やく ついでと言ってしまうと語弊がありますけども。
古谷 ええ。
やく せっかくですから、スぺシウム光線についても確認しておきたいのですが、老若男女、誰もが知っている、あのポーズはウルトラマン関係の書籍などを読むと、力道山の空手チョップを参考にしていた――と書かれていたりしますよね。
古谷 ええ。
やく 時代を感じるお話ですよね。
古谷 ええ、間違いありません。参考のひとつにしていました。どういう話の流れだったのか、うまく思い出せないのですが、ウルトラマンの必殺技をスぺシウム光線にしようとなり、さて、ではどんなポーズで光線を放てばよいかとなったとき、スタッフからも、いろんなアイデアが出たんです。そういう状況の中で、ふと力道山の勇姿が思い浮かんだのですね。
ホシノ その話し合いが行なわれたのは、本格的な撮影が始まった1966年頃だと思いますから、力道山が死んで3年後のこと。それでも、そんなふうに古谷さんの脳裏に空手チョップが思い浮かぶということは、それだけ力道山が当時、日本に与えていたインパクトは大きかったのでしょうね。
古谷 だと思います。戦後日本の復興のシンボルでしたから。みんな夢中で観ていましたよ、力道山のプロレスを。ガタイの大きい獰猛な外国人選手を相手に劣勢になっても、最後は伝家の宝刀、空手チョップを繰り出して見事勝利。あの劣勢を挽回する必殺の空手チョップのイメージが脳裏に残っていたのかもしれません。だから、ウルトラマンも凶暴な怪獣に攻められ、万事休すになったとしても、スぺシウム光線を放てば逆転できる――そんな願いをも込めてポーズに空手チョップを取り入れようとしたんじゃないですか。
やく なるほど、必殺逆転技の発想がそこに。
古谷 それで空手チョップの形を基本にして、スタッフとどうすればいいか、あれやこれやと相談しながら、いろんなポーズを試してみたんです。例えば、右手を手刃にし、縦にしてみると必殺技っぽく見えるよね、となったのですが、それに光線を合成すると、どうしても手がブレてダメだとなり、最終的には左手を添えて止めようとなったんです。それが、あの腕を十字に組んだポーズになったわけです。
やく トメの静止ポーズは是非モノだったんですね。
ホシノ その力道山には大変興味深いエピソードがありましてね。
古谷 ええ。
ホシノ 1962年の秋、新聞社の企画で、ちびっ子記者が力道山に突撃取材を行なうことになり、ひとりの小学生がこんな質問を力道山にぶつけたんです。
「力道山さんとゴジラ、本当はどちらが強いんですか?」
その質問に大笑いした力道山は、こう答えました。
「そりゃゴジラだろ。百戦錬磨のワシでも、ゴジラには勝てん。でも、別の何か、ゴジラくらいデカい何かになれれば、ワシにも勝ち目がある」
この発言、意味深じゃないですか。もしかしたら、その時点でウルトラマンは誕生していませんでしたけど、力道山はウルトラマンのようなヒーローになりたかったのかも。ベーターカプセルを使い、ウルトラマンに変身したかったのかも知れません。
古谷・やく ワッハハハ。
ホシノ さらに、いらぬ余談になりそうですが、さきほど紹介した大山先生の半生を描いた漫画『空手バカ一代』の中で、1953年のハワイにおいて大山倍達と力道山が遭遇したエピソードが描かれていまして。
古谷 ほう。
ホシノ ワイキキの浜辺で力道山が大山先生に「空手チョップの真髄を教えてほしい」とお願いするんですね。でも、大山先生は「キミの空手チョップはすでに完成されている凄い技だ。私がアドバイスすることなどひとつもない」と断わっているんですよ。つまり、その時点で大山先生は力道山の空手チョップを“オリジナル”だと認めているんです。
やく 力道山の空手チョップは、そもそも相撲の張り手が原型ではないかという説もありますね。
ホシノ なんにせよ、大山先生と力道山の繋がり、仲がよかったのか悪かったのかも含め諸説ありすぎて、本当のところはよくわからなかったりするんですよ。そのハワイでの遭遇にしても、梶原一騎先生が書いたことですから――。
古谷・やく (笑)。
ホシノ どこまでリアルガチで、どこまでがファンタジーなのか……。
古谷 そういえば、ケロニア戦の最後に飛行しながらスぺシウム光線でエアシップコンビナート(ケロニア軍団)を破壊するんですけど、あのときの撮影、けっこう辛かったんですよね。
やく というのは?
古谷 撮影の裏話になってしまいますが、跳び箱の台のようなところに僕がうつ伏せになって、スぺシウム光線のポーズを取り続けたんです。それを後からスぺシウム光線が放たれたように合成する、と。でも、時間が経つにつれ、だんだんと背中がしんどくなってきてね(笑)。
やく ああ、わかります、そのニュアンス。背筋を鍛えるときに両足の足首を人に押さえてもらって反るようにしますが、しんどいですものね。あの体勢を続けるのは、ウルトラマンといえど、そりゃキツい。
古谷 たぶん、あの体勢のままだと“丹田”が使えないから、余計に辛かったのかも知れませんよね。うつ伏せの状態で足首を持たれたままだと、腹に力が入りませんもん(笑)。この対談で、やはり何事も“丹田”が大事だと気づかされました(笑)。
プロフィール
古谷敏(ふるや さとし)
1943年、東京生まれ。俳優。1966年に『ウルトラQ』のケムール人に抜擢され、そのスタイルが評判を呼びウルトラマンのスーツアクターに。1967年には「顔の見れる役」として『ウルトラセブン』でウルトラ警備隊のアマギ隊員を好演。その後、株式会社ビンプロモーションを設立し、イベント運営に携わる。著書に『ウルトラマンになった男』(小学館)がある。
やくみつる(やくみつる)
1959年、東京生まれ。漫画家、好角家、日本昆虫協会副会長、珍品コレクターであり漢字博士。テレビのクイズ番組の回答者、ワイドショーのコメンテーターやエッセイストとしても活躍中。4コマ漫画の大家とも呼ばれ、その作品数の膨大さは本人も確認できず。「ユーキャン新語・流行語大賞」選考委員。小学生の頃にテレビで見て以来の筋金入りのウルトラマンファン。