設されたものなのだ。
欧米メディアでは2010年代終盤頃から報道され始めた
そしてここで自らの恥ずべき不明を明かさなければならないのだが、わたしがこれらの事実を重大な人権問題として明確に認識するようになったのは、じつはカタールGPが始まって10年少々が経過した2010年代も半ばになった頃だった。
友人のイギリス人ジャーナリストが、カファラシステム等重大な人権侵害に対する抗議の意思表示だとして、現地取材の「個人的ボイコット」を始めた。その際に、彼が示した参考資料のビジネスインサイダーの記事では、この段階ですでに1200人の出稼ぎ労働者がサッカースタジアム建設で命を落としていると指摘されていた。
「サーキットの行き帰りに、おんぼろバスに大勢の作業員がすし詰めになっているのをよく見かけるだろう。あれが、パスポートを取り上げられて奴隷のように働かされている出稼ぎ労働者たちだよ」
そう指摘されてようやく、毎日何度も見かける老朽化したバスの姿と、その中ですし詰めになっている人々、そして自分が日々取材に通っているサーキットの三つが頭の中で結びついた。自分の想像力のなさと稚拙な観察力を、つくづく思い知らされた瞬間だった。
この2016年当時、スポーツウォッシングという言葉はまださほど使われてはいなかったと記憶している。スポーツのメガイベントを利用して国家がイメージ浄化を図ろうとする行為などに対して、この用語を使った批判が広く行われるようになるのは、2010年代終盤頃だ。
アムネスティ・インターナショナルが、’sportswash’という語を用いて2018年サッカーワールドカップ・ロシア大会をプーチン大統領の評判を浄化する行為と批判したのが同年6月14日。7月25日には、オピニオンWebサイト”The Conversation”が論説でスポーツウォッシングについて述べている。
イギリスの大手新聞ガーディアンも同年11月に、プレミアリーグ・マンチェスターシティに対するUAEのスポンサーシップ等に絡めてスポーツウォッシングを論じている。ガーディアンはスポーツウォッシングの問題について精力的に取り上げているメディアで、2017年の記事では翌18年のジロ・デ・イタリア序盤ステージがイスラエル開催となったことにスポーツウォッシングとの批判がある、と紹介している。また、2019年には、サウジアラビアが巨大な資本力を背景にウォッシングの材料としてアメリカのスポーツを狙っている、とも報じている。
注意しておきたいのは、ガーディアンのこれらの記事や論説はすべてスポーツ面で展開されているという事実だ。これは、「スポーツに政治を持ち込まない」ことをよしとする日本のスポーツメディアの〈純真無垢〉な態度とは、大きく異なる報道姿勢といっていいだろう。
スポーツウォッシングという用語が普及し始めた時期に話を戻せば、冒頭で紹介したボイコフ氏も、2018年7月に米国のテレビ局NBCのウェブサイトでワールドカップ・ロシア大会についてスポーツウォッシングの観点から批判する論説を寄稿している。参考までに、米国のテレビ局ではCNNも2020年の記事でスポーツウォッシングについて解説するショートムービーを作成している。
このムービーでも言及されているとおり、アゼルバイジャンの首都バクーで開催された2015年ヨーロッパ競技大会(ヨーロッパオリンピック委員会が主催する総合競技大会)が、おそらくスポーツウォッシングという言葉を用いて批判されたイベントのさきがけだろう。たとえば、英紙インディペンデントも、この記事で”sportswash”という言葉を用いて同地の大会開催を批判している。
丹念に探していけば、さらにその数年前にもこの用語使用例があるかもしれない。だが、いずれにせよこの概念が欧米諸国で共有され、メディアを通じて広く報道されるようになったのは、上記各例が示すとおり、2018年から19年を過ぎた頃だったとみていいだろう。
そして日本でも、東京五輪の迷走に対するボイコフ氏の批判などを契機に、2020年頃からスポーツウォッシングという用語とその問題が、少しずつとはいえ理解されるようになってきた、というわけだ。
だが、批判の対象とされるウォッシング行為は近年になっていきなり発生したわけではない。当然ながら、行為そのものは用語が登場するよりも前から存在していた。
次回は、スポーツがスポーツウォッシングに晒されてきた歴史について、少し振り返ることにしたい。
プロフィール
西村章(にしむら あきら)
1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。