スポーツウォッシングについて考えていく当連載。今回は有名な実例を見ていく。大イベントにおけるスポーツウォッシングは、こんなに以前から行われていた!
日本でも大ベストセラーになったSF作品『三体』シリーズの作者、劉慈欣の短編に「栄光と夢」という作品がある。世界から苛烈な経済封鎖を受けるシーア国が、ピースウィンドウズプログラムという国際的紛争解決計画に基づき、スポーツを戦争の代替手段としてアメリカとの間で二国間オリンピックを開催する、という内容だ。ちなみに劉慈欣がこの短編を脱稿した直後の2003年3月に、アメリカはイラクが大量破壊兵器を保有しているとして第二次湾岸戦争を開始している。
そして、それから約20年が経過した現在の世界のありよう――2021年東京五輪と2022年北京冬期五輪の開催意義が議論を呼び、北京パラ大会を無視してロシアがウクライナに仕掛けた侵略戦争が現在も続く状況──はというと、約20年前に小説家が描いて見せた架空の世界像以上に、はるかに脆弱な姿を露呈しているようにも思える。
スポーツが地政学ツールとして運用される「栄光と夢」の世界を持ち出すまでもなく、大規模な国際的競技大会は近代社会の政治機構にとって、格好の宣伝道具として機能してきた。とくにオリンピックという世界最大のアスリートたちの祭典は、スポーツの熱狂と興奮をテコにして、開催地に対する人々の印象を大会の好印象で上書きするスポーツウォッシングを施す最高の機会といっていい。
スポーツの政治利用は、なにも近年になって始まったことではない。ことスポーツウォッシングに関する限り、その先駆とされるのは1936年のベルリンオリンピックだ。
ヒトラーとナチス政権に対しては、この大会が始まる以前から厳しい批判が向けられていた。その批判をやわらげ、自分たちの好イメージを世界へ向けて宣伝するために彼らがこのオリンピック大会をどんなふうに利用し、それがどれほど巧みに成功を収めたか、ということについては数多くの資料がある。たとえば、アメリカ合衆国ホロコースト記念博物館のウェブサイトには、この一連の出来事に関する説明が日本語でも詳細に記載されている。関心のある方は、当該ウェブページ(https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/the-nazi-olympics-berlin-1936)を参照していただきたい。
ヒトラーとナチス政権が行ったこのスポーツウォッシングに対して、当時のメディアはいとも簡単に「洗濯」されてしまったようだ。
ニューヨークタイムズは「ヒトラーは今日の世界において、最高ではないにしても屈指の政治的指導者だ。ドイツ国民は散々悪くいわれているが、人を温かくもてなしてくれる、じつに穏やかな人びとで、世間から賞賛されてしかるべきだ」(1936年8月16日)「訪れた人びとの心に深く刻まれたのは、素晴らしい親切、細やかな思いやり、丁寧なもてなしを受けたという印象だった」(同)等の記事を掲載していたことを、ジュールズ・ボイコフ氏は著書『オリンピック秘史』(早川書房)のなかで紹介している。余談になるが、ナチスにあまりにもあっさりと「洗濯」されていいように手玉に取られてしまうマスメディアの姿は、東京五輪で礼賛報道一色に染めあげられていった昨年の日本のスポーツ報道を見ているようでもある。
スポーツをテコにして自分たちのイメージ刷新を狙ったナチス政権の策略は、上記のニューヨークタイムズの例が示すように、一定の成功を収めたといえそうだ。だが、すべてのメディアが必ずしも簡単に手玉に取られていたわけではない。このベルリン五輪で最も活躍した選手のひとり、アフリカ系アメリカ人のジェシー・オーエンスは四つの種目で金メダルを獲得しているが、彼の活躍に際し、ワシントンポスト紙は「ヒトラーはアーリア人が優越民族であることを法令によって布告したが、ジェシー・オーエンスは彼が嘘つきであることを徐々に証明しつつある」と記している(上記『オリンピック秘史』)。
この事例が示しているのは、大規模なスポーツ大会を利用して観戦者に一定の印象を刷り込もうとする行為は、まさにその競技の舞台でアスリートが己の卓越した能力を発揮し、己の肉体という最高の表現道具を使うことによって、その作為を反転させることができる、ということだ。
そのもっとも象徴的な例のひとつが、1974年にザイール(現在のコンゴ民主共和国)で行われたモハメド・アリ対ジョージ・フォアマンのWBA・WBC世界統一ヘビー級タイトルマッチ”Rumble in the Jungle”(ランブル・イン・ザ・ジャングル)、日本では「キンシャサの奇跡」の名でも知られる有名な試合だ。
プロフィール
西村章(にしむら あきら)
1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。