「『梨泰院クラス』はすごくいいよ。母さんが見てるドラマで初めてハマった。もう2回も見た。俺はパク・セロイになる」
熱烈に推してくれたのは、昨年の春にシンガポールから帰国した23歳。両親は関西出身だが仕事の関係で長らく海外暮らし、日本語より英語の方が得意というタイプの若者だった。韓国でも暮らしていたから韓国語も少しできるし、韓国人の友人もいる。
「でも、『愛の不時着』には興味を示さなかったのよね」
母親は息子の沼落ちを笑っていたが、なるほどそんなに面白いのか……。早速、見てみることにした。
イントロの劇画、そして音楽、なんとスタイリッシュな! これならテレビドラマをあまり見ない若い層にもウケるかもしれない。そもそも、このドラマの原作は同題のウェブ漫画で、2017年に連載が始まった当時は若者の間で爆発的な人気となっていた。それをうけてドラマ化が決定。当然ながらターゲットもウェブ漫画を読む層+αであり、脚本にも漫画の原作者がそのまま起用されていた。
その意味では全くターゲットからはずれている私だが、梨泰院の風景が登場する第2回から前のめりになった。梨泰院という街が大好きだったから。いや、好きという以上に、特別な思い入れがあった。長い韓国暮らしの中で、つらくなると梨泰院に逃げ込んでいた。梨泰院がなければ、あの国で暮らせなかったかもしれない。
結果的には見事にハマって3日間で16話を完走した。自分でも呆れるほどの見事な走りっぷりだった。23歳の青年に負けてはいられない、私もパク・セロイとその仲間たちのように強い人間になりたいと思った。
久々の男性に人気のドラマ
ドラマ『梨泰院クラス』は2020年1月31日から3月21日まで、金・土曜の夜10:50~12:30という遅めの枠で放映された連続ドラマ。70分ドラマ×16回というかなりのボリューム、制作はJTBCテレビである。韓国ドラマは近年、地上波よりもケーブル局の方が優勢だが、これも例外ではなかった。
視聴率は初回こそ5%ほどだったが、第4回あたりで10%台へ、最終回の16回では全国16%、首都圏ではなんと18%突破という大成功に終わった。放送終了時はロスになった人々でネット空間は祭り状態。なかでも興味深かったのは、このドラマを一生懸命見たのが男性だったということだ。しかも当初のターゲットは原作と同じ20~30代だったが、蓋を開けてみたら40~50代のおじさんたちがワクワクしていたという。
まずはドラマのあらすじを簡単に紹介する。ただ、最近の韓国ドラマは大どんでん返しが仕掛けてあるし、伏線の回収方法も見事なのでネタバレ無用。そこで以下、公式ホームページのキャッチコピーを引用しておく。
小さな店の成功を目指してまい進する正義感の塊のパク・セロイと、強い絆で結ばれた仲間たち。世の中の基本は弱肉強食だ。だからこそ、根性と気合を見せてやる!(ネットフリックス)
ちょっとわかりにくいので、韓国語版も。
この男は権力者の圧力に屈することを拒否して高校中退、前科者になった。
将来の夢も家族も失い、どん底の中で訪れた梨泰院の街。
様々な人種、異国情緒、自由な人々、美味しいエスニック料理の数々。
世界の縮図のような街で彼が見たのは、限りない自由だった。
梨泰院にすっかり魅了された彼は、再び希望を胸に抱き、
思いを共にする仲間たちと一緒に、小さな店を立ち上げる。
(JBCテレビの公式ホームページから、抄訳)
一言でいえば、パク・セロイという一人の男が、梨泰院というダイバーシティを舞台に繰り広げる復讐劇ということになる。その第一歩となったのが「タンバム」という小さな居酒屋だった。
なぜ男性に人気だったのかは、放映終了間際に韓国のスポーツ新聞に掲載された「『梨泰院クラス』の人気の中心には4050男性がいる」(2020年3月12日付、『日刊スポーツ』)という記事で言及されている。この作品は「ファンタジーを満足させる」(ここは「男のロマン」と訳してもいいかもしれない)。巨大な権力と素手で戦うという、ある意味「お決まりの構造」。それに加えて「梨泰院という若者空間への好奇心」があるという。自分たちは上の世代の権威主義に従わざるを得なかったが、今も後悔と痛みを引きずっている。だからこそ、その権威を破壊していく若者たちがまぶしい。「憧れ」と言ってもいいかもしれない。
実は日本でも、この『梨泰院クラス』は男性にウケたようだ。周到な復讐劇は「まるで半沢直樹」といった感想もよく聞いたが、それよりも「なるほど」と思ったのは、「これは、3〜40代男性が大好きな『ONE PIECE』を彷彿とさせる」というものだった。(『梨泰院クラス』が「韓流嫌いの中年男性」にも響いた3つの理由)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74070?imp=0
「愛の不時着」「梨泰院クラス」「パラサイト」「82年生まれ、キム・ジヨン」など、多くの韓国カルチャーが人気を博している。ドラマ、映画、文学など、様々なカルチャーから見た、韓国のリアルな今を考察する。
プロフィール
ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)等。『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)好評発売中。