対談

第1回 「スパイを見つけろ!」が社会を変えた

誰が「スパイ」とされるのか?思想統制と防諜体制、沖縄戦、そして現代日本
荻野富士夫×林博史

国家情報局設置法案が5月、参議院を通過し成立した。高市政権は、さらにスパイ防止法も作ろうと、「日本人ファースト」を掲げる参政党などとともに動いている。
しかしスパイ防止法を通じて、彼らが真に目指しているのは何か?
戦前から戦中にかけて治安維持法とともに、国民を相互に監視させ、統制・弾圧し、戦争へと動員して行った防諜法令。「隣人もスパイかも」と人々を疑心暗鬼に陥らせ、地上戦が行われた沖縄では、多くの市民が「スパイ」の名目で日本軍に虐殺された。
よみがえる戦時体制 治安体制の歴史と現在』の著者で、戦時治安体制や防諜法令に詳しい荻野富士夫氏と、『沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったのか』の著者で、沖縄戦研究の第一人者・林博史氏が、防諜法令や沖縄戦での言論統制や秘密戦などについて共同で分析する計4回シリーズ。
第1回は、戦前に「防諜」意識がどのように国民に浸透していったか、戦後の自民党政権が目指そうとしてきたのは何かについて、荻野氏のレクチャ-をお届けする。

構成:稲垣收/写真:内藤サトル

参政党が戦中のような防諜法案を提出していた

荻野富士夫氏

 昨年(2025年)は治安維持法制定から100年でしたが、今年は「スパイ防止法」制定が現実化してくる状況にあります。「新しい戦前」という言葉は2022年末のタモリ発言から始まったのですが、すでにそれは定着し、共有化されてきている感があります。そして今はもう「新しい戦中」の前夜という段階に至っているのではないかと私は危惧しています。

「戦前」という場合、1931年の満洲事変(*1)以降というふうに一般的には考えますが、「戦中」となると、1937年の盧溝橋事件(*2)を発端とする日中戦争の全面化からになります。ですから「戦中」の前夜というと、30年代中盤から後半に入る頃で、その時代と今が重なっているのではないかと思います(満洲事変からアジア太平洋戦争終結までを「15年戦争」とする捉え方もあります)。

 それを裏づけるように去年から今年にかけて、どんどん状況が変わってきている。最初の頃は講演会などで私が「新しい戦中」という話をしても、皆さんピンと来ない感じでしたが、恐ろしいことに、今は特に説明しなくても通じる状況になってきている。その非常に顕著なものとしてスパイ防止法案があります。

 この法案は今首相になっている高市早苗氏がまだ首相になる前、昨年5月に自民党に対して提言したのですが、それを読んでも、当時は意味がよく分かりませんでした。すでに特定秘密保護法、共謀罪法というような「戦前の防諜体制の復活」と呼んでいいものができているのに、さらに屋上屋を重ねるようなものに思えたからです。

 しかしその後、その意味がはっきり分かったのは、昨年7月の参議院選挙の際、参政党の神谷宗幣代表が演説した時です。彼は治安維持法についての肯定論を述べた直後、「極端な思想の持ち主がたくさん公務員の中に潜んでいる。そのような人たちを選別して、やめてもらわなければいけない」と言いました。「それがスパイ防止法の目的だ」と。

 公務員を対象に、思想選別し排除すべきだという趣旨の発言をしたので、「なるほど、こういうところに最終的な目標を置いているんだな」と思いました。言わば戦後のレッド・パージ(*3)に相当するようなものをめざしているといえます。

*1 1931年9月18日に、中国遼寧省の柳条湖
りゅうじょうこ
で、日本が権益を持っていた南満洲鉄道の線路を、現地に駐屯していた日本軍(関東軍)が爆破し、中国側のしわざだとして開戦の口実とした。この後、日中の戦闘の末、32年2月には関東軍が満洲(中国東北部)を占領し、日本側は3月に、清朝最後の皇帝だった溥儀を執政(その後、皇帝)として立て傀儡国家「満洲国」建国を宣言させたが、国際社会の非難を浴び、日本は国際連盟を脱退。米英とも対立を深めた。

*2 1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋で演習中だった日本軍と、中国軍が戦闘になり、これをきっかけに日中全面戦争へと進んでいった。

*3 赤狩り。1950年にGHQ(連合国軍最高司令部)は日本共産党員と支持者約3万人を職場から追放した。米国でもその数年前から同様のことが行われ、チャップリンら著名な映画俳優や監督も業界追放された。

 参政党はその参議院選挙で議席を大幅に増やして法案提出ができるようになり、さっそく昨年の参議院でスパイ防止法関連の2法案を提出しました。1つは現行の特定秘密保護法などの刑罰をより厳重化しようというもの。私から見て、それ以上に重要な問題があるのは「防諜に関する施策の推進に関する法律案」第12条に「国は防諜に関する国民の理解と関心を深めるよう、防諜に関する教育及び啓発の推進その他の必要な施策を講ずるものとする」とあることです。

 法案提出直後の参議院の法務委員会では、参政党の議員がこれに関連して発言しています。「外国勢力によるスパイ活動の実態を国民に広く知らしめ、事件の背景を考える、こういうことを訓練として行っていく。国民の防諜リテラシーを高めるということが大切ではないか」と。そして戦前の内務省が作った『防諜講演資料』(1941年)というパンフレットを紹介して、「ここに書いてあることを今やるべきだ」という発言をしたのです。

内務省『防諜参考資料』(1941年)より

 つまり防諜教育、防諜リテラシーの必要性を強調しました。その前に、参政党の神谷代表と高市首相との間のやり取りで「情報リテラシーは大事ですね、それを重視していきましょう」ということを言っていたのですが、実は彼らが「情報リテラシー」と言っていた中身は「防諜リテラシー」であるということがハッキリした。この法案が通れば、その12条にあるような「防諜リテラシーの教育・啓発を政府に義務づける」ことになるのです。

情報局が新聞・雑誌を統制し、広報誌で国民を“教育・啓発”した

荻野氏と林博史氏

「国家情報会議設置法」案が5月27日に参議院を通過し、成立しました。7月ぐらいにはこの会議の事務局となる「国家情報局」が新設されるということですが、青木理さんが最近雑誌『地平』(地平社)に書かれた連載の中で「国家情報局というものは、情報の一元化ということを強調しているけれども、たぶん、あまりそういう方向には行かないのではないか。中心になるのは警備・公安の外事警察なので、それがますます権限、権益を拡大していくことになるのではないか」という指摘をされています。私もそのとおりだろうと思います。

 先ほど「防諜リテラシーの教育・啓発」について指摘しましたが、青木さんとは少し別の観点から、この部分で国家情報局が役割を果たしていくのではないかと思います。

「各省庁がそれぞれ持っている情報関係のデータを一元化して、インテリジェンス機能を強化し、政府の政策に反映していく」ということを政府は表に出していますが、戦前の状況から考えると、あまりそういう方向には行かないのではないか。

 戦前には各省庁の縄張があり、各省とも、とくに陸軍ですが、権限を手放そうとしませんでした。情報局の存在と役割は、むしろ情報の管理と統制、発信、その上での「情報リテラシー」という部分に関わっていました。

「情報の統制」として具体的には、新聞や総合雑誌などの統制を情報局は行いました。情報局の1941年からの『局報』という資料を見ると「今日の日程」が書いてあり、たとえば当時の主要新聞社の政治部長を呼んで、毎月1回会議する。あるいは雑誌『中央公論』や『改造』の編集長を呼んで、毎月会議をする。そこで「この間のこの記事はよかったが、この記事はダメだ」とか「こういう書き方はダメだ」などと具体的に指導していったのでしょう。それに加えて新聞や雑誌を印刷する用紙の統制も行われました。そういう形で情報統制したのです。

 また、情報局の発行する『週報』(*4)とか『写真週報』(*5)という雑誌を使って情報発信も行いました。そういう役割が一番強かったと思います。

 今後、高市政権で新設される国家情報局も、そういう方向を向いていくのではないかと予想しています。

*4 内閣の情報委員会(その後、内閣情報部を経て情報局)が、国政一般や各種法令の内容を国民および各官公庁に周知させるため、当初は『官報』の付録として編集した。第1号は1936年(昭和11年)10月発行。1945年7月11日の第450・451合併号まで刊行。

*5 『週報』のビジュアルなグラフ誌として1938年2月創刊、1941年3月には発行部数50万部に。1945年7月11日の第375号まで刊行。

次ページ 治安維持法と防諜法令の違い
1 2 3

関連書籍

プロフィール

荻野富士夫

(おぎの ふじお)

1953年、埼玉県生まれ。小樽商科大学商学部教授を経て、2018年に定年退官。同大学名誉教授。専門は日本近現代史、とくに治安体制・思想統制史。主な著書に『特高警察』(岩波新書)、『よみがえる戦時体制――治安体制の歴史と現在』(集英社新書)、『検証 治安維持法――なぜ「法の暴力」が蔓延したのか』(平凡社新書)、『「国体」とは何か――教育勅語から八紘一宇へ』(地平社)、『治安維持法と「国体」』(大月書店)等多数。

林博史

(はやし ひろふみ)

1955年、神戸市生まれ。現代史研究者。関東学院大学名誉教授。主な著書に『沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったのか』(集英社新書)、『沖縄戦と民衆』『沖縄戦が問うもの』(大月書店)、『沖縄戦 強制された「集団自決」』『米軍基地の歴史 世界ネットワークの形成と展開』『帝国主義国の軍隊と性 売春規制と軍用性的施設』(吉川弘文館)、『朝鮮戦争 無差別爆撃の出撃基地・日本』(高文研)、『BC級戦犯裁判』(岩波書店)、『日本軍「慰安婦」問題の核心』(花伝社)等多数。

プラスをSNSでも