カルチャーから見る、韓国社会の素顔 第12回

チョンセと再開発――不動産階級社会としての韓国

伊東順子

大多数が安心して見られる「格差劇場」

 

 この映画が描く貧困が「決してリアリスティックに描かれていない」ことは、韓国映画研究の草分け的存在である四方田犬彦氏も指摘している。

 

 「日本の無邪気なジャーナリズムからすれば、ポン・ジュノは韓国社会の矛盾を余すところなく描いたという論調に傾きがちなのだが、韓国的貧困の真実はより深刻であり、かかるステレオタイプの連続で了解のできる性質のものではない」(『われらが<無意識なる>韓国』作品社)

 

 では逆に「韓国的富裕の真実」については、どうだろう? 映画『パラサイト』に登場する「お金持ちの家」はリアルだろうか? 

 こちらはソウルの城北洞にある典型的な富裕層の住宅がモデルになっている。景福宮の背景にそびえる北岳山の麓、李朝時代から高級官吏が暮らした三清洞の奥にある城北洞は、韓国でもっとも「由緒正しい富裕層のエリア」として知られている。独裁政権時代にまずは政治家が、続いて財閥のオーナー等が居を構えた、文字通りの特権層が住む街だった(当時、江南はまだ荒れ地や農地だった)。

 ここも山の斜面であり、当然ながら多くの家には地下室がある。90年代前半に北朝鮮の核危機が浮上した際には、この街で暮らす財閥オーナーがその地下室を巨大な核シェルターに改造したことが話題になった。

 ただ映画に出てくるような一般の家族がこの街の邸宅で暮らすのは、現在の韓国ではやはり珍しい。現役世代の富裕層はやはり便利な江南のタワマンや漢南洞の低層高級ビラなどを好み、城北洞の邸宅の多くは外国の大使館関係者や外資系企業のトップなどが暮らしている。

 もちろん例外もある。タレントから実業家になったペ・ヨンジュン氏は、『冬のソナタ』のヒットから10年後の2010年に、この街に家を購入して移り住んだ。その時に購入価格60億ウォンが明らかになり、ベールに包まれていた城北洞の不動産価格が少しだけ話題になった。でもその後はやはり、どれだけ不動産投資ブームが話題になっても、この街はずっと「別格」であり続けている。

 四方田氏は前出の著書の中で、「『パラサイト』は安全地帯にいながら、安心して観ることのできる貧困観光であり、痛快な怨恨復讐劇だった」とも述べている。「安心」の理由はおそらく観客自身が、これが本物の貧困でないことを見抜いているからだろう。もちろん「臭い」の描写など、細部にリアリティはあり、人によっては過去のトラウマを喚起する。ただ自分や国家の未来図として憂うには、それは極めて抽象的な意味しか持たないだろう。

 「金持ち観光」という意味でも同様だ。インスタント麺が大好きな「即席富裕層」を嘲笑する描写の多くは、映画ファンの主流である中間層の溜飲を下げる。

 

格差と支配構造

 

 映画『パラサイト』には、「本物の貧困」は描かれていない。

 だから「娯楽」として楽しめるし、そこに登場するチャパゲティが食べたくなったり、モデルとなった街に行きたくもなる。さらに貧困とは対局にあるサムソン系財閥一族のプロデューサーが、ポン・ジュノ監督や俳優ソン・ガンホとともにレッドカーペット歩くのも、「韓国映画の成功」として喜ぶことができた。きらびやかなアカデミー賞の授賞式が、あの血に塗られた誕生会パーティの続編となることも、違和感なく受け入れられたのである。映画の中の貧者は本当の貧者ではなかったから。

 とはいえ、『パラサイト』がテーマにした「家」が、韓国の格差のシンボルであることは紛れもない事実である。先に紹介したように学歴や社会的地位とは別に、韓国には独特の「不動産カースト」が存在する。重要なのは、その上位にある者たちが豊かさを享受するだけでなく、その下位にある者たちを支配していること。つまり、それは単なる序列ではなく支配構造だという点だ。

 気づきにくい部分なのだが、ここでは身近によくある例を紹介してみる。パンデミック下で韓国の不動産が急騰した2020年7月、韓国の新聞にはこんな話が紹介されていた。

 

 Aさんは2018年にソウル市内で50平米の中古マンションに2億4千万ウォンのチョンセで入居した。2年目の契約更新時、大家はそのチョンセ金を5千万ウォン引き上げたいと言ってきた。

 「チョンセで暮らしていると保証金がどのくらい上がるか分からないので、住居費用として常にお金を貯めておきました。その時も2千万ウォンほどを貯めて準備していたのですが、いきなり5千万ウォンなどと言うので腹が立ちました」。(ハンギョレ新聞、2020年7月6日)

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 第11回
カルチャーから見る、韓国社会の素顔

「愛の不時着」「梨泰院クラス」「パラサイト」「82年生まれ、キム・ジヨン」など、多くの韓国カルチャーが人気を博している。ドラマ、映画、文学など、様々なカルチャーから見た、韓国のリアルな今を考察する。

プロフィール

伊東順子

ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)等。『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)好評発売中。

 

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チョンセと再開発――不動産階級社会としての韓国