カルチャーから見る、韓国社会の素顔 第5回

イチオシ「梨泰院クラス」(前編)

レインボーカラーが交差する街で見た夢
伊東順子

 これは原作者のチョ・クァンジンが作品のために書いたオリジナルの詩だという。クライマックスシーンでは、それをもとに作られた挿入歌「石ころの歌」とヒョニの決然とした表情が重なっていく。

 この名場面に一つ解説を加えるなら、イソが済州島にいたことの意味、これはなかなか粋な演出である。韓国屈指のリゾート地でもある済州島は古くから「三多島」といわれてきた。その三つとは画面でイソの髪をなびかせている「風」、そして「石」、そして「女」である。韓国人なら誰でもこのシーンでイソの背景に映し出される、この火山島特有の黒い石の風景に気づくだろう。

 そしてイソとヒョニという二人の「女の友情」。

 日本語字幕にはないが、イソは電話でヒョニに「オンニ(お姉さん)」と呼びかけている。この連載の以前のコラムでもふれたように、韓国では「兄さん、姉さん」という呼び方が友人関係でとても重要になる。イソがヒョニに対して「オンニ」という言葉を使い始めるのは「第5話」から。トランスジェンダーとしてのヒョニとメンバーの葛藤が乗り越えられたところで、相互の呼称が一斉に変化する。韓国的にはわかりやすい展開となっている。

 ただ、その明快さは逆に違和感も感じる。強すぎる「男女二元論」的な考え方は、トランスジェンダーを含む「性的マイノリティ」(LGBT)にとって、生きづらさの原因になっているとも思うからだ。

 

 

性的マイノリティと梨泰院

 

 『梨泰院クラス』は韓国社会にある、性的マイノリティに対する偏見や差別意識を強く意識した作品である。それは番組の時々にホン・ソクチョンが「特別出演」することで自明となっている。さきほど違和感があると書いた強すぎる「男女二元論」的な志向も、彼の人生を知っている韓国の人々においては、補正が可能かもしれない。

 ホン・ソクチョンは2000年に韓国で初めてゲイをカミングアウトした芸能人だが、そのことで番組から干されていた時期もあった。しかし彼は、まさにこの「石ころの歌」にあるようにバッシングをはねのけて這い上がり、自らが成功することで、韓国におけるゲイカルチャーの地位を向上させた。

 そのホン・ソクチョンが芸能界以外の活躍の場として選んだのが梨泰院だった。梨泰院で数々の店を成功させたホン・ソクチョンの「神話」は、このドラマの重要なベースになっている。刑務所から出てきた主人公パク・セロイが初めて梨泰院を訪れるのは第2回だが、そこに本物のホン・ソクチョンが登場することで、視聴者はこのドラマにリアリティを感じる。ドラマはフィクショであるが、ホン・ソクチョンの存在はノンフィクションだからだ。

 例えば、ドラマには「経理団ギル」に移転したパク・セロイが周辺の住民たちと一緒に街を盛り上げている様子が描かれるが、そのモデルはホン・ソクチョンである。

 「経理団ギル」が人々の注目を浴び初めたのは、2010年代に入った頃だ。その10年ほど前から韓国では「若者たちによる創業ブーム」が起きていた。狙い目は家賃の高いメインストリームから少し奥に入った路地裏。弘大、三清洞などから始まったそのムーブメントは他のエリアにも広がり、その一つが梨泰院のメインストリートから一本奥、南山の斜面にある「経理団ギル」だった。

 ところで、実際の経理団ギルはこのドラマの放映以前から、すでに「危機的な状況」が続いていた。ドラマにも財閥系資本による「個人事業主」に対する圧迫や、エリア全体の「地上げ」などが登場するが、それは韓国社会の現実でもある。

 「ガイドブックにあったのに、行ってみたら店がなかった」

 韓国旅行をする日本人旅行者からも頻繁に伝えられる「がっかりした件」は、現地で暮らしていても日常茶飯事だった。

 「家賃が手頃な価格のエリアに若者文化が入る。若いアーティストが街を活気づける。口コミで有名になる。資本が入り、眠っていた家主の欲望が目覚める」(2020年1月8日、チョン・シウ「梨泰院で暮らして」)。

http://www.gqkorea.co.kr/2020/01/08/%ec%9d%b4%ed%83%9c%ec%9b%90%ec%97%90-%ec%82%b0%eb%8b%a4/?utm_source=naver&utm_medium=partnership(韓国語)

 

 これは2016年から4年間、梨泰院で暮らした韓国人コラムニストが書いたネット記事だ。そうして若者たちが押し出され、街は個性を失う。記事にはたった4年の間で変化してしまった梨泰院の街への「郷愁」が感じられる。

 「今、制作中のドラマ『梨泰院クラス』で『世界の縮図』と称された梨泰院の現在は、それほどの街ではなくなっている。(中略)米軍は去り、韓国バーと大企業が運営するフランチャイズが大通りを占領し、徐々に個性を失っている」

 梨泰院の起点は米軍が作った街だった。それをベースに多国籍的なダイバーシティとして発展した。私がこの街に通いつめていたのは「基地の街」の一角にあった「多国籍タウン」が広がっていく時期だった。2000年代に入って急激に変化した梨泰院よりも、そちらの印象のほうが強い。

 ところで驚いたのは『梨泰院クラス』の原作漫画が、日本語版では『六本木クラス』というタイトルになったことだ。米軍基地があるから? 歓楽街、外国人が多いから? 共通点はあるのかもしれないが、なんだかもやもやとしてものを感じる。その違和感の理由は後編で。

 

『梨泰院クラス』Netflixオリジナルシリーズ独占配信中

 

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カルチャーから見る、韓国社会の素顔

「愛の不時着」「梨泰院クラス」「パラサイト」「82年生まれ、キム・ジヨン」など、多くの韓国カルチャーが人気を博している。ドラマ、映画、文学など、様々なカルチャーから見た、韓国のリアルな今を考察する。

プロフィール

伊東順子

ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)等。『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)好評発売中。

 

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イチオシ「梨泰院クラス」(前編)