カルチャーから見る、韓国社会の素顔 第12回

チョンセと再開発――不動産階級社会としての韓国

伊東順子

「再開発」をテーマにした2冊の本

 

 そこで、さらなるキーワードは「再開発」である。韓国語で発音すると「チェケバル」という言葉は「チョンセ」と同様、韓国の映画やドラマ、文学作品には頻繁に登場する。韓国の都市は常に再開発を繰り返してきたからだ。どれだけ街が失われ、人々が家を追われたか。

 私が暮らし始めた30年前のソウルには、市内のあちこちに「タルトンネ」(月のまち)といわれる貧困地区があった。月から一番近い街、小高い丘のてっぺんまで、小さな住宅が続いていた。その頃のソウルはまだ夜が暗かったが、月夜の晩には下の街からも、その丘を上がって行く人々の姿が見えた。麻浦、独立門、玉水洞……、かつて月の街だったところも、もれなく再開発の対象となり、今は高層マンション群ができている。

 私が目撃した再開発についても機会があれば書きたいと思うが、ここでは、韓国の再開発を理解するための書籍を2冊ほど紹介しておきたいと思う。1冊目は1978年の出版以来、韓国で驚異的なロングセラーとなっているチョ・セヒ著『こびとが打ち上げた小さなボール』、さらにもう1冊は2013年に出版されたファン・ジョンウン著『野蛮なアリスさん』である。両書とも最近になって日本語訳が河出書房新社から、いずれも斎藤真理子訳で出版されている。

 

『こびとが打ち上げたボール』

 韓国でこれを知らない人はいないと言われるほど有名な作品だ。学校で習ったという人もいるし、入学試験の問題で見たという人もいる。現在でも新学期や夏休みの前になると、「推薦図書」として書店に平積みされる本である。

 作品の舞台は1970年代の都市スラムと工場地帯、当時の韓国でまさに貧困が集積する場所だった。スラムは再開発地区に指定されており、住民たちの家はまもなく撤去されようとしている。住民たちは「撤去民」と呼ばれていた。

 冒頭から「入居権」という言葉が登場する。「撤去民」には再開発後にできるマンションへの入居権が優先的に与えられているのだが、マンションは高額であり貧しい彼らには手が届かない。そこで不動産ブローカーたちは、撤去民から入居権を買い集め、新たな入居者に高額で転売する。そのことを知った撤去民がブローカーを待ち伏せして問い詰める。

 

 「俺たちが何も知らないと思って、よくこんなことができるな。三十八万ウォンのものを十六万ウォンで買って二十二万ウォンも儲けるなんて、そんな話があるか」

 

 本書は独裁政権下、著者が弾圧を恐れて細切れに発表されたものを、後に一冊の本にまとめたものだ。著者は巻末の「作家のことば」で、韓国の70年代を「破壊と偽の希望、侮蔑、暴圧の時代だった」と書いている。

 その時代を象徴する暴力の所在地が、一つには再開発の現場であり、もう一つは工場という労働現場だった。当時の過酷な労働環境は、以前この連載でも映画『82年生まれ、キム・ジヨン』のところでふれたことがある。キム・ジヨンの母親は同じ頃、清渓川の工場で働いていた。

 『こびとが打ち上げたボール』でショックだったのは、そんなむき出しの暴力の時代にあっても、やはり冒頭から「マンションの入居権」という言葉が登場してくることだった。韓国における家や不動産問題がいかに根深いかを、思い知ってしまうのだ。

 この作品にもチョンセという言葉は登場する。住民が16万ウォンで入居権を売ってしまったのは、チョンセ金を返すためのお金が必要だったからだ。スラムの無許可住宅にもチョンセ制度があり、大家はその家が撤去される時に、離れに住んでいる人にチョンセ金を返す必要があった。そのチョンセ金の額は15万ウォンだった。

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 第11回
カルチャーから見る、韓国社会の素顔

「愛の不時着」「梨泰院クラス」「パラサイト」「82年生まれ、キム・ジヨン」など、多くの韓国カルチャーが人気を博している。ドラマ、映画、文学など、様々なカルチャーから見た、韓国のリアルな今を考察する。

プロフィール

伊東順子

ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)等。『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)好評発売中。

 

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チョンセと再開発――不動産階級社会としての韓国