文化遺産「子連れ鑑賞」顛末記 第六回

子どもスコープがつなぐ世界

mina

オーリアのボンネット

「子どもスコープ」に映し出されるのはおもしろいこと、楽しいことばかりでは、もちろんない。最後は帰国間近に訪れたノルウェー南部リレハンメルにあるマイハウゲン野外博物館での小さな出会いについて、書き残したい。

野外博物館の敷地には、この地方の伝統的な民家や木造教会など100軒以上が移築されている。研究者の夫をはじめ、鑑賞者の大半はそちらに行っているのに、私は娘にねだられて、クイズラリーに参加するためにビジターセンター内の展示室にいた。せっかくの野外博物館なのに、屋外の展示を見ないのはもったいない。正直、さっさと終わらせて外に出ようと思っていた。

閑散とした展示室は、ノルウェーの空と同じく陰鬱な暗い色をしている。それだけに、並んでいるソリや椅子、壁にかかる伝統的な棚など家具の美しさは思いのほか、粒立って見えた。色鮮やかな草花模様や狩り、聖書の場面などが描かれている。

マイハウゲン野外博物館のビジターセンター内にある展示室。戸棚は壁に取りつけ、タオルやブラシを入れたという。

北欧のデザインにはシンプルなイメージがあるが、伝統的な家屋の特別室や家具には、温かみのある装飾がほどこされている。室内で過ごす時間が長いためにインテリアへの関心が高く、裕福な家庭ではドールハウスが普及した。展示室にもミニチュアのゆりかごやベッド、ソリなどがあり、人形好きな次女が見入っている。

赤いチェックやストライプの民族衣装、食器や楽器、ピストル…。ところどころにある英語のクイズを訳して伝えると、長女は答えのスタンプをワークシートに押し、フロアの奥へと進む。出口近くに着いたとき、最後のクイズを見つけたらしい。

出口の光に薄く照らされたショーケースのなかには、小さな半球型の物体が、いくつも置かれていた。布地は古びているけれど、赤・白・緑と色彩に富み、金銀のレースで縁取られ、水色のサテンのリボンが結ばれているものもある。人形の帽子だろうか。

同じケースには赤紫色のドレスのような長い布が展示されている。解説を読むと、ノルウェー東部に生まれたオーリア・オルスダッターが1851年4月21日、教会で洗礼を受けた際に身に着けた洗礼衣だとわかる。1700年代から家族で使われていた可能性があるという。

ショーケースに並ぶ帽子。右奥の赤い服は洗礼衣。

日本に帰ったら、娘たちは七五三をする。この洗礼衣ほどの歴史はないけれど、親族で長年着回してきた着物を着せるつもりだ。それに似ているのかな、と思った次の瞬間、短い英文が目に飛び込んだ。

「オーリアは2歳になる前に亡くなった」

ショーケースを見返す。半球体はすべて、赤ん坊の頭をくるむボンネットだった。解説によれば1700年代製と1800年代製があり、オーリアの母だけでなくこの家の歴代の女性たちが、上等な余り生地を使って赤ん坊のために縫ったらしい。

右側には古びたキリストの磔刑像と、1853年2月2日に亡くなったことを示すオーリアの墓石がある。愛らしく緻密な草花の彫り物。碑文にはこう刻まれている。「愛する子よ。さようなら、さようなら」

クイズも、外に出ることも一瞬忘れていた。ボンネットの持ち主が、次女よりも幼くして死んでしまったことを話すと、長女は「えっ」と小さく声をあげる。

臨終のオーリアと、先立たれる家族はどんな様子だったのだろう。

過去の人間の価値観や心情は、現代と同じ感覚では推し測れない。子どもは中世までは「小さい大人」と考えられ、幼い頃から労働や儀礼を担わされてきた。ジャン・ジャック・ルソーの『エミール』(1762年)以降、大人とは別人格として保護する考え方が広まったものの、それでも産業革命下のイギリスの絹織物工場では、月曜~土曜の朝6時15分から夜7時まで、大人と一緒に働く子どもが19世紀半ばまで存在した。子どもが死ぬことは珍しくはなく、掌中の玉のように大切にされること、元気に成長することは、当たり前ではなかった。

では、約170年前のオーリアの家族は、あまり哀しまなかっただろうか。「そんなわけがないだろう」と、叫びが聞こえてくるようだ。オーリアと両親の顔はどうしても思い浮かばない。ただ、愛だけが形になって残っている。

「子どもの死」は、戦争や事件・事故による悲惨なニュースを何度も聞いていたはずだ。けれど、遺品を目の当たりにするのは初めてだっただろう。美しいボンネットを見つめる長女は、なにかを感じただろうか。それは不明だけれど、帰国して七五三を迎える頃、「7歳までは神のうちなんでしょう?」とたびたび聞いてくるようになった。

私はこの言葉を聞くと、オーリアのボンネットを思い出す。遠いノルウェーの、しんとした薄暗い展示室の片すみに置かれた小さな可憐な文化遺産が、乳幼児死亡率が現在よりもはるかに高かった時代の、子どもの不在を強く想起させる。

いつかまた

旅が終わった。ぴかぴかで強固だった私の文化遺産観は幼児によって突き崩され、あとには砂金のようなきらめきが残った。ドイツの黒い森野外博物館のメッセージ、ノルウェーの木造教会で出会った魅力的な語り、アイルランドの断崖で向き合った鑑賞ルール、アルハンブラ宮殿のタッチポイント、ラヴェンナの顔のない少女、リレハンメルのボンネット……。「子どもスコープ」が映し出したものは、他にもたくさんある。

どれも個人的で、漠然としている。ただ子どもや外国人を含む多様な人が、それぞれに多様な発見をできる余地がある、その懐の深さが文化遺産の普遍性なのではないかと思う。見ようによってはそんな一面もあったかと、思いをはせていただければ幸いである。

スカンセンにある19世紀の富農の家で、伝統衣装の女性と。木や毛糸でつくったおもちゃで遊ばせてくれた。

大切な研究旅行に同行させてくれた夫。厳しい環境やさまざまな制約にもかかわらず、文化遺産を守り、伝え、研究し、鑑賞するすべての方々。そして娘たちへ。いつか、こんどはまた別の視点でともに鑑賞できる日がくるのを願って、顛末記の筆をいったん置きます。ありがとうございました。

ドイツ・トリーアにある古代ローマの世界遺産ポルタ・ニグラにて。

※写真は2025年5月~8月に筆者が撮影。

【参考文献】
『世界の建築・街並みガイド イギリス・アイルランド・北欧4か国』(渡邉研司・松本淳・北川卓編著、エクスナレッジ、2024年)
『博物館の学びをつくりだす その実践へのアドバイス』(小笠原喜康;チルドレンズ・ミュージアム研究会編著、ぎょうせい、2006年)
『こどもと大人のためのミュージアム思考』(稲庭彩和子編著、伊藤達矢・河野佑美・鈴木智香子・渡邉祐子著、左右社、2022年)

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 第五回

プロフィール

mina

大手報道機関での事件記者を経て文化遺産に傾倒し、学芸員資格を取って文化部記者に。ビジネス系ウェブメディアで働きながらアートメディアや要約サービスに寄稿。2025年に研究者の夫に同行し、幼い娘2人を連れてヨーロッパ11カ国、350件以上の文化遺産を鑑賞する旅に出た。

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