都会ぎらい 第9回

地球ぎらい

谷頭和希

1.都会ぎらいは宇宙へと届く

 さて、一つ前の連載からずいぶんと間が空いてしまった。というのも、前回の記事で「都会ぎらい」の正体が分かってしまい、私の中で議論が一段落してしまったからだ。それに、私はこの間、ずっと「宇宙」について考えていた。「宇宙」は広い。それについて考えるだけで、すぐに時間が経ってしまう。

 なぜ、私は宇宙について考えていたのか? それは、「都会ぎらい」の最先端こそ「宇宙空間」にあるからだ。どういうことか。

 前回までの議論をまとめると、「都会ぎらい」は「ある場所が『五感』を伴わない抽象的な『空間』になることによって起きるもの」であった。イーフー・トゥアンは、「場所」と「空間」を厳密に分けた。五感全体で感じ、愛着を持てる空間的な広がりのことを「場所」と呼ぶのに対し、視覚が優位で、抽象的にしか感じられない空間的な広がりを「空間」と呼んだ。人はある空間的な広がりを最初、地図や書籍やインターネットのような視覚情報で知る。その時にはまだ、そこは抽象的なものに留まっている。そして、そこを訪れ体感したところで、そこはだんだんと「場所」になっていく。人は「空間」を「場所」に変えていく営みの中で生きている。

 ところが、近年の視覚優位の社会の中では「空間」はなかなか「場所」にならない。悪いことだとは思わないが、人にとって、都市や街は「空間」という抽象的なものになっている。すると、その語りは過激なものになる。そこに対する具体的な想像力を欠いた語りが生み出される。「都会ぎらい」の言説は、そこに由来する。

 こうした流れの中で、本連載ではイケハヤ(イケダハヤト)氏による「まだ、東京で消耗してるの?」も取り上げた。イケハヤ氏は高知を一種の「無垢の土地」と捉え、そこに「イケハヤランド」なる「国」を作ろうとしていた。イケハヤ氏は東京での生活があまりにも非効率的で人を消耗させるものだとして、そんな都会から「脱出」して、田舎に向かうことを説く。ある意味、高知を抽象的な「空間」として捉えていたからこそ、それができたのである。この態度はピューリタンたちがアメリカ大陸を「フロンティア」として捉えて開発した動きと似ている。ピューリタンたちは、ヨーロッパ大陸という、彼らが迫害される辛い土地を「脱出」し、拘束するものがない新大陸に自分たちの王国を作ろうとした。

「都会ぎらい」の想像力は、「辛い今ここの現実空間」を脱出し、抽象空間として捉えられている「田舎」や「新大陸」に向かう動きを誘発する。そして、その「現実空間から抽象空間への脱出」という流れは現在も起きている。その闘争の舞台こそ、「宇宙」なのだ。

2.宇宙すらも土地になる

 1960年代から今まで、科学進歩の歴史は宇宙開発の歴史だったといってよい。米ソの国家間での開発競争に始まり、さまざまな国が威信を掛けて開発に乗り出した。冷戦終結に伴って国家の権力が弱まり、権力主体のウェイトが国家から民間企業へと移った後も、宇宙開発は続けられる。現在、最先端で宇宙開発を進めているのは、もっぱら民間企業である。

 その代表格が、イーロン・マスク率いる「スペースX」であろう。マスクは、テスラの創業者であり、大手SNS「Twitter」を買収し「X」にした男である。スペースXは、彼の宇宙開発企業であり、有人宇宙飛行の実験を繰り返している。スペースXが目指しているのは、人類の火星移住を実現させることにあり、まずは人類を火星に送り届けようとしている。イーロンは次のように述べている。

 宇宙に出ていく以上に壮大な冒険はちょっと思いつきません。火星に基地を作るのはものすごく難しいでしょうし、おそらくは途中で死ぬ人だって出てきてしまうでしょう。米国に移住してきた時代と同じように、です。

 興味深いのは、マスクにとってこの宇宙開発事業は「米国に移住してきた時代」と同じだということだ。先ほども述べたように、ピューリタンたちによる新大陸としての米国の発見と、スペースXによる宇宙開発が重ね合わされている。その意味でマスクの宇宙開発は、ある種の「地球からの脱出」なのである。

 そういえば、「空間」と「宇宙」は英語にすると「Space」であり、そもそも宇宙とは広大な「抽象空間」だったのではないか、と思わされる。その意味で、かつての新大陸や、日本の移住ブームにおける「田舎」のような抽象性を帯びているのが、宇宙だともいえよう。ちなみに「スペース」といえば、イーロン・マスクが買収したXでの音声会話の場所も「スペース」と呼ばれている。オンライン空間のことを「サイバースペース」と呼ぶこともあるが、イーロンはX上に、擬似的な「宇宙」を再現したかったのかもしれない。

3.火星移住の想像力

 スペースXの「地球からの脱出」という側面は、マスクの思想からも読み取れる。

 すでに指摘されているように、その宇宙開発を支える思想の一つに「長期主義」という考え方がある。これは、遠い未来に人類が存続していることを重要な価値と見て、現在の行動を制約してく倫理的な態度のことである。例えば、長期主義者たちは、遅かれ早かれ地球が何らかの理由によって滅亡してしまうと捉える。コロナウイルスのような伝染病かもしれないし、隕石の衝突、あるいはAIによる反乱が起きるかもしれない。いずれにしても現在の地球は滅亡の危機に瀕している。そのとき、人類が生き残るためにはどうしたらよいのか。その答えの一つが、「火星移住」なのである。だからこそ、スペースXは火星移住を目指しているわけだ。

 マスクの宇宙開発の特殊性は、同じ企業家で宇宙開発に取り組んでいるジェフ・ベゾスと比べると分かりやすい。ベゾスはECサイト「Amazon」の創業者で、宇宙ベンチャー「ブルーオリジン」も経営している。ブルーオリジンの目的も「宇宙コロニー」の建設にある。しかしそれは「地球を脱出する」というより、地球に負荷がかかる工業を宇宙空間に移し、地球を持続可能なものにするという目的がある。地球には住居と軽工業が残り、人々は大自然の中で豊かに暮らす……というわけだ。

 地球を維持していこうとするベゾスに対し、マスクは、地球を捨てて火星を新惑星にしようとする。ここに、マスクの「地球脱出願望」は強く浮き彫りになる。

 一気に議論が卑近になるが、この点では「ゴミゴミした都会を離れ、田舎に国を作ろう」とするイケハヤ氏と、マスクは同じ立場に立っているようにも思われる。

 簡単にいえば、マスク氏の立場は「地球ぎらい」とでもいえるものである。

4.再開発によって見過ごされているもの

 連載でも指摘したように「都会ぎらい」にはいくつかの問題がある。

 一つに、抽象的な空間への志向性が強まるあまり、現実空間への語りが極端になってしまったり、本当の問題が見過ごされることだ。私は以前、この連載についてこう書いた。

 『再開発』と一口に言ってもさまざまなディテールがあるのだが、それは等閑視され、巷ではどこか感覚的な再開発批判が展開されている。しかし、そうなってしまうと本来再開発がもたらすポジティブな側面が語り落とされてしまい、再開発の当事者にとってもマイナスの影響が出てしまう。

 ここで述べたのは、都市再開発に関する議論がどこか抽象的になり、現実的な「今」起こっている問題が看過されることである。例えば、再開発では「大きいビルができて、昔の風景が壊される」といったノスタルジックな観点からその開発が批判されることがある。ところが、その地域は高齢者が多く、彼らからすれば開発によって街がバリアフリーになって利点が生まれる側面がある。ただ、ノスタルジックな批判ではこの側面は忘れられ、その地域で起こる「高齢化」という本質的な問題は見過ごされたままになる。

 「現実の問題への対応力」が落ちることが「都会ぎらい」の問題点の一つである。実は、長期主義にも同じようなことがいえる。マスクの宇宙開発は、一見すると人類のことを考えているようではある。ただ、負の側面も指摘されている。長期的なことにこだわりすぎるあまり、「今ここ」の現実的な問題から目を背けてしまうことにもつながりかねないのだ。

 木澤佐登志は長期主義をめぐり、「未来」を根拠にして現在の諸問題が見過ごされるリスクを取り上げている。簡単に言えば、人類の滅亡には繋がらないが、現在の地球上で問題となっている「貧困や差別」といった、より現実的な問題がいたずらに見過ごされる可能性がある、というのだ。これは、先ほど述べた「都会ぎらい」が起こす副作用に近い。長期主義と結びついた宇宙開発は、この抽象化の問題を極限まで押し広げる。

5.植民地としての火星

 もう一つの問題が、「植民地」的な想像力との結びつきだ。すでにピューリタンによるアメリカ大陸開拓の話には触れているが、その裏には元々そこに居住していたネイティブ・アメリカンの迫害がセットになっていたことはよく知られている。本当の意味で「まっさら」な土地はないのだが、「脱出」の末に人々が向かう土地は、まるで「何もない」かのように扱われてしまう。そこに、ある種の植民地的な「暴力」が現れる、というわけだ。

 宇宙開発でも同じことが危惧されているのは、興味深い。

 マスクが、火星移住を進めていることは述べた通りだが、現実に火星移住を可能にするためには、大幅な環境の調整・改変が必要になる。いわば、火星の「地球化」が必要である。こうした火星の改変構想は「テラフォーミング」として、近年では科学界のみならず、思想界でも頻繁に議論されているところである。まさに、これはかつてヨーロッパ人たちが、アメリカ大陸を「西欧化」したのと同じことが、惑星レベルで行われている。

 そして、火星の植民地化の問題は、当然のことながら倫理的な問題への懸念を引き起こす。平均気温はマイナス63度で、大気圧は地球の0.7%という過酷な環境を人工的に改変するためにはさまざまなハードルがある。技術的ハードルもさることながら、疑問視されているのが、火星本来の環境破壊の懸念である。火星に生命がいる可能性がゼロでない以上、その生育環境を大規模に改変することは、地球外生命への加害になってしまう。まさに、ネイティブ・アメリカンの文化や居住環境が破壊されたのと同じことが起こりうるわけだ。地球は「西洋化」に覆われたが、宇宙開発の時代には、地球外惑星が「地球化」されていくのである。

 その意味では、都市論をめぐって起こってきた「空間の抽象化の問題」が、「宇宙」という枠組みに広がって起こっているのだ。木澤佐登志は、マスクらによる宇宙開発は一見「革命的」な出来事に思えるが、その思想は結局、かつての植民地主義と地続きであり歴史の連続線上にある、と述べている。マスクらによる宇宙開発は、これまでの都市開発の延長線上にあり、そこには「都会ぎらい」がべったりと張り付いている。

 宇宙開発をめぐる近年の動きは「地球脱出願望」という名の「都会ぎらい」である。

6.宇宙開発と『人間の条件』

 ところで、こうした「地球脱出願望」を強く批判した人物がいる。その人物は、このように述べている。

 一九五七年、人間が作った地球生れのある物体が宇宙めがけて打ち上げられた。この物体は数週間、地球の周囲を廻った。そしてその間、太陽や月やそのほかの星などの天体を回転させ動かし続けるのと同じ引力の法則に従ったのである。[…](引用者注:それを見た人々の)すぐに現れた反応は、「地球に縛りつけられている人間がようやく地球を脱出する第一歩」という信念であった。[…]
 この発言が陳腐だからといって、本当はそれがどんなに異常なものかを見逃してはならない。[…]
 地球は人間の条件の本体そのものであり、おそらく、人間が努力もせず、人工的装置もなしに動き、呼吸のできる住家であるという点で、宇宙でただ一つのものであろう。たしかに人間存在を単なる動物的環境から区別しているのは人間の工作物である。しかし生命そのものはこの人工的世界の外にあり、生命を通じて人間はほかのすべての生きた有機体と依然として結びついている。ところが、ここのところずっと、科学は、生命をも「人工的」なものにし、人間を自然の子供としてその仲間に結びつけている最後の絆を断ち切るために大いに努力しているのである。

 ドイツの思想家、ハンナ・アーレントによる『人間の条件』の冒頭部分である。アーレントは全体主義批判で知られ、第二次世界大戦下で全体主義に傾いていった人々のあり方を鋭く分析した政治思想家である。『人間の条件』はそんなアーレントの代表作の一つだ。

  あまり知られていないが、同書は「宇宙開発」への言及から始まっている。引用部分で触れられている「1957年」は旧ソ連が世界初の人工衛星である「スプートニク1号」を打ち上げた年である。この出来事を受けて、アーレントは人々が「地球を脱出する第一歩」という信念を持っていたと指摘する。まさに「地球脱出願望」だ。そして、アーレントは「地球は人間の条件の本体そのものであり」と述べ、科学技術を使って人間が人間でなくなっていく様を批判する。

 そこから、表題である『人間の条件』、つまり、人間から離れようとしている人間が本当の意味で人間たるべきにはどうすればいいのかについて考察を始めるのである。

 こうしたことを踏まえれば、「都会ぎらい」(=地球ぎらい)を考えることは、同時に「人間が人間であることとは何か」を考えることにつながるともいえる。すでに「都会ぎらい」の原因には、視覚が優位になりすぎ、五感で感じられる現実の手触りが失われていることは述べた通りである。それもある意味、「人間」が「人間の条件」を手放していることにつながるのかもしれない。いずれにしても、アーレントが『人間の条件』を宇宙開発の話から始めたのは、本連載にとってきわめて示唆的である。

 ここで、本連載の最後に考えたいことは「『都会ぎらい』の時代をどう生きるのか」ということだ。現代のいたるところに「都会ぎらい」的な病が侵食していることは述べてきた通りである。では、そんな時代を我々はどう生き抜いていくべきなのだろうか。

 次回は、アーレントの『人間の条件』などを参照しながら、「都会ぎらい」の時代の生き方について考えてみたい。

(次回へつづく)

 第8回
都会ぎらい

東京における再開発ラッシュやそれに伴う反対運動、新しい商業施設への批判、いまだに報じられる地方移住ブーム……なぜ人々は都会に住みにくさを感じるのか。全国のチェーンストアや東京の商業施設の取材・研究を続けているライター、谷頭和希がその理由を探求する。

プロフィール

谷頭和希

たにがしら かずき チェーンストア研究家・ライター。1997年生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業、早稲田大学教育学術院国語教育専攻修士課程修了。「ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第三期」に参加し宇川直宏賞を受賞。著作に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』 (集英社新書)、『ブックオフから考える 「なんとなく」から生まれた文化のインフラ』(青弓社)。

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