文化遺産「子連れ鑑賞」顛末記 第五回

〝鑑賞〟とはなにか 顔のない少女と幼児の出会いから考える

mina

マチルデ

後日、謝罪をこめてラヴェンナ国立博物館にメールしたところ、少女像の名前は「マチルデ(Matilde)」だと教えてくれた。2018年に同館で行われた現代アート展「UNFORGETTABLE CHILDFOOD(忘れられない子ども時代)」のあと、そのまま残ったという。もともとは2体セットで展示されていて、だから彼女はずっと右を向いている。

少し意外だが、モザイクの街であるラヴェンナと現代アートとの関係は深い。街の南東部にあるラヴェンナ市立美術館には、シャガールら著名画家がラヴェンナのモザイク職人たちと協働して1950年代に切り拓いた「現代モザイク」の一大コレクションがある。現在はモザイクだけでなく、さまざまな現代アートの展覧会やイベントが街のいたるところで開催されている。

マチルデもそんな現代アートと文化遺産の融合の一つだが、彼女が少し特別だったのは、レプリカではなく本物であること。そして文化遺産に居ついて、異物としての存在感を保ちながらも同化していることだった。

作者のマルゲリータ・グラッセッリ(1970年~)は、古代の職人が大理石やブロンズの彫刻をつくる際に試作段階で用いていた技法を応用し、あえて粘土の粗さや手ごねの生々しさを伝える像を数多く制作している。製法からして古代の遺物と親和性が高いと言えるが、マチルデと同じ回廊に展示されている大理石の彫像「犬を抱く子ども」(1世紀)と比べても素朴で親しみやすく感じられるのは、粘土だからだろうか。それでいて、周囲の文化遺産に助けられて「歴史」の威厳をまとい、大切に扱いたくなる魅力を放っている。

私は気になっていたことを重ねて聞いた。

「マチルデには『さわらないでください』の掲示がありませんでした。どのように作品を守っていますか?」

博物館の教育・コミュニケーション担当のElisaは次のように答える。


「マチルデはたしかに、子どもたちに大変愛されていますが、彼らの興味は通常、それほど強引ではありません。そのため、学芸員たちは像の周囲に『さわらないでください』という標識を設置しないことにしました。

ただし、作者、制作年、使用素材に関する情報を表示する透明なパネルは設置されています。作品の性質上、軽くふれることは問題ありませんし、像の表面の汚れは定期的に清掃されています。来館者が〝さわりすぎ〟た場合に備えて、常にスタッフが近くに待機しており、介入できる体制を整えています。

今のところ、この体制は来館者とスタッフ双方にとって満足のいくものとなっています」


作品情報のパネルがあると、どうしても心理的な隔たりができるが、写真をいくら見返しても見つけられない。目立たないように設置されているようだ。

おそらくマチルデに出会った人は意表を突かれ、幾人かはそっと近づき、あのまっさらなキャンバスのような顔になにかを映し出すだろう。娘のように「汗をかいている」などと想像する人もいれば、自身の子ども時代や、我が子の姿を投影する人もいるかもしれない。閉鎖的な修道院だった建物に少女像があることを、次世代に開かれた博物館のメッセージととらえる人がいてもおかしくない。もちろん、なにも考えずにそっとふれるだけの人も多いはずだ。

マチルデの持つ親しみやすさと威厳は、出会う人にごく自然な作品との対話を促してくれる。そして、博物館に展示されている古代ローマ以来の彫像やレリーフ、イコンやフレスコ画といった文化遺産が、けっして別次元の高尚な存在ではなく、マチルデと同じ道を行く〝先輩〟であることを教えてくれる。

彼女自身はアートであると同時に、優秀なファシリテーターと言える。鑑賞者にとっては博物館を訪れて初めてできる友人であり、モザイクだけではないラヴェンナの多様な歴史との間を結ぶ架け橋になっている。

ラヴェンナ国立博物館の回廊。マチルデの横に娘たちが座ると、まるで仲良し3人組だ。
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 第四回

プロフィール

mina

大手報道機関での事件記者を経て文化遺産に傾倒し、学芸員資格を取って文化部記者に。ビジネス系ウェブメディアで働きながらアートメディアや要約サービスに寄稿。2025年に研究者の夫に同行し、幼い娘2人を連れてヨーロッパ11カ国、350件以上の文化遺産を鑑賞する旅に出た。

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