安倍晋三元首相暗殺を機に、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)が自民党に深く食い込んでいる実態が明らかになってきた。カルトに付け込まれた自民党を非難するのは簡単だが、それではカルトは根絶できない。早くもこの問題の報道が下火になる中、宗教社会学者・橋爪大三郎著『日本のカルトと自民党』(集英社新書)では、カルトの正体を見極め、もう一度原点に立ち返って政治と宗教の関係を考え直すべきだと説く。本書の緊急出版に当たって、数十年にわたって統一教会をはじめカルトの実態を取材し続けてきたジャーナリスト・有田芳生氏と橋爪氏との対談が実現。両氏ともども、カルトの組織的な政治介入は、選挙制度をはじめ、日本の民主主義を機能不全にすると警鐘を鳴らす。
構成=宮内千和子 写真=三好妙心(橋爪氏)、有田氏提供
日本に欠けているカルト教育
有田 橋爪先生とお会いするのは28年ぶりです。1995年3月20日に地下鉄サリン事件が起きて、日本の報道はオウム事件一色になりましたが、そのテレビの仕事で橋爪先生と一度だけ同席する機会がありました。私のように現場をドタバタ回っている人間から見ると、蓄積された学問に基づいての事件分析は非常に印象深かった記憶があります。
橋爪 前回も今回も大きな事件があって、お会いすることがいいのか悪いのか(笑)。でもお話を聞けるチャンスを心待ちにしておりました。
有田 今度の本は、生長の家、日本会議、統一教会についての分析だと伺っていましたが、実はゲラを読んでびっくりいたしました。序論で書かれた「カルト原論」、この内容が素晴らしかった。カルトとは何か、なぜ危険なのか、それが歴史的な検証を含めて非常にわかりやすい文章で端的にまとめられている。31年前の桜田淳子さんなどが参加した合同結婚式のときの統一教会の報道、そして28年前の地下鉄サリン事件の報道、そこから日本の社会は何を学んだのかと今でも強く疑問に思っているんです。オウム事件を機にフランスでは、2001年に反セクト法というカルト問題に対処する法律ができました。それをきっかけにフランスは中学生レベルからカルト教育を学ぶ社会になっていったと思います。
ところが、日本は今もそれがないままに来ている。じゃあ、具体的に日本でのカルト教育にはどういうテキストが必要だろうかと考えたときに、橋爪先生の今回のカルト原論を読んでまさにこれだと思いました。カルトというものをわかりやすく国民に知らしめる。特に若い人たちに知ってもらう。こういう本は私が知る限り皆無に等しかった。この内容こそ中学生レベルから学ばなければいけない。そのためにも学校、図書館、そして各家庭にもぜひ普及してもらって、多くの人に読んでほしいというのが、私の率直な感想です。そのくらい衝撃的でした。
橋爪 大変意義深く受け止めていただいて感謝です。宗教絡みの事件が起きると、日本人はみんな首をすくめてしまうんです。巻き込まれずに通り過ぎればいいやと。なぜかといえば、しっかり信仰を持って、信仰を選んでいる人が少ないからです。宗教と距離を置いて、最初からうさんくさいものだと思っている。これはこれで問題です。事件を起こした宗教とそうでない宗教をきちんと区別して、問題をピックアップするべきなのに、宗教だからいけないという結論で、いい大人が思考停止になってしまう。それは日本のためにも困ったことだし、本人のためにもならない。
それでわかりやすくウイルスに譬えた。ウイルスはどこにでもいて根絶はできないが、その中に伝染性が高く害毒をもたらすウイルスがいる。それがカルトである。その悪さをする部分を何とかすればいい。ワクチンもあるし、いろいろな対処法がある。宗教も同じだということです。
有田 はい。しかし日本の場合、ワクチンどころか何も対処策が講じられていない。オウム事件をきっかけに、確かに宗教法人法の一部は改正されましたが、創価学会をはじめ既成の宗教団体の強い反発にあって、結果的に新しい法律的な進展はほとんどなかった。今回も、統一教会問題で、昨年末に被害者救済法という新しい法律ができましたが、やはり創価学会の方々の反発もあって、ほとんど効果のない中途半端なものになっています。
犯罪以外、宗教は法律で取り締まれない
橋爪 問題を起こす宗教が出てきたときにどうすればいいか。法に触れて犯罪行為を行っていれば、それは検察、司法の問題です。既に存在する法律を根拠にして、外形的にこれが違法だ、あれは犯罪だとやるしかない。でも、カルトはそういうふうに対応できるものだろうか。
役人は、刑法ではなく別の法律によって変な宗教を取り締まろうという発想になりがちですが、これは間違い。変な宗教に対しては、それを見つけて、拒否して、社会から排除するのは、健全な良識を持った市民の常識。これが正しい対処の方法です。一方で、人間には信仰の自由がありますから、「ちょっと変わっていても私はいいと思うので信じます」という人がいても止めることは難しいし、止めなくていいと思う。犯罪にならないなら、少し変な宗教を信じるのは自由の範囲です。その変さを社会が認識して、一握りの人にとどまっていれば、実害はそんなにない。
私が問題だと思うのは、役人が法律で何とかしてくれるんじゃないかと、普通の市民はぼんやりして、態度をはっきりさせないでもいいと思っている点です。だから態度をはっきりさせるために、この本を書いた。奇妙な宗教の奇妙な点はここですよと具体的に言う。統一教会はここが変です、日本会議はここが変ですと指摘すれば、態度が決まりますね。病原性の高いウイルスに対しては、普通の市民が見識をもって見極め、はっきり拒絶する態度を取る。まずはそれが必要です。
有田 なるほど。オウム事件のあと、大江健三郎さんが『宙返り』という小説を書いたのですが、その中に、ユダヤ教のメシアの話がありました。その人が宙返り、つまり転向してイスラム教徒になるわけですが、そこまで変節すれば信者たちは逃げてしまうだろうと思っていたら、イスラム教としてトルコからアジアへと広がっていったと大江さんが書いていらした。今の先生のお話を聞いて、人間の心に関わる問題というのは、法律で抑えることができないということがひとつの私の感想でした。
もうひとつ頭に浮かんだのは、安倍晋三元首相銃撃事件を起こした山上徹也被告のお母様のことです。テレビのコメンテーター、弁護士の中に、お母さんそんな宗教はもう脱会しなさいと言う人たちがいるんです。もちろん統一教会には霊感商法とか問題はありますが、そのお母様は、自分の夫が自殺をし、さらには長男が病気を患って、心の救いを求めて入信したわけで、犯罪に加担しなければそのこと自体は自由だと思うんです。ですから、他者がその信仰をやめろというのは、私にはとても違和感がありました。
橋爪 寄附をし過ぎたわけでしょう。もし寄附を強制しているとすれば、それは教団の問題であって、お母様の問題ではない。だから、何も言えないというのが日本国憲法の考え方だと思います。
創価学会-公明党の関係は憲法違反ではないのか
有田 その日本国憲法とのつながりで、創価学会と公明党の問題をどう考えるかをお聞きしたい。政教一致で創価学会を国教化するのは当然憲法違反であるという認識はありますが、政教分離という原則の中で、宗教活動がどこまで政治に関わっていいのか。これは統一教会問題での講演でものすごく頻繁に質問されることです。
橋爪 宗教団体と政府、特に選挙の関係は重要なこととして本にも書きました。選挙とは、国民、市民が政治的な意思決定を表明するほぼ唯一の機会で、主権者である国民の権利、そして義務です。その市民の投票の原則は、一人一人が自分の良心と見識と理性をもって、立候補している候補者の中でこの人がよいと思った人に投票する。無記名秘密投票なので、結果責任は問われない。しかし、投票の結果は全部自分に返ってきますから、最善の努力を尽くして、個別に投票するというのが正しいのです。これがゆるがせになったら、民主主義のミの字がもうない。
そこで、団体として組織票が存在してよいのかどうか。存在してよいのは職能に関するもの。医師とか農民とか漁業組合とかの業界団体、そういう人たちが選挙のときに利害を表明し、この候補に投票しようと申し合わせる。こういうことをしても民主主義はゆがまないのです。民主主義は市民社会の様々な利害や矛盾をいかに調整するかということですから、有権者が利害に基づいて投票するのは当然のことです。
じゃあ、何がいけないかというと、政治的な利害や政治的な決定に全く関係のない団体というのを使うのがよくない。今回のことで言うと、宗教団体です。宗教というのは、個々人が信仰を持ち、その信仰を深め合うために団体をつくっている。よい政治を望むのは自由ですが、宗教団体が政治をしてはいけない。それをすればもう宗教団体ではない。宗教団体が特定の候補者を応援したり投票することを指示したりすれば、それは即、民主主義にもとることになる。
共産党はどうか。共産党は政党です。だから、この候補者に投票しましょうと活動するのはいいと思います。共産党は政党だからです。でも、創価学会は政党じゃない。創価学会が政党をつくって、政治に関与している。これは共産党と似ているようですが、違うと思います。宗教団体が公明党をつくったという点が問題なのです。もしアメリカでこのようなことがあれば大スキャンダルですし、どこの国でも問題ですよ。
有田 すっきりして、よくわかりました。創価学会だけではなく、去年の参議院選挙では、統一教会が自民党の安倍晋三さんの秘書官をやっていた人に組織として票を集中したり、野党で言うと、立憲民主党を立正佼成会が組織として応援するという歴史がずっと続いてきています。そういうことは問題だと理解してよろしいわけですね。アメリカではスキャンダルになるということですが、何か法的な対処策はあるんですか。
橋爪 法律以前の問題で、それは市民の常識だと思います。でも、ここ数十年、福音派とかクリスチャンナショナリズムが出てきてから、その原則が少し揺らいでいます。共和党保守派に宗教組織票が投じられたり、ちょっと妙なことになっています。宗教がだんだん都市部で退潮していく中で、私たちは見捨てられている、アメリカが間違った方向に行っていると考える教会の人々が増えてきて、あたかも教会が組織した運動が特定候補を応援するような現象が出てきているんです。
有田 アメリカでも政教分離の原則が揺らいでいるんですね。日本では、もっと深刻です。創価学会や、ほかの宗教団体に対して、日本でどういうことをこれから進めていくことが必要だとお考えでしょうか。
橋爪 まず、創価学会には反省してもらって、公明党は少なくとも国会に代表を送らないようにする。昔、公明党が解散したとき、地方政治レベルでは実質公明党のままけれど、中央では新進党と合体して表に出ないというやり方を取りましたね。あの線でよいのです。大体、公明党は最初に参議院に進出したときに、衆議院じゃないからいいんだと言っていたはずですよ。参議院は良識の府で、そこに宗教代表がいるのは国民の健全な良識を反映している証だというようなことを言っていたんですから。
有田 そうです。公明党が1955年にはじめて政治に出てきたときは、地方議会でしたからね。その翌年に参議院選挙に出て当選して、そこからどんどん衆議院にまで進出していったことが問題点だということはよくわかります。
橋爪 だから、公明党、創価学会には見識や一貫した方針があるわけではない。そのときそのときに言い抜けをして、事実問題として政治勢力になってしまおうという考え方だったと疑われるわけですね。もしそうなら、日本の民主主義にとって大変よろしくない。
プロフィール
橋爪大三郎(はしづめ だいさぶろう)
1948年生。社会学者。大学院大学至善館教授。東京工業大学名誉教授。著書に『おどろきのウクライナ』(大澤真幸と共著)『中国共産党帝国とウイグル』『一神教と戦争』(中田考と共著)/集英社新書、『はじめての構造主義』『言語ゲームの練習問題』『ふしぎなキリスト教』(大澤真幸と共著)『おどろきの中国』(大澤真幸、宮台真司と共著)/講談社現代新書、『アメリカの教会』/光文社新書、等多数。
有田芳生(ありた よしふ)
1952年、京都府生まれ。出版社を経てフリージャーナリストとなり、主に週刊誌を舞台に統一教会、オウム真理教事件等の報道にたずさわる。
日本テレビ系「ザ・ワイド」等にもコメンテーターとして出演。
著書に『改訂新版 統一教会とは何か』(大月書店)、『統一協会問題の闇』(小林よしのりとの共著、扶桑社新書)、『北朝鮮 拉致問題 極秘文書から見える真実』(集英社新書)他多数。