ケアの現場でアートは何をしてきたのか 第2回

デイサービスに、アーティストがいる

クロスプレイ東松山から考える、余計なお世話としてのアート
アサダワタル

福祉施設や病院などケアの現場で、美術や演劇、音楽やダンスはもとより、ラジオ番組やカルタ創作など、多様なアート・表現の実践が近年なされている。なぜケアの現場で、アートが必要とされてきたのか。そして、アートが入ることで、その場の人々の関係の回路は、どう組み替えられてきたのか。福祉やケア、アートの現場を行き来しながら、「多様な背景を持つ他者といられる〈場〉をつくる」ことを行ってきた、アーティスト・文筆家のアサダワタルが、実践現場も紹介しつつ探っていく連載の第2回。
今回から、埼玉県東松山市にある「デイサービス楽らく」の事例を取り上げる。世界的に見ても珍しい、常設のアーティスト・イン・レジデンス機能を持つ高齢者福祉施設での取り組みを追う中で、見えてくるアートの「余計さ」とは。

私は、何をしにここにいるのか

 埼玉県東松山市にある「デイサービス楽らく」。ここの一日は、私の都合とは関わりなく始まります。

 朝、送迎車が戻ってくると、利用者さんが一人、また一人とフロアに入ってくる。職員は名前を呼び、顔色や息づかいから体調を読み取り、席へスムーズに案内しながら、もうつぎの動きへ移ってゆく。施設に入ってくる人の歩幅はひとりひとり違う。すぐに席につく人もいれば、あたりを見渡してからゆっくり腰を下ろす人も。職員はそのひとつひとつに応えながら、それでいて全体の流れは決して止めない。

 私はそこにいます。けれど職員ではないし、利用者でも家族でもない。ではいったい何者なのか、と考えはじめると、答えに詰まってしまいます。

 ギターを持っているのだから、音楽の人ではあるのだろう。とはいえ、毎回歌えばいいというものでもない。話を聞きに来ているけれど、取材者と言い切ってしまうのも据わりが悪い。手伝うべきなのか、ただ見ているべきなのか。距離の取り方がいまいちわからないまま、私は何度も楽らくのフロアに立ち続けてきました。そう、そこに居ることそれ自体が、少し気まずいのです。

 ただ、その気まずさは、拒絶されて生まれるものではありません。現場の人たちはむしろ丁寧に迎えてくれます。「アサダさん、今日はよろしくお願いします」と声をかけてくれますし、利用者さんが「あぁ、また来たの」と笑ってくれることもあります。それでも、その親切さとは別のところで、私はずっと何かを問われている感じがしています。

「で、何をしに来たんですか?」

 この問いに、冷たさはありません。現場にとっては、当然といえば当然の問いです。

 介護の現場は、ただ人が集まっているだけの場所ではありません。制度としてのサービスがあり、職員の配置があり、一日の流れがあり、事故を防ぐ責任もある。利用者さんが安全に過ごせるようにしながら、できるだけ楽しく、でも無理のないかたちで一日を終えてもらう。そのために職員は、言葉になりきらないほど細かな判断を、ひっきりなしに重ねています。

 そこへ、外部からアーティストが入ってくる。現場からすれば、まさに「何者?」という感じでしょう。ここで行われてきたのが、「クロスプレイ東松山」というプロジェクトでした。

デイサービス楽らく。施設内には利用者が過ごすホールに加え、アーティストの滞在・制作スペースが設けられている。

クロスプレイ東松山とは何か

 クロスプレイ東松山は、埼玉県東松山市の高齢者福祉施設「デイサービス楽らく」を舞台にした文化事業です。

 楽らくを運営する医療法人社団保順会は、「Cure(治療)・Care(介護・福祉)・Culture(文化)」という三つのCを理念に掲げてきました。2022年、楽らくの新築移転に合わせて、通常の通所介護機能に加え、アーティストが宿泊できるレジデンススペースと、創作活動のための多目的室が設けられました。プロジェクトは、保順会と、埼玉県内で福祉やまちづくりなど多様な分野と協働してきたアートマネジメント団体・一般社団法人ベンチとの共同主催で始まりました。

 常設のアーティスト・イン・レジデンス機能を持つ高齢者福祉施設は、世界的にも非常に珍しい事例です。言葉だけを聞けば、たしかに「先進的な取り組み」と呼びたくなります。けれど実際に現場に立ってみると、その珍しさは単なる魅力とは違う手触りをしています。珍しいということは、裏を返せば、現場にとって「うまく説明のつかないこと」でもあるからです。

 そもそも、ここはデイサービスです。利用者さんは日中に通い、食事をとり、入浴し、機能訓練やレクリエーションを受けて、夕方には送迎車で帰っていきます。特別養護老人ホームのように住んでいるわけではなく、ショートステイのように泊まる施設でもない。ところがクロスプレイ東松山では、利用者さんや職員が帰ったあと、アーティストだけが施設に残る時間が生まれます。朝になればまた職員が出勤し、利用者さんがやってくる。その一日の流れの中に、外から来たアーティストが「いる」。 これは、私のようなアーティストにとっても、とても不思議な時間でした。一日だけ単発のワークショップをしにいくのとは、わけが違うのですから。

デイサービス楽らくの空間レイアウト

いまここにいる「その人」として接する

 クロスプレイ東松山の構想は、ある日突然に生まれたものではありません。
 施設長の武田奈都子さんは、もともとアートマネジメントの仕事をしていた人です。けれど、最初から福祉施設でアートプロジェクトをやろうとしていたわけではない。母親が法人の中でケアマネジャーとして働き、音楽療法にも関わっていたことが、武田さんにとってはひとつの背景としてありました。2011年頃にアートの仕事を離れ、家業である医療・介護に関わるようになったとき、武田さん自身はあくまで裏方としてこの場所に関わります。保順会の理念に「Culture」のCがあることは知っていても、それがすぐに自分の仕事と重なっていたわけではなく。

 とはいえ、当初はそもそもアートどころではなかったそうです。法人のバックオフィス業務をこなしながら、人手が足りないときにはデイサービスの現場に呼ばれる。お茶を出し、髪を乾かす。そうして利用者さんと接するうちに、武田さんはある感覚を持つようになっていきます。

「認知症の人を認知症の人として見るのと、本当にその人として、いまここのその人として見るケアは、やっぱり違うなと思って」

 この言葉は、クロスプレイ東松山を考えるうえでとても大事だと思います。病名や介護度や状態像として人を見ることは、制度の中では必要です。けれど、それだけでは見えてこないものがある。その人がどんな歌に反応するのか、何を見たときに昔のことを思い出すのか、誰の前でどんな話をするのか。そうしたことは、ケアプランに最初から書かれているわけではありません。

 事務仕事や現場の手伝いを重ねるうちに、武田さんのなかで、自分がこれまで関わってきたアートの経験をこの施設で何か活かせないか、という思いが少しずつ形になっていきます。そこで最初に始めたのが、造形系のアーティストを呼んだり、身体表現のプログラムを行ったりする、単発のワークショップ。その時間には、普段の「介護する人/される人」という関係が、表現する人同士の関係へと少しだけ組み替わります。利用者さんが普段とは違う表情を見せることもあり、職員もそれを面白がってくれたそうです。武田さんはその景色に、たしかな可能性を感じていました。

「けれど単発のワークショップは、どうしても“打ち上げ花火”のように終わってしまう。一回の時間としては盛り上がるし、普段は見られない表情も見えます。でも終わればまた、日常に戻っていくだけだと思ったんですね」

 もっと生活の中に、日常の中に、アートがぬるっと入ることはできないか。

 その問いが輪郭を持ちはじめたのは、施設の建て替えが現実のものになったころでした。法人のバックオフィス業務にも慣れてきた頃で、法人の未来を描き始める過程で彼女が考えたのは、「自分だからこそできることは何か」ということでした。医療や介護の専門家としてだけでなく、アートマネジメントをやってきた自分が、法人の「Culture」という理念をこの場所の中に組み込むとしたら、どんな施設になるのか。その問いが、やがて「アーティストがデイサービスに滞在する」という、かなり奇妙で、かなり大胆な発想につながっていったのです。

 もっとも、この構想は武田さん一人の思いつきだけで進んだものではありません。彼女のパートナーでもある舞台芸術のプロデュースに携わってきた武田知也さん、福祉とアートマネジメントの両方に経験を持つ藤原顕太さんらと準備を重ね、2022年の新施設オープンに合わせて、クロスプレイ東松山は実際の事業として始まっていきました。

デイサービス楽らく施設長の武田奈都子さん。2026年5月23日に楽らくで行なったインタビュー時

楽らくラジオから、歌が生まれる

 では実際には、何が行われていたのでしょうか。

 最初に私自身のケースから書きます。私がまず始めたのは、「楽らくラジオ」という小さなプログラムでした。楽らくには、もともと音楽がよく流れていました。利用者さんたちの世代にとって、ラジオや歌謡曲は生活の記憶と深く結びついています。そこで私は、利用者さんに好きだった曲をリクエストしてもらい、一緒に聴くことにしました。その曲にまつわる思い出も聞かせてもらうと、疎開先で聞いた歌、秩父音頭、コンサートに行った歌手の曲などが次々と出てきます。曲が流れると、話がこぼれ出す人もいれば、自然と口ずさむ人もいました。

 ただ、それを単に「回想法」と呼んでしまうと、どこか違う気がします。私は利用者さんの人生を取材しにきたわけではないし、リサーチしていたとも言い切れない。時に送迎車に乗せてもらい、車窓の景色を一緒に眺めながら、昔住んでいた家や働いていた場所の話を聞く。向かい合って聞くというより、同じ方向を見る。車窓の景色、道の先にある家や畑、そして何よりその人の語り。そこに居合わせる私が、少しだけ同じほうを向く。私は以前から、そうした関係を「共視」と呼んできました。楽らくラジオは、音楽を通してその共視をつくろうとする試みだったように思います。

「楽らくラジオ」の時間。利用者さんの馴染み深い曲をきっかけに土地の記憶を語る

 けれど、デイサービスには独特の時間の流れ方があります。
 曜日によって利用者さんが違うので、毎回同じ人に会えるわけではありません。せっかく関係ができたと思っても、次に会うのが数週間後になることも度々。認知症のある人であれば、前に話したことが、次に会う頃にはリセットされているように感じることもしばしば。私のなかでは積み重なっているはずの時間や関係が、相手のなかでは同じようには積み重なっていないのです。

 これは、なかなか厄介なことでした。何かを進めているようで、進んでいない。話を聞いてはいるが、聞いたことをそのまま作品にするのも違う気がする。かといって、ただ待っているだけでも手持ち無沙汰で気まずい。いよいよ困っていたある日、レジデントルームの前でギターを弾いていた私に、ある職員さんが声をかけてきました。

「アサダさん、楽らくのテーマソング作ってくださいよ」

 正直、それまで考えたこともありませんでした。でも、その一言を聞いた瞬間、ああそうかと腑に落ちるものがあった。楽らくでは、毎日と言っていいほど、歌をよく歌います。健康体操の歌から童謡まで。でも、施設を象徴するテーマソングは存在しない。これを作曲するのはとても面白いかもしれない。しかも、私自身がずっとここにいる必要はなく、「歌」という自分の分身のようなものを日常のなかに置いていけばいい。私がいない日にも、私が会えない曜日にも、歌であればそこにいられるかもしれない。

 そうして生まれたのが、「楽らく日和」と「また明日も楽らくで」という二つの曲でした。
「楽らく日和」は朝、利用者さんを迎える歌。「また明日も楽らくで」は一日の終わりに歌われる歌です。2023年4月にこの二曲が生まれ、その後、「楽らく日和」は職員によって歌われ、「また明日も楽らくで」は近隣の東松山市立唐子小学校の4年生と利用者さんが一緒に歌い、レコーディングやミュージックビデオの撮影へと進んでいきました。 武田さんは、後のインタビューで、私の曲ができたことを「ブレイクスルーだった」と言ってくれました。とてもありがたい言葉です。ただ、この出来事を「アサダが良い曲を作った」という話にはしたくありません。大事なのは、外から来たアーティストのものだったはずの歌が、少しずつ楽らくの日常に紛れ込んでいったことです。朝や夕方に流れ、利用者さんが口ずさみ、職員がその時間を回していく。歌は、私がいない日にも、そこに残りつづけていきました。

「また明日も楽らくで」のレコーディングの様子

「ウロウロしてます」という滞在

 私以外のアーティストたちも、それぞれまったく違う仕方と居方で楽らくに関わっていました。

 初の滞在アーティストとなった白神ももこさんは、ダンサーであり振付家です。滞在の当初、職員の働きぶりを見て「振付とかダンサーの私は出る幕ないな」と思うほど圧倒されたといいます。デイサービスの日常には、すでに身体の技術があり、即興性があり、関係を支えるプロフェッショナルな動きがある。そこにダンサーが来たからといって、すぐに何かを付け足せるわけではありません。

 白神さんは、塗り絵や体操、夏祭りや運動会に参加しながら、特別な役割を持たないままそこに居続けます。ある利用者さんに「あなた何してるの?」と聞かれ、「ウロウロしてます」と答えると、「あらそう、良かったわねぇ」と返されたそうです。この「ウロウロしてます」という一言は、クロスプレイ東松山の手触りをとてもよく言い当ててます。何かをしているようで、していない。役に立っているようで、立っていない。それでも、その「ウロウロしている人」がそこにいることで、日常の見え方はどこかしら変わってくる。

 白神さんは最終的に、デイサービス楽らくの日常をもとにした舞台「どこ吹く風のあなた、ここに吹く風のまにまに」をつくりました。普段使われているテーブルや椅子がそのまま舞台に置かれ、職員のいつもの問いかけから一日が始まり、歌や踊りや一芸発表が重なっていく。私もその舞台本番に立ち会いましたが、普段のデイサービスがそのまま舞台になったようでいて、でもやはりそれは非日常でもありました。だからこそ、普段は見過ごされている身ぶりや関係に、新たなまなざしが与えられていたように思います。

ある日の昼休み、中庭で利用者から社交ダンスを教わる白神ももこさん

写真、ダンベル、粘土、版画

 クロスプレイ東松山で起きてきたことは、歌や舞台のようなわかりやすいアウトプットに限りません。もっと細やかな接触のなかにこそ、このプロジェクトらしさが宿っていたように思います。

 デザイナーの吉田幸平さんと編集者の吉田和古さんの二人は、利用者さんの思い出の写真を集めて聞き書きを重ね、写真展「Love letter to… わたしの記憶のたからもの」を開きました。一枚の写真をきっかけに、職員も知らなかった若い頃の姿が立ち上がってくる。今は車椅子に乗っている人が、かつてバイクの側車に乗っていた写真を見せると、周囲が現在の様子とのギャップにどよめきます。写真展は楽らくの中だけでなく、地域のギャラリーでも開かれました。

 美術家の安村卓士さんは、楽らくで使われている紙製のダンベルに目をつけました。朝の体操で使われていたそのダンベルを、鉛筆に見立て、寿司に見立て、魚や野菜にも見立てながら、一本一本違うものへと変えていきます。作品は展示台の上に飾られるのではなく、いつもの体操のなかで使われ続けました。武田さんはインタビューで、安村さんのダンベルが「当たり前のように」使われていたことを嬉しそうに話していました。

 さらにその後のクロスプレイでは、彫刻家のとほさんが滞在しました。とほさんは、最初から積極的に利用者さんへ話しかけるのではなく、少し距離を取りながら、デイサービスの日常をスケッチします。そのスケッチを多目的室に掲示すると、利用者さんから「素敵」「似てる」という声が上がり、やがて「自分の絵を描いてほしい」というリクエストも増えていったそうです。ところがとほさんは、途中でそれを引き受けるのをやめると宣言。誰か特定の肖像画を描くのではなく、利用者さんの楽らくでの生活そのものを風景として残す。とほさんは「距離を詰めすぎず、踏み込みすぎず、隣人として見ていき、そこから素敵なものを拾い上げていくことをしたい」と語っています。

 この姿勢が印象深いのは、ケアの現場にアーティストが入ると、どうしても「何かを引き出す」ことが期待されがちだからです。語ってもらう。参加してもらう。表現してもらう。けれどとほさんは、いきなり距離を詰めるのではなく、まずそこにある日常を見ていました。その丁寧な見方があったからこそ、別の関係が生まれてきたのでしょう。とほさんの粘土作品を見たある利用者さんが「私もやってみたい」と声をかけ、多目的室で一緒に粘土をこねる時間が生まれる。手を動かしながら会話が弾み、その場で語られた生い立ちや家族の話は、基本情報やアセスメント、ケアプランには載っていなかった話だったといいます。

 美術家の浅野友理子さんの滞在でも、似たようなことが起きていました。浅野さんは版画を制作し、後半の滞在ではその版画を使った塗り絵の時間を開いています。朝の会で作品を少しずつ紹介し、多目的室には滞在中に制作した版画が展示され、興味を持った利用者さんや職員が見に来るようになったそうです。

 ある日、多目的室で浅野さんが版画を彫っているところを見ていた利用者さんの一人が、30年ほど前に自分も版画をやっていたことを話し始めました。農作業に追われるようになってからは版画から離れてしまったけれど、彫刻刀の種類や彫り方を目にしているうちに、かつての制作の記憶がふいに言葉になって戻ってきたのだといいます。隣にいた別の利用者さんが「また始めたらいいわよ」と声をかける場面もありました。

 浅野さんの版画の実演では、さらに小さな共同作業も生まれています。ある利用者さんが「自分もやってみたい」と言い、バレンを使った刷りを体験。その人が真剣な顔で手を動かしていると、隣の利用者さんが、紙がずれないようにそっと手を添える。別の人も「私もやってみていいかしら」と加わってくる。そうして、一つのテーブルの上にみんなの手が自然と重なっていく瞬間が生まれていきました。

 こうした出来事を見ていくと、クロスプレイ東松山で起きていたことは、「アーティストが作品をつくる」ことだけには収まらない。写真が過去を呼び戻し、ダンベルが体操の時間にひっそり紛れ込み、粘土は一対一の会話を生み、版画を眺める時間はかつての創作の記憶を呼び起こす。そこにあるのは作品と利用者さんとの出会いであると同時に、利用者さん同士の関係がふっと動く瞬間でもありました。

 ただ、この豊かさは、最初から現場にとってわかりやすいものだったわけではありません。多様で、説明しにくく、役割も定まりにくい活動だからこそ、それが日常のなかに入ってくると、現場には戸惑いも生まれていきました。

とほさんの粘土作品をきっかけに、利用者と一緒に手を動かす時間が生まれた

「ここ、デイサービスですよね!?」

 施設長の武田奈都子さんは、クロスプレイ東松山が始まる前に実施していた単発ワークショップについて、「すごく分かりやすく、職員からも受け入れられていた」と話していました。

「この日のこの時間はそれをやる。進行はもうアーティストに任せる。いわゆる、デイサービスでボランティアさんを呼んで演奏会をやったりとか、そういうのの延長線上ですね」

 時間が決まっていて、外部の人が来て、その時間だけ何かをやり、終われば帰る。職員としても「今日は先生が来てくれた」と受け止めやすい。多少内容が尖っていたり、ちょっと変わっていたりしても、その時間の枠のなかに収まっている限り、現場の流れが大きく崩れることはありません。ところがクロスプレイ東松山では、アーティストが滞在します。つまり、丸一日、ずっと「いる」。利用者さんはそのアーティストの活動を眺めているだけでもいいし、交流してもいい。何かを一緒に作るだけでなく、ただそこに「いる」という時間そのものが生まれてしまいます。

 新施設をつくる際、武田さんは職員会議でこの構想を説明しました。その時の反応を尋ねると、彼女は少し笑いながらこう答えてくれました。

「アーティストがここに暮らしながら利用者さんと時間を過ごすって(職員たちが)聞いた時点で、もう“???”でしたね(笑)」

 そして、こうも言われたそうです。

「武田さん。ここ、デイサービスですよね!?」

 この一言は、クロスプレイ東松山という試みの難しさを、かなり正確に言い当てています。

「活動を始めて4年経過した今(2026年5月取材時)も多分、“なんで?”という疑問は完全にはなくなっていないです。でもその疑問に対して、“アートだからできることがある”っていう言い方も少し違うなと思いながら、私もその説明する言葉をずっと探している感じなんですよね」

 この「なんで?」を、私は大切にしたいと思います。
 それはアートへの無理解ではなく、制度としてのケアを担う現場が持つ、ごく当然の問いです。この問いをすっ飛ばしてしまえば、アートはあっという間に「やれば良いことがある」とだけ語られてしまう。素晴らしい取り組み、先進事例、アートによる新たなケア。そうした言葉は外から見れば魅力的に響く。でも、現場の「なんで?」を置き去りにした途端、アートは現場を助けるどころか、負担を増やす側に回ってしまうように思うのです。

デイサービス楽らくの一日。過ごし方はアーティストによって異なるのであくまで一例

「アーティストならいいんですか?」

 クロスプレイ東松山には、活動内容を見直す必要に迫られた時期があります。
 デイサービスという場所にアーティストが「滞在する」ことそのものが、現場にどんな違和感を生むのかが、少しずつ具体的に見えてきたのです。アーティストが施設に泊まり、利用者さんや職員が帰ったあともそこにいる。朝になれば、またデイサービスの一日が始まる。そのとき、職員や利用者さんの目に、滞在している人の生活の気配がふと見えることがあります。寝具や荷物の置き方、部屋の使い方、廊下ですれ違うときのふるまい――アーティストにとっては何気ないことでも、施設の職員にとっては、その場所の清潔さや安心感、利用者さんにどう見えるかに関わることでした。

 利用者さんへの言葉遣いも、同じように問題になりました。職員は日々、高齢者を敬う気持ちを保ちながら、関係性を見て言葉を選んでいます。親しみを込めた言い方も、関係ができてから少しずつにじみ出てくるものです。そこへ外から来た人が、職員とは違う距離感で話しかける。ある利用者さんにはそれが新鮮に映ったとしても、別の職員には時に危うく見えることがあります。

「アーティストならいいんですか?」

 そうした声が出たそうです。さらに、もっと根本にふれる言葉も。

「私たちは介護をするために雇われている。アーティストをお世話するような仕事では契約していません」

 重い言葉です。けれど私はこれを、アートへの拒絶として読むべきではないと思う。現場の職員が、ただ言うべきことを言ったのです。職員は介護職として働いています。利用者さんの一日を支えるために、身体の状態を見て、食事や入浴を支え、移動を見守り、記録を書き、家族や他職種とも連携する。その仕事だけでも十分に重いのに、そのうえアーティストの滞在に気を配り、活動を支え、何かあればフォローし、対外的には「良い取り組み」として紹介される。そうなれば現場が、「それは誰の仕事なの?」と問うのは当然です。一方で、その負荷の感じ方は一様ではありません。面白がる職員もいれば、戸惑う職員もいる。自分は気にならなくても、別の職員が強い違和感を持つこともある。そうした小さな違和感は、チームで働いている以上は日々共有され、増幅されることもありえます。

 そして、その問いは私自身にも向かってきます。
 私はこれまで、福祉施設や病院、被災地の集合住宅など、さまざまなケアの現場にアーティストとして関わってきました。大抵の場合、誰かが私を呼んでくれている。理解のある施設長、プログラム担当者、外部団体のコーディネーター。私はその人たちに守られながら現場に入っていきます。けれど、その人たちは組織の内部で説明責任を負っている。「なぜこれをやるのか」「誰の負担になるのか」「何が残るのか」を、現場に向けて説明し続けなければなりません。

 アーティストは、呼ばれているようでいて、実のところ誰かの説明責任の上に立っています。武田さんは、その衝突を受けて、クロスプレイの進め方を変えていきました。アーティストが来るときには、職員、利用者、アーティストをつなぐコーディネーターを必ず置く。職員が直接アーティストに言いづらいことも、コーディネーターを通して相談できるようにする。そして「やめてください」「それはルール違反です」と止めるだけでなく、「これをやるなら、どうしたらいいか」を一緒に考えていきます。

 クロスプレイのコーディネーターを務める一般社団法人ベンチの藤原顕太さんも、クロスプレイの初期には職員から「私たちはアーティストのお世話をする人ではありません」という声があったと話しています。だからこそ、アーティストという肩書きを前面に出すのではなく、「外から来ている、何かをする人」として、誰々さんという一個人がその場に関わっていく形を探っているのだといいます。

 ここで少しずつ見えてくるのは、アートの「余計さ」です。
 ただ、それは悪口ではありません。アートは現場にとって余計なものかもしれない。けれど、その余計さがあるからこそ、普段は見えにくい姿や関係が現れることもある。問題は、それを「アートだから良いこと」として済ませないことです。現場にとっての戸惑いを残したまま、それでもなお何が起きていたのかを見ていく必要があるのだと思います。

左:武田奈都子さん、右:藤原顕太さんのインタビューの様子。2026年5月23日、楽らくにて

歌が、外へ漏れていく

 テーマソング「また明日も楽らくで」は、その後、楽らくの外へと漏れ出していきました。

 楽らくの前の道は、近くにある唐子小学校の通学路になっている。施設の前には、赤い小さな時計台が立っています。私は、楽らくで生まれた歌を、その通学路に少しだけ漏らすことはできないかと考えました。

 唐子小学校の4年生と楽らくの利用者さんが一緒に「また明日も楽らくで」を歌い、レコーディングしました。ミュージックビデオ(*1)もつくりました。利用者さんが一文字ずつ書いた書道の文字は、歌詞のテロップとして使われました。2023年10月のレコーディングでは、利用者さんと小学生有志がアカペラで一曲を歌い、そこに後日アサダを含むミュージシャンたちが演奏を重ねて楽曲が完成。できあがったミュージックビデオや音源は、楽らくの中だけにとどまらず、地域へと広がっていきました。

ミュージックビデオで映される歌詞の一文字一文字を書く利用者の様子

 後日、藤原さんからこんな話を聞きました。楽らくを訪問した子どもたちにミュージックビデオを見せると、「この映っているの、誰々さんじゃない?」という反応が起きたそうです。また、別の学年の子どもたちも通学路で聞いているせいか、すでに曲を知っていて、一緒に歌えるようになっていたそう。さらに、6年生を送る会でこの曲を歌いたいという話が小学校側から持ち上がり、先生から音源がほしいという連絡まで来たといいます。その話が楽らくの中で共有されると、「自分たちの歌が小学校で歌われるらしい」ということで、よくわからないけれど拍手が起きたそうです。

 私は、この「よくわからないけれど拍手が起きた」というエピソードを聞いたとき、とても嬉しかった。なぜならそれは、おそらく成果を説明されたから起きた拍手ではなかったからです。自分たちが毎日歌っている歌が、施設の外へ出ていった。小学校で歌われるらしい。子どもたちが知っているらしい。自分たちの日常が、知らないうちに外へ漏れている。そのことへの、少し誇らしいような、少し不思議なような反応こそが、その拍手の内実だったのではないかと思うのです。

 藤原さんは、そのことを「その人の尊厳とか誇りを大事にしていく」という言葉で表せるかもしれない、と話していました。自分にとって大切なものができる。その人にとって大切なものを、まわりが確認していく。そのための手立てとして、歌や小学校との関わりが働いていたのかもしれない。歌は、私の作品であると同時に、もはや私だけのものではなくなっていました。楽らくの歌になり、子どもたちの歌になり、時計台から流れる地域の歌になっていく。そのとき、アーティストの名前は少しずつ薄れ、代わりに「私たちの歌」という感覚が立ち上がってゆきます。

 もちろん、これを美しい話としてだけ語ることはできません。そこに至るまでには、学校との連絡があり、録音や撮影の段取りがあり、職員の多大なる協力があった。誰かが動き、誰かが説明し、誰かが現場に飛んできたもう一つの謎のボールを拾っている。それでもなお、余計だったはずのものが、場のなかで少しずつ共有され、誰か一人のものではなくなっていくことがある。クロスプレイ東松山の大事なポイントは、ここにあるように思います。

施設前の時計台から流れる曲を聴く利用者と児童たち

余計なお世話という問い

 クロスプレイ東松山は、「アートがケアの現場に入って、良いことが起きました」という話ではありません。もう少し、ややこしい話なのだと思います。楽らくの日常に歌が紛れ込み、身体が動き出し、写真や粘土や版画をきっかけに、利用者さんの別の姿が見えてくる。その出来事は、たしかに豊かなものでした。けれど同時に、職員には「ここ、デイサービスですよね!?」という当然の問いがあり、「アーティストならいいんですか?」という違和感もあった。

 私は、この両方を切り離したくありません。
 クロスプレイ東松山の面白さは、アートが現場にすんなり受け入れられたことにあるのではなく、そのすんなりいかなさを抱えながら続いてきたところにこそあるのではないか。アートは、ケアの現場にとって、たしかに余計なお世話かもしれません。けれど、その余計さがあるからこそ、ふだんは見えにくい関係や記憶や誇りが、ほんの少し姿を現すこともあると思っています。では、アーティストが持ち込むこの余計さは、どのような条件があれば、現場の中で少しずつ引き受けられるのでしょうか。 次回は、この「すんなりいかなさ」を、「時間」という補助線を設けて、もう少し具体的に考えてみます。


本稿は、2026年3月から5月にかけて行った、デイサービス楽らく施設長・武田奈都子さん、一般社団法人ベンチの藤原顕太さんへの取材インタビューをもとに構成しました。あわせて、医療法人社団保順会と一般社団法人ベンチによるクロスプレイ東松山の事業報告書『クロスプレイ東松山2022–2023報告書』、ならびにクロスプレイ東松山特設note上で公開している各アーティストの滞在日誌を参照しました。本文中に登場する発言、エピソード、活動内容の記述は、アサダ自身の滞在経験、上記インタビュー、および公開資料に基づいて再構成しています。

*1 楽曲『また明日も楽らくで』のミュージックビデオはYouTubeで公開されている

 第1回
ケアの現場でアートは何をしてきたのか

福祉施設や病院などケアの現場で、美術や演劇、音楽やダンスはもとより、ラジオ番組やカルタ創作など、多様なアート・表現の実践が近年なされている。 なぜケアの現場で、アートが必要とされてきたのか。そして、アートが入ることで、その場の人々の関係の回路は、どう組み替えられてきたのか。 福祉やケア、アートの現場を行き来しながら、「多様な背景を持つ他者といられる〈場〉をつくる」ことを行ってきた、アーティスト・文筆家のアサダワタルが、実践現場も紹介しつつ探っていく。

関連書籍

プロフィール

アサダワタル

1979年、大阪生まれ。場をつくる人。アーティスト・文筆家。音や声、言葉を手がかりに、人と人が関わり直す「場」を作品として各地で創出してきた。ケア、コミュニティ、教育、アートの現場を横断しながら、「住み開き」や「当事場」といった一連の概念を提唱し、実践と執筆を往復している。著書に『当事場をつくる—ケアと表現が交わるところ』(晶文社)、『住み開き増補版—もう一つのコミュニティづくり』(筑摩書房)、『想起の音楽—表現・記憶・コミュニティ』(水曜社)、『アール・ブリュット アート 日本』(共著、平凡社)、CDに『福島ソングスケイプ』等。滋賀県立大学大学院環境科学研究科博士後期課程満期退学、博士(学術)。近畿大学文芸学部准教授。

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