文化遺産「子連れ鑑賞」顛末記 第四回

視覚芸術の殿堂で、視覚を手放したときに見えてきたもの

mina

ふれて味わうアルハンブラ

雨があがってライオン宮に光が戻ってくる。観光客のざわめきに混じって、ぴいぴい鳴く小鳥の声がかまびすしい。どこからか落ちてきた葉が、意外なほどの力強さで中庭から部屋の中にまで伸びる水路を流れてくる。ライオン宮を出口に向かって進むと、キリスト教化してから増築された中庭に出て、2階の渡り廊下からふもとのダロ川をはさんで向かい側に広がる旧市街地のアルバイシンを一望する。白い壁と茶色い屋根、そしてアルハンブラに似たアーチと中庭が点在する街の風景に、手すりにすがりついて釘づけになっている娘たちは、高台を吹き抜ける風の強さに驚き、この日一番の笑顔を見せた。

「きれいだけど、つまらない」。思い返すと、「二姉妹の部屋」での長女の言葉は、幼さゆえの放言ではあるけれど、私がアルハンブラに勝手に貼ってきた「美しい」という巨大なレッテルをひっぺがす威力があった。そもそも「美しい」は、ほんとうに私自身から生まれ出た感情だったのか。メディアで繰り返し見てきたことで培った分厚い「情報」のフィルターは、鑑賞の解像度を上げ、見えない物語まで映し出してくれるけれど、自分の視野や感情の幅を狭めるのかもしれない。多くの人が口にし、自分も信じてきた「美しい」が、けっして普遍的な感覚ではないと気づいて、初めて、アルハンブラ宮殿にフラットに向き合えた気がした。その後に出会ったタッチポイントは、やはり、視覚的な鑑賞が全てではないことを物語っていた。

フィルターを外してみると、アルハンブラ宮殿は視覚以外でも楽しめるポイントにあふれている。たとえば3000m級の山々が連なるシエラ・ネバダ山脈から夏でも豊富に届けられる「水」は、イスラム時代の仕組みのまま注がれる池や噴水で驚くほどパワフルな水音をたてて、私たちを涼ませてくれる。夏の離宮ヘネラリフェに続く階段のひなびた水路に指を入れた長女は水の冷たさに歓声をあげ、指先にぶつかる水の感触を楽しんでいた。ところどころに設置された水飲み場の清冽な飲料水は、初夏のアンダルシア地方でほてった体にはことのほかおいしい(硬水なので敏感な人は注意を)。イスラム教徒にとって富の象徴である水は、その精神性と高度な治水技術によって、時代が変わっても宮殿と人々の心身を豊かに潤し続けている。

宮殿を流れる水路

娘たちが興味を示したものに、ほかに「石畳」がある。黒と白を基調に、ときおりピンクや黄色も混じるつややかな丸石を敷き詰めた遊歩道や広場は、まるで川底を歩いているかのようにゴツゴツした感触が足裏を刺激し、場所によっては色違いの石を巧みに置いて模様を描いている。この技術と文化は、古代ローマのモザイクを源流として、イスラム時代に洗練され、キリスト教化後にさらに発達したとされる。しゃがみこんで光沢のある黒い石やマーブル模様の石をなでる娘たちは、どうやらきれいな石を抜き取りたいらしい(がっちりはまっていて、もちろん取れない)。幾何学的な模様や、動植物の模様を描いた石畳はアルバイシンの街中にも多数あり、多様なモチーフが街歩きに彩りを添える。

こうして口に含むものから足の裏まで意識してみると、アルハンブラはエキゾチックなイスラム文化の象徴という枠を超えた存在であることが、教科書的でなく、体で実感されてくる。ライオン宮の12頭のライオン像は、キリスト教文化の影響を色濃く受けているとされるが、同じように、古代ローマ文化がその後のイスラム文化に影響を与え、イスラムの宮殿を受け継いだキリスト教国はそれを壊すことなくアップデートを加えていった。そのバトンリレーのような歴史は、宮殿の内外で見え隠れしながら走る水路をイメージさせる。ときに血なまぐさい抗争や災害、荒廃といった困難を乗り越えて、受け継がれてきた水をいま、私たちは飲んでいる。

アルハンブラ宮殿を見学した翌日、イスラム時代の市民たちが暮らしたアルバイシン地区を歩いた私は、いよいよ目のかすみがひどくなり、まともに開けていられなくなった。室内温度を上げないために、日光を反射する白で塗られた家々が密集するゆかしい街並みを、まぶしすぎて見られないというのはなんともつらい。視覚に頼りすぎた鑑賞を戒める、アルハンブラの魔法使いの仕業なのかもしれない。

※文中の写真はすべて筆者が2025年6月に撮影。

【参考文献】
『世界はさわらないとわからない 「ユニバーサル・ミュージアム」とは何か』(広瀬浩二郎著、平凡社、2022年)
『世界建築史ノート 「人類の夢」を巡歴する』(中川武編、東京大学出版会、2022年)
『アルハンブラ物語』(W・アーヴィング著、齊藤昇訳、光文社、2022年)

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 第三回

プロフィール

mina

大手報道機関での事件記者を経て文化遺産に傾倒し、学芸員資格を取って文化部記者に。ビジネス系ウェブメディアで働きながらアートメディアや要約サービスに寄稿。2025年に研究者の夫に同行し、幼い娘2人を連れてヨーロッパ11カ国、350件以上の文化遺産を鑑賞する旅に出た。

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